toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

670-060608亡き輪友を偲んで集まる

2024年06月07日 | 車・自転車・機械

            その会の帰りに珍しい花びらと私は思ったアジサイ。

 

我が家の庭もアジサイの花が咲き誇っている。関東ローム層が平野の大半を覆う関東平野の一角に位置する我

が街は酸性土壌のせいかアジサイは青色の花が圧倒的に多い。赤い花であることと花びら(正確には花ではな

いという)が珍しい形をしているので一枚パチリ。

 

65歳ころから同世代の自転車好きが自然発生的に集まりサイクリングを楽しんでいた。故人を含めて6人が

真夏と厳冬期を除いて毎週水曜日の朝和田橋のたもとに集まり、秋間梅林往復のコース(往復でほぼマラソン

の距離)を走ることを長い事習慣にしてきた。同じ仲間と同じコースを飽きもせず走っていると、自分の体調

の良し悪しを判断するいい目安になっていた。

 

呼びかけ人だったS氏が10年ほど前に病で倒れ他界されたがその後は安定した状態が続いていた。残念なが

ら先月一番若手(といっても80歳だが)で脚力でも他を圧倒していたK氏が病を得て急逝してしまった。

自転車の他にも絵を描いたり、古文書を解読したりと多彩な才能に恵まれた人だった。あまりに急なことでロ

ス感は辛かった。残りのメンバーは年齢は80なかばを越えたSR氏を筆頭に全員が82歳を超えた。今後この

定例水曜走行会をどうするかをK氏を偲びながら集まる。

 

残った4人、一般的にはこの年代にしては元気だが、それでも皆持病を抱えている。幸い脚力は残っているが、

腰痛は多かれ少なかれ皆が持つ。その他平衡感覚が少し怪しくなっていたり、視力の低下を嘆いている。

家族に心配をかけないようにするには、今までの筋力の蓄積を少しずつ食い延ばしながら安全に過ごすのが大

切であり、ここらで終了するのが妥当だろうと皆が思っていたようだ。各自が筋力を維持する程度の練習をし、

秋の彼岸の頃、最後の秋間ランを行って有終の美としようとの結論になる。

 

人生の晩年に得た仲間が減っていくのは辛いが仕方のない事。こんな仲間と過ごすことができている老後の生

活に幸せをしみじみ感じている。

 

 

 

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646-050909新しいタイヤの乗り心地

2023年09月08日 | 車・自転車・機械

        タイヤ交換後の試運転を兼ねて訪れた鏑川最上流の風景。

 

数日前に3万キロを越えた車のタイヤを新しいものに交換した。少し勿体ない気もしたが走行音の

うるささが耳障りだった。静かなタイヤと評判のダンロップルマンに決めた。そこに至るまでの経

過が面白かったので今日の記事にする。

 

最初に行きつけのスタンドで見積もりを取った。4本交換費用も含め85,000円を提示された。

5000円引いてくれれば即決すると答えたがどうも応じてくれる気配がない。次の車検まで半年

あるので冬タイヤから夏タイヤに戻す来春でいいかと一旦は決めた。帰宅後改めてこのタイヤのネ

ットでの評判はいかに? と思い調べていたら良い評価が並んでいた。更に読んでいくうちに

TIREHOODというサイトに行き当たった。

 

タイヤのネット通販だった。タイヤが4本通販で買って送られてきても自分で交換作業はできないよ

な、思いながら詳しく見てみる。最後の購入するとクリックしない限り注文は確定しないし、疑問

湧けば停止するだけの話。確定の直前まで指示された手順で入力を進めてみる。

 

国内で販売されているほとんどの乗用タイヤを注文できる。ダンロップルマンを指選び、明示され

くの複数の交換指定工場から一つを決め、連絡先、支払方法と交換希望日等を指定する。

後は注文確をクリックすれば完了。肝心の価格は75,240円と出た。廃タイヤの処分費も含まれて

の価格。納得できる価格たが、ここはいったんサイトを閉じる。こんなご時世、念のためにサイ

いかがわしいものでないかを他からアクセスして評判を読んでみる。好意的な評価が並んでいた。

交換希望日の前日までに現物はその工場に直送されることが解った。サイトに戻って購入確定をクリ

ック。

 

注文から交換日まで10日程ったが、途中の経過がその都度メールで送信され、前日には指定した

作業会社からも明日交換日である旨の連絡が入った。交換作業も無事終わり、業者にお礼を言ってす

べてが完了する。このシステムを考えた業者にいたく感心した次第。

 

   

上信越道碓氷軽井沢インタからほど近い一本岩、基部から高さ60m位か、森の奥に凛として屹立する。右は以前紹介した

奇跡のバランスを保つ夫婦岩。

 

そして翌日下仁田から軽井沢に抜ける昔姫街道を言われた山間の道を走る。ゴーという走行音から

サー、少し舗装が荒れてもザーと変わった。車格には贅沢なタイヤだったが新鮮な走行感覚が戻り

満足した次第。ちなみに車はスズキスイフトRST、1000㏄ターボ車です。

 

 

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631-050325軽自動車の進歩に驚く

2023年03月25日 | 車・自転車・機械

直近の一ヶ月間、スマホの契約をいわゆる格安契約に変える算段をいろいろしていて、ブログの更新を

していなかった。こんな程度のブログでも更新にはそれなりの気力が必要となる。サボり癖がつくと、

楽をしたい気持ちが先行し気にはなっても楽な方に傾いてしまった。

 

連れ合いの車の不具合の修理に10万円以上の費用がかかるとわかり、それなら思い切って車を買える

かと思いたったのが師走に差し掛かった頃。半導体不足が影響して納車が半年もかかるらしい。そんな

ことも影響して中古車の価格が上がって予想の倍以上の値段が付いた。思い切って購入に踏み切った。

 

まだ半年先だと考えていたら2月末に来月納車できるとの連絡が入る。スマホ騒ぎが一段落した今週初

めに新しい車を販売店の店頭で受け取る。納車費用が不要なので相当分の1万円を現金で返しますとの

ことで思わぬ余禄。偶然にも連れ合いの誕生日だったので評判のお蕎麦屋でランチしようと試運転を兼

ねて乗り出す。

 

これほど進化しているとは思はなかった。車全体の剛性感が素晴らしい。下取りに出した車と比較する

とこれが軽自動車? と唸ってしまった。ドアを閉めたときの音感にはあの安っぽさが消えた。ドイツ

車のごとき重厚感がある。これだけで気に入ってしまった。近くの関越道も走ってみた。私専用車スイ

フトターボと同じ感覚で走る。来月の墓参りは東京までこの車で行こう。夫婦それぞれに車を持つが、

暫くは空いていればこの車を私も乗り回したい。

 

群馬県高崎という東京へ50分という立派な地方都市に住んでいるが、少し郊外に出れば車なしでは不

便この上ない貧弱な交通機関しかない土地。老人の車事故が世間で注目を集めるがこの地方では必需品。

戒めにシルバーマークを付け、なお一層穏やかな運転を心がけようと思う。

 

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487-020202田舎のフェラーリ

2020年02月01日 | 車・自転車・機械

一番手軽な運動といえばやはり散歩ということになる。私も週に3度は家の周囲を散歩する。比較的JRの駅に近く様々な散歩コースを楽しめる。週に一度は歩くコースを駅周辺コースとしている。新幹線駅と量販店Y電機の本社を含むコース。夕方現役諸君が仕事を終えて家路につく頃。彼らが電車を降りて自宅への道を歩む姿が10年前までの自分と姿とダブる。場所柄東京勤務の皆さんも多いだろう。縁のない立場になっても彼らの姿の中にかっての自分と重ね合わせ、少しばかりのエネルギーを頂いている。Y電機のパソコン売り場で最新の情報を得るのも楽しみ。

 

人気のテレビ番組「ポツンと一軒家」に必ず登場するのが軽トラック。道を尋ねられた方々がレポーターを案内してくれる場合に山道を先導するのはこのトラック。結構なお年寄りが急峻な狭い山道を軽がると登っていく。後を追うレポーターの車は四駆車だろうが、悪路で底をつくこともあり得る小型乗用車。ビクビクしながら追いかける。この対比がいつも面白い。

最新の軽トラ

30年以上前のスバルサンバー軽トラック  2枚の写真はwikipeda から拝借。

 

日本の農山漁村の風景にすっかりと溶け込んでいる。番組で紹介される一軒家はこの車なしでは生活が成り立たないところが多い。こうした地域では高齢者だというだけの理由で運転免許証返納は即生活放棄に繋がってしまう。

軽トラは原則4輪駆動車。何度か運転する機会があったが、小回りがきいて車体が軽い、トラックなので気軽に物を積み込める。恐らくマニュアル変速でしょう。車幅以下の道を除けば道を選ばずに走れる。日本の生んだ名車。田舎のフェラーリとも呼ばれているこの軽トラ。集約的な日本の農業には欠かせない荷物を含んだ移動手段だ。そして高度経済成長を裏で支えた。

サンバートラックはリアエンジン、リア駆動で4輪独立懸架という贅沢な作り。但し四駆ではない。当時の悪路をしなやかに走り抜けた。平坦な農道はお手の物。田舎のフェラーリの呼び方が相応しい名車だった。

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437-310427年寄りマークを初めて付けた

2019年04月27日 | 車・自転車・機械

桜を追いかけて今週は沼田から片品へと入った。

また東京東池袋で人の暴走運転で若い母親と娘が犠牲になるというい

痛ましい悲惨な事故が起きてしまった。

事件が他人事でない年代に入ってきた。この事件や最近やってしまった

軽微な違反を契機に車に年寄りマーク装着するようにした。それは周

囲を走る車に特別の留意を期待するのではなく、自分はすでにそうした

運転の危なさを内包している年代だということを強く意識するのが目的。

種々の事情で車を手放せない多くのご同輩! やってしまってからでは

遅い。慎重安全第一をモットーにしてボケを予防しましょう。

 

さて

昔から言い古された言葉だが、近くの名勝を意外に知らない。そして金

をかけて遠くまで出かける。私もそのひとりだ。天下の名瀑吹割りの滝。

私の好きな片品高原スキー場への行き返りに何度も通過した。滝まで降

りた最後からもう20年は経っているだろう。桜探訪で近くまできたの

滝まで降りてみた。この時期、雪代(雪溶け水)が大量に落下して

らしい景観が目前に拡がる。これが夏の渇水期だとこれが同じ滝かと

うくらいの惨めの滝と変わり果てる。

見晴らし台から真下に見る。落差は10mくらいで大したことはないが。

 

 

滝の落ち口。

 

全体像1

 

全体像2

 

甌穴。取り込まれた石が同じ個所に留まり、長い年月をかけて窪みを作

る。ここまで穴が深くなると石は自力では出ることができない。

 

人面岩。前に見ていたはずだが記憶にない。当時写真に興味がなかった

せいかもしれない。憤怒の表情を見せる顔と癒される優しい顔つきの2枚。

 

ところで

 

喜寿を通過し、運転には一層注意するようになった。にも拘わらず先月末

東京世田谷の住宅地の交差点で一時停止をしなかったと秘かに網を張って

いた警察官に停められ反則切符を切られてしまった。減点2、反則金7千

円。帰宅して直ちに支払いを済ませて落着と思っていた。

ところが10日ほど経ってから一通の手紙が届く。高齢ドライバーなので

臨時の認知機能検査を受けなさいという内容。受けないと免許証が失効す

る、とある。

仕方なしに試験場に出向いて検査を受ける。私を含め7人の高齢者が一緒

だった。口々に不満を言っている。検査内容は我々世代の運転者はみんな

知っている例の16種の絵を覚えていられるかだ。

必死に覚えようとするのだが、さあ何があったと言われると思い出せない。

今回7つだった。その後ヒントを手掛かりに思い出す設問では15まで思

せた。

そして数日後認知程度の判定書が届いた。

 

 

 

 

 

ご覧のように危惧される状況にはない、ということになった。

しかし

 

最近付けるようになった年寄りマークを外そうとは思はない。繰り返し

になるが、自分自身がもはや年寄りドライバーになったんだ、という意

識を持ち続けたい。時間に追われる生活はしていない。ちょっとした交

差点のでの青信号でも、左右に眼玉を振って確認し、ハンドル添えた

両ひとさし指でハンドルを軽くポンと叩いて通過する。

バックするときも、バックモニターで 後ろヨシ! と口の中つぶやき

性確認にならないように一呼吸置くようにしている。この一呼吸置く

守ることがうっかりミスを起こさないコツであり、喜寿を過ぎた老人

が切実な事情があるにあせよ、車を運転することを許可される条件の一

つであると素直に受け入れられるようになった。

 

初回の検査時には侮っていたが、3年間で意識がえらく変わった。 

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420-310119楽しい飲み会だった・・

2019年01月19日 | 車・自転車・機械

 

 

 長野新幹線安中榛名駅近くの紅梅  2年前のこの時期、膨らみ始めてつぼみ。

飲み会という感じの集まりは現役卒業後は縁がなかったが、そんな飲み

が駅前の海鮮料理が売りの酒場であった。65才から82才の年齢差の

10人の老人とその予備軍が集まる。飲み放題に誘われて飲みまくる年代

ではない。酒はほどほど。何の集まりだったでしょうか?

みんな好きで自転車の乗っている仲間です。私も会員の町内の長寿会の

集まりとは雰囲気が全く違う。長寿会ならば当然出る病気の話が全くな

い。率直に嬉しい。こういう御方々と集まれるなんて・・

 

15年前に参加者の一人U氏がSG氏(故人)と走り始めた秋間梅林の峠越

えの往復40kmのコースを自転車で走る皆さんが新年会と称して集まった。

私とK氏はSG氏に誘われて2年後から参加した。毎週水曜日に走るのが唯

一の決まり。都合がつかなかったり、いまいち気力が湧いてこなければ参

加しなくても一向に構わない、至って緩い集まり。M氏と最高年齢のS氏

が加わったのが10年ほど前か。S氏はかって乗鞍ヒルクライムレースで年

代別の優勝経験もある猛者。ここまでは私を含めて戦前生まれの面々。

この5人での秋間定例走行が数年続いた。コースの途中長野新幹線安中榛

駅下の広田の交差点がコースの中間点なので休憩場所として定着した。

こでひと休みしてから秋間梅林の峠を登るのだが、私はいつも遅れる。

頭から500mくらい離されるが皆さん峠の頂上で待ってくれている。

初こそ悔しいと思ったが、どう頑張ってだめなので今はあきらめてビリ

でも登れたことで十分満足している。

秋間コースの緩い登りを振り返る。この辺から私にはきつい登りが始まる。      4月の光景28.4 

そして

近年休憩場所で雑談していると自転車好きがしだいに集まるようになり、

新し出会いがありメンバーが増えた。彼らはみな戦後生まれ。いわゆる

団塊とそれに続く世代か。

ブームになり始めたころロードバイクに惹かれた皆さんで、私ら老人よ

りひとまわり若い皆さんだが現役は退いている。この年代差は坂道で

著に表れる。自転魅了されて3~4年一番気合が入るころだ。老人達

過去に転倒や衝突などで5人とも大怪我をした経験を持つ。それゆえに

体を気遣いながら走る、というと余裕がありそうだが、気遣うまで

く若者(❔)達にはついていけないのが現実だ。

 広田の交差点が憩いの場

自転車談義から始まって、現役時代の思い出や失敗談、政治社会の出来

事に関する会話、自転車以外に持つ趣味の話等々多岐にわたる。家族の

ことや現役時代の立場などは一切話題に上らない。何の引っ掛かりもな

い、上下関係もない人たちとの飲み会はかくも楽しいものか。老人予備

軍の若者たち(?)はこの厳冬期でも走っているようだが、老人5人は

走っていない。それでも走り始めは3月6日と決まった。

4ヵ月のブランクを置いての40kmはきついので2月下旬に暖かい日が

あれば事前に軽く走って身体を慣らしておこう。多分他の老人4人も密

かに事前トレーニングを開始するだろう。

 

15年あまり同じコースを同じ時間に走ることを続けていると、自分の体

調が今どうなのかが感覚的に解かる。そしてこのコースがネット上でも

知られてくるようになったらしい。練習中のプロの競輪選手の一団に追

い抜かれたことも何回かあった。圧倒的な力の差にほれぼれしながら彼

らの背中と躍動する足の筋肉を尊敬の眼差しで見送る。

 

 

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411-301117車選びでこんなに迷うとは

2018年11月17日 | 車・自転車・機械

群馬県高山村に設置されている天文台。高性能の反射望遠鏡を備える。 29.11.3

 

車のミッションの不具合で車を替える必要に迫られる。おそらく人生最

後の車選びと思うと迷うに迷う。多少車のメカニズムについて知ってい

ると己惚れている老人は派手な運転にこそ程遠いが、なまじ知識があ

のでは走行性能云々と言ってみたり、デザインがどうのとか玄人っぽい

要求を出したりしている。最終的には価格かと納得したり、なにやかや

この週は条件を満たすと思う車の試乗やカタログや見積書を行ったり

たりした。ネット上の試乗記、評判記事や車種別の値引き水準も参考も

読んでみた。

 

そこへ思わぬ伏兵が現れる。

 

普段はつれあいの軽自動車が家の駐車スペースを専有し、自分の車は近

くの駐車場に借りて置いている。遠くない将来1台の車を二人で融通

あうか、どちらかが運転不可になる況がいやでもやってくるだろう。

すると今まで無関心だった家の駐車場の狭さやつれあいも不安なく運転

可能かといったことが否応なく選択肢を狭める。具体的には全長が4m

を越える車はどれほど魅了されても断念せざるを得ない。

それほど古びた車とも思えない実用的なフルタイム4駆三菱エアトレック車だが忍

寄る不具合細かな所に発生。全長4.55mでは家の駐車スペースに収まらない。

 

この条件でも軽自動車なら勿論問題ない。しかしその性能昔とは比べ

物にならないとは言っても軽自動車規格は厳しい。連れ合いの軽自動車

を運転してみるとエンジン性能は素晴らしいが性感の欠如はいかんと

もしがたい。それなりのしかり感ある車となると5ンバー車となる。

トヨタならヴィッツおよびその派生車、日産ならマーチ。残念だがホン

ダ、スバルそしてマツダ車は好き者には魅力的だが該当サイズ車がない

スズキには昨出たクロスビーという車がある。前2車ならモデル末期

で実績充分だし成熟したモデルで価格も問題ない。ただ試乗した印象は

とはいえ車好きを認じている身には当たり前ぎてワクワク感が湧

いてない。の感覚を重視するとクロスビーにはそれがる。

アクセサリー カタログ

5ナンバー小の1000CCエンジンがターボ付き、6段AT変速との

組み合わせで走りっぷりはなかなかもの。このパワートレインはVW

ポロに匹敵する。外観も嫌いではない。だがススキ自慢の軽自動車ハス

ラーにあまりにそっくりの印象を考えると価格設定が高すぎる。スズキ

のこの車への自信の表れかと良い方に解釈したりするが、結論に達しな

いまま、契約するまでが花だよなと嘆息して週を越しそうだ。

 

今週、北方領土問題が脚光を浴びる。戦後未解決のまま70年余が経過し

た。これの新展開がありそうな雰囲気。大きなニュースなので今朝の全

国紙5社(東京新聞の掲載はなかったので除く)の社説が読めるサイト

を見る。

産経以外の論調は各社なりの条件を付してはいるが概ね現実的な解決に

理解を示していると感じた。産経は4島一括返還は譲れないと主張する。

どうなんでしょうかね? 次世代に繰り越してはいけない、との総理の

決意は判るが、この世にはどうにもならない問題ってありますよね・・

                         11.16記

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410-301110おそらく人生最後の車選び。

2018年11月10日 | 車・自転車・機械

 

碓氷湖畔にて。

 

食傷気味ですがまた紅葉の写真。長寿会の催しに参加して碓氷湖へ出か

ける。こうした催しはどこの地区でも低調気味と聞く。バスに乗って初

めて判ったが、住む町内だけでは人数不足なのでお隣の町内と合同で

実施。我が方は圧倒的に女性でお隣は見知らぬ男性が多い。総勢25名

ほどで男性は8名ほどか。 ここでも女性優位。

 

妙義山群の白雲山の大の字。近くで見れば一辺6mほどの大きさ。

 

市内に戻り長寿センターで昼食。自然と男女が別のテーブルに分か

ので当然に男性グループに入る。初対面の皆さんだったので判らなか

お隣り町内は男性ばかりの参加だった。

こんな楽しい時間が待っているとは思わなかった。皆さん他町内の私を

気持ち良く向かえ入れてくれた。少しお酒も入り会話が弾む。結構どこ

かで共有する体験があるものだ。小学校が同じ、高校の先輩、子供が同

級生などなど。笑ってしまったのは同じ泌尿器の医者に診てもらってい

るということ。あっという間に解散時間がきてしまった。初めこそ多少

の緊張感があったが、解散時には20年来の友人になってしまったよう

だ。機会がなければ挨拶も交わさない全くの他人が、いっきに知り合い

になってしまう面白さ。こういうずうずうしさは我々世代ならではの特

権か? お一人を除いて年上の皆さんだったので、若者扱いされたが、

普段あまりないことでまこと快い。人さまざまで、価値観は多様だが、

私自身はこんな話好きな老人になれたことに感謝。

 

15年乗り続けた車が不調になってきた。修理不可能ではないが、変速

というエンジンと車輪をつなぐ重要部品の交換になりそうなので費

考えると取替るという選択肢はありだ。ゆとりがあるわけではない。

つつましく暮らしている老人の一人。それゆえに他を犠牲にければ

ならないこともわかっている。それでも車の運転という楽みと利便性

を優先させるかどうか。そんなことも考えながら最後の車まろ

うとしてる。手にするまでが花だとも思いながら・・

ろそろ運転免許証返納が始まる年代だが、良い意味での刺激を求

だまだ現役のドライバーを続けたい気持ちが強いのは事実。振り返れ

ばいろいろな車を乗り継いできた。

  ルノー(廃車寸前のぼろ車) 

  日産初代ブルーバード(同じく)

  スバル360(初めての新車)

  スバル1100(同じく)

  日産スカイライン(中古車)

  トヨタカリーナ(新車)

  トヨタソアラ(新車)

  三菱ディアマンテ(中古)

  三菱エアトレック(新車)

以上が私のマイカー遍歴の記録。車の構造には詳しいので最初の

ポンコツ寸前の車だったが自分で修理しながら乗った。金もないのに、

自分の車を持ちたかった。あの頃の給与の額ではこんなおんぼろ車で我

するしかなかった。それでもーを手にしたのは同期でもかなり

い方だった。昭和39年のことと記憶している。

 

            最初のマイカーのルノーと同型車

ソアラとディアマンテは会社名義の車だったが、自家用車と同じように

乗り回す自由を与えられていた。ソアラは30万km以上乗り続けた。

現在乗っている三菱車も15万kmを越えた。年々車の耐久性は伸びてい

ると感じる。車庫の床が油で汚れい。この一言で車の進歩の様子が判

る。なまじ車を知るだけにリッド車や電気モーター車を毛嫌いし

いたが、そういう時代でないと判ってきた。

孫世代の若い営業マンを相手に、選択の自由は俺が持っているとばかり

意地悪な交渉を楽しんでいる。いやなじじいだと思われても構わない。

何の生産性を持たない身には、少しでも安く手にすることで相対的な生

産性を生み出さなければならない。

 

 

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395-300728閑話・・

2018年07月28日 | 車・自転車・機械

碓氷峠越えのアプト式トンネルの遺構。  2016.8

 

回数はさすがに減り、かろうじて週1回程度だがスポーツ自転車を楽し

んでいる。もう15年になるだろうか。堤防上の自転車専用道路を主に

走るが、そこに行くまでに一般道を使う。可能な限り車の少ない路を選

ぶ。まだ不安なく走れるだけで幸せです。先日こんな動画を見たので紹

介する。↓   英語版だったり、見たくなくても表示されるPR画面はスキ

ップしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=rgo-yEaXDzA

 

自転車はチェーンで足の力を後輪に伝える。一部ベルト駆動もあるが、

今もチェーンが主流だ。この駆動方法は伝達ロスが発生する。その原

因はチェーンの弛み。数%のロスは仕方ないという。そのロスを少な

くできないか? そこで考えだされたのが、こんな駆動方式。実に面

白い。暫く眺めていた。話の内容は理解できないが大体は予想がつく。

 

話題を変える。

誰もがスマフォを持つ時代になった。同じ省略形だが、よりフォ

方が適正か。どうせ和製英語だろう。どちらでもいいのだが。

その持ち方が男女で大きく異なる。つれあいは革製の専ケースに入

れ、それを気の効いた小袋にしまい込み入れ、更にバッグ等に入れて

持ち運んでいる。着信音が鳴る。バッグを開けて小袋から取り出し、

ケースを開けるという動作の後に話したり画面を見ている。正直カッ

タルイ。私はといえば、そのままポケットやバッグに入れるので彼女

のよう中間動作がない。どちらが正解か?

70年の人生で手にした最も便利な道具だと思っている。便利な物な

全て良しとは思わないが、個人の荷運びの手段はリヤカーだった時

代に生まれて、こんな具も使える時代を生きている。道具の観点か

ら見れば、史上最も変化の大きな時代を共にしきた幸運に感謝。

スマフォは何より頑なフレームであることが何より重要。2回ほど

落としたが幸運にもから落ちたので何ともない。しかし表示画面側

から落ちたらタダではむまい。壊れたら買い替えれば済むが、困る

は紛失。プライバシの塊が見知らぬ他人に渡ったらたまらない。

こでこんな工夫をしいる。丸いリングに指を入れて使う(落下予

防)持ち運ぶ際は小なカナビラで着衣のどこかにひっけておく(紛

失予防)。

 

自分しか知らない暗号を入れなければ、画面が開かない。最低限の防御。

 

お正月頃、市立図書館に予約した浅田次郎著「おもかげ」が半年経っ

うやく順番がきた。予約時は40人待ちだった。過去に例がないよ

うな進路を進みつつある台風12号が気になり、西日本豪雨の被災地が

心配だが、本を読みながら静かにしていよう。 期待度大。

 

 

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393-300714人生最初のマイカーの同型車に出逢う

2018年07月14日 | 車・自転車・機械

  

クライマーを魅了し続ける谷川岳一ノ倉沢。ここまでその全貌を見ら

れるのはそうはない。

    

一ノ倉沢出会いを過ぎて更に先へ行くと、旧道に添った岩壁に若くし

て逝った岳人の遭難慰霊のレリーフが数多く埋め込まれている。この

二人は私よりも5才ほど年下。読み取れるものには丹念に目を通しな

ら茂倉沢出会いまで歩く。 本人は山に散って本望だとは思ってい

いと思うが、安らかにと祈る。・・・     27.6.29

 

近所のコンビニで私の最初のマイカー(1968年、昭和42年ごろ)

と同型の50年経っても公道を走れる車に出逢ったので、オーナーに許

可をいただき何枚か撮影した。いうまでもなく当時新車で40万円程度

だったと記憶している国民車スバル360。

秀逸なスタイル。VWビートルが昔のスタイルを現代風にアレンジして復

活したように、この車もその手法を採ったら受けるのでは? しかしスバ

ルは軽自動車から撤退してしまった。空想するしかない。

エアコンなど無縁の時代。前が小さくパッカンと開いて外気を導入する。

それでもラジオは付いている。このシンプルな感じ。

空冷2気筒で360ccのエンジン。空冷エンジンでは暖房に苦労した。

事実上厳寒期はオーバー着用しての運転。

燃料は混合ガソリンではないが、別途のオイルタンクから燃料と一緒に

エンジンに吸い込ませた。茶色の機器はデストリビューター、二本のプ

ラグに電気を供給する。

発電機(ダイナモ)。この時代は直流発電機だった。ちっちゃなエンジ

ンの割には大きな発電機。半世紀たって車は100%電気で走るように

なった。

キャブレター、ガソリンを霧状ににして吸い込ませる機器。上部に見え

プリング付きのネジでアイドリング調整をした。エンジンにこの装

が不要になったのはこの車の時代から15年後。今からほぼ35年昔

こと。公道を走れる状態で持ち続けるオーナーに敬意を表する。

私はこれと同時代の車を扱う整備士として社会人のスタートをきった。

途中で挫折したが。車は修理するものだと刷り込まれた。エンジンをボ

ルト一本まで含めれば数百のパーツに分解清掃し、不良部品を交換また

は修理して組み上げた。新しいエンジンオイルを入れ、冷却水を満たし

て、スタータを回す。2~3回グーグーと周りはじめブルンと自立回転

を始める。そのったエンジン音を聞いて満たされた場面が今でも時々

夢に出る。なかなか面白い仕事だったが、仕事となると大変だった。

 

死刑や無期懲役刑に服するまたは服した被告の再審が認められ、被告の

弁護側が「勝訴」と大きく書かれた紙片を掲げて得意げに(表現が適切

ない)裁判所の門から飛び出てくる。こんなニュースに接する度に

な思いをする。疑う余地があれば当然の事とは思うが、この裏にはの

うのうと暮らしていた真犯人がいる可能性があるのかと思うと考え込

でしまう。多くの場合時間が経ち過ぎていて、真犯人逮捕には繋がらな

。被告はニュースになるが、被害者家族の存在を無視するかの報道に

やり切れなさを感じる。

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390-300623ここにきて車を変えざるを得なくなりそうだ

2018年06月23日 | 車・自転車・機械

長野県佐久穂町の奥村土牛博物館の庭園にて  29.7 

一度手に入れた道具類は比較的長く使う方だと思っている。今乗り回してい

る車、平成16年製三菱エアトレック車、この当時三菱自動車は最初のリコ

ール事態を隠蔽したり、小説の題材ともなったトラックの車輪が走行中に外

れてしまう事故で世論の袋叩きにあっていた。株価は上場廃止寸前まで落ち

込む。当然製造する車の買い手不在で地方デーラーはあえいでいた。セダン

型ではなくこの頃からはやり始めた四輪駆動のSUV車。こんな時に買ってく

れるお客さんは神様に見えます、などと持ち上げられた。そんならその気持

ちを反映した価格を提示してくれと交渉し、破格の値段で手に入れた。

イノシシ面なぞと揶揄され人気のない車だったが、15年経って改めて見る

と精悍で男っぽくて悪くないなと思う。給油所のお兄ちゃんには外車?なん

言われることもある。写真のようなダート道を走ると三菱ご自慢の本格的

なフルタイム四駆が躍動する。

以来乗りまわし、9月には15年目に入る。車検とオイル交換以外の出費は

最低限に抑えられて、大きな故障もなく今に至った。しかし半年前から車庫

入れ等で前進後退を繰り返す際に、ミッションがガツンという衝撃音を発す

るようになった。その原因は判っている。走り始めれば問題ないのだが、不

具合には違いない。整備工場に相談するとミッション自体の交換が必要です

と言われれる。その費用は最低でも25万円ほどかかるという。

こういうことがなければ生涯乗り続ける予定だったが、そうもいかなそうに

なってきた。さてどうする??

 

食わず嫌いなのだろうが、電気モーター駆動の車のフィーリングに抵抗感が

あった。しかしこの15年間の自動車技術の進歩を体験したくなり、日産ノ

ートe-powerなる車をレンタルで借り1日乗り回してみた。 

雨模様の天気だったが、軽井沢から浅間山山麓を回って新鹿沢温泉まで約20

0kmを走る。高速道路、上り坂下り坂、未舗装路いろんな条件で走ってみた。

なかなか素晴らしい車との印象を持ちながら返した。以下その詳細を書いて見

たい。

ガソリンエンジンは発電機を回すことのみに作動し、車輪を回す動力は全て電

気モーターというコンセプトに興味を持った。トヨタお得意にハイブリッドと

は一線を画す。近い将来水素と空中の酸素で電気を作りモーターを回すのが究

極の電気自動車。その過程の車だ。60年近くガソリンエンジン車の感覚を当

たり前と思っていたが、殆ど違和感なかった。

今迄乗り継いできた車の燃費はアクセルの踏み加減でかなり上下する。しかし

試乗車はいろいろな走り方を試しても21km/ℓ台をを示したまま動かない。

この数値は今乗っている車の3倍近い良燃費、素晴らしい。

アクセルを踏み込む、ガソリンエンジン搭載車ならエンジン音がスピードに連

れて高まる。これが試乗車は電気モーターが唸るような低い音でぐいぐい加速

する。理論上電気モーターの低速トルクは大きく、車の発進時からの加速性能

は優れていると知っていたが、実際に体験すると興奮する。エンジンは走行状

態に関係なく、電池の電気量が減れば発電のために回りだす。車のスピードと

無関係。ただエンジン音を感じさせないために、ある程度車速が上がりタイヤ

ノイズが発生し始めるとそれに紛れて回り始めるらしい。うまいことを考えた

ものだ。その回転数は車速には関係なく、発電に最適な回転数にセットされる

という。最適回転数を維持するだけだから、ツインカムエンジンのような高度

の機構は必要なくなってくるだろう。部品メーカーにとり死活問題となり得る。

次期候補に有力な選択肢を手にした。1年以内に決めればよいので、他の車も

試乗し、人生最後の車に悔いのない選択をしたいと思う。

年寄りの運転操作ミスが社会問題になっている。また車は価格も維持費も高い。

手放せばあちこち旅行する選択肢もグッと拡がる。それは判っているが、車を

操り好きな時、好きな所に出かけられる楽しみはまだまだ持っていたい。この

舎だ。車を手放すと生じる不便は都会の皆さんとは比較にならない。免許証

返納はまだ10年先に考えれば十分だろう。なお一層慎重な運転を心がけるの

は当然のこと。

帰途八ッ場ダムの工事現場を上流から眺める。スキーシーズンの半年前に比べ

てダムの形がかなり見えてきた。あらかた撤去された名湯旧川原湯温泉が水面

に没するのも2年後くらいか。近くの高台に移転した旅館街はまだ寂しいが、

道のはえらい人気だ。

 

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375-300317若き頃何百台と車検整備をした車を見かける

2018年03月17日 | 車・自転車・機械

 

 

先に咲いたミツマタを背景に咲くツバキ。

 

 

こういう車が公道を走る姿を見かけるともう涙がでてくるほど感激する。

18から22才までトヨタ系デーラーで整備士をしていた。写真の車は

トヨタ製のスタウトという小型トラック。RK41という形式名だったと記

憶している。この車の車検整備を何百台もやった。それだけ触れると車の

全部を熟知してり、道具とジャッキがあれば今でも分解組み立てができ

ると思う。

写真に写る人物がこの車の所有者。許可を戴いて何枚か撮らせてもらった。

彼にとってはこの錆に覆われた車体もアートなのだ。1時間を越えて話し

込んでしまった。こういう骨董的な車に惹かれるんだという。車検を通す

費用は買った値段よりもかかったのでは? と質問したら、解体業者に頼

んで使える部品を安く購入し自分でみんな再生したんだ、と満足げな答え

が戻ってきた。自動車さんでもないのにやたらお詳しい。この車種には私

も負けずに詳しいので専門的な用語が飛び交う楽しい1時間だった。

運転席。このメーターを見て私が日常的にいじっていたものより新しいも

のだと判った。それでも昭和44年製らしい。

ボンネットを開けてエンジン回りを見てみる。懐かしいデストリビュータ

プラグコード、ボルトを緩めて少し回すことで点火タイミングを調整し

た。ノッキング寸前まで早めると出力が上がった。トップギヤで30~

40kmで走らせ、そこからアクセルをグッと踏み込む。その時軽く1,

2回ノッキングを起こす辺りが適性な点火時期だと記憶している。若干の

計器は使用したが、この辺りの調整は殆ど経験と勘がものをいう時代だっ

た。本当の意味で修理屋さん、故障したものは分解し不良品を交換して治

す。このスペースにはエンジン以外の余分のものはない。手前右は後から

つけたブレーキ倍力装置で当時の車には装着してなかった。R型エンジン

4気筒2000cc。トヨタと言えども当時はたくさんのエンジンを持

っていたわけではない。同じエンジンをクラウンにもトラックにも使って

いた。

こんな体験が刷り込まれている私は、最近のハイブリッド車やEVと言われ

る車がどうも好きになれない。運転できる年数は頑張ってもあと10年だ。

まだガソリン、ディーゼル車は完全には駆逐されず、細々として走ってい

ことだろう。

 

記事を書きながら、昔似たようなのがあったと思い出し過去のブログを探

みた。

ありました。

https://blog.goo.ne.jp/egikoike/e/e73ff5a2f4f3c56011f406996ea5e0c3

6年前の夏、関越道上り嵐山PAで出くわした光景。彼らの車も錆がアート

になっている。

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348-290909バズーカ砲のようなカメラは苦手

2017年09月09日 | 車・自転車・機械

 70年前小学校2年生の遠足でこの石段に並んで記念撮影し

た。昭和24年のこと。大半の児童はくりくり坊主とおかっぱ頭そして下駄

ばき。70年後に元気でこの同じ場所に立てるのは感動もの。

太閤小田原攻めの際、麾下の前田軍が碓氷峠を越えて関東平野に侵入した。

れを最初に迎え撃ちそして散った小田原方松井田城のもののふ。その首実

検が済んだ首級が葬れているという。       安中市梁瀬の首塚。

 

先週は個人ではどうしようもない無力感を感じる題材を茶化す

かのように記事にしてしまった。削除しようかと思ったが今後

の戒めとして恥を忍んでそのままにしておくことにした。これ

だけ膨大な記事にあふれているブログやSNSの世界だ。1週間

もたてば海に落とした針1本と化してしまうだろう。

遠くなる昭和の時代1 中山道に添う民家。

 

間違いなく趣味の世界なので他人がとやかく言う筋合いではな

いことは重々承知だが、付属品の入ったをリュックを背負いバ

ズーカ砲のようなカメラで舐めるように撮影するのは苦手。

経済的理由や未熟さゆえでなく、あの雰囲気が苦手私の趣味

の一つバードウオッチングの延長上にある野鳥の撮影には望遠

レンズと三脚そして何よりも忍耐が必要であることはさすがに

認めるが。

現役引退後に始めた写真。小中学校同期のプロカメラマンY君

曰く「必要なのは良い構図、シャープなピントそして撮るタイ

ミングもう一つえれば被写体を選ぶセンスだよ。カメラの性

能云々はまだまだ早い。」そう言われても残された人生ではそ

のうちの一つの感触が得られれば上出来。

カメラの性能が向上して、ピントについては昔ほど気を遣わな

もカメラがやってくれる。手振れ防止機能なん殆どのカ

メラに備わっている。となると重要なのは構図、ミングそ

して被写体の選択となる。これらはカメラの価とは関係ない。

彼の言う通りだ。

遠くなる昭和の時代2

 

私のブログにも撮った写真を沢山載せている。詳御方々の

目に留まることがあれば恥ずかしいなと思いながフィルム

時代と異なりバチバチ撮った中からそれでもいいじゃないの

と思うのを選んではいる。

 遠くなる昭和の時代3

 

構えることなく肩の力を抜いて、気楽に撮影していけばいつか

私でも感動的な一枚がとれるのではないかと思う。始めるのが

遅すぎた。パソコン同様有り余る機能の半分も使いこなしてい

ない。

 

 

 

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308-281217toyota発展のスタートになり、私の人生にも関係した初代クラウンに再会。

2016年12月17日 | 車・自転車・機械

 

正統的というか伝統的との表現が良いのか、多くのファンがあった喫茶店「あすなろ」が復活していた。


午後4時からの1時間ほどの散歩コースにトヨタの販売店がある。

先日ここを通りかかったらショールームに懐かしい車が他の新車を圧する

感で鎮座していた。

 

トヨタ自動車初代クラウン(正確にはその後期モデル)。昭和37年頃

製造なのでもう50年以上経っている。まだ車検を取って公道を立派に走

れるようだ。

私はある事情で、高校卒業とともにこの会社に就職し、そこで整備士と

て4年間働いた。今では考えられない劣悪な作業環境の中でこのトラ

ックの修理をしていた。どちらかといえば非力な若者だったが、仕事に

従事したことで頑丈体質に変わった。職業としての整備士は4終わっ

たが、その後に就いたいくつかのではこの体力でかなりの無理もこな

してられた。そういう意味でこの車との出会いは私の人生に影響した

ろ大である。そして車の構造を熟知することでその後所有することが当

たり前になった分の車を長く乗り続けるとができた。(何台かの車

20万km以上走った)

この形式のトヨペットクラウンは隅から隅までの構造やそこかしこに使

されるボルトやナットの形や種類を思い出すことができる。工具とジャッ

キ、バイス付の作業台があればでも殆どの部分を分解してまた組み立て

ることできるだろう。

当時の車はよく壊れた。修理してその機能を元に戻すのが当たり前だった。

アッセンブリーで交換ということはいくつかの例外を除けばった。殆

どのアッセンブリーはボルト1本に至るまで分解洗浄し、不良部分のパー

ツを交換ないしは修理して組み立て車に戻した。必然的に車の造を熟知

することができた。

 

中でも国産初の自動変速機トヨグライドの修理は面白かった。ダブルク

ッチという運転技術が残っていた時代に自動変速機は驚異の技術だった。

プラネタリュームギヤとかハイポイドギヤという特殊な歯車も知った。ま

トヨタよりも日産の方が元気があった時代であった。修理工場に持ち込

まれるトヨタ車ばかり見ていたので日産は壊れない車という先入観が植え

付けられた。

改めて運転席周りを見てみる。初期モデルに比較すると随分と洗練され

いる。初期ではフロント一枚ガラスでなく2枚で真ん中に枠があった。

暖房装置はオプション、冬場に使うチョークがあった。寒冷時これを引い

てエンジンをかけたことを私世代は経験している。暖房機のない車の寒さ

は尋常ではなかった。後期モデルではオートチョークのキブレータが装

備されて冬の朝にエンジン始動で失敗することが少なくなった。(失敗す

るとガソリン吸い込み過ぎになり点火プラグが濡れてしまうと暫くエンジ

がかからなかった。)それほど深くこの車の整備に携わっていた。4気筒

1990ccのエンジンも見たいのでボンネットを開けてと申し出たが受

付の孫世代の嬢さんにやんわりと断られた。座席に乗り込むこともドア

に触ることも止なのだそうだ。半世紀の歳月がこの車をレガシーにして

いる

 

こんな思い出を語っていると、いつの間にやら歴史の証人という年代に

ていることに気付き呆然とする。

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272-280507三菱自動車の燃費偽装、またか・・・

2016年05月07日 | 車・自転車・機械

 義父から受け継いた「さんざし」の盆栽。良く咲きました。

 

平成16年というと12年前、三菱自動車は会社ぐるみの不祥事で

株価が額面割れ寸前までたたかれた。その時に購入し今も乗ってい

るのがフルタイム4輪駆動のエアトレック2400cc。

車体番号の下桁が1000番台であのころから売れない車だった。

今では街ですれ違うことはまず無い。

販売店で「こんな状態のときに買ってくれる方は神様です」と感謝

され、だったらその気持ちを価格で表してよ、とかけあい破格の値

段で手に入れた。人の弱みにつけこみやがってと舌打ちされたかも

しれない。

乗り続けて13年走行キロ数はまもなく14万kmになる。低速ト

ルクがあり、いい車に巡り合ったと思っている。何より故障が少な

い。燃費も平均8.5km/Lを維持し、渋滞のない関越道を新潟ま

で走れば12km近い数値が出る。排気量や省燃費技術が普及する

以前のエンジンと考えれば上出来と思っている。カタログ燃費近い

数値。通常カタログ燃費はユーザーが普通に走っていてもほぼ達成

不可なのはどのメーカーでも同じ。そのことのほうが偽装と考えた

くなる。この車のカタログ燃費は11.0kmとある。実燃費はかなり

良い数字。 ま、単なる自己満足ですが・・・

 

さすがに塗装は輝きを失ってきたが、それ以外は快調に走り続ける。

先日3回目のタイヤ交換をしたら、気持よい乗り心地を取り戻した。

下取りに出せば5万円もしないだろうが、自分の手元にあればまだ

100万円の価値はあるな・・ でも今後はどうだろう。

会社が立ち行かなくなり交換部品がなくなったら廃車にするしかな

いと覚悟して乗り続けるか? スリーダイヤのマークが寂しそう。

三菱はいい車を作る会社だと思っていただけに今回の不祥事には残

念の一言。燃費の偽装と報道されている。メーカーにとって偽装が

発覚すれば致命的な打撃を会社に与える。

一般従業員や販売店に与えたショックは並大抵のものではないだろ

う。前回は三菱系各社の支援で回復できたが今度ばかりは存亡の危

機と言われている。いくら株価が下がっても手を出す気にはならな

い。柳の下にいつもどぜうがいるわけではない。

 *****

ゴールデンウイーク。毎日が日曜日の身にとってはあまり関係ない

が、なんとなくどこかに出かけないといけない気持ちになる。

中山道の宿場町松井田の城址を散策する予定で家を出た。ゴルフ場

が近くまで進出しており、城址への道が見つからない。仕方なく松

井田の街を散策する。元宿場町だけあって、裏通りはなかなか趣の

ある家並みや神社お寺があり楽しめた。中山道をてくてく歩いて安

中方面に戻りつれあいの実家まで。木々の若葉のシャワーを浴びて

心地よい疲労感の残った1日でした。

 

写真を少々。

 

富岡市藤木の個人所有の藤、山の斜面に沿って見事に咲く

 

真言宗豊山派不動寺、総本山長谷寺を思い出す。

 レトロな住宅

 松井田高校

 右が昔の中山道

 果てた旅人の墓か

 

かろうじて享保と読める。徳川吉宗の時代、300年前。

 振返ると妙義山

  左が旧道

 

 

旧中山道はひっそりとしている。左の家の2階に「旅人宿」と書かれた

札が貼ってあった。

 

 

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