toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

673-060629いたづらにもほどがある

2024年06月29日 | 最近さわがれること

                     雨上がりの榛名山遠望

 

新しいカメラが手元に届いたので、ちょっと出かけては撮影している。先日あった市民展で市立美術館賞なる名

誉を手にした手前、あれはビギナーズラックだったと言われないように来年の展示に向けて設定をいろいろ変え

ながら習作を重ねている。フィルムカメラの時代には考えられなかった手軽さだ。あの時代のカメラマンは凄か

ったと思う。シャッターを押すことの重みは大変なものだったはずだ。その時代に写真に興味を持たなくて幸い

だった? 現像やプリントのコストをかけないで、撮った写真を選別し駄作はどんどん消していく。いい時代に

間に合ったものだ。

 

小学校から高校まで机を共にした学友がいる。彼は東大理学部を卒業し大手のフィルム製造会社に就職した。日

本におけるこの分野の第一人者だったようだ。その彼が俺らの時代は過ぎていったと嘆息していたのが印象的。

 

都知事選挙が大詰めを迎えている。実質的には現職を中心とした4候補の争いの様相。選挙管理委員会が設置し

た候補者掲示板が悪用されている。都全体で何カ所あるのか知る由もないが、悪用されたのは都心の一部のよう

だ。それにしてもとんでもない事してくれた。法律の盲点を突いたいたずらだ。どこまで法で縛っても完璧なも

のはありえない。そうであっても今までこんな悪質ないたずらはなかった。常識とか良識と言われる法以前の存

在が機能していた。

 

情けない時代になったものだ。この選挙の供託金は300万円だと知った。高額して防止する方法もあるが、

それも限度がある。意識の高い者の立候補を阻害しかねない。困ったものだ。

 

 

 

 

 

 

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672-060623千年前の用水路の堀跡

2024年06月23日 | 花・樹木

       赤堀の菖蒲園の北端、ここから南に数百mの堀跡に花が咲く。

 

赤城山の南の山麓、といっても山が迫っているわけでもない。日本一とも言われている広大なスロープが関東平

野に飲み込まれる辺りに1000年も昔に掘られた女堀といわれる用水路跡が当時の面影を宿してほんの一部残

っている。その時代には利根川の本流だった今は広瀬川と呼ばれる川から水を引こうと掘られたもの。発掘調査

によると全長10kmにも及ぶ手堀の水路はいくつかの谷をうまく交わしながら伸びていたようだ。しかし予定

通りに水は流れなかったらしい。少々の水では砂礫質の土壌に吸い込まれてしまい水路としては役に立たなかっ

た。そして千年の歴史の中に埋もれてしまった。

 

その場所は伊勢崎市北部の平成の大合併以前は赤堀町と言われた地区にある。そこに赤堀の菖蒲園として有名な

ショウブの群落が大切に管理されている。盛期は過ぎていたが毎年の恒例なので見に出かけた。半分の花はしお

れていたが、それなりに楽しめた。周辺は工場やら倉庫が立ち並び、その風景からは想像できないが、菖蒲園の

中に入ると。昔人が手掘りで掘った土が両側の土塁として残り、樹々が成長してショウブには最適な環境が残さ

れている。

赤城山南面には何本かの小河川があるが、大雨でも降らない限り普段は少量の水しか流れていない。ここから田

を潤すほどの水は得られまい。田畑を維持するには利根川からの取水に頼るしかない。現代はずっと上流の渋川

付近から取水した群馬用水が赤城と榛名両山麓の田畑の灌漑に使用されている。利根川なしでは関東平野の生活

は維持できないのは昔も今も変わらない。

 

今回の2枚は新しく手にしたカメラで撮った写真です。ところが思わぬところで手間取ってしまった。

一回のお出かけでは精々数十枚撮影するだけだから最高の画素数でよかろうと設定をして撮影開始した。いつも

通りの手順で載せる写真をアップロードしようとしたら拒否されてしまった。設定どおりすると一枚で700万

バイト程となる。今までは200万バイトほどだった。Gooブログでサイズオーバーで拒否されてしまったのだ。

サイズを落としてアップロードOKとなった。

 

4Kだ8Kだと言って高画質画面のテレビが競っている。我が家のテレビはまだ4Kではない。老化による視力の

低下があるので画質はこれで充分と思っている。うかつに4Kにするとビデオの記録容量が1/4になっ

てしまうことになる。改めて高画質という魅力的な言葉の真実を思い知らされた。

 

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671-060615木々が持つそれぞれの成長の限界

2024年06月16日 | 花・樹木

            

      

         この広場の独立樹は私の母校の小学校に自生して200年は経とう思われるエノキ

   の大木。

 

学校名は市立高崎北小学校。創立は明治中期の日露戦争の頃と80年史にあり、その後40

年が経過しているので現在120年の歴史を持つ。

もっとも有名な卒業生は故中曽根康弘元内閣総理大臣。私の入学当時は初の総選挙に臨み、

白く塗った自転車にまたがり選動を行った。入学間もない私にも周辺の大人たちとは明らか

に違う堂々たる体躯の熱血溢れる紅顔の美青年との印象が強い。同じ町内の生まれの方なの

で今でも懐かしい。その後のご活躍は皆さまご承知の通り。

その小学校の記念樹ともいうべきエノキの大木は、開校前からこの地に自生し、自由に地下

に根を張り、2年前までは横に大きく枝を拡げて繁茂していた。その年の台風の強風で向か

って右側に大きく張り出した太い枝が折れてしまった。運動場のほぼ真ん中なのにその時幸

いにも生徒のいない時間帯(たぶん夜間)だったので負傷者はいなかった。

左右不均衡になってしまった大木はその年の晩秋、すっかり葉を落とした反対側の枝も切り

落とし、縦長のスリムな樹形に変わった。

学校の若い女性教諭が様子を見に来た私にあのまま枯れてしまうのでしょうか? と問いか

けてきた。盆栽の世界では整枝して樹形を整えるのは必須の技。大丈夫ですよ、来春になれ

ば残った枝から新芽が出てやがて成長の旺盛なのが枝になり数年で整った樹形になりますよ

と答えた。

 

あれから2シーズン目、盆栽愛好家には大変好ましい、締まった樹形になりつつある。エノ

キの大木といっても高差は10メートルが限界のようだ。成長は横にならざるを得ない。今

回の整枝はきれいな樹形を保つためには、事件がなくともしなければならなかったと思う。

 

   

 

使い慣れたオリンパスカメラが去年の暮れから動作不安定だったが遂に動作しなくなった。修

理不能の時代物、取り扱いが楽だったので動くなら終生使用するつもりだった。この一週間代

わりに買いもとめたパナソニックLumixのミラーレスカメラの取り扱い書と奮闘していた。わた

しには初めての交換レンズ仕様のカメラだ。愛好者には常識である用語が私には難解のものが

多く、メーカーの違いもあり苦戦した。

結局カメラオタクではないので有り余る機能の中からできるだけ絞ったものだけ理解しようと

努めた。というよりそうしないと頭が混乱するだけということ。

とても使いこなすまではいかないようだが人生最後のカメラだ、更なる理解に努めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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670-060608亡き輪友を偲んで集まる

2024年06月07日 | 車・自転車・機械

            その会の帰りに珍しい花びらと私は思ったアジサイ。

 

我が家の庭もアジサイの花が咲き誇っている。関東ローム層が平野の大半を覆う関東平野の一角に位置する我

が街は酸性土壌のせいかアジサイは青色の花が圧倒的に多い。赤い花であることと花びら(正確には花ではな

いという)が珍しい形をしているので一枚パチリ。

 

65歳ころから同世代の自転車好きが自然発生的に集まりサイクリングを楽しんでいた。故人を含めて6人が

真夏と厳冬期を除いて毎週水曜日の朝和田橋のたもとに集まり、秋間梅林往復のコース(往復でほぼマラソン

の距離)を走ることを長い事習慣にしてきた。同じ仲間と同じコースを飽きもせず走っていると、自分の体調

の良し悪しを判断するいい目安になっていた。

 

呼びかけ人だったS氏が10年ほど前に病で倒れ他界されたがその後は安定した状態が続いていた。残念なが

ら先月一番若手(といっても80歳だが)で脚力でも他を圧倒していたK氏が病を得て急逝してしまった。

自転車の他にも絵を描いたり、古文書を解読したりと多彩な才能に恵まれた人だった。あまりに急なことでロ

ス感は辛かった。残りのメンバーは年齢は80なかばを越えたSR氏を筆頭に全員が82歳を超えた。今後この

定例水曜走行会をどうするかをK氏を偲びながら集まる。

 

残った4人、一般的にはこの年代にしては元気だが、それでも皆持病を抱えている。幸い脚力は残っているが、

腰痛は多かれ少なかれ皆が持つ。その他平衡感覚が少し怪しくなっていたり、視力の低下を嘆いている。

家族に心配をかけないようにするには、今までの筋力の蓄積を少しずつ食い延ばしながら安全に過ごすのが大

切であり、ここらで終了するのが妥当だろうと皆が思っていたようだ。各自が筋力を維持する程度の練習をし、

秋の彼岸の頃、最後の秋間ランを行って有終の美としようとの結論になる。

 

人生の晩年に得た仲間が減っていくのは辛いが仕方のない事。こんな仲間と過ごすことができている老後の生

活に幸せをしみじみ感じている。

 

 

 

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669-060601自然相手は思うようにはいかない

2024年06月01日 | 花・樹木

コロナ禍で他県への外出が制限されていたりして、4年ほど前のあの見事な天空のポピーを見に行って

なかった。初めての時が近年まれに咲いた見事な花園に魅了されていただけに、本年に期待して現地

へ向かった。

秩父山塊が関東平野と接する辺りの標高600mほどのちょっとした連山の一部が秩父高原牧場とし

て開けている。恐らく牧場の跡地利用だと思うが、ここから奥秩父や武蔵丘陵の眺めが素晴らしい。

 

この辺りの山、谷、渓谷更にそれに沿って走る道路が非常に似ているので、地図には詳しい私でも今

どこを走っいるのか分からなくなる。カーナビを頼りのドライブだった。現地に到着する。

アレレ! 一部咲いてはいるが前回圧倒された部分は花がないぞ? その貧弱な一群をカメラの角度

と視野を工夫したのが冒頭の一枚。これだけ見れば様になっている。

 

更に花をアップにして谷を挟んだ向こうの集落を背景に撮ったごまかしの一枚。

 

圧巻だった高みから見下ろしたポピーの花園はどこにいったのか? 広大な敷地の1割にも満たない

部分に寂しく一群の花が辛うじて咲いている。本来なら左右の遊歩道に囲まれた一帯は咲き誇るポピ

ーで赤く染め上げらているはず。

 

係の方に聞いてみた。ポピーは秋に耕し肥料を施し、花後に採取した種を蒔くのだそうだ。春先まで

は順調だっが3月に異変が起こった。彼は低温だったのが原因というが、3月の気温そんなに低かっ

た? 更に鹿の食害がひどいのだそうだ。電気柵で囲まれてはいるが、どこからか侵入してくるらし

い。そういえば霧ケ峰名物のニッコウキスゲも往年の見事さには程遠い。これも鹿の食害のせい。

 

今年は本県でも熊の出没がしきりに報道される北海道や東北地方では人間の被害報道が繰り返えさ

れる。野生動物が我がもの顔で人里に近づいてくる。彼らにすれば天敵は人以外にいない。私も山

中で猪に遭遇したこともある。人との穏やかな共生が出来なくなっている。環境省主管の野生動物

保護の政策も考え方を変えねばならない時代なのか?

 

気を取り直そう。

この先1年元気で暮らせれば、来年のこの時期に再訪の機会はある。そうであることを期待して帰

途につく。

 

 

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