谷川岳の一ノ倉沢全貌
冒頭に掲げたのは4年前の梅雨の晴れ間を狙って谷川岳東面を歩いた際の
写真。1年に幾日もない絶好の条件に恵まれて一ノ倉沢の全貌が撮影でき
た。以来気に入ってパソコンの背景写真として使い続けている。
正面に平行するスプーンで抉ったような岩壁は向かって左が烏帽子沢、
右が衝立沢。もはや沢というイメージではない。まさに岩の壁。
もうこんな高度な技術を要求される岩場の直下まで行くこともできない
が、この光景が見られる出会いまでなら30分も歩けば可能だ。
20代の頃に何回かこのお隣のマチガ沢には挑戦した。岩壁に張り付く
足の間からはるか300m下に見えた風景が目に焼き付いている。
一ノ倉沢はさらに高度感があるのだろう。出合との標高差が800mと
言われているので、この空間の下部の雪渓に東京スカイツリーを置いて
も余裕で収まってしまう。
よく言われるように一番恐怖を感じる高度差は3,40mであり、100
mを越えると空中に浮揚している感じであまり怖さを感じないとか。嘘
かホントか? 20代のころはホントと感じた。
昨日はここも険しい岩壁で有名な近くの妙義山に登ってきた。
いつもは金曜の夜には原稿を完成して翌日早朝の更新に備えているが、
昨夜は疲労困憊してしまい、更新が遅れてしまいました。
妙義神社から岩峰群の下部を歩いて、有名な石門群まで続く一般的なコ
ース、中間道と呼ばれている。ハイキングコースと言われているが、年
寄りにはけっこうキツイコース。危険箇所にはそれに対応した工夫が凝
らされて安全には通過できる。しかし高尾山を歩くというレベルで臨む
と怖い思いをする。
第二見晴台から中の岳(右)と筆頭岩(中央些左)を望む。
同じく入山禁止となっている金鶏山
はるか上の主稜線に続く谷の何本かを横切って道が奥に続く。20代の
頃この中の一つをザイルで確保してもらいながら登ったことがある。雪
崩で磨かれた谷川岳の岩と違い、もろく泥だけになりそうな樋状の沢だ
った。
リーダーは群馬登高会のスペシャリストT中氏、他の3人は中学の同期
のT田、T越両君そして私。初めてザイルの取り扱いを学んだ。あったで
あろう恐怖感を今は思い出せない。
その後、T氏は会の重鎮となったが、昨年鬼籍に入られた。T田君は県内
では知られたクライマーになったが還暦直前にがんで逝ってしまった。
T越君もスキーの指導員や国体級の卓球選手として活躍した。しかし数年
前に若年性アルツハイマー病が重症化して寝た切り状態になってしまっ
ている。
メンバーで最も初心者だった私があの時の沢の取りつき地点に半世紀以
上経過した今立っている。沢の上部を見ながらザイルで繋がった3人の
鎮魂と病平癒を祈りながら通過した。
妙義には珍しい尾根道
石門群まで足を伸ばそうと思ったが午後1時をまわったので、途中の四
阿屋からブドウ園に下る尾根道を降りる。この尾根道が素晴らしかった。
この山塊では普通に遭遇する岩のでっぱりもなく、スギ主体の人工林で
もない緑樹の中を下る。私が好む里山の雰囲気タップリの尾根道だった。