toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

652-051025懐かしの上野駅

2023年10月25日 | 季節の変化

秋の深まりを感じさせる柿。

 

日曜日に何となく東京の空気に触れてみたくなり、10年振りに電車で上野まで向かった。北への出

発点であり同時に北からの終着駅でもあった上野駅に降りたのは20年振りか?

この駅は武蔵丘陵が東に果てる場所にあり、上のホームと下のホームとが長い階段で繋がっている。

60年前の大学へは電車で通っていた。上州からの普通電車は下のホームに滑り込む。線路の終点の構

造が当時と変わったがしっかりあった。山手線への階段を登るか地下鉄に乗るために地下に続く階段を

降りるか、その日の気分で替えた。東京駅や新宿駅とは何か異質なものを感じる駅の雰囲気は今も残っ

ている。改札口上のどなたの作か大きな壁画は懐かしい。

 

東京国立博物館に入館した。なんとお年寄りは無料でした。展示内容に特別目を引くものはなかったの

で早々に退館し、谷中墓地の中を散策しながら日暮里駅まで歩く。多くの文学作品に登場した街中の雰

囲気を感じながらの散歩はなかなか味なもの。途中で駅までの道を訊ねるも教えようがありません、と

の返事が返ってくる。方角を確かめGooglmapも参考にしながら歩き通した。

 

戦災に会わなかった街中の道は複雑に曲がりくねる。地形に合わせて曲がる山の道とも違う。地図好き

にはこんな探検も面白いものだった。

機会があれば、次回は千駄木あるいは駒込や巣鴨当たりを歩き回るのも面白いかもしれない。

 

 

 

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647-050916三人の爺さんランチ会

2023年09月16日 | 季節の変化

異例の暑さに苦しめられた夏もようや最終盤になってきた。来週後半から一気に秋めく予報を期待して

いる。庭の風情にも秋を感じる。しかしなにかもどかしい。

来年もその次もこうした夏が当たり前になってしまうらしい。 それにしては東京電力管内の電力の需

給が危機的状況になったというニュースに接しなかった。我が家も朝の一時を除いて冷房は入れっぱな

しだった。管内の原子力発電はゼロであるにも関わらず。その訳は太陽光発電が大きく貢献している。

一番熱い盛りは自然の力による発電量も最大になる。東日本震災前にはなかったことと受け止めていた

ら、今日のネットニュースに同様な意見が載っていた。

屋根一面に太陽光パネルを敷き詰めたお隣さんはこの暑さを喜んでいたかもしれない。

80歳越への爺さん3人でランチ会をやった。新幹線下のいつもの全室個室の一見料亭風の店。正午か

ら2時間半取り留めもない話で過ごす。中学の同期生4人で随分前から会っていた。この春一人欠けた。

更に一人が最近リンパ腫と診断されその治療に専念していた。余命宣告を受けただけにその経緯を非常

に心配していた。今回はその治療後の様子を聞かせてもらうのが主題だった。治療が功を奏しているよ

うだ。本人の至って元気で家庭菜園の管理を楽しみにしている。いい色に日焼けして3人の中では一番

の肌艶、ああいう宣告は簡単にしないでくれと憤慨していた。

 

驚いたのは注文を客のスマホからやるシステムになっていた。バーコードを読み取るところから始まる。

こうしたことが3人の中では一番慣れている私が注文作業をすることになってしまった。難しいことは

何もなかった。

 

 

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645-050902いっときの避暑

2023年09月02日 | 季節の変化

エアコンなしでは狂ってしまいそうな夏も暦の上では終了した。暑さでバテバテの身体をいたわる季節

の到来のはずが、今年ばかりはそうはいかない。相変わらずの酷暑が続く。

 

比較的夏には強く、運動をして大量の汗をかいた後の爽快感を求めて自転車を乗りまわしていた時期も

かってはあった。もうそんなことはやりたくてもできない。しかし冷房の効いた室内でばかり過ごす生

活は肉体、精神共に不活性化してしまう。これではいかんと先日車で1時間余で行ける赤城山まで行っ

てきた。大沼あたりの気温は何と23℃。もう別天地。

小沼や覚満淵周辺を半日散策して、バテ気味の身体を労わってきた。秋の到来が遅れているならば、こ

ちらから秋を迎えに行きましょう。

半世紀昔に撤去された東武鉄道のケーブルカーの遺構。ここに立つと下から吹き上げてくる涼風が心地

よい。

 

コロナワクチン接種の通知が届いた。血圧降下剤が少なくなったのでかかりけ医を受診する。一通りの

診察が終わったので、いつものように雑談に移る。コロナはジワリと増えているようだ。ニュース価値

がなくなったのだろう、一時の煽るような報道がなくなり、インフルエンザ並みの扱いに変化した。

そのことをドクターは懸念していた。咳があり発熱があってもマスクなしで入室してくる受診者が多い。

外で待機して欲しいというと切れてしまう人もいるようだ。

医療機関や老人施設に入室する際はマスク着用は義務だろう。街歩き程度ではマスクをしないでも構わ

ないと思うが・・

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643-050819豊饒の秋が約束されている

2023年08月19日 | 季節の変化

本市吉井町の低い丘の間(地形的には谷地という)の棚田は豊饒の秋を約束する稲穂が揺れていた。

 

書きながらふと窓外の寒暖計の目盛りを見る。まだ昼には2時間あるのに36℃指している。なんと

いう暑さが続くのか。来年もその次の年もこんな夏が予想される。地球上にもっと暑い地域はあるが

殆どは砂漠あるいはその周辺。日本のように高い湿度が伴う暑さはあるのだろうか? 40℃が普通

という将来が来ることを恐れる。

 

南方植物である稲はこんな暑さを味方にしながら、順調に秋を迎える準備をしているようだ。

司馬氏の著作で知ったが、弥生時代から始まった稲作は丘に挟まれて小さな小川が流れる谷地から始

まっていったらしい。当時の技術では河川が流れる平野では稲作の無理だったという。水は豊富でも

上手く排水する術を知らなかった。緩い傾斜のある谷地の方が水の取り入れ排水がし易い。人々は谷

合いの田から平野に時間をかけて進出していったという。必ずしも耕して天に至るではなかった。

その遺伝子が私にも引き継がれているのか、棚田の風景に接すると癒される。

 

稲穂の上をたくさんのトンボが伴侶を探して乱舞していた。稲穂の先にとまってくれれば絶好のチャ

ンスなのだが、その瞬間は来なかった。

 

 

 

 

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628-050204早や立春

2023年02月04日 | 季節の変化

誕生日が毎年大寒にあたるので、家に閉じ籠る日が多い。今年も厳し寒さの中で81歳を

迎えた。ここしばらく庭に降りることがなく気付かなかったが、今朝出てみたら早やボタンの新芽

が動き出していた。今日は立春。耐え忍ぶしかない冬を経るからこそ春の到来が待ち遠しく、気持

も前向きになってくる。

 

昨日の湯ノ丸スキー場は小諸辺りから見上げると厚い雲の中で天候が危ぶまれた。小諸ICから現地

に電話で確認すると寒いけど晴れてますよ、との答え。雲を下に見るような状況。薄雲が太陽光を

弱めているが、ゲレンデの状態はベストで視界も良い。ガスがかかると斜面の凹凸がはっきりしな

いで年寄には怖い。東京都の中学校のスキー教室とぶつかり結構混んでいた。正味1時間半10回

緩斜面を楽しんで終了とする。

 

いつもなら一目散に家を目指すのだが。今回は国道18号線と縫うように並行する旧北國街道を軽井

沢まで走る。地元の方々しか普段は走っていない静かな旧道は少なくなったとはいえ木材をふんだん

に使用した旧家が結構残っている。もう少しで読了する「夜明け前」の馬籠宿の印象とだぶる。主人

公半蔵が江戸との往復にこの家の前も通過し、あるいはお茶でも飲んで一休みしたかと思うと150

年前にスリップしたような懐かしさを感じる。

ここは信濃追分借宿の土屋家。街道名は北國街道から中山道に変わる。軽井沢宿と御代田宿の間なの

であいの宿と呼ばれていたようだ。あいの宿には本陣や脇本陣はなく宿屋もない。車をゆっくり走ら

せながら通過した街道筋の部落は芝生田、小諸、平原、馬瀬口、御代田、追分といった町や集落。小

諸は母方の祖母が生まれ育った街。そして島崎藤村とも縁のある街。氏の作品の中に世話好きな仕立

て屋として登場する町人の娘。

 

これらの部落が登場する「破戒」を今の本が終わったら読んでみよう。

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627-050128何年ぶりかの寒気といわれる

2023年01月28日 | 季節の変化

           

10年振りと予報された寒気団に25,6両日覆われる。雪に慣れない関西地方が大変なことになった。

大阪環状線は完全マヒ、更に三重県の名阪国道は2000台もの車両が24時間以上動けなくなった。

この模様を報道するテレビを何の被害もない者が呑気(でもないのだが)に見ている。狭い日本もいろい

ろだ。

 

我が家の庭にもこの寒波で例年通りの光景が現れた。この光景はこの時期に2,3回あるので特に10年

ぶりと言われてもピンとこない。断熱なんて考えられていない旧屋に住む私はそれでもガラス窓にプチプ

チシートを張ったり隙間風の侵入を防いだりして暖房効果を上げるべく奮闘はしている。12月の電気料

金の高騰の驚いたのは年の初めだった。使用量は前年比1.5割ほど節約したの料金は5割増し。

防衛力強化も世の流れだろうが、先にやることがあるのでは・・ は連れ合いの言い草。

夏からは更に3割上がると聞いてALL電化の我が家の家計が心配になる。いまさらどうにもならない。

 

気合を入れて読み始めて島崎藤村著「夜明け前」。何とか3/4ほど読み終わった。今までの展開は幕末維新

史の復習のような内容だった。ここから先が主人公が精神を病んでいく一番の山場となのだが、少々疲れて

きた。長い作品もここまで来たんだ、もう少し頑張ろう。

 

今夜は高崎高校59期(昭和35年卒業)の同期会が市内の料亭で開かれる。寒い夜間に出ていくのは大変

だが幸い元気で暮らせているんだ、同期の様子に接してくるのも一興。さて何人参加してくれるか? 

数年前は40名は参加したが今回は半分だろう。さらに半世紀ぶりの出会いはあるか?

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623-041228我が家に代々続いている年末恒例の作業

2022年12月28日 | 季節の変化

ウクライナ戦争や安倍元総理の悲報などこれからも記憶に残る出来事が多発した一年も終わりとなる。

私個人としては病や痛みに苦しむこともない比較的平穏な年だったようだ。来年特にウクライナやロ

シアの一般市民が苦しんでいるこの戦争が終結し、命の心配がない日々が来ることを強く願う。

 

老夫婦二人だけの年末は大したことはない。それでも一通りの正月料理を帰省する二人の息子家族の

ためにと老妻はそれなりに張り切っている。私はと言えば年末に代々の家族の誰かがやっていた作業

に精を出す。

 

私の父の病気治癒の祈願のために、70年程昔に祖母が宮大工に頼んで作ってもらった神棚。作りは

質素だが幅が1m近くある。この欄干の柱の頭にはめ込まれた擬宝珠を磨くこと。祈願の甲斐なく若

くして逝った父、祖母亡き後母親がその作業を継ぐ。やがて私に引き継がれ結構根気のいる作業を当

時は仕方なくやっていた。更に我が子たちが小中学校時代がそれでも嫌がらずに続けた。そして子供

たちが育った後は再び私の年末の恒例作業に戻ってきて今に至る。

 

ピカールという研磨剤を古手ぬぐいにつけて磨く。擬宝珠は銅に金メッキを施したものだが磨き上げ

ると金色に光り輝く。一時間ほどの作業をしながら孫たちを含めると5代となる世代に思いを馳せ、

今年一年を振り返りくる年の安らかならんことを祈る。

 

暮れが押し迫った頃に老妻が白内障の手術で入院したりして、雑事多忙となり2週間ブログを休んで

しまいました。

 

皆様にとり来年が良き年にならんことを祈念して本年最終の記事とします。

 

 

 

 

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618-041114一年前の痛み

2022年11月14日 | 季節の変化

         

顕著な寒冷前線が通過して、一気に冬モードになってきた。紅葉、黄葉も里に降りてきた。市役所付近

の街路樹のイチョウが見事にこの季節を演出してくれる。

 

これはスマホで撮影したものだが、構図は操作者の技量に負うことが大きいが、きめ細かさはスマホの

能力の問題。スマホ撮影で困るのはファインダーがないので昼間の太陽の下では画面の状態がはっきり

と確認できないこと。家に帰りパソコンに落とし込んで見るとなかなかきれいに撮れている。機械任せ

のバカチョン操作だがバカにできないな。

 

八王子市の西、天皇の御陵がある中央線高尾駅近くの甲州街道に見事なイチョウ並木があると聞いてい

る。この時期素晴らしい光景が展開されていることと思う。関越道と圏央道を使えば2時間で現地に着

くと思う。見てくるか、ここ2,3日が勝負だ。

 

一年前のこの時期、頸部脊椎間狭窄症と診断され、左肩から首にかけて襲ってくる痛みに苛まれて唸っ

ていた。8回も神経ブロック治療(患部に対する麻酔)してもらい1月には痛みからかなり開放された。

そして今年、今のところ首の異常は全くない。もちろん痛みもない。おどろおどろした病名が恐ろしか

った。狭窄は無くなったのだろうか? 神経が痛みを伝えなくなっただけなのか? 再発はないのか? 

あんな痛みはもうごめんだ、祈るような気持ちで過ごしている。

 

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614-041016紅葉数枚

2022年10月16日 | 季節の変化

10月某日、群馬県高山村の観光案内にも載っていない某家に遊ぶ。以下数枚。

3年ほど前に訪ねた高山村尻高の国道脇の某家の庭園。200坪位の広くもないが、手入れの行き届

いた見事な庭園、有名な京都の寺の紅葉にも見まごう。今年も期待して再訪していたが、放置された

感じで荒れていて落胆する。

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610-040918高山村に遊ぶ

2022年09月18日 | 季節の変化

 

思い立って高山村に遊ぶ。この村の他県内の川場村、嬬恋村更に上野村などは各村独自の取り組み

をして元気な村の印象を受ける。

高山村は西側を除くと、峠を越えないと村内に入っていけない。中心部は標高6~700m前後の

盆地。はやりの道の駅の駅名を「高山盆地道の駅」と称して盆地であることを売り出している。川

場村田園プラザの賑やかさにはかなわないが、結構な人数が集まっていた。どちらも幹線道路沿い

でないにも関わらず集客力は見事なもの。

高原の稲田は一足先に秋の色に染まっている。それらの遠景には小野子山三山が優美にその姿を見

せていた。

 

 

この村のもう一つの魅力ある施設は県営群馬天文台。本格的な天体望遠鏡を備えている。高原ならでは

の澄みきった空気と光害と無縁な環境が選ばれた理由だろう。昼間なので望遠鏡を覗く楽しみはなかっ

たが面白いことに気付く。要請すれば車でここまで来ることができるようだが、一般には500余段の

木製の階段をクマよけの鈴をつけて登っていく。この階段がまことに良く考えられている。普段から足

腰の鍛錬のために階段があれば努めて登ることにしているのでさほど苦痛ではない。それどころか歩幅

と段差が一致しているおかげで無駄なく足を運べる。実に快適。

少し息を切らして到着すると、異様な造形物が迎えてくれる。解説版によればそれぞれが天文学的に意

味ある方向や位置が考慮されているらしい。山の上の造形物としては異形だが雰囲気は盛り上がる。

 

非常に危険な台風と呼ばれる14号が九州に近づいている。毎週欠かさず見ている番組ポツンと一軒家

では何度も取り上げられることの多い九州地方。山の頂上近くや、尾根の影あるいは谷筋にしっかりし

たお年寄りがしたたかに住んでいる。台風の襲来には慣れているからこそこんな所に住み続けておられ

るとは思うが伊勢湾台風並みとまで言われているこの台風でこの人々に被害出ないことを祈っている。

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608-040730長引く猛暑

2022年07月30日 | 季節の変化

八ヶ岳山麓2000m近い高所の白駒池の写真を添えて、暑中お見舞い申し上げます。

 

例年の夏の倍近い長期間の猛暑が居座っている。ひと月前の連日38℃越えの1週間と今回の猛暑。否

応なく地球温暖化を意識せざるを得ない。我が家の前は用水路と屋並みに挟まれて300m近い道が伸

びている。午後2時頃様子を見に出てみた。人の姿が見えなく、頭上からの容赦ないぎらつく日射。生

暖かいような水がとろりと流れているのみ。他に動きがなくシーンとしている。植えられたハナミズキ

も枯れ枝が目立つ。移動できない樹々はじっと耐えている。

 

東日本大震災があった年か、復元されたSL C6120の雄姿の一枚があった。よく見ると後ろに更

に一両のSLが見える。多分D51498だろう。復元を記念したSLの重連の運行だ。この時期はま

だ現役だった職場の裏がJR上越線だった。私のデスクの10m先を電車が行き来していた。

土日曜日は現在も重連ではないがSLの運行がされていて、10時半頃そこに行けば彼らの雄姿が見ら

れるはずだ。しかし今はさほどの興味はない。

 

エアコンもある。冷たい水、冷えたスイカ、カチカチのアイス、いつでも使えるシャワー何でもありだ。

子供の頃とは様変わりの世の中だ。あと半月間、耐えられない文句をいったらバチがあたる・・・

 

 

 

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601-040611照ノ富士日本語お上手

2022年06月11日 | 季節の変化

夏至を前にした夏に偶にみられる夕焼けは冬とは違い凄みを感じさせる。

 

久しぶりに司馬遼太郎著「街道をゆく」を読む。今回はモンゴル紀行。

一連の街道シリーズで初めて接する海外編。司馬氏は太平洋戦争中の学徒出身者。陸軍入りとなり中国東

北部で戦車中隊の指揮官を命じられる。モンゴル国も関係したノモンハン事件には時期が異なるので参戦

していないが、その愚劣な作戦を強く批判する。終戦直前は部隊は米軍関東上陸に備えて栃木県佐野市に

移りそこで終戦を迎える。氏の才能は花開くことができたが、戦争の推移が違っていれば死ななくてもよ

かった多くの学徒兵。戦後彼らの多彩な才能が芽吹いていたらどんな世界が拡がっていたことか、悔やま

れる。

 

興味を持っていたモンゴル国を訪ねた紀行文が本の内容。

高地に位置する草原の闇と澄みきった大気。見る人を包み込むように全天に拡がる星空の素晴らしさを情

熱的に語っている。機会はもうないだろうがアラスカのオーロラでなくこのモンゴルの感動的な満天の星

空をこの目で見られたら。

 

現役横綱照ノ富士の日本語は我々が聴いても違和感がない。白鵬も日馬富士も上手だ。来日何年もたって

ないのに何故なんだろうと思っていた疑問が解けた。モンゴル語と日本語はあるいはルーツを共にする言

語らしい。組み立てが似ているという。

 

午後1時に モンゴルから 羽田に 着いた。

モンゴルから 羽田に 午後1時に 着いた。

午後1時 着いた モンゴル 羽田。

どの話し方でも日本人は理解できる。すなわち意味ある単語を順番を構わずに繋げていけばとりあえず理

解してもらえる。モンゴル語も同じなのだそうだ。単語の発音が比較的明確で聞き取りやすいので、必要

な単語さえ知っていれば素直に会話に入れるらしい。

 

当地は梅雨に入る。 稲作には欠かせぬ水の大供給装置が稼働しはじめた。近年この装置が毎年どこかの

地方で暴発する。今年も覚悟しなけらばならないが、被害にあう市町村がどこかは予測不能。

この時期の水害は生きてきた80年間は聞いたこともない当地方だが、絶対ないとも言い切れない。この

後の1ヶ月間ほどほどの雨量であって欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

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599-040527ソバ苗の植付だろうか?

2022年05月27日 | 季節の変化

暗い杉の人工林の中に緑が光る。

赤城山西山麓の林道を走っていて目に入って光景。いっぱいに拡がる樹々の緑も撮り飽きた。すれ違う車もない

簡易舗装の狭い、まるでポツンと一軒家に向かうがごとき林道をしばし車を走らせる。

その先に一軒家はなかったが、それなりの光景が拡がっていた。

 

何だろうか? 薄暗い杉林を抜けた少し広い空間にミニ北海道的な畑を見つけた。明らかに人工的は播種した植

物。トラクターで撒いたらしいがこの幼さではなんだかよく判らない。もしかするとソバ畑かな?

ここより少し北にいけば、そこは昭和村の広大なこんにゃく畑が赤城山の斜面に拡がっている。北海道の馬鈴薯

畑のような光景。戦後に開拓者の皆さんが苦労して開墾した農地だ。

 

赤城山と榛名山の間を利根川が南流している。古代から二つの山は噴火を繰り返して共に長大な裾野を形成した。

今いるところは赤城山の斜面。写真はそこから利根川対岸の榛名山を眺める。

扇状地はこうして作られていくという見本のような光景が拡がっていた。榛名山の小河川の一つが利根川に向か

って流れ下る。大雨の度に土砂を押し流す。子供の頃、庭で泥んこ遊びの時、泥の山におもちゃのジョウロで水

をかければこんな形で泥山が崩れていったな・・・

 

押し流された大小の石、ひとつひとつが家庭であり一家団らんの場。

 

都会を走る満員電車が駅に到着する。一斉に乗客が降り始める。降りる人の流れが途絶えると乗客が一斉に乗車

口に殺到する。 この時の人の流れは米櫃のコメ粒のように真ん中がへこんだ漏斗状になる。意志ある人間の動

きも、集団になるとその動きは一粒のコメや豆と変わらない。

連休時に高速道路の自然渋滞も同じ原因と聞いた。緩やかな下りが続き、その先次第に緩やかに登りになる地点

は渋滞必至の場所なんだそうだ。

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596-040507唯々緑のトンネルを抜ける

2022年05月07日 | 季節の変化

根古屋城址への山道

 

昨夜の計画では榛名山群雌岳に登る予定だった。しかしいまいち登ろうという気力が湧かない。天気快晴と

いうのに・・

過去一週間大して歩いていない。これではいかんと昼食後車で15分の根古屋城址登り口から山道に入る。

駐車場は金井沢古碑が大切に管理されている公園の脇、何度も見たが改めて見学に立ち寄る。

 

 

左が立派な建物内に保管されて居る古碑。川を渡るといきなりの急登が待っている。おおよそ300段ほどか?

まだ準備の出来ていないからだが悲鳴を上げる。ゆっくりと登り15分後には大分楽になる。登りきると鮮

やかな新緑の森の中を歩くようになる(冒頭の一枚)。急登のご褒美か。癒される新緑。こんな中を午後の

ひと時をのんびり歩ける贅沢に感謝。

 

200m足らずの標高の丘陵だが、派生する微かな道が縦横に走る。今日は始めての道に踏み込んでみる。

地図上明らかな破線はあるのだが、途中で藪の中に消えてしまった。時間があればそこを突破するのも楽し

いものだが、今日は止めて引き返す。

 

途中でわらび採りのご老人と出会い30分も話す。娘さんが知床の根元に嫁いでいるので、観光船沈没事故に

深い関心がある。あの船かどうかは覚えていないが同じコースで半島の先端まで行ったと話していた・・

 

帰途、更に別のご老人と会う。ご老人はこの丘陵の生き字引のような方。私が疑問に思っていたことを明快

に解説してくれた。この方とも30分の会話。

 

金井沢碑の解説版。

碑文の内容は解らないが、この地に置かれたのは神護3年とある。帰宅後歴史年表で調べると西暦726年。

法隆寺建立から120年後、大仏開眼の50年前からこの場所にあったわけだ。

 

ここでボランティアの案内人の方と今度は40分も話し込んでしまった。私より一回り下の方か?

夕方だったので見学者も絶え、手持無沙汰だったようだ。話は多岐にわたった。男としてはお喋り好きの私

は一人でどこかに行ってもその先々でお喋り相手を見つけては楽しんでいる。

 

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584-040213安中藩郡奉行役宅の紅梅の古木

2022年02月13日 | 季節の変化

安中藩最後の藩主の名が板倉家なので小なりと言え親藩に列せられる藩だったと思う。その郡奉行の旧宅

が整備されて今に残り、庭の紅梅が見ごろを迎えている。

 

えらい寒い冬だなと思い過去の記録や庭のつくばいの様子と比較すると、特別に寒いということはない。

しかし身体が感じる寒さは、例年以上に厳しい。築50年にもなろうという陋屋をオール電化にして12年

になる。大した断熱対策もされてない「昭和のお家」では、1月の使用量は過去最高、料金も3万円を超え

てしまった。あと10年持ってくれや、と祈るような気持ち。

 

昨秋以来不調続きだった身体も元気が出てきた。南岸低気圧が頻繁に通るのは春近しの証拠。もう一息の辛

抱だ。

 

藁ぶき屋根の武家屋敷と梅の古木は良く似合う。荒れた木肌と春の到来を感じさせる清楚な花、華やかだが

無香りの桜と違い、視覚にも嗅覚にも訴える花は風情がある。

 

そんな春の兆しを感じる昨日、東京都西部の町に住む中学生の孫娘が友人と二人だけで東京ディズニーラン

ドへ行って来たと連絡があった。都心の盛り場で何度か乗り換えて現地に向かうその大胆さに驚き、今どき

の東京の子供は凄いなと感心した。

ところが、よく聞いて見ると東京郊外をぐるりと繋ぐ武蔵野線に乗れば、舞浜の駅まで乗り換えなしでいけ

るのだという。

それでも凄い。可愛いだけだった孫たちがいつの間にかすっかり成長しジジババか離れていく。嬉しいよう

な寂しいような妙な気持の1日でした。

 

 

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