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toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

036-231227クリスマス寒波

2011年12月27日 | 季節の変化

年内にこれほどの冷え込みは近年なかった。 1月20日過ぎには何度かあるが、正月前は珍しい。

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長期予報では暖冬気味と報じられたと思う。 大体反対になる傾向にある。そういえば小鳥の給餌台にまだメジロが姿を見せない。 ヒヨドリもあまり寄り付かず。 これもあの事故の影響かと疑ってしまう。

玉原スキー場の積雪、早くも1mを越えたので行ってこなくては。 2年間のブランクは取り戻せるか。 仲間は既にシーズンを楽しんでいるのにお前は何を躊躇しているのか。

コタツでぬくぬくと本を読む習慣に身体が慣れてしまい、別の行動をおこすのが億劫。 連れ合いに尻をたたかれて夕方から榛名湖のイルミネーションを見に行く予定。 帰りは「満菜館」の中華麺に舌づつみをうってこようか。

そして夕刻まだ山の端と濃紺の空の区別がつく午後5時02分一斉に点灯する。観客一同歓声をあげる。豪華なヒカリのページェント。 しばし童心にかえる。 寒い、なめてかかって指先の感覚がなくなる。

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予定通り、帰途「満菜館」にてあつあつの中華麺、いつもかわらず豪華なものです。(値段を割には)  ひいきの素朴なチャーシュー麺とは一線を画す。

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035-231225クラシックカー

2011年12月25日 | 車・自転車・機械

数年前のこと、関越道側道を通りかかったら、なんとも懐かしき車に出会う。 所有者に了解をもらいパチリ。 所有者はいとおしいのでしょうね。 外部の塗装は50年経過したとは思えない。

日野自動車がフランスのルノー社から技術供与を受けて作製した昭和30年代の日野ルノー。実は当時月給が2万円ほどの時代に5万円で手に入れた初めてのマイカーがこの車の中古車。

懐かしい、本当に懐かしい。 周りや車内、エンジンルームを撮らせていただいた。 なかなかいかしたスタイルと思いませんか。

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私、高校を卒業してすぐに車屋さんに就職し5年間整備士として働いていた。 したがって二級整備士の資格を持っています。 車のメカニズムについては一応プロです。

この車について少し説明します。 

エンジンは4気筒OHV、排気量は800cc程度で70馬力くらいか。 4段マニュアルシフト。 リヤエンジン・リヤドライブ。とにかく走るために必要な最低限の機能しかない。したがってエアコンなど無縁。冬はオーバーを着て、夏は窓を全開、三角窓を開けて外気を入れる。(写真の車には後付のヒーターだけは装備されていた)80km/hほどが出せるスピードの上限。 大きさはほぼヴィッツ程度か。運転席と助手席のドアは今と反対に前が開く。

中古だったのでよくエンスト(この言葉も死語になってしまった)した。 そこは一応プロなので、プラグをはすして掃除したり、電気系統を再点検してなんとか走り続ける代物。 車を操っているという感覚が懐かしい。 スカスカのエンジンルーム。 排気ガス規制など関係なし。 余分なものは何もない。

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同級生のうちでもいち早くマイカーを手に入れた一人、 こんな車を乗りまわして悦に入っていた。 ただし県外へのドライブにはそれなりの心構えが要求された。 補給オイルやプラグ、デストリビューターのポイント等の予備部品は必携。 冷却水はただの水で良かった。冬になる前に不凍液を入れる。 なだめながら走らせるのだからメカに強くならざるを得ない。(私の車の場合であって、当時でも新車は素晴らしかった。高くて手が出ないだけ)

さて元気でいられれば、あと1回だけ車を交換する可能性は残っている。そのときハイブリッド車または電気自動車が候補にあがるが、車を自らの意思で操りたいと日頃思っている元プロとしては、メカの塊である車に愛着がある。 鉄道ファンがSLに興味を示すのと同じ。

メカが一生懸命動いて、快音を発しながら車を操る感覚。 ハイブリッドのあの静けさは何か自分のハートに迫ってくるものがない。 車は完成されすぎてしまった。

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034-231218書斎

2011年12月18日 | 小説・映画・など

書斎などと気の利いたものはありませんが、それでも my desk はとりあえず確保してあります。しかしこれからの季節は部屋が寒いので、コタツにもぐりこむのが習い性となってしまいます。

冬の間の私の書斎?

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こんな雰囲気です。 LEDスタンドの下に読みかけの本、読み進むうちに気がついたことを書き留めるノートとペン、座ると立ち上がるのが面倒なので携帯電話、そして百科事典がわりに頻繁に使うノートパソコン(業務連絡等もできるので本当に重宝)。 読みかけの本は北条時宗。 年金に頼る世代は経費節減は至上命令。 本は図書館で借りてくる。 至福の時間をさらに豊かにするため(?)の茶碗酒(昼間なので1合を限度としていますが)

70年酷使した脳では新しい本を読んでもなかなか頭に残らない。 本の貸出期間は2週間、急いで読まざるを得ず。次の本に取り掛かると直前に読んだ本の内容がす~っと消えてゆく。

書棚に読んだ本を残せないので、せっかく読んだ本の内容と履歴がどんどん消えていって寂しい。これを避けるために読後感やら内容を簡単にまとめて、パソコンに入力しておく。

ジャンルを決めずほとんど手当たりしだいといった内容ですが、お暇でしたらご覧ください。     hb-youngY岸さん、約束したのを載せましたよ。

「a.xls」をダウンロード

こんな日常が現役を退いた後の時間の過ごし方の一つとして実現し有難いことです。今まで信頼し任せてくれた上席のお二人、会社の未来を託したやる気溢れる後輩に感謝しているこのごろです。

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033-231211高崎今昔その1

2011年12月11日 | 名所旧跡

今朝(12/10)は今冬初めての氷点下我が家の庭の温度計はマイナス3度を指しており、当然初氷が見られました。

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近代的に発展し、便利になることばかりが良いとはいえないか。 幸せとは相対的なものでしょう。 小学校の頃我が家も極貧の状況にあり、生卵が手に入ると病気の親父に食わせるため、育ち盛りの私の目の前を通り過ぎてゆく。 祖母いわく「病気のお父さんに栄養をつけさすんだよ。 がまんしなさい。」 子を持つ親となってみて、あの時病気療養中の父の心境はどんなにか辛かったろうな。

遊びまわった友達のほとんどが似たかよったかの生活で皆が貧しかったから、特に我が家がどうしようもない貧乏でひねくれてしまうこともなかった。 町内のお大尽はK材木店(N元総理の生家)と川向こうのH田屋くらいで、そこの子達はこぎれいな服を着て、靴なんか履いていたな。 うちらはつぎあてのあるズボンと下駄だけど、みんな似たような環境ならば貧乏も苦にならなかった。

先週取り上げたブータン国もそうでしょう。 我々の感覚からすればお世辞にも生活環境が保たれているとは思えないが、そんなもんかと思い、3食に不自由せず、争いがなければそれが幸せというものでしょう。

さて今週は高崎今昔と称して戦前と今を比較します。 戦前の写真は高崎市発行の写真集から抜粋したので、もし著作権等に抵触する場合はコメントに載せてください。即、削除します

大河ドラマに登場する江の長男竹千代(後の家光)の弟国松(後の駿河大納言忠長)の墓(大信寺にある) 兄より利発がゆえに家光に憎まれたのか、徳川家存続の秩序のために犠牲になったのか、諸説はありますが、高崎藩に幽閉され助命嘆願もむなしく28歳で自刃した悲劇の男。 墓は当時のままだが、背景はすっかり変わりました。

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本町三丁目交差点を南から北に見る。 屋根に小さな塔の建物は戦後の一時期市役所がありました。  火事で全部焼けてしまった。単線の路面電車はこの交差点ですり替えをし、右角のU田青果店はしばらく前まで営業していた。

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八島町の駅前通を西から見る。 道の突き当たりは今も昔も高崎駅です。 建物はすっかり現代的になりましたが。 この風景はかなりよく覚えています。

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なんといっても変貌が著しいのが、高崎駅周辺。 車の形からみて昭和10年頃でしょうか。当時としては意外に道が広いです。すでに環境にやさしく、お年寄りに好かれる路面電車が走っていました(単線であるというところが時代を感じさせる)。 これは西口です。 またの機会に回しますが東口の変貌はもっとすごい。

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032-231209榛名山の初冠雪

2011年12月10日 | 季節の変化

昨夜からの雨は標高1000m以上は雪になりました。

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031-231204 沼田城址散策、 そして郊外をぶらつく

2011年12月04日 | 名所旧跡

所用にて沼田を訪れたときに少々時間があったので、沼田公園の「御殿桜」を鑑賞してきました。 といっても花の時期ではありませんが。

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沼田公園は言わずと知れた沼田城址です。 六文銭の旗印で戦国時代末期に大暴れした真田一族の一人、連続ドラマ「江」にも登場する真田信幸 (弟の幸村は過日放映された大阪夏の陣で家康を今一歩まで追い詰めたが果たせず戦死) の居城として有名です。

また沼田は地理の教科書にも必ず載っている日本有数の河岸段丘の地形でも有名です。城は利根川の支流の薄根川が本流とともに浸食してできた段丘上に位置しています。 沼田の上町からみると平地ですが、北側の薄根川側から見ると、70Mくらいの崖の上に位置し、天然の要害です。 、また少し北に位置する名胡桃城(月夜野町)をめぐる真田と北条両軍による争奪戦が秀吉の小田原城攻めの口実になったことも歴史好きな方はご存知でしょう。

沼田城址の天守閣があった石垣の一角に見事な桜の古木があります。 沼田市民の誇りの桜で4月20日ころ見事に咲き乱れます。 公園内にはそのほか多くの桜があり、環境との組み合わせの見事さは県内一かもしれません。 関東10大桜というのがあれば間違いなくその1本になること間違いなし。

古樹めぐりをしてきましたので、いくつかを紹介します。

薄根の大桑    沼田市を流れる四釜川を少し遡ったにあり、個人所有の木です。国の天然記念物の指定されていますが、国からの1年間の維持費は1万円だそうです。 昔より樹勢が衰えたようですが、れっきとした桑の木です。 樹齢1500年ということは、名胡桃城の争奪戦のあった頃、今の2/3位の太さで既にこの場所で繁茂していたわけです。

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西川田の村主八幡神社の大けやき    村の主 と書いて すぐり と読む。 有名なフィギュアスケート選手がいたので読めますが、 普通読めませんね。 村長さんと関係あるのかしら?

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