toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

258-280130ようやく初滑り

2016年01月30日 | スポーツや趣味

  ゲレンデの途中の一息いれる地点。ここの標高1700m

 

今シーズンはなかなかまとまった積雪がなく、いままで初滑りがのび

のびになってしまった。例年ならばこの時期までには少なくとも2回

は滑っている。先日の大雪でゲレンデ状態が改善されたので、ひいき

の嬬恋村のパルコールスキー場で初滑りを楽しんだ。

後期高齢者入りを1年後にした老体を考えれば満足すべき滑りだった

と納得でき、満たされた気分で帰途についた。

このスキー場が好きな理由は

 ① ゲレンデが長く(約4km)かつ急斜面が少ない。それでも標

   高差は600mほどある。

 ② 眺望に優れており、踏むとキュキュ鳴る抜群の雪質。

 ③ 東に開けたゲレンデで追い風になることが多い。

 ④ 老体には苦手のコブ斜面がほとんどない。

 ⑤ 高速道路の必要がなく、道路の渋滞がない。

 

ゲレンデ下部の駅舎

 

こんなことで一人の時はここで滑ることにしている。

関東甲信越のスキー場では最長のゴンドラでスキー場最上部立つと、

そこは2000mを少し超える世界、前日までの吹雪でシラビソの天

然林が雪をまとう。標高が高く湿気の少ない粉雪なので、八甲田山や

蔵王のようなモンスターにはならないが非日常の世界。百名山の一つ

四阿山へはそこから2時間みれば山頂に立てる。

ゴンドラ頂上駅近くで(この写真は3年前のもの)。今シーズンはま

だここまで成長していなかった。 

 

10年前には4kmのロングコースを一気に滑り下ることができたが、

さすがにもうそうはいかない。途中で2、3回休みを入れて降りる。

途中の景色が素晴らしい。眼下に嬬恋村の高原キャベツ畑が雪をまと

って拡がる。その先に湯の丸山から浅間山、浅間隠山、本白根山、草

津白根山が濃紺の空を背景に競り上がり、志賀高原の山々に連なる。

見通しが良ければさらにその奥に赤城山から日光白根山が望める。

富士山、奥秩父連山や八ヶ岳は浅間山から西に続く山塊がさえぎるの

で見えない、しかしもう充分。

嬬恋村のキャベツ畑と浅間山遠望。ゲレンデには人影が見えず。

浅間山をズームアップする

 

頂上駅から20分ほど深雪をかき分けて上信国境に登る体力のある壮

年のスキーヤーならば、さらに南北100kmにも連なる北アルプス

の白く輝く峰々の姿にしばし感嘆の言葉を吐くだろう。

国内航空路にあたるのか遥か上空を飛行機雲を引きながら旅客機が東

西に行き交う。

帰路百名山四阿山を望む

 

平日には数えるほどのスキーヤーやボーダーの若者しかいないゲレン

デ。この日は最初からスキー板にきちんと乗ることができた。乗れさ

さえすれば足への負担も軽微なものになる。大回りと小回りターンを

組み合わせ、スピードよりも滑りの姿勢を意識しながらゆったりと滑

る。外側スキー板から伝わる雪面の反発力を気持ちよく感じて次のタ

ーンに入る。雪面を刻んでいく板から雪煙が吹き上げていれば理論と

おりに滑れている証拠だが、自撮りができないので想像するしかない。

足が疲れたら無理せずに休み周囲の山々を視界に入れながら混じり気

のない冷気を深呼吸する。

今の健康状態が崩れなければあと5年は滑れるかなと思う。至福のひ

と時でした。

 

 

 

 

 

 

 

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257-280123関東ふれあいの道

2016年01月23日 | 山登りというより山歩き

 締め殺し、秋間の山中にて。

 

正月以来風邪がなかなか治らずに、家で過ごす時間が長くなった。

少し体を動かさないとすぐに筋肉が弱くなる。普段の街歩きはあき

てしまい、かといって山登りには体調に不安が残る。こてしらべに

秋間の梅林を歩き回る。ここにも高齢化の波は押し寄せているよう

で五反歩ほどの梅林がきれいさっぱりと伐採されていた。

伐採された梅の古木がきれいな薪状になって畑の片隅に並べられて

いる。

 

大雪の前日、藤岡市郊外の鮎川から小梨峠に通じる林道を歩く。南に

向いているので冬の日差しが穏やかに降りそそぐ中をせっせと歩く。

往復5kmほどの林道で軽トラックならば走れそうだ。鮎川沿いの街

道から350mほど登る。今の体調にはちょうど良い勾配。それでも

峠に着く頃はかなり汗ばむ。

地図上の馬渡戸から小梨峠までの林道が今日歩いた道。風邪が治りか

けた身には無理がない。峠から南東に坂野まで降りようと思ったが、

すでに廃道になっているようで不明。行って来いになる。

峠道の取りつき。

 

途中にあった当地では珍しい臨済宗の古刹。

 

新勝流抜切術とは何の流儀なのか。

この林道も関東ふれあいの道に指定されている。誰がいつどのような基準

で指定するのか? 峠近くでイノシシ狩りのハンターに出くわす。先へ行

っても構わないか尋ねると、「この先で仲間が猟犬を放して待機している、

ならば行かない方が・・」というのであと200mを残して諦める。間違

ってイノシシに間違われたら大変だ。

 

往路にあった炭焼窯に火が入っていた。ご老人が火のついた窯に蓋をして

いた。30分ほど話し込む。

「俺も昔はハンターだった。もうできない。」

「奥のマスの釣り堀に頼まれた炭を焼いている。」

「炭にする木材は生木でなくてはいけない。」

「火を入れてから窯のなかで炭になるまで1週間くらいかかる。」

「この界隈で炭焼きは俺ともう一人だけになってしまった。」

 

なんで煙突がこんなに長いの?

「売れるわけではないが木酢を回収してるんさ。」窯から煙の出口ま

で20mほどあったか。

そのほか最近の山村の様子をいろいろ話してもらう。林業でも高齢化

は切実な問題だ。

 

典型的な里山を自分のペースで歩く。冬の穏やかな日差しを体一杯に

浴びる。

  はるか下の谷間から聞こえる車の音

  葉を落とした林の中の鳥のさえずり

  ときおり響く猟銃の発射音

  谷にこだまして青空に消えていく

  素朴なお年寄りとのたわいない会話

       炭焼きの煙の臭い

  山里は時代が変わろうと、穏やかな時間が流れる

 

 

 

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256-280116小説「下山事件 暗殺者の夏」を読む

2016年01月16日 | 小説・映画・など

   陽だまりに野良猫2匹。

 

柴田哲孝著「下山事件 暗殺者の夏」を4日で読み切る。著者は念

入りにこれはフィクションと断っているが、これだけ実在した人や

団体を登場させたところを見ると、この事件が他殺であると信じて

ストーリーを作ったとしか考えられない。

 

随分前に松本清張の「日本の黒い霧」を読んで事件が実際にあった

ことは知っていた。この事件の起きた昭和24年夏には三鷹事件や

松川事件(起訴された被疑者は死刑判決を受けるも後には無罪もし

くは病死となる)が起こった。この年小生は小学校2年生。

 

暖冬でボタンの芽が動き出し、河津桜か、花芽も膨らむ。(28.1.14)

 

7月4日米国独立記念日を前にした国鉄は3万人上の首切りを発表

した。今では考えられない荒療治だが、米国占領下という特殊事情

のもとでは共産主義化に抵抗する橋頭保として日本を仕立てようと

した米国の意志には逆らえなかったのだろう。

日付が変わった翌未明、常磐線が荒川を渡り東武鉄道と交差する綾

瀬駅付近で初代国鉄総裁下山定則氏が無残な轢死体で発見された。

総裁は前日から所在が不明だった。大量の首切り指示で総裁は鬱状態

だったともいわれる。この原因が自殺か他殺かで大きな論争に発展し、

事件ははっきりしないまま時効を迎えて幕引となった。詳細はたくさ

んの著書が出ているので省く。

井野川に飛来するオシドリはつがいか?

 

松本清張、柴田哲孝両氏も断定はしていないが他殺説を前提で小説

を書いている。

下山総裁の個人的な性格、動機、時代背景や死体発見の前後の不可

解な人の動きや鑑定結果等で捜査関係者のほぼ全員が他殺と考えて

いたのにある政治的な思惑から自殺説に固まっていく過程がリアル

に描かれていた。捜査本部は上からの指示で事実との矛盾を感じな

がらも自殺として公式発表する。その後一部捜査は継続されるも次

第に手薄になり、新聞でもこの直後に起こった三鷹事件や松川事件

の報道に重点が移り、時間の経過とともに取り上げられる頻度も減

り、やがて時効とる。

井野川に沿って下るとあちこちに野鳥を見かける。これはモズ。

鳥類図鑑を見れば立派な写真が満載だが、自分で撮影した一枚は

大切にしたい。

 

警察においては、上部からの指示や方針が現場の捜査担当者の気持

ちなんぞ歯牙にもかけずに大手を振ってまかり通ることがあるよう

だ。考えようによっては凄い組織だ。横山秀夫著「64ロクヨン」

でも地方警察のそんな内情が描かれている。 小説と思いながらも

暗然とする。

それでも日夜治安の確保に励む交番や派出所のおまわりさん、微小

な事故でも駆けつけてくれるおまわりさんが警察の原点と思いたい。

終戦後の混乱の時代に政治的思惑から闇から闇に葬られた事件は他

にもあったのだろうと思わざるを得ないなと、深く考えさせられま

した。

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255-280109合唱の素晴らしさにはまる

2016年01月09日 | もろもろ

  子供の頃、原爆の投下地の一つに高崎が挙げられていたとま

ことしやかに聞かされた。その理由は白衣観音像が上空から目立ち、

投下しやすいと。しかし今google earth で1万メートル上空からの

像を見ても、針の先以下で目標とするには小さすぎる。

 

昨年夏に仕事で大変お世話になった方で沼田の某氏のアマチュア合

唱団のコンサートを聞いたてから、合唱の素晴らしさにはまってし

まいました。この発表会での冒頭の男性合唱「いざたて戦人よ」は

感動した。

歌といえばカラオケだけ。正式な楽譜もなく、発声練習もなくただ

カラオケの伴奏と字幕に合わせ、機械の力を借りて上手く歌えた気

分になる。これはこれで楽しめるのだが、やはり底が浅い。

訓練された人の声は何よりの楽器とはかねてから聞いていたが、音

響効果を考えたホールで生の合唱を聞くとなるほどこんなに素晴ら

しいものかと改めて感じ入る。低音の響き、高音ののびやかな旋律、

素晴らしい。

印象的な構図だってのでパチリ。盆栽の世界ではこうした株立ちや

寄せ植えは奇数であることが要諦とされる。メインが4本なので、

評価はされないが自分で良いと思ったものは信じよう。

 

音に対する感性はたいしたものは持っていないが、最近なって生

演奏とCDをはじめとする録音媒体を通しての音の違いが理解でき

るようになったと己惚れている。

私なりに要約すれば、音の拡がりとまろやかさこの二つはいかなる

プレーヤーといえども生演奏には負ける。

幸い私に住む町は生演奏(今風にいえばライブ演奏か)を聴く機会

が比較的多い。全国に知られた群馬交響楽団も月一回の定期演奏会

開催される。楽器を弾く能力はなく、合唱団に入るにはもうカラオ

ケ歌唱が身に染まり過ぎてもう無理。せめて生の音楽を楽しみたい

と思うこの頃です。

 

生まれ育ち、今も住む街。子供時代(60年前)に比べると大きく変

容した。川の手前は一面の畑が拡がっていた。上毛かるたに曰く「す

そのは長し赤城山」 この地点より10km北の渋川まで移動すると、

そのすそ野が次第に低くなり関東平野に吸い込まれていく雄大な様が

よくわかる。山のふもとは前橋市、両市はほぼ繋がりつつあります。

 

 

 

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254-280102陛下の思い・・・

2016年01月02日 | もろもろ

 

あけましておめでとうございます。

平成も28年目に入りました。年号は明治以降天皇のご在位の

間変わらぬ慣習となっている。法律で決まっているわけではな

いようだ。某週刊誌の掲載されたた記事によると、儀式の順番

をお間違えになったり、次のお言葉が出ず空白の10数秒があ

ったりご自身も加齢による現象と認識しておられるらしい。

 

82歳で過酷な現役を続けざるを得ないこと、その責任感の強

さに感動すると共に、何とかしてあげられないものかと思うの

は小生だけではあるまい。今のお立場をご自身の意向で変えら

れないだけに、そのご苦労は想像に絶するものがありそうです。

 

本年は太平洋戦争における激戦の地フィリピンを公式訪問され

ると報道された。70年前に終了した戦争に深く思いをいたし、

ご高齢を顧みず毎年戦場になった各国への訪問を続けるお気持

ちをなんと表現してよいのか? 

 

唯一無二の存在としての行為は何によって支えておられるのだ

ろうか。戦争に深くかかわった昭和天皇の子としての宿命と受

け止めておられるのか? また戦時の空気を否応なく吸ったご

体験に寄るのか? 70年も経過すれば特別の記念日以外に思

い出すこともない人が私を含めて国民の過半数をはるかに越え

ると考えるだけに陛下のお気持ちには頭が下がります。また被

災地の住民への慰問に際し美智子皇后共々床に膝をつき同じ目

線で話しかけられる映像を見ると、純粋に励ましのお言葉をか

けられておられるのだなと思う。国民の象徴としてのお役目を

悲壮なまでに果たしておられると思います。

庶民は庶民で陛下のお身体を心配します。

・ 

さて本ブログも週1回の更新を続けて6年目に入りました。熱

しやすく冷めやすい典型的な上州人の私にしては異例な粘りで

す。

暮に新しいカメラが手許に来たので、本年最初のブログは練習

にバチバチ撮影した中からいくつかの写真を掲載してみます。

 

看板

 

白菜の漬物

 

道具

  

名残の一輪

 

足元

 

24時間営業

  

建築現場の夜明け

  

フルムーン

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

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