toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

288-280730ドラマ「北の国から」再放送

2016年07月30日 | 小説・映画・など

 富良野はどこに回っても絵になる風景が広がっていた。

 

「北の国から」の再放送が始まったのでじっくりと鑑賞する。

これだけ評判を呼んだドラマだ。再放送は初めてではないと思

う。知らなかっただけだ。フィクションであるドラマが頭の中

で完全にノンフィクションに変化してしまっている。先々週に

舞台になった富良野市の麓郷の森を訪ねて来たので一層思い入

れが募る。

黒板五郎とその子供たち、地元の仲間たち。どれもこれも脚本家

倉本聰氏の手になるフィクションだが、ドラマの重要な主役にな

った家が現地に残されている。撮影用の裏に回ればつっかい棒で

支えられた張りぼてではなく、近い将来朽ちてしまいそうな状態

ではあるが確かに人の住んだ形跡のある家が、深い森に接してそ

こに実在する。黒板五郎という架空の男の生きざま、家族愛を実

在の家や麓郷の風景にオーバーラップして受け止めている自分が

いる。

 

思えば当時、30代半ばで毎日夜遅くまで仕事に追いまくられてい

た。こんなドラマがあることは承知していたが断片的にしか見て

いない。ビデオもなかった。今そのドラマを通しでゆっくり鑑賞

できる。黒板一家と同じ世代であり、同じ時代の空気を吸って今

に至っただけに、ドラマの進行に素直に入っていける。

まだ1/4が放映されただけ。この夏はこのドラマと共に過ごした

ことで記憶に残るものになりそうだ。

旅の帰途、新潟港で見かけた海上自衛隊の護衛艦「せとぎり」。

後で知ったことだが、尖閣で中国海軍牽制の任務についていた

帰りという。しばしじっと見る・・・

 

夏の高校野球の地方予選も大詰めきた。沖縄と北海道から始まり、

紙面のほんの一部に結果が載っていたのが、いつの間にか一頁全

部を埋めるほどの試合結果掲載となり、やがて試合の経過までが

詳しく載るようになって全ての代表が決まる。あれほど強かった

大阪PL学園の野球部廃部が報道される一方で、昔の強豪の復活が

目についた。その中で徳島県の池田高校と和歌山県の箕島高校に

注目していた。池田は3回戦くらいで姿を消したが箕島は本原稿

作成時(7/28)現在準決勝を勝ち決勝に進出している。箕島と

石川星稜の壮絶な試合が記憶に残る。星稜は県代表になった。 

がんばれミノシマ!!

(追記) 箕島高校は決勝で市立和歌山に惜敗して県代表には

なれなかった。来年に期待しましょう。(7/29)

 

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287-280722番外編北海道旅行その5(丸駒温泉→札幌→帰途)

2016年07月22日 | 旅行

誰もが行くところを訪ね歩いた記をだらだらと書き連ねてしまいま

した。週一回の更新の習慣を無視した番外編でしたが今回で終了で

す。お付き合いいただいてありがとうございました。

 

さて最後の宿泊地は支笏湖畔の丸駒温泉。最後に回して正解だった。

オーソドックスの古くからある温泉でその露天風呂が素晴らしい。

旅の疲れを一気に消してくれた。

支笏湖は洞爺湖と大きさや成り立ちがよく似た湖である。札幌から

も比較的近い。にもかかわらず特に支笏湖はきらびやかな開発には

無縁で太古からの原生林に囲まれた雰囲気をよく残している。

丸駒温泉の露天風呂は中からは木々を通して湖面が見渡せるが外か

らは樹々の葉がうまく隠してくれる。湯面が湖の水位と連動してい

るという。この時期水位が高いので立った状態で湯面は肩のあたり。

これは掛け値なしの露天風呂だ。

カメラ持ち込みできないが、風呂に浸かりながら支笏湖の湖面から

対岸の山までのパノラマが広がる。目の位置と湖面が同じなのでそ

の開放感が素晴らしい。

北海道大学構内。学生たちがジョギングに励む。

北海道大学教授中谷宇吉郎博士の偉業を記念した碑。大学構内その

ものが観光地になっている。

バンカラで有名な北大恵迪寮。もちろん棟は別だが女子学生も利用

できるようになりその気風はなくなったと聞く。

開拓の森の中に復元されている戦前から戦後にかけての恵迪寮。

その開拓の森のゲートをくぐると左手に聳える開拓使札幌本庁舎

http://www.kaitaku.or.jp/guide/guide.htm

北海道の各地を回ってみて気が付いた。フキの葉の大きいこと。

本州の4倍はあるのではないか。ちょっとした林や森の下草には

決まってこの大きなフキの葉が目に付く。有史はるか以前の海面

が低かった時期に宗谷は樺太と陸続きになった。一方津軽海峡は

深い谷が走っており海面が下がっても本州と陸続きになったこと

はなかった。樺太の生態系と北海道は似ていても、本州と北海道

とは明らかに異なるのもそのためだと言われている。

苫小牧のフェリー乗り場で遭遇した光景。多くの高級バイクに交じ

ってスーパーカブが乗船を待っていた。この人はカブで北海道を駆

け抜けたのだろうか? だとすればアッパレ。

 

番外編はこれでおしまい。来週からまた週一更新に戻ります。愛読

するブログで毎日更新されておられる方がいます。やってみて大変

なことがよく判りました。無理をしないで気負わずに細くても長く

続けられたらといいなと思っています。

 

 

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286-280721番外編北海道旅行その4(積丹→ニセコ→昭和新山)

2016年07月21日 | 旅行

 神威岬

 

昨夜の宿はこんなに海岸に近い。雰囲気は民宿、宿泊料は旅館並み。

料金の大半は海の幸に化けたか・・ しばらく刺身は食べたくない。

山家育ちには海のこんなシーンも新鮮。

半島に沿っていくつもの岬があり、一つ越えるたびに小さな防波堤

に囲まれた漁港が現れる。ここから毎日新鮮な海の幸が陸揚げされ

るのだろう。この季節は穏やかの光景だが、冬は一変するという。

特別の役割を持った人以外住むことを拒否するほどの厳しさ。

宿も11月に入ると春まで休業すると言っていた。

 

そして長いこと現地を見たいと思っていた神威岬を眼前にする。

この岬を後方の高台から眺める構図で描いたと思われる写真より

も写真らしい油絵が世話になった病院長の執務室に掲げてあった。

繰り返し見ていたので、この日を心待ちにしていた。

 

有珠山のある洞爺湖畔までの最短ルートはスキーヤーなら一度は

滑りたいと思うニセコを通る。しかしシーズンを外れた現地は閑

散とした馬鈴薯畑が続く道。少々疲れが貯まるころにようやく洞

爺湖畔の到着。ここのお目当ては2000年に噴火した有珠山の様子。

温泉街の背後の山はこの時を含めて何度も噴火している。おおむ

ね30年に一度は噴火している歴史があるという。まさに災害を背

負ったような温泉地だ。この火口跡の左2kmの地点はもう温泉

街の一部。

 

そして私とほぼ同じ年齢の昭和新山。北海道のどこにでもある広い

畑が昭和19年の夏にいきなり隆起し始める。この現象が1年ほど続

き、高さ400mほどの溶岩ドームが形成される。戦争末期の混沌

とした世相の中で地元の郵便局長であった三松正夫氏が新山の成長

を克明に記録し続けたことは有名。この山は氏のご子孫の方の個人

所有地となっているそうな。なぜか駐車場の一番隅っこにある三松

正夫記念館の展示内容は非常に中身の濃い内容。入館が閉館間際で

見学者は私一人、館長さんが丁寧に説明してくれた。聞けば故三松

氏の娘婿だそうだ。作家新田次郎氏を案内して新山に登ったことも

あるという。旅の幸運に感謝する。困難な状況下で愚直に観測を続

けた様子を書いた新田次郎著「昭和新山」をお薦めする。

 

(追記)

何というタイミングの良さなのか、昨日からBS8チャンネルでドラ

マ「北の国から」の再放送が始まった。毎日夕方5時から1時間強の

分割放映となりそう。ドラマの舞台を見てきた直後なのでこれは見

逃せない。フィクションが頭の中でノンフィクションに変化した。

 

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285-280720番外編北海道旅行その3(旭川→小樽→積丹)

2016年07月20日 | 旅行

 定番の風景だが小樽運河

 

今朝も天候に恵まれそう。旭川と小樽は200km離れている。

高速道路がなければ走るだけで1日が終わってしまう。余分なこと

考えずにとりあえずは小樽までまっしぐら。道内最初に完成した高

速道は行きかう車も少なく時速100kmでセットし予定通りの時

間で小樽に到着。再訪だ。前回は札幌雪祭り見学。早朝小樽で下船

したらなにやらあわただしい雰囲気。余市の先の豊浜トンネルで落

盤事故が起き車が数台閉じ込められている、との事。そんな緊迫し

た場面に遭遇したのが20年前のこと。

小樽観光定番のスポット。時間があるので町中をあちこち歩く。

明治から昭和初期の古い建物があちこちの保存、ないしは住いとし

て生きている。古い建物がきちんと保存されている点では日本一の

町かもしれない。

そしてこれも定番の寿司。観光地にしては良心的なお値段。

 

 

いい意味で期待を裏切った日本銀行小樽支店の建物と室内の金融博

物館。なかなか見応えがあった。ニシン漁やロシア貿易で賑わった

小樽の経済から最近の金融情勢まで上手にまとめて展示してある。

この街は後背地が山の斜面で町が広がる余地がない。それで道庁所

在地を札幌に持っていかれたが本来札幌よりも先に商業の中心地に

なった街だ。その証拠がこの日銀支店であり、国立小樽商科大学だ

ろう。

 

大金庫。鋳物ではないむくの鋼だ。係りの人に質問したら週に一回

は油を少し含んだ布できれいに拭くのだそうだ。まるでステンレス

のような輝きを維持している。この厚みが醸し出す重量感。

余市の先にあった福原漁場。いわゆるニシン漁の番屋だ。番屋はこ

こ以外にも各地に残っている。対象とした生産物の違いはあるが日

本版ゴールドラッシュの時代が大正から昭和30年代まであったのだ。

度胸のある者がニシン漁で富み、ニシンが消えるとともにさびれて

いった。つわものどもの夢の跡。

途中くだんの豊浜トンネル(落盤事故後に山寄りに新設され、事故

のあったトンネルは封鎖されている)を通過。この時点では翌日通

る予定だったので撮影せず。残念。

小樽で時間を取られてしまったので、積丹の宿に着いた頃は夕闇が

迫っていた。海岸間際の宿。津波に襲われれば丸ごと持っていかれ

るだろう。

風呂を浴びて部屋に戻り窓外を見ると、水平線に漁火が目立つよう

になる。宿の主人に確認するとやはりイカ釣り船の集魚灯とのこと。

その数が増す。

感度を上げて撮影してみた。

  

夕飯の献立はすごかった。写真は席に着いた時のもの、この後から

出るは出るは。山国育ちの山菜料理に慣れた胃袋はさぞかし驚いた

だろう。物には限度があるよね! 客の年齢を考えて欲しい・・・

板前の一人がネパールの若者だった。どうした縁でここに??

 

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284-280719番外編北海道旅行その2(千歳から旭川)

2016年07月19日 | 旅行

 富良野のお花畑。ここにも中国の観光団が大挙して

押し寄せ、にぎやかなことにぎやかなこと。

 

北の大地を踏みしめ、初日は千歳から夕張を通り富良野、美瑛を経

て旭川まで。高速道が開通したので時間はさほどかからない。昔は

1日で走り切るのは大変だったことだろう。 

夕張市は地方自治体として初めて財政破綻した。 街の中心まで行

ってみたが気の毒なほど寂れている。そんなマイナスイメージを公

開して欲しくないと思っておられるだろうと受け止め写真の公開は

止める。代わりに自然は豊かだ。市の南側を流れる川にある「千鳥

の滝」。地層が地表に露出しその上を水が流れ浸食する。滝が地層

の間を樋状に流れ下る。地質の専門家にとっては貴重な自然である

ようだ。

 

街道わきにメロンの即売場。地産の夕張メロンを半切れ食す。これ

はおいしい。一切れ400円だった。ここから高速道を走る。北海道

の脊梁山脈である日高山脈の奥深くに入っていく。片側1車線の簡易

高速道なので慎重に運転。占冠というところで一般道に出る。道の

駅のユリの花の赤色が鮮やか。昼間と夜間の温度差があるので何の花

も色彩が素晴らしい。

今度の旅行のお目当ての一つ、倉本聡氏の「北の国から」の舞台に

なった麓郷の森を訪ねる。主人公の五郎、純と蛍が私と子供の年代

と同じなので毎回の放映を楽しみにしていた。物語はあくまでフィ

クションであり俳優による演技なのだが、こうしてその舞台になっ

た特徴的な家を見て回ると、そのこと自体が歴史上の出来事になっ

てしまっている。その意味では安土城の遺構見学するのと同じ。倉

本氏そして現代の三谷幸喜氏両者、素晴らしい脚本家だ。

この家はあまり記憶がない。

 

 

やはりドラマではこの家が一番記憶にある。純のいたずらで焼失した

家の代わりに建てられたもの。ここに住んでいたころ五郎は猛吹雪の

戸外で雪に閉じ込められて死にそうな目にあったんだと記憶している。

 黒板五郎の席に座って

麓郷の森は南富良野から30分ほど東の山懐に入るので有名な富田ファ

ームはここからしばらく北上しなければならない。途中にこれぞ富良

野の農地という場所に出くわす。花も良いがこうしてトラクターでき

れいに耕作された雄大な畑を目の前に見るのは素晴らしい。

明治のころ、あたりは海岸から離れた内陸地であり原生林に覆われ、

ヒグマを生態系の頂点にした野生動物の天国だっただろう。開拓者

達は身の危険や厳しい寒気の中この地を長い年月をかけて開墾した。

森を剥ぎ取った大地は大きくうねり、冷涼な気候もあり日本特有の

農業はできなかった。気候の似通った欧米系の農法に従ったのは当

然のなりゆきだっただろう。細かく区画された内地の畑や田を見慣

れた目には実に新鮮に映る。

 

多くの観光客に愛でてもらうための裏方の作業。相手が自然だけにこう

した手入れが不可欠。

富良野といえばラベンダー、早咲きの種類が満開だった。遅咲きも

植えられたおり、8月までこの光景は楽しめるという。

旭川に向かう途中、夕刻の暗さの増した美瑛町の広大な畑。

美瑛町には「せるぶの丘」という町を代表するお花畑があった。

富良野、美瑛の二つの町。車で通過するいたるところに絵葉書の

ごとき風景が広がっていた。

まだ全行程の半分以下だが、森の木の多様性に目を見張る。内地

ならば森林の大半はスギやヒノキを主体とする人工林だ。ここに

はこれらの木々はほとんどない。そもそも人工林がないのではな

いかと思いながら車窓を過ぎていく森を眺める。

 

 

 

 

 

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283-280718番外編北海道旅行その1(新潟から苫小牧)

2016年07月18日 | 旅行

 津軽海峡を進む新日本フェリーのあざれや号。

 

念願の北海道旅行ができた。ありきたりの旅行だが時間に余裕がで

きる年代なのでのんびりと見て回った次第。何度かに分けますがお

付き合いいただけたら嬉しいです。

新潟発が23:30。 時間があるので新潟市の海岸で夕日を眺め

る。こんな時間的な余裕は今だからこそできる。日本海のかなたに

沈む夕日はいつも絵になる。一方拉致被害者が拉致にあったのもこ

の近くの海岸であることが頭をよぎり、無事の救出を夕日に祈る。

乗船するフェリーは2万トンの大型船。乗ったら最後目的地の苫小

牧まで20時間はどこにも行けない。簡単なショーがあったり、退

屈させない工夫があちこちにある。豪華客船のクルーズなぞ望むべ

くもないが、なんとなく雰囲気はわかる。

続々と車が収容される。これだけの車を収容するには時間がかかる

のも納得。乗船し始めてから1時間ほどかかった。

船内はネット接続はできない。たまにはスマホから解放されるも良

いものだ。事前にダウンロードしておいた地図にGPSの現在地を表

示させると今どこを通過しているのかが良くわかる。

江戸時代の北前船が行き交った航路を着実にたどる。陸地から20

kmほどの距離を保って北上する。司馬遼太郎著「菜の花の沖」の

舞台に今立っている。

やがて津軽海峡の西の入り口に向かっておもかじ一杯。2万トンの

巨体は進路変更に時間がかかる。

左が北海道白神岬、右が本州最北端竜飛岬。時にはロシアの軍艦や

アメリカの原子力潜水艦も通過するという国際海峡だ。あるいはと

思ったが物騒な船には遭遇しなかった。

たぶん竜飛岬と思うが、撮影時の位置関係を失念してしまった。

津軽海峡を進んでいく。思ったほどの船同士にすれ違いはない。

 

子供にかえったように過ぎていく景色を見るために甲板に出てみる

が誰もいない。滅多にない経験なので頭に焼き付けるべく船内をあ

ちこち移動しては写真を撮る。あのおじさんまた来たよ、といわれ

たかもしれない。そう若いころから電車の先頭で進行方向を眺める

のが好きな人間だった。東京から名古屋まで準急「東海」で5時間

運転手気分を味わったのは東京オリンピックに2年前だった。

海峡は東西130kmほどあるようだ。20ノット(ほぼ時速40

km)の船足でも3時間かかる計算だ。

海峡の出口が近づく。はるかに恵山岬が見えてきた。恵山の姿がし

だいに大きくなる。

荒れるイメージが強い津軽海峡だが今日は終始穏やか。まもなく太平洋

に出る。心なしか海の色が変化したようだ。

海峡を抜けた。あとは苫小牧東港に向けて北上するのみ。

普段利用する皆さんにとってはどうということもないのだと思うが、

こんな船旅ははじめて、北海道も数えるほどしか来たことがない身

にとっては興奮する。ましてあの津軽海峡だ。通過に要した3時間

を右に左に、船首や船尾に移動して航海を楽しんだ。

有名な大間のマグロが採れるのもこの海峡だ。

 

 

 

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282-280716旅行中で簡単メッセージのみ

2016年07月16日 | もろもろ

北海道は支笏湖畔の丸駒温泉にきて

います。素晴らしい露天風呂に堪能しています。

スマートフォンでの記事作成はこのくらいしかできません。旅行記は来週にします。

28.7.16    支笏湖畔丸駒温泉にて

 

 

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281-280709時には過去のブログを見たりして・・・(082-241006大関と横綱)

2016年07月09日 | 街歩き

 Pa0132741 台風17号は重苦しい雲を残して東に去った。

本年はようやく台風1号が発生した。猛烈な台風に成長し台湾を狙う。

 

P9243255  VS  P9243252                                        

   正横綱 Y電機の本丸                                    大関 Bカメラの出城 

 

10年の歳月を経て正横綱として押しも押されもしないY電機本丸。 

かたや大関のBカメラの出城。西の横綱を目指して奮闘中。

家電製品の価格を指導するのは、メーカーではなく両巨頭をはじめ

とする家電量販店に完全に移行した。 その横綱、大関がせめぎあ

っている。 創業者は前橋出身のY氏と高崎出身のA氏。

Y氏は本丸を前橋から高崎に移した。 A氏はそれを東京に置き、出

身地高崎に君臨するY本丸から150mのところに小規模ながら出

城を構え続け、出身地の意地を見せる。 この店舗の意義は横綱の

横腹に突き立てた矢かナイフであろうか。

そんな心意気が気に入っている。 少ない売り場面積を有効に利用

し、量的には負けるが、種類は豊富。 そのアキハバラ的な陳列が

好きでこちらを利用する。

A氏が通町に小さな店舗を構えていたのは35年ほど前になるか。 

業界の一方の雄にまで発展するとは思わなかった。 Y氏の店もそ

の頃は前橋の普通の電気店だったと聞く。近江商人は商売上手とい

われているが、伊勢崎出身のBシアのT氏を含め、上州商人もアッパ

レなものである。

流通業界に革命を起こしたダイエーはその巨大さがもたらす重みに

耐えらず、昔日の栄光と過去形で語られることが多くなった。 

両巨頭もその轍を踏まずに発展し続けることは果たして可能か? 

 

以上は平成24年10月に公開したY電機とBカメラの戦いの象徴的

な店舗を紹介した記事です。この間に東芝とシャープの凋落が家電

業界に大きな変革をもたらた。特にタブレット端末やスマートフォ

ンの普及に伴い家庭用パソコンの需要は伸び悩んでいる。中国、台

湾そして韓国勢はいつの間にやら日本に並びそして追い越していっ

た。この分野では追いつくことが不可能な状況に変化した。東芝は

巨額の損失を埋めるために優良子会社の売却や減資を行い、シャー

プは台湾企業の軍門に降った。このほかにもミノルタカメラはソニ

吸収された。日立はパソコン事業から撤退。三洋電機は消滅。産業

用半導体分野でも統合化が加速等々。さらに5年後は業界地図はど

のように変化しているだろうか・・・

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280-280702二者択一の選挙の怖さ

2016年07月02日 | もろもろ

 参道

 

先日英国で行われた国民投票でEU離脱派が勝利し、英国はEUから

一歩離れることになった。専門的な論評をするほどの知識はないが

一つだけ深く感じた。白か黒か、右か左か、あるいは賛成か反対か

等二者択一を迫る投票は怖いものだと思う。離脱に投票した英国民

のかなりの人々がこんなはずではなかったとその結果に驚きもう一

度投票のやり直しを希望しているという。成熟した政治が行われて

いると多くの日本人が受け止める英国にしてこうした現象が起きる

ことに大変驚いた。日本でも小選挙区制になってからその時の風向

き次第で選挙結果に大きな変動があることが何度かの選挙で証明さ

れている。

 

 

さて、連日の雨で行くところもなく退屈していた。車の調子を見な

がら碓氷峠の旧道を走ってみた。孫が生まれたころみんなで廃線に

なった碓氷トンネルを見に行ったのが10年前か、当時は横川駅か

らめがね橋までが遊歩道として整備されていたが、さらに旧熊ノ平

駅まで延長されていた。

連日の雨でたっぷりと水を含んだ山の斜面とレンガの橋の対比が見

事。建設当初は自然の中に分け入った異物という感じだったと思う

が120年の歳月は逆に異物を自然が吸収しつつある。

トンネル内から冷気が漏れ出している。横川軽井沢間で26のトン

ネルがあった。将来この区間がすべて遊歩道になったら素晴らしい。

度々列車で通過した際の記憶がよみがえる。トンネルの壁面を這う

電線が列車の進行に伴って波のように揺れて遠ざかっていく。

60年後私はそこを歩いている。

120年の歴史を支えたレンガ

同じく。何をとめていたボルトだろうか? 

 

旧熊ノ平駅構内はまだレールが撤去されずに残されていた。通電し

てはいないと思うが架線が往時を思い出させてくれる。

  暗闇から現れる先頭機関車の前照灯

  闇に吸い込まれていく最後部車両の尾灯

脳裏に鮮明によみがえる。当時の機関車の一両でもトンネル内に保

存し、前照灯だけでも灯していたら、雰囲気はいやがうえにも盛り

上がりそうだ。

廃墟と化した変電所。

経済合理性に逆らってでも残せと主張するつもりはないが、消えゆく

ものに対する郷愁は誰にでもある。世界遺産ばやりの昨今、この鉄道

遺産は後世に残すだけの価値は十分にある。ちょんまげから僅か四半

世紀しか経っていない明治26年に完成したと説明版に記載してある。

この時代すでに日本人の持っていた技術力の高さに目を見張る。

 

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