思い立って安中市の松井田城址を散策する。南北朝時代からの歴史が残っている古城と言わ
れている。
上州の地侍安中氏が室町幕府末期の100年ほど支配する。永禄年間、関東に勢力を拡げて
きた武田軍支配の城となる。武田の関東支配の拠点の城として機能したが長くは続かず勝頼
自刃後進駐してきた織田軍麾下の滝川一益の支配下となる。しかしその期間も短く本能寺の
変の際、滝川軍と後北条軍との攻防で滝川軍は西に去り、後北条軍麾下の大道寺政繁が入城
することになる。
城作りに長けた北条氏はこの山城を大規模に改修し、北条氏の城らしい鉄壁の構えにした。
現在に残る城址はこの時作られてものとある。
この堅城もまもなく天下統一を目指す秀吉軍による小田原城攻め際、碓氷峠を越えてきた前
田利家軍を中心とした軍勢との決戦で落城した。
冒頭の写真は二の丸跡に建てられてこの大道寺政繁の記念碑。
広大な(南北2km、東西1.5km)の城域に散在する本丸や二の丸そして尾根道を通
してつながる曲輪などは最低限の整備され、それらを結ぶ道はこの時期歩行に差し支えな
い程度には整備されている。
安中二の丸と説明板がある台地。左は急傾斜の空堀。
本丸跡にあった城址内唯一の建物の虚空蔵堂と籠城には欠かせない水の手。
落城後の400年間、そのまま放置されて城跡は最低限に整備はされ、山歩きの服装や足
ごしらえで見た回れるが、散策のレベルは超えている。歩けるのは5月一杯だろう。夏と
もなれば、繁茂する雑草に阻まれて歩行に難儀すること間違いない。
後北条氏の手になる山城のいくつかは知っているが、いずれも天然の地形を巧みに利用し
たなるほどを頷きたくなるものが多い。それらの中でもその遺構がほぼ廃城されたまま残
っている点では貴重なものではないかと思われる。
全国を回るほどの年季の入った城マニアには程遠い、この近辺を見て回る程度の城好き
だが、全国にはもっと大規模な山城はいくつもあるのだろうな・・