toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

534-021128下仁田町の小沢岳に登る

2020年11月27日 | 山登りというより山歩き

5月に登った安中市と富岡市の境にある崇台山からの眺め。重なり合う山並みの中でひときわ目を引く山容が今回登った

小沢岳。下仁田町を抜け、南牧川を渡り青倉の石灰採掘会社の脇を抜け、奥に進むと少しで登山口に到着する。

その途中で見上げる頂が小沢岳。どこから見ても目立つ山の姿。

先に2台の車が駐車していて、登山者はすでに出発していた。迷いようもない道を進んでいくが、去年の台風

の影響か道は溢れ出た水で浸食されてかなり荒れていた。

こんな個所は序の口で上に行くほど荒れ方がひどい。しか不安を感じるほどではないので、足首をひねらない

よう慎重に足場を選んで進む。25年ほど昔に一度通ったことのある道だが、印象がまるで異なってしまって

いる。あの時は渓流に沿った穏やかな道だった。

40分ほどで頂上から南に延びた主尾根に出る。前回はもっと明るい開放的な尾根だったが、今は木々が成長

し暗くはないが見通しが悪い。落ち葉の積もった尾根を少し外れた道をのんびりと歩く。この時期ならではの

嬉しい山道。上に行くほど木々の葉が落ちて明るくなってきた。

こんな地層は大昔、ここが海の底だったことを語っている。

西側が開けた。浅間山が見える。下の集落は南牧村雨沢あたりかも。

小沢岳頂上に到着。前回は周りの木々はまだ低く、西上州の山々の絶好の展望台だったが、木々が成長して足下

に見えた小沢の集落は見ることができなかった。

のんびりと歩いて2時間弱。途中で下山してくる二人ずれと山の挨拶をかわし、頂上では他のご夫婦と会話。

晩秋ならいやなクモの巣もヒルにも悩まされることない。汗かきの私でも大した汗はかかず、たっぷり持ってき

ボトルの水はむなしくほとんど持ち帰ることとなった。

 

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533-021121こんなに紅葉を堪能した年はなかった

2020年11月20日 | 季節の変化

                桐生市の宝徳寺の本堂の紅葉

 

上陸した台風がなかったことで葉が傷まずに季節を迎えたことと、安定した天候が続いたこともあり、各地の紅葉が素晴らしい。こんなに紅葉を見て回った年は過去なかった。その最終盤で評判の高い宝徳寺の紅葉を見ることができた。

どこから得た情報か定かでないが、この寺の拝観料が2000円と聞き、それはあまりに非常識だと思いながら現地に向かった。みんなが良いという所は、その通りなんだなと納得する景色が待っていた。

寺のある場所がいい。本堂前の枯山水の庭を縁側に座って眺めると、この景色は京都の龍安寺と通じるものがある。友人が京都の紅葉を巡る旅に出て、その様子がフェイスブックに載せているのを見て、羨ましいと思っていたが、近くでこんな雰囲気を味わえるとは・・・

拝観料1000円は高いが妥当だった。本堂の須弥壇前の黒漆塗りの板敷きの広間がこの寺の売り。くもりが全くないほどに磨きこまれている床鏡(そういう言葉があるか疑問だが)そこに見事な紅葉が映り込む。その向こうには京都の寺と錯覚するほど似通う借景としての山並み。本堂はじめ建物自体はさほど古いものではなく、近年再建されたものだろうが臨済宗の禅寺らしく凛とした佇まいが印象的。

床鏡は評判通り素晴らしいが、私は冬の少し雪の降った翌日に再訪してみたい。今の季節の人出はどこかに消え、禅寺の静寂に包まれた縁側でこの庭を味わいたい。知る限り、これだけの雰囲気十分な庭は県下にはない。

・・・・・

必要に迫られてパソコンを使うようになって20年余。基礎的な勉強を受けずにやってきたので少し踏み込んだ設定になると解らないことが多い。クラウドを使ってデータ保存と手持ちの別のPCやタブレット、スマホとデータの共有をしていた。そのツールはSugarSyncというクラウドソフトだった。先週W7世代のPCを最新のものに変えたが、設定中に複雑すぎて何やらわからなくなってしまった。

付いてきたソフトの中にマイクロソフトのOnedriveというクラウドソフトが目がとまった。代わりのこれを使ってみようと設定を始めたが使えるようになるまでに1日費やしてしまう。加齢による理解力の低下は認めざるを得ないが、主たる原因は基礎理解をおろそかにしたつけがこういうところで露呈すのだなと思い知らされた次第。

こうした設定作業をするのもこれが最後だろう。最終的には何とかなったが、ここまで複雑になったPCに付いていくことが億劫になってきた。

 

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532-021113記憶樹

2020年11月14日 | もろもろ

      

私の母校の小学校の校庭のエノキの大木。110年前の開校時にはすでにこの場所にあった樹と学校便覧には載っている。

したがって記念樹でもなく、どなたかお偉いさんのお手植えに樹でもない。こういう存在は何と言ったらいいのだろうか? 校長先生の調査によると樹齢は200年以下らしい。

散々考えた挙句、「記憶樹」というのがいいな、と勝手に決めた。

      

      

この根の張りの豪快さ。私が在校していた70年近く前はここまで張っていなかった。長い年月はくりくり坊主の生徒をしわだらけの老人に変えたしまったが、この樹は今が壮年期の元気の盛りを迎えている。古木にありがちな枯死してしまった枝もない。

同校の卒業生に先日県民葬があった中曽根康弘氏がおられる。若き日の氏がお正月に私ら生徒にやさしい表現だが、氏独特の抑揚ある話し方で話をしてくれたのもこの樹の横だった。

 

帰り際校長先生に呼び止められ、暫しお茶を飲みながら話す機会があった。子供の頃身近に見られる偉い人の代表だった校長先生、そのお年を20年も上回ってしまった私。入ったこともない校長室に遥か後輩の校長と向かい合って座るなんぞ私も偉くなったものだ。 開校間もなくから戦前の写真集を見せていただいた。校庭の真ん中にずっと小ぶりだが、間違いなくこの樹が存在していた。各時代を生き抜いてきた強靭な樹、それぞれの時代の学校の出来事を黙って見守りながら、これからの新しい歴史を見ていくであろう樹。もうそうは長くない人生しか残されていない老人の代わりに見守って欲しいと思いながら校長室を辞した。

 

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531-021107元養蚕県の石仏

2020年11月07日 | 名所旧跡

みどり市大間々の渡良瀬川の渓谷が少し開けたところに

見応えの石仏があると、同期のT氏から連絡があったの

のは半月前。彼は野仏の専門家で「野仏の見方」という

本も出している。

晩秋の晴天に恵まれ、1時間ほどのドライブで現地に飛ぶ。

 

江戸中期の作品らしいが、6本の手が養蚕使われる道具

手にしている石仏。落ち着いたたたずまいの晩秋の野に

秋の日を一杯に受けて座していた。

養蚕農家の人々が願いを込めて作り、以後養蚕の隆盛と

共に守り神としての役割を担っていたのだろう。

右は明かり窓のない灯篭、これは珍しい。

 

丹念に見た後、渓谷を更に奥に走り、小中大滝を見てき

た。若干時期が遅れたが、滝と紅葉のバランスがいい。

素人写真でも構図が取りやすい。

 

車中ずっと国会予算委員会の質疑を聞いていた。

野党の若手の論客の鋭い質問に菅総理がどう答えるか? 

聞く限りでは答弁がお上手とは思えない。前総理に比

較すると、他の大臣に答弁を振ることが多い。たまに

ある少ない総理自らの答弁は抽象的、概要的なものが

多いな、と感じる。発足間まないので安全第一なのか?

 

時を同じくして行われている米国大統領選挙の開票作

業。世界を引っ張る大国の政治家にしては首をかしげ

るが、両候補の原稿なしの肉声との隔たりに少し寂し

くなる。

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