toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

165-260426東北地方は今が盛りなので

2014年04月26日 | 花・樹木

 

 

P4135921 自然が作り出す造形の妙。

 

今年も桜を沢山見ることができた。 来年もまた楽しむことができるように健康に注

意して一年間頑張ろうと思う。

小規模だが庭に何本かの盆栽を持っているので、川の土手や公園で集団で咲くソ

メイヨシノ豪華さも良いが、寺の境内、田舎の民家の庭や田のあぜ道に孤高に咲

く桜に引き付けられる。

東北地方はこれからが桜の季節なので、季節はずれというわけでもないので、先

日榛名山を時計回りに周遊して探した桜の独立樹をいくつか紹介しましょう。

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安中の街から九十九川に沿って奥に入った地名で言えば下増田。 九十九川と増

田川に挟まれた台地の畑に妙義山の一部を背景に孤高に咲く。

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九十九川から地蔵峠を越えて倉渕に降りる。 更に東吾妻町に抜ける街道を薬師

温泉への道を左に見て更に北へ。 脇道に入ったところ、地名は細谷(ホソガイ)

に咲くきわめて樹勢が良く盆栽で言えば双幹の桜。 特に名前は無いようだ。 樹

下に古い灯篭が一対あり、周囲の風景をマッチしている。

 

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川原湯の手前で吾妻川を渡ると、松谷地区。長野原線の踏み切りを渡り、少し

行った高台に小学校の廃校があり、その庭に咲く。 説明版に 「おまき桜」 とあ

る。廃校と桜の古木で雰囲気は素晴らしい。 廃校になって20年経つというから子

供達の祖父母や父母が学んだ学校だろう。 春の日差しの下で楽しくお弁当を広

げていた。

 

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ここから中之条は車で15分。 街の中にある林昌寺の枝垂桜。 ここは有名なの

で大勢の人が見事な花に酔いしれていた。

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本日一番感動した桜は中之条から地元の言い方で日陰道を伊香保へ通じる道

新巻という地名。 ここは大工さんの家の庭に昔からあった枝垂桜。 本日の圧

巻。 樹の真下から見上げると笠が開いたように見事な調和を保って花が広がる。

枝垂桜以外はエドヒガン桜と呼ばれる古来からある桜のようだ。 代表的な桜ソメ

ヨシノは豪華だが成長するにつれて樹肌が荒くなる。 エドヒガン桜の樹肌はそ

ほど荒れずに独立樹としても風格が備わってくる。

 

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164-260419WindowsXPのサポート終了

2014年04月19日 | パソコン・IT

Img_1005_3 水のある風景。旧板鼻宿の家並みの裏を流れる透明度が高く豊かな水量の用水。 宿場が機能していた時代は生活用水にも使われた事だろう。

 

 

平成26年4月9日をもってW-XPのサポートが終了した。 これに伴い平

成18年から8年間使用してきたパナソニック製のノート型パソコンがその

役目を終わりお蔵入りとなる。

パナソニックが国内生産にこだわり続けたパソコン。 ビジネスマンに圧倒

的な信があったものだが時代の流れに付いていけず。 ハードは全く異常

がなく仕事に味に大活躍してくれた。

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秋間定例走行会に参加する。本年最初。出会った野の花を撮影しながらしんがりをキープした。 左 ホトケノザ   右 イヌノフグリ(フグリとは睾丸のこと)

 

ROMは1GB、HDDは50GB 購入した当時は小型でもそれなりに余裕の

メモリー付いていた。 XPは安定していて使いやすいOSだった。

その後に使われたW-7が作動する環境はメモリーは最低で2GB、HDDは普

通で10GBであり、一時はW-7をインストールしようと思ったがメモ

リー不足で駄目。 ましてW-8は全く作動できる環境ではなかった。 

ネットに接続しなければ何とかなるが、それでは仕事にならない。

どうしようかと考えていたが、ぎりぎりの時期に私にもW-8搭載の最新鋭機

が配布された。 社長アリガトサン! きちんと仕事をしないといけません

な。そのために今日(4月8日)は休みを返上してデータの移設やら使い勝手

の習熟に努めた。 W-7も使用していたのでさほどの違和感はなかった。

 

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左は日本固有種のたんぽぽ、 右の花の名は知らず。

 

私の現在のIT環境は次のとおり。

 会社 W-8搭載の新鋭機(RAM 4GB HDD 400GB 64ビット)

 自宅 W-7搭載のDELL(RAM 2GB HDD 150GB 32ビット)

 かばんの中

    Googleのタブレット(Nexus7 SSD 30GB  アンドロイドOS )

 光回線用ルーター (家庭内WiFi機能付き)  

 無線ルーター(携帯用)  イーモバイル

 携帯電話  Docomo  ガラパゴス携帯(スマートフォンではない)

 

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つくしが伸び、途中の寺の桜が見事

 

 

この陣立てで終生困らないでしょう。先にも書いたが, これ以上の機能を必

要としないし、また理解もできない。 紙テープが外部記録として活躍して

いた時代からほぼ半世紀が流れた。 こんな時代になるとは・・・

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左 下後閑の阿弥陀堂     右  九十九川の対岸を彩る桜

 

 

 

 

 

 

 

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163-260412太閤秀吉が天下統一を成し遂げたきっかけの城

2014年04月12日 | スポーツや趣味

 

 

P4075805 月に入る。 スキー日和の日には、春めいた大気を通して高崎のメインストリートからも堂々たる谷川連峰の主峰が望める。( 4/7 あら町交差点から北を望み、3倍ズーム+簡易望遠レンズで)

3月24日、シーズン最後のスキーを楽しむ。 晴れていなければ行かない自由が

あるというのはなんとも贅沢な境遇。 3日ほど前から天気図に注意する。 西高

東低の気圧配置が緩み、高気圧の中心が日本の南を通過するタイミングを狙う。

100%安定した晴れが期待できる。高気圧が北に偏ると、期待した晴れが訪れ

ず、曇天になるケースが多い。 この日高気圧の中心が列島の南にある。定石と

おりに絶好の晴れ。

20140324180000large1 tenki.jpより拝借

 

 

しかし暦は既に彼岸を過ぎた。 気温が高く快適に滑れたのは10時半まで。その

後は雪が緩み期待した滑りにはならなかった。 

元気だといっても古希を過ぎた。 急斜面でのターンはもう駄目。 無理に挑んでも

フォームが崩れて始末に負えない。さすがに転倒する事はないが、腰が引けて板

をコントロールできない。スキー場の2/3以上を占める緩斜面では、一応理論ど

おり優雅に滑れるのだが・・・ このあたりで妥協することも長く滑るためには必

な心構えだろう。

スピードに体の感覚ががついていかない。 車の運転もしかり、高速道で100km

を越えるスピードは緊張を強いられくたびれる。 90km~100km/h 程度がもっ

とも快適スピード。 

 

P3245689 急斜面のブナ林とその樹影。

P3245684 スキー場の最高地点から眺める谷川連峰。右端が平標山、左端が谷川岳、 中央が万太郎山辺りか? 前景の樹林はシラビソ。

P3245696 東京電力奥清津揚水発電所。 原発が停止した今、こうした水力発電所が電力需要の一端を担っている。

帰途、旧月夜野町にある名胡桃城址を見学する。 太閤秀吉が小田原城攻めの

理由にした真田と北条との城の争奪戦が展開され、歴史の転換点になった城。

当時の城は後の時代に建設された天守閣があったわけではない。 利根川が侵

食した崖の上に堀と土塁をめぐらし、簡単な住居があっただけのようだ。城という

より砦といったほうが正確かも知れない。

P3245701 名胡桃城の本丸前の空堀。 空堀が非常に良好に保存されている。

P3245708 同じく本丸があった場所。 本丸といっても天守閣ではない。 城主真田氏の六文銭の旗印。

P3245713 名胡桃城址の記念碑

P3245727 城址より月夜野盆地を俯瞰する。

P3245736 ご興味のある方はクリックしてお読みください。

P3245737 そして利根川が作った河岸段丘を上手に利用して築城された城。北、東および西は急峻な崖で攻め入るのは困難か?

P3245743 敷地の一部に記念館があり、そこに陳列されていた城の復元模型。

 

 

 

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162-260405太平洋戦争を戦った米軍から見た日本兵の戦い方

2014年04月05日 | 小説・映画・など

 

 

P3245718_2 シーズン納めのスキー(かぐらスキー場)の帰路に名胡桃城址に立寄る。 その本丸跡から眺める谷川岳(地元名耳二つ)。  

 

 

「日本軍と日本兵」米報告書は語る。敵という<鏡>に映しだされた赤裸々な真実

本題に入る前に戦場で無念の死に方をした多くの日本軍兵士にたいし、哀悼の気

持ちを表さなければ兵の子や孫世代の一人として非礼になる。今の平和は戦陣に

散った多くの兵士の屍の上に成り立っていると思うと粛然たる気持ちになります。

そのうえで、この本は日本兵と戦ったアメリカ軍兵士が抱いた感想を、米陸軍軍事

報部が1942年から46年までに毎月発行していた戦訓広報誌(Inteliigence

Bulliten)を土台にして展開した本の感想。 といっても人の命は重いもの、何ゆえ

アメリカと事を構えたのか? いろいろな見方があるのは承知。 私ごときが論じる

のは僭越の極みとは思う。 あくまで本書を読んでの感想です。

 

P3185661 kindle版電子図書

本書はこう述べている。

 

① 日本兵は「規律は良好」 「準備された防御体制下では死ぬまで戦う」

② 射撃が下手だった。

③ 予想外の事態がおこるとパニックになる。

さらに説明を加えよう。

・戦闘に負けてなぜ捕虜にならずに死を選んだのか?

 都会出の兵と地方の兵とではかなりの差があった。 都会の兵は曲がりなりにも

メリカを知り、投降して捕虜になっても命を奪われることはない事を知っていた。 

地方(田舎)出身の兵は敵の国情を良く理解していなかった。 また当時の兵

隊教育の影響もある。 降伏よりも死を選ぶしかなかったのは、兵の出身地の受け

とめ方にもあったという。 捕虜になったことを故郷に知られると、周囲から臆病

呼ばわりされて兵の家族が非難され、場合によっては村八分にされることを非

に心配した。 それならば名誉の戦死で家族に迷惑がかからないようにしよう。

 

 

 

・ 味方が優勢の場合は勇敢に戦うが、ひとたび敗色濃厚となったり、指揮官が戦

してしまうと浮き足立つ行動が見られた。 突撃の掛け声と共に喚声を上げて

雲に突進する。そこを機銃掃射を受けて簡単に死んでしまう。 無謀な突撃を勇敢

な行為と勘違いしていた。

 

太平洋に散らばる島、特に硫黄島に代表される戦闘。 もっぱら守備力強化のた

に洞窟を掘り、それらの間を塹壕で繋げてそこから応戦した。 こうなると兵は

かった。 米軍の死傷者は日本のそれを上回ったという。 結局は玉砕という完

な負けとなったが。

 

・ 島でなくフィリピン本土やニューギニア、ビルマという広大な陸地での戦闘は、

窟戦術を取れない、応戦し弾薬食料が乏しくなると奥地へ逃げ込むしか方法が

い。 そして食料不足で餓死してしまった。 敗走する兵と飢えの様子は大岡昇

著 『野火』に詳しく描かれている。 もし本土決戦となり、関東平野が戦場なっ

いたらと思うと慄然とする。

いろいろといくかつかの状況を書いたが、何れも前線で戦った兵には責任はない。

誰にあったのか?   指揮官であり、作戦を練った大本営参謀達である。もっと遡れ

ば時の内閣であり総理であり、また当時の教育である。 天皇まで遡るか否かは

論者によりまちまちだろうが・・・・

 

・ ルパング島で戦後28年間戦いを続け、救出された故小野田寛郎少尉の場合。

 

彼は終戦を少なくとも戦後3年経過した頃には承知していたと思う。 彼の生家は

育に熱心であった。情報士官であり、 アメリカの国情もよく理解していた。 捕

虜になっても命は保障されることも知っていた。 そこが同じような状態におかれた

故横井庄一さんとの決定的な違い。上官の原隊復帰命令が出ていない、その一

点であそこまで抵抗を止めなかった。そして創意工夫して28年間戦いを続けた。

信念の人だった。

 

 

P3175656_2 主婦に人気の卵やさん。 庭で見かけた素晴らしい樹形の樫の樹。あと20年経過し、幹周りがもう少し太れば申し分なし。

 

現在の日本は平和が保たれている。 戦争という事態は想定しにくいが、自衛隊

どう戦うのだろうか? 平和の中で生きてきた私は戦争に狩り出される心配

全く無かった。 こんな世代は日本の歴史上なかったのではないか。 自衛にの

戦うことが認められる憲法下であるが、不幸にしてそんな事態が出現したとして

も、わくは合理的なものであって欲しい。

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世田谷区の砧公園は毎年見物に出かける桜の名所。都内は新緑が始まり、満開を過ぎたがこの豪華な花の塊。 (4月4日 撮影)

 

 

 

 

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