toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

442-r010525山登りで疲れてしまい更新遅れる

2019年05月25日 | 山登りというより山歩き

  

          谷川岳の一ノ倉沢全貌

冒頭に掲げたのは4年前の梅雨の晴れ間を狙って谷川岳東面を歩いた際

写真。1年に幾日もない絶好の条件に恵まれて一ノ倉沢の全貌が撮影で

た。以来気に入ってパソコンの背景写真として使い続けている。

正面に平行するスプーンで抉ったような岩壁は向かって左が烏帽子沢、

が衝立沢。もはや沢というイメージではない。まさに岩の壁。

もうこんな高度な技術を要求される岩場の直下まで行くこともできない

が、この光景が見られる出会いまでなら30分も歩けば可能だ。

20代の頃に何回かこのお隣のマチガ沢には挑戦した。岩壁に張り付く

の間からはるか300m下に見えた風景が目に焼き付いている。

一ノ倉沢はさらに高度感があるのだろう。出合との標高差が800mと

言われているので、この空間の下部の雪渓に東京スカイツリーを置い

も余裕で収まってしまう。

よく言われるように一番恐怖を感じる高度差は3,40mであり、100

を越えると空中に浮揚している感じであまり怖さを感じないとか。嘘

かホントか? 20代のころはホントと感じた。


昨日はここも険しい岩壁で有名な近くの妙義山に登ってきた。

いつもは金曜の夜には原稿を完成して翌日早朝の更新に備えているが、

昨夜は労困憊してしまい、更新が遅れてしまいました。

 

 

妙義神社から岩峰群の下部を歩いて、有名な石門群まで続く一般的なコ

ース、中間道と呼ばれている。ハイキングコースと言われているが、年

寄りにはけっこうキツイコース。危険箇所にはそれに対応した工夫が凝

らされて安全には通過できる。しかし高尾山を歩くというレベルで臨む

と怖い思いをする。

      第二見晴台から中の岳(右)と筆頭岩(中央些左)を望む。

 

       同じく入山禁止となっている金鶏山

 

はるか上の主稜線に続く谷の何本かを横切って道が奥に続く。20代の

頃この中の一つザイルで確保してもらいながら登ったことがある。雪

崩で磨かれた谷川岳の岩と違い、もろく泥だけになりそうな樋状の沢だ

た。

リーダーは群馬登高会のスペシャリストT中氏、他の3人は中学の同期

T田、T越両君そして私。初めてザイルの取り扱いを学んだ。あったで

あろう恐怖感を今は思い出せない。

その後、T氏は会の重鎮となったが、昨年鬼籍に入られた。T田君は県内

では知られたクライマーになったが還暦直前にがんで逝ってしまった。

T越君もスキーの指導員や国体級の卓球選手として活躍した。しかし数年

前に若年性アルツハイマー病が重症化して寝た切り状態になってしまっ

ている。

メンバーで最も初心者だった私があの時の沢の取りつき地点に半世紀以

上経過した今立っている。沢の上部を見ながらザイルで繋がった

魂と病平癒を祈りながら通過した。

 

        妙義には珍しい尾根道

 

石門群まで足を伸ばそうと思ったが午後1時をまわったので、途中の四

阿屋からブドウ園に下る尾根道を降りる。この尾根道が素晴らしかった。

この山塊では普通に遭遇する岩のでっぱりもなく、スギ主体の人工林で

もない緑樹の中を下る。私が好む里山の雰囲気タップリの尾根道だった。

 

 

 

 

 

 

 

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441-r010518スマホを使えるからいいのだが・・

2019年05月18日 | もろもろ

好天に恵まれそうな日だったので、今年も赤城神社参道のツツジを見に

出かける。若干最盛期を過ぎた感じだが、参道の上下で200mの標高

差があるので上半分は充分に楽しめた。長い参道を少し大股で歩くのも

体調管理にはいいぞと思いながら。

登りきると大鳥居が待ち受ける。スギの素材そのものを組んだだけで素朴

な感じがする。

上毛三山と言われれる妙義、榛名そして赤城山にはそれぞれ歴史ある神社

その山懐に抱かれている。妙義は華麗、榛名は荘厳そして赤城は格式を

感じる。

他の二つの神社は漆塗りの色彩豊かな社殿だが、赤城神社は伊勢神宮の

ように素のスギかヒノキを柱にし板葺きの切妻様式の素朴だが格式を

じさせる神殿。さすがに板を使っていないようだが。今日は晴れていた

ので感じなかったが、いつぞや来た時は、が立ち込めた中に神秘的と

もいえる雰囲気を醸しだしていた。これぞ古代から続く神社。

少し加工しましたが、こんな感じでした。

 

話題を変えるが、

 

近くにヒマラヤという運動用品の店がある。2階建で各階40レーンも

あった元ボーリング場を改装した売り場は広く、商品数を多いので選ぶ

しみを体験できるのでよく利用していた。

 

買う商品が決まったのでレジを通る。その時の店員との会話。

店員「ヒマラヤ会員ですか?」

私「いや。」

店員「会員になりますか? そうすると20%値引きができます。」

私「20%値引き?  簡単になれるの?」

店員「簡単です。スマホをお持ちですか?」

私「持ってるよ。」

店員「ラインでヒマラヤとお友達になってください。」

私「???」

 

LINE経由で会員になるという発想が理解できない。店員の指示のまま

作して、とりあえずLINEで繋がり、それが確認できたので20%の値引

きを受けられるようになった。

その後頻繁にヒマラヤからLINE経由で販促メッセージが届くようになっ

た。

 

これが現代の商品販売のテクニックなんだろうか。通常バーゲンセールで

もなければ値札の20%引きという価格は考えられない。私も聞き返した。

幸いスマホを利用し、家族間と特に親しい友人とはLINEで繋がってはいる。

しかしシニア世代の皆さんがみんなスマホの利用者ではあるまい。

店側は大幅値引きを前提で値札を決めていると思う。知らなければ、また

スマホを持っていなければ、そうでない人よりも20%も高い金額を払わ

くてはならないのか・・  過去にここでいろいろ買った。知らないで

20%高い買い物をしていたかと思うと腹が立つ。なにか釈然としないも

のが残った。 

品数を揃えていて選ぶ楽しみを味合わせてくれる店という好印象があった

が、こらからは少し変えなくてはいけないか。

 

 

 

 

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440-r010511閉鎖した河川敷のゴルフ場の有効利用

2019年05月11日 | もろもろ

右耳の状況が改善したので40日振りにコナミのプールで泳ぐ。

そこそこには泳げるがもうそんなに進歩はない。見かねたのか監視員を

兼ねた指導員から声がかかる。「有料で良ければ個人レッスンを受けま

せんか」。

ここまで何とかネット動画を見ながらやってきたが、自分の泳ぎを見

ことができないまま3年が経ってしまった。一通りは泳げるのだが、

こかにまずいところがあるのでは? との疑問は抱き続けた。個人レッ

スンがあることは知っていたが、気後れして言い出せなかった。良いタ

ミングだ。欠点を指摘してもらおう。この年で更なる進歩があれば嬉

い。2500円の価値は十分ある。目標は早くを望まないがもう少し

長い距離を泳げるようになること。

 

 

帰宅途中、国道17号が走る堤防の上を運転中に、河川敷の元ゴルフ場

が大きく成長した樹々で覆われているのに気付く。子供時分は川遊びで、

高校時代はここにあった木造の橋を渡って通学し、社会人になってから

はゴルフの練習によく使った。中島常幸プロがデビュー前にここで練習

した時期もあったと聞く。彼の打球は途中から浮き上がるようにネット

を越えていったと、誰かに聞いた。

夕飯までに時間があったので立ち寄ってみた。周辺の土手は通ったこと

があるが、中に足を踏み入れたのは30年ぶり。素晴らしいお散歩コー

に変身していた。この上下流の橋を挟んで同じような河川敷が拡がる。

それらにはサッカー場、野球場やテニスコートがあるが、この一帯だけ

は何もない。荒れ地にならない程度の手入れはしてあるので芝生が広々

と拡がる。私がここで川遊びしていたのは60年以上も前のこと。こん

な川原特有の植生が拡がったいたと思う。魚釣りや適当な水遊びで慣れ

親しんだ川原。

その頃すでにここに生えていた樹の残骸だろうか? ニセアカシヤ、エ

ノキ、ケヤキそして一本の柏の樹。みな大きなく成長していい感じの木

を作っている。半世紀も前に河川敷ゴルフ場として民間企業が運営を

始め、一帯が整備されてきた。それでも一度洪水があれば敷地全体が水

没した。向うの高みはそれを防止するための土手。

ゴルフを楽しもうと思えば、今の倍以上の費用がかかった時代。手弁当

気軽に安くプレーできたので何度も利用した。若かったので少しで

を上げたいと練習に通った。しかし小遣いをつぎ込む割には巧くな

ず、逆に毎回ストレスを抱えて帰宅する。私には誠にコストパフォー

ンスの悪い趣味だった。そしてやがてスッパリと止めた。

当時もよく思った。ゴルフ場の芝生の上を制約なしで子供達を遊ばせた

ら喜ぶだろうな。そして老境の身になった今、子供に返ってこの自由広

場で散歩する。当然手にゴルフクラブはない。しかし弾力に富んだ芝生

は足に心地良い。アスファルトの上での散歩の比ではない。

適度に手入れされた広場を提供する。空間だけで何もない。後は各人で

えてくれ! 素晴らしい発想です。

便利になり過ぎた感もある現代社会。交通事故の危険がない広場を有効

に使うには? 便利って何だ? その問いの回答に何も作らないという

肢は今後もっと広がっていい。

 

 

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439-r010504令和が始まり、私は奈良県十津川を旅する

2019年05月04日 | もろもろ

     横川の小根山森林公園の緑も輝いている   令和元年5月2日

 

        

令和が始まった。その初日、昨日までの平成天皇の画像が新聞やテレビ

から消え、令和天皇一色に切り替わった。そうなるだろうと予想はして

いたがあまりの変化に唖然とする。新天皇が期待以上に落ち着いて見え

た。日本でただ一人、宿命とは言いながらもこの重責に耐えていねば

ならない圧力が堂々とした風貌を持ったりりしい天皇に皇太子を一夜に

して変えた、と受け止めた。天皇にしかできない役割を十分に果たして

欲しいと切に思う。

 

新しい御代に関する報道にもいささか飽きてきたので、旅に出る。この

期間どこに行っても込んでいると思うので、遠くへ行っても疲れるだけ。

静かに一人旅ということにした。私の旅は机の上に読む本と、パソコン

やIPADやスマホを置くことから始まる。乗車券やは食料は不要。

 

 

前から通ってみたかった奈良県十津川村を旅してみた。付近をカシミー

ル1/50000を画面に表示。ここには同県橿原市から和歌山県新宮市まで

走っている奈良交通の路線バスがある。

テレビでも紹介された。著者を共に出発地の大和八木で乗車する。新宮

までの乗車賃は4500円くらいだった。

著者はバスの車窓を過ぎていく景色を詳細に描く。時には歴史上の出来

、時には過去のこの流域を襲った水害の爪痕。私はその都度画面に目を

やってその場所を確認しマークを付けていく。

地形だけでは物足らなくなると、street viewを開きその付近の様子を

確認する。最近の画面はこんな所まで写っているの? というくらい

現地の状況が判る。かっては日本一だった谷瀬につり橋なんか著者と

一緒に対岸まで渡ってしまう。数十メートル下は十津川の川原。

 

ブログが途中です。これから近郊の山に出かける時間が迫っています。

この続きは帰宅してから書きます。

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