toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

044-240129デイサービス慰問の高校生ブラスバンド

2012年01月29日 | 介護・医療・健康

デイサービスにはいろいろなボランティアの皆さんがきていただき、利用者さんを楽しませくれます。 大体は比較的年齢の高い方々がグループでお出でになる。

先日、フレッシュな若人がきてくれました。 前橋東高等学校の吹奏楽部30名近くの学生さんです。 利用者の皆さんから見れば孫の世代。

若い経験の浅い高校生の皆さんですから演奏技術に未熟なところはあるのでしょうが、そんなことはどうでもいいこと。 生演奏に皆さん酔いしれました。 フルートの冴えた音、クラリネットの柔らかな音、チューバの低音迫力のある音、コントラバスのしぶい低音ベース、などなど生ならでは聴けない音の祭典でした。

 

今日の演奏曲目と勢ぞろいした吹奏楽部員のみなさん

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コントラバスを奏でるお嬢さん                 トロンボーンにクラリネット

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手の不自由な方は足で、手足不自由な方は身体全体で、殆ど身体を動かすことの出来ない方は多分心の中で、音楽に合わせて拍子をとっておられました。

音楽はいつでも、どんな環境下にあっても心の琴線を刺激する。 健康な私も高校生の真剣な演奏と拍子をとる利用者さんを見ていて涙がにじんでしまう。

早くて5年、遅くて10年から15年後には我々もお世話になる施設の一つです。 そのころボランティアの方々の奏でる音楽は少なくともビ-トルズやタイガーズ以降の音楽であって欲しいな・・・ 好みでいえば 小椋佳、谷村新司、五輪まゆみ、加藤登紀子、森山良子世代の歌なんかだったら最高。  いかがなもんでしょうか?

その頃には赤城の子守唄、霧島昇はもういいのでは・・・ そんな思いがあるのです。

今回の演奏会はそういう意味でも画期的でした。 高校生の皆さん、ありがとう。

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043-240122家庭菜園

2012年01月22日 | もろもろ

我が家の家庭菜園(?)です。 自家用野菜を作ることに価値は感じますが、自分ではどうも・・・

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でも我が家の菜園には見事なネギが出番を待っています。 奥のポットは野菜ごみを堆肥にするための容器で今半分ほどの堆肥原料が詰まっている。この冬を越して気温が上がってくると熟成が進み上質の堆肥ができあがる予定。 野菜くずを堆肥にまわしたら家庭ごみが半分に減った。 ビショビショの野菜くずを燃やすエネルギーは大変なものでしょう。焼却場の負担を多少減らすことに貢献していると自己満足・・・

11月に下まで掘ってみたらたくさんのミミズが生息しているのが確認できた。寒いので今は冬眠しているでしょう。

素人にこんな立派のネギが作れるはずがない。 親戚のプロが作ったのをいただき、新鮮さを失わないように土中に埋めた。 食べるとき畑から新鮮なのを食べる量だけ引き抜いてくることは同じ。 これまた自己満足・・・

連れ合いはネギが大嫌い。 私は大好き。 下仁田ネギを5cmほどの長さにぶつ切りし、オーブンで少し焦げ目をつけ、マヨネーズか、わさびしょうゆをかけると絶好の酒のつまみ。熱することでネギ特有の臭みが薄れ、太いネギの中はまろやかな甘みで一杯。 

ネギを目の敵にしている連れ合いには頼めないのでこれは私の男料理。

 

 

 

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042-240118年齢制限

2012年01月18日 | 介護・医療・健康

順調に年を重ねていってもどうにもならないものがあります。 いわゆる年齢制限という関所。今までのところ健康に恵まれており、まだ血の気が多いと思っているのですが年齢制限が3日後に来て、献血は受け付けてもらえない。 一昨日53回目の最後のご奉公をしてきました。

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昨日は天気が良かったので、仲間を誘って片品高原スキー場で遊んでくる。これは年齢制限がなく、その気力、体力が許せばまだまだできる。(シルバー割引という特典もあり、悪い気はしない)

平日のスキー場はこんな感じ。 スノーボードは禁止なのでのびのびと滑れる。 一緒に楽しんだYW氏。(本当は私の姿を載せないといけないのですが、撮ってもらうのを忘れてしまった。YWさんと特定できないからいいですよね) 平日はシニアが半分ほど。80歳近いと思われる人も楽しんでいた。 

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日光白根山が目前に聳え言うことなしのコンディションでした。 これから滑らんとする私の影。 

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怪我のために2年間ブランクがあり、どうなるかと思ったが何とか様になりました。 医師から「転倒して首にダメージを与えると責任持てないよ」といわれています。 慎重に、慎重に。

 

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041-240115朝の散歩Ⅰ

2012年01月15日 | 街歩き

サイクリングにはまる以前に冬の間だけ休日にやっていた観音山への徒歩によるお参りを10年ぶりに再開する。 早く寝て睡眠充分で5時に目が醒めたので、零下3度の寒気をついて暗いうちに家を出る。高崎駅東口はまだ夜の闇から開放される前、人は動き出したがまだちらほら。 ヤマダ電機さんもまだ眠っている。

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新旧の連絡路。 旧は人影もなし。 新は皆さんどこへ行かれるのか、そこそこに人は動いている。 この時間に駅に来るには皆さん4時起きしたのでしょう。

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そして西口に出る。 2台のトラックが今日の仕事を始めている。 1台は前夜の宴の跡を片付けるゴミ収集車、そして1台は我社もお世話になっている栄久さんのリネン配達車。 まだ6時には間がある。 こんな早朝からと頭が下がる。 もっとも我社でも一晩中起きていてお年寄りの面倒を見ている職員もいるし、患者さんの送迎は5時から始まっている。 日曜日は殆どの人がぬくぬくとした布団の中で夢をむさぼっているというのに。 皆さん今日1日よろしくお願いします。

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烏川に出る。聖石橋はさすがに車の通りは少ない。

東の空を見ると天頂から黒、濃紺、紺、オレンジまた闇と続く黎明が始まっている。 「朝のこない夜はない」 「夜明け前の闇が一番暗い」 「つらいばかりが人生ではない」 オレンジと闇のコントラストは希望の象徴。 一日の晴天が約束された。

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何故かここでブログの枠が一杯になり写真が挿入できません。 続きはⅡをみてください。

 

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040-240115朝の散歩Ⅱ

2012年01月15日 | 街歩き

この黎明を見たら是非とも日の出を撮影しなければと観音山への道をピッチをあげて歩く。   512段の石段を一気に登り、清水寺の前を左に折れて展望台に急ぐ。 日の出に間に合った。 東の地平線際の空はオレンジ色が強まり、一部が金色に輝いてきた。 遠く地平線に筑波山のピラミダルな山容がはっきりと認められる。 元旦は賑わったろうが、今朝は我一人でこの神々しい光景を独占する。

寒さで手先が痛い。階段を急いで登ったので、背中にうっすらと汗をかき、それが冷えてゾクゾクする。 我慢、我慢。  6時50分日の出だ。 うまく撮れるといいのだが。

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日本人の習性が私にもあるのだろう、上り始めた太陽にむかって自然に手を合わす。 今年いい年でありますように・・・

上り始めた太陽はあっという間に地平線を離れていく。 日の出まではいらいらするほど時間がかかったのに。 清水寺に戻り50円のお線香を大枚100円を賽銭箱に入れて火をつける。  この寺の総本山は昨年奈良旅行の途中に寄った長谷寺だ。(真言宗豊山派) お線香立ての鉢の脇に昔風のマッチ箱が置いてあった。

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さて戻ろう。 いつも感じていることだがこの石段を上から眺めるとラージヒルのジャンプ台をイメージしてしまう。 雪と石段の違いはあるがこんな感じの斜面を鳥人たちは滑り降りていくのだろう。

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観音山の北斜面はモダンな家が随分と増えた。 お世話になった 故O江C廣医師 の邸宅の前を偶然に通る。 毎朝日の出を拝み、夏の花火大会は絶好の観覧席になるだろうなと思いながらいささか疲れを感じ始めた足を前に踏み出す。

 

公園の噴水が凍り付いているのを眺め、市役所前を通って、愛らしい【将軍の孫】の像を見、駅前の老舗旅館「豊田屋」前では放浪記のでんぐりかえしの森光子がはたらいていたことを思い出しながら2時間の朝の散歩は終了した。

履いている長靴からみて、明治か大正のXX陸軍大将のお孫さんがモデルでしょう。

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039-240113今日は寒さの底か?

2012年01月13日 | もろもろ

結構厳しい寒さが続きます。 今朝我が家の庭の温度計は午前6時現在マイナス5度を指していました。出て見ると案の定つくばいの氷はこの冬最大の太さに成長していました。 雨が降らないので庭の水分も蒸発してカラカラ、霜柱も立ちません。 車の窓ガラスの氷を溶かすのが大変だと早めに家を出たが、乾燥しきっているためか氷の変わりになけなしの大気中の水分が結晶して張り付いている。

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冬はあくまで冬らしく、夏は猛暑であることが日本経済のためになるのでしょう。 それを前提でご商売される方がたくさんいるわけですから。 本当に寒いと却って風邪をひかぬもの。 暖かくなった頃が風邪がはやります。皆さんご自愛を。

 

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038-240108日高遺跡

2012年01月08日 | 名所旧跡

職員の駐車場を増設するために、水田を農地転用して造成工事が始まっています。                  

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この場所は静岡の登呂遺跡を凌ぐともいわれる国指定の日高遺跡と隣り合っている。 したがって地中には古代の水田の跡地が埋もれているとみて間違いない。

上の右の写真(1.5mの深さ)の中央に色の異なった地層がはっきりと顔を出している。 この層は榛名山の西暦500年頃の火山噴火による火山灰の厚さ15cmほどの堆積層で、この下に当時の水田跡が埋まっているはず。今回の造成はこの層の上までなので埋蔵文化財保護法による発掘調査の対象ではありません。 

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今は茫々たる冬枯れの草むら。 春になると一面の菜の花畑。遠景は雪雲のかかる赤城山(同じ名前の群馬の地酒は辛口で私のひいきの日本酒)

関越道が上越線と交差する場所は遺跡があることが確認されており、野球場2面ほどをわざわざ高架にすることによって保護されている。

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古代以来1500回の稲の田植え、収穫を繰り返したことにより出来上がった土壌が火山灰の堆積層の上に1.5m形成されたわけです。1年に1mmの繰り返しを1500年続ける。     尾瀬ヶ原の泥炭層の形成にかかった時間は10万年とも20万年ともいわれる。 一度破壊された自然が元に戻るには気の遠くなる時間が必要とされることに納得がいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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037-240101復興へまっしぐら

2012年01月01日 | もろもろ

大変な苦難に満ちた23年が過去となり、24年が始まりました。 人の記憶は薄れていくものですが、平成の大震災の事実と被害また始まった復興の過程は風化させることなく記憶し続けなければならないでしょう。 いっぽう新しい年への抱負を誰もが新たにされたことと思います。

職場のすぐ横を上越線が走っており、土曜、日曜それに祭日はSLが運行されこれはこれで迫力ある勇姿を目の当たりにすることもしばしばです。 職場の2階はお年寄りの居住スペース(ショートステイ)になっており、何人かの方はほぼ定刻に通過するSLを見ようとロビーに集まります。

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集まっていることを、機関士も承知していているようで、通過の際に懐かしき汽笛を鳴らしてくれます。 元気でな! 長生きしなよ! と激励の意味を込めて。

 

私はJR貨物の新潟発東京行きの特急貨物列車の13時10分の通過が楽しみです。 JR貨物最強の「EH200型」電気機関車「ブルーサンダー」が満載の貨車を40両も引いて特急並みのスピードで駆け抜けていく姿に震災後の日本の復興に向けての物の流れが激しくなっていることを実感し、またその勇姿に元気づけられます。

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今の貨物列車ははコンテナーと石油を運ぶタンク車が主流。 昔のように様々な形の貨物車が混在して長い列をなす風景はなくなってしまいました。これからの季節雪まみれになった貨物特急の通過も感動的なシーンです。

この脈絡のないブログを見ていただき感謝いたします。 続けられるところまで頑張ってみようと思っています。 更新しなければとの思いが脳に刺激を与え、老化現象を多少でも防いでくれるかなとの気持ちがありますので。

本年のみなさまのご多幸をお祈りいたします。

平成24年 元旦     egiko-ike

 

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