toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

296-280924いまふうに言えば ”感動をありがとう”  か?

2016年09月24日 | 小説・映画・など

 プール横のそば畑

 

半年ぶりに映画鑑賞をする。今回は「ラサへの歩き方」と題する

中国映画。シネマテークたかさきで先日公開された。

新聞の解説で知った。その映像に接しこれはすごい映画だと思っ

た。

  

映画のパンフレットより

 

五体投地という祈りがチベットにあることは以前から承知していた

が、こんなにすごいものだとは知らなかった。

10歩ほど歩いて、地面に前のめりに倒れこみ額を地につけて祈る。

また立ち上がって10歩。この繰り返しを何万回繰り返しながら目

指すラサへ、そこの建設現場で資金を得てさらに聖なる山カイラス

山を目指す。その距離2400km、知床から佐多岬ほどの距離。

幌馬車の馬を小型のトラクターに変えて生活用具満載で 共に移動す

る。メンバーは11人、その中には小学生の女の子や行進の途中に

生まれた赤ん坊も混じる。チベットの大地は立木はほとんどなく、

草と岩山だけの荒涼とした風景。片側1車線の国道が山を越へ、谷

を渡って延々と伸び、地平線に消えてゆく。一行の脇を大型トラッ

クが怒涛のごとく追い抜いていく。  何が彼らをここまで駆り立て

るのか? その底知れぬエネルギーに圧倒される。

 

はるか昔からラマ教の修行の一つとして行われてきたらしい。整備

された生活環境にどっぷりと浸かった私にはそのエネルギーの源

がわからない。粗末な食事、風呂にも入れない、調子を崩しても

くに医者もいない、信仰心だけを頼りに無限とも思える同じ祈り

繰り返して前に進む。聖なる山のふもとに1年かけて到着し祈りの

修行は終わる。しかし一行の精神的支柱だった老人が死ぬ。残さ

た者は遺体を鳥葬で弔らう。弔いの場上空には悠然と飛翔する数

ワシの影が・・・

 

ラサに着く直前に女の子がスマートホンを借りて両親に旅の無事を

報告するシーンに救いがあった。ああチベットの奥にもこれがあっ

たのだ。 有線の電話はインフラ整備が大変だ。アフリカのサバン

ナでマサイ族がこれを使っているのをテレビで見たことがある。

ポケモンGOとまではいかないと思うが、彼らの意識を大きく変え

であろうスマホはインフラ整備が遅れている国でも革新的な道具

として活躍しているなとしみじみ思う。  

                                     

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295-280917ギネスブックに載った世界最長の木の橋

2016年09月17日 | もろもろ

 夏には決して現れなかった雲

 

何気なくNETの記事を見ていたら、世界最長の木の橋という記事を

目にする。蓬莱橋という名があったので更にたどってみた。

たどり着いた記事から無断勝手ながら写真を拝借する。静岡県島田

市を流れる大井川に架かる橋でした。

 参考にしたURL

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AC%E8%8E%B1%E6%A9%8B_(%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C)

流れの中の橋脚はさすがにコンクリート製だが河原のそれは木製と

見受ける。有料橋のようだ。 

 

参考までにその場所の地図を添える。

大井川といえば明治まで橋が設けられずに人の手で旅人をそして

荷物を渡していたと歴史で習った。水かさが増せば旅人は川のほ

とりで水が引くまで足止めされた。明治12年架橋とある。当時

の人々の喜びはどれほどだったか・・・

 

さて他人様の写真を拝借して知らぬ顔をするのは許されないので

当地にある木製の橋の二つを紹介し無断を詫びます。

縁起ダルマで有名な少林山達磨寺の近くを流れる碓氷川にかかる橋。

この1km下流で烏川と合流しやがて利根川に合する。

遠くから見るとわからないが、橋げたの一部は朽ちている。

 

この橋の名前はどこにもないので不明。自転車か徒歩でしか渡れない。

 

碓氷川と烏川の合流点にある八千代橋。今は木の橋ではないが60

年前私が高校時代にこの橋を毎日利用して3年間通学した。当時は

冒頭に拝借した写真と同様に橋脚も橋げたもすべて木製でその上に

が敷かれ、中州でくの字に曲がっていて市街地と対岸を結んでい

た。いろいろな思い出のある橋であったが、伊勢湾台風の大水で

失してしまった。再建されたがトラックは通れない。

 

 

そして佐野の渡しとして名高い橋。これも数年前の出水で流された

が再建されている。

1日に朝夕の高校生を除けば100人も通るかどうかの橋だが生意

気にも国土交通省の管轄下にある。上越新幹線の車窓からも見るこ

とができそうだ。右は数年前の出水で流失直後の状況。

 

折角の木のぬくもりたっぷりの橋板なので裸足になって向こうまで

往復してみた。木の感触が気持ち良い。橋で川を渡ったという実感

もいいものだ。

 

いろいろな場所で木が見直されている。新しい東京国立競技場も

木がふんだんに使われるという。前ブログの焼損仏もそうだが、

木とはその管理さえしっかりやれば思っている以上に耐久性のあ

るものようだ。

そして材木の需要が増え → 価格が上昇し → 林業が元気を

取り戻し → 森林の管理が行き届く → 日本の森林が輝きを

増す。こうなって欲しいと強く思う。

 

 

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294-280910焼けた仏像の迫力がすごい

2016年09月10日 | 小説・映画・など

 夏の名残  9.09午後5時

 

かかりつけの近所の先生に診察をうける。といっても年齢相応の高

圧と不眠症の薬をもらうだけ。型通りの診察の結果は特に問題なしと

のご高診。

待合室で待つ間に週刊新潮のページをめくる。スマップの解散劇を

り上げたり、小池新都知事の話題などなど、最後に近いページの写真

に引き付けられる。 ↓ がそのページ。

 

引き付けられたのは事実だが、最初はなんだかよくわからなかった。

右ページの解説を読んでこれはすごいと思い、スマホで撮影した。

京都の東寺にある仏像の一つであり、暖をとるための火の不始末で

お堂が燃え中の多くの仏像は焼滅した昭和5年のことのようだ)

が、この木像は黒焦げになるも表面が炭化したでけで済んだ。戦後

合成樹脂を注入して境内の食堂(じきどう)に現在まで保存して

るという。

なんという力強さか・・

上野氏の説明によれば、この焼損仏は焼ける以前は国宝だったよう

だ。ここまで焼けこげながらも1000年の時を経た荘厳さが失わ

れていない。むしろその印象が焼けたことにより強まったとも思え

る。名も伝わっていない製作者もよもやこんな姿に変わってまで

人々に訴えるとは思っていなかっただろう。

 

今週は天候に恵まれずに外出の機会はぐっと減った。代わりに落ち

着いて本を読める。もしこの楽しみを持ち合わせていなかったら、

なんの刺激もない、つまらない毎日を送らなけらばならなかったと

本に感謝する。

赤城毅著「八月の残光」を読む。不可侵条約を一方的に破棄して満

州に攻め入ったソ連軍。その補給路を断つべく飛び立つ3機の戦闘

爆撃機「流星」。任務はハバロフスク郊外のアムル川にかかるシ

ベリア鉄道の鉄橋の魚雷による爆破。よくある戦争美談とも言えな

くはないが、本の表紙の「流星」の機影が素晴らい。こんなスマ

ートな機体(ガルウィングという)を当時の日本は作っていたのだ。

多くの無念の戦没者には甚だ不謹慎な物言いだが嬉しくなる。

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293-28090370代半ば、元気でいられることは普通なんだ。

2016年09月03日 | 介護・医療・健康

  

義理の伯母(右)が8月31日元気で100歳を迎た。

母(左)は2年前96歳で逝った。満州事変や2.26事件が起こ

り振り返れば破滅への道を歩み初めていたが庶民生活はまだ平穏だ

った。その頃東京銀座の服部時計店(現和光)の店員として知

仲が良かったと聞いた義理の姉妹二人。戦中戦後の混乱の時代を

乗り切りここまで頑張った。私を含めて現世代にああした時期を乗

りこえる強さがあるだろうか? 遠くなった耳を互いに近づけ

やら思い出話に夢中。

 

冒頭から大きなグラフを表示しました。

古巣の介護施設の後輩が厚労省の資料から抜粋してface bookに投稿したグラフ。

 

私は今年いっぱいは左から二番目の年代だ。介護サービス

を受ける割合は1割以下。同年代の大多数は元気はつらつ

と生活していることがわかる。1年前まで仕事上で多くの

お年寄りに接していた。日常的にそんな環境にあったので、

感覚としてはお年寄り=介護保険と受け止めていた。そう

ではないのだ。

このグラフはシルバービジネスに参入せんとする企業家へ

の参考資料として厚労省が作成したもののようだが、お年

り予備軍の我々にも参考となる。私が接していたお年寄

は全体のごく一部だった。日々心がければ85歳ま

護サービスを受ける必要のない生活を送ることができ、

つその割合のほうが多い。元気でいられることがことさら

慢するほどのことではないのだ。

より詳細に知りたいと思われる方のために下記のURLを明

示します。↓

 http://cocolomi.net/2016/08/03/001-8/

 

数字というものは非情。平均値でのグラフであり、個人

問題を解きほぐすものではない。私もただ一人の弟を若

して失ったしまった。願望としてアクティブシニアの

に居続けたいと思うだけ。そうでない状況になってしまう

どうかは神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

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