toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

574-030911暫くお休みします

2021年09月11日 | お知らせ

お陰様で健康体は維持していますが、ブログの更新をしばらくお休みします。

このまま永久停止の可能性もありますが、暫くブログから離れてみたいと思います。

最近しばしば、投稿が何か義務でもあるように感じることがあり、数年前のように書きたい事

が次々に浮かんでくるから投稿するということが無くなってしまいました。したがってお粗末

な内容であることは自分でも感じています。その一因が加齢にもあることは否定出来ません。

幸いにも再開できたら、ブログの題名は変えないつもりです。

 

 

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573-030904懐かしの上野駅

2021年09月04日 | もろもろ

             昨年9月末、沼田公園にて

突然の菅総裁の立候補せずの臨時ニュースには驚いた。事情が変わったと総裁選に立候補する方々が

乱立する様相を呈してきた。なんか後出しじゃんけんのようで違和感あり。党員でも党友でもない典

型的な無党派の爺だが、ここは政策発表もやって立候補宣言をしていた岸田氏を応援したい。

 

調べたいことがあって、google mapで上野不忍池周辺の様子を見ていた。

大学進学を目指してそれなりの受験勉強も経験して、東京の公立大学を目指した。私の受験番号が載

っていない掲示板を見て傷心の気持ちを抱いて上野駅から電車に乗った。その時車窓のある風景が目

に入り進路が大きく変わり、就職してしまった。同期が卒業するころ思う所あり、中央大学のある学

部に入った。当時学生運動がピークを迎えていたころで、お茶の水キャンパスは荒れていた。

ある資格を目指しての大学入学だったので、授業ができない学校に席を置いても意味がないと思い、

学校に通わず、家に籠って懸命に勉強した。22歳ころのこと。大学は授業料未納で除籍処分になっ

たろう。その後いくつかの職業に就く。いろいろな事に直面しながらも結構しぶとく耐え抜き、年老

いて今がある。普通の老後が過ごせていることに感謝。高度成長期と重なったことが乗り越えられた

理由かもしれない。

 

そしてgoogle mapに戻る。上野駅は私にとっても東京へに玄関だったところだ。今どうなっている

のだろうとstreet view で歩いてみた。戦後の荒廃した構内の記憶もあるので非常に懐かしかった。

きれいになり、現代風にお化粧されているが建物の構造は当時のままのようだ。いくつかの視点の写

真を抜粋してみました。

東北、上越、信越や常磐線の終着駅。ここは何番線だろうか?

 

青森から続く鉄路はここで終わる。

 

改札口を出た広場から振り返ると半世紀前もあった懐かしい大きな絵。昔は区切られていなかった

ので、屋根幅いっぱいの広大な空間が拡がっていた。

 

奥は山手線乗り場に続く階段。

 

奥を右に折れ階段を降ると地下鉄銀座線に至る。この地下街は食堂や土産物屋がひしめき、昭和

の雰囲気が満ち溢れていた。戦後数年は親を亡くした浮浪児の寝床にもなったという。その光景

を一度見た記憶がある。多くは私より5年から10年年上だったろうあの子達はその後どんな人

生を送ったのだろうか?

 

 

 

 

 

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