toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

498-020328なんの変哲もない河原だけど

2020年03月28日 | もろもろ

昨年10月に立て続けに東日本を襲って二つの台風は各地に大きな爪痕を残した。当地も大きな災害こそなかったが、河原の様相が一変した。

普段土手上を走る国道17号から見る河原は、ススキやヨシの蔓延る踏み込み不可の一帯だった。大水はそれらを流し去り、すっきりとリセットしてくれたので、容易に歩ける場所となった。尤も夏が来れば旺盛な生命力の植物の支配下になってしまうが。

奔流に揉まれて木肌がすっかりなくなった流木。

 

少し強調して撮影すれば砂丘に見えなくもない。風紋らしきものまである。丘の向こうに浅間山が顔を覗かせる。

             

砂丘の一画に残されていた鳥の足跡。この大きさを残す鳥は何だろう?

カラスにしては大きすぎる。

キジなら妥当だが、河原の中州に住み着いているのか?

最近その数を増やしているカワウか? でも水かきがない。

シラサギだと納得できる。

 

さあ!

桜が満開になってきた。いい季節だ。

冬の間遊び相手になってくれたパソコンをしまい、カメラをもって表に出よう。

戸外なら新型コロナに感染する危険もなかろう。

 

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497-020324見事なモクレンの大木

2020年03月24日 | 花・樹木

榛名山麓の高崎市箕郷町生原の県道沿いの民家で咲くモクレン。隣の農地で働いていたこの家の方におたずねしたら、先代が植えたものだという。ということは60年くらい? とてもそうは見えない少なくとも樹齢100年以上だろう。 ここまで毎年花をつけさせるための管理は大変だろうが、どうか後世に残して欲しい。と思いながらじっくりと鑑賞する。以下その見事さをご覧ください。

 

その傍らに競うように咲く赤と白のボケの花

コロナ騒ぎで世界中がかってない雰囲気の中に沈んでいる。にもかかわらず花の世界は同じように季節の到来を謳歌している。

 

 

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496-020321期待を上回る観光名所

2020年03月20日 | もろもろ

        大谷石資料館の入り口の満開の花モモ 2020.3.19

 

つれあいがめでたく(?)後期高齢者入りを果たした。今後医療費の自己負担が一割になるのが余程嬉しいらしい。老妻共々表面健康でこの年齢まで来られてありがたいことです。

 

季節も良し、久しぶりに少し遠出の日帰り旅行をしてきた。第一目的は佐野市の三毳山(みかも山)のカタクリの群落。第二は大谷石採掘跡の巨大な地下空間。

 

カタクリは花の盛期を若干過ぎていたがその群落規模に改めて驚く。そのまま三毳山(なぜか青竜ケ岳とある)の頂上まで足を伸ばす。228mの低山だが麓との比高値は200mほどあり結構きつい登りが続く。山歩きの足元ではなかったので少々くたびれたが頂上からは眼下に東北道が見えたり素晴らしい景観が楽しめた。

 

昼食を済ませて第二目標に向かう。現役時代に宇都宮で仕事をした時もあり、何かと縁のある観光名所だったのに、初めてくる観光地。ブラタモリの舞台にもなったところだが、その壮大な地下空間は予想以上のもの。非日常的な空間での1時間は充実したものだった。闇の空間に差し込む地上の光と採掘跡の壁の写真を載せる。

観光名所の写真をネットで簡単に見られる時代だけに、これほど事前の知識を上回る景観をリアルの見る機会はそうはない。

 

 

坑内での作業員の模型が展示してあった。こんな展示物は佐渡の金山や足尾鉱山でも目にしたもの。大変な粉塵の中での長年の作業で多数の珪肺病患者も出たのではないかと想像したりしながら見て回る。鍾乳洞とはまた違った感動を得ながら闇の世界から地表に出る。外の温かさが心地良い。駐車場までの戻り道の左右一帯は、民家の土蔵や塀、更に川の護岸や川底まで至るところに大谷石が使われている。大谷石オンパレードだった。

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495-020317暑さ寒さも彼岸まで

2020年03月17日 | 花・樹木

火曜日に朝は氷点下まで気温が低下したが、日中は穏やかな晴天が拡がった。陽気に誘われて近くの烏、碓氷川合流点近くを散策する。ことわざ通りの季節の移ろい。

昨秋の台風19号は完成前の試験湛水中だった八ッ場ダムを一夜にして満杯にするほどの豪雨をもたらした。我が両河川も堤防幅一杯の出水で河原の雑多のものが綺麗に流されて、近年稀なさっぱりした河原が拡がっていた。向こうの白く左右に伸びる橋は、橋脚の一部が沈下してしまって今も通行止めのまま。

それでも細かく見れば、出水の跡はあちこちに点在する。先週読み終わった「街道をゆく」奈良県十津川渓谷が浮かんでくる。本宮を過ぎ熊野川と名を変えた流れは関東の川ではなかなか見られない河原の風景だった。雑多の物がなく、岩と石それに砂で構成された河原だった。両岸は山が迫り、激しく屈曲しながら豊かな水量で流れ下っていく。時に流れを上下する観光船が行き来する。秩父の長瀞を流れる荒川がそれに近いがもう断然規模が違う。他を犠牲にしても、もう一度あの流れに沿って旅してみたい。

 

 

土手下は桜の名所だが、まだ1週間ほど早い。その中に一本孤高に咲く白木蓮が満開、いい季節になってきた。毎年桜の季節には必ず撮影する場から眺めた開花前の風景。

 

 

 

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494-020314雨とコロナに閉じ込められて

2020年03月14日 | もろもろ

庭のミツマタもいい感じで咲いてきた

 

連日のコロナ騒ぎと雨天で表に出られない。仕方なしに本を読んで過ごす土曜日。去年から読み始めた司馬遼太郎著「街道をゆく」、シリーズの半分ほどは読了したか。今日は十津川街道編。日本で最も山に囲まれた渓谷に沿った街道である。吉野山からいくつもの山を越えて到達する秘境。渓谷は北から南へ流れる。天川→十津川→熊野川と名を変えながら新宮から太平洋にそそぐ。何年か前に新宮から遡り本宮までは車で走ったことがある。その奥へ行く機会があったら嬉しいが、元気なうちに行きたい場所はいくつかあるがここまでは無理だろう。

川と人との関係が緊密で読んで楽しい紀行文だ。奥深い山塊を縫うように流れる川は、流れの向きが変わるごとに興味ある光景が展開する。家にいながら現地の情景が見られる。パソコン様様だ。私の住む関東地方は全体的には山地が1/4程度で残りは平地。川はこれほど急角度では蛇行しない。蛇行があってこそ川は生きていると感じる。

数日前、箕郷梅林で見た一風景。若干盆栽を楽しむので、こんな花の姿に魅了される。

 

 

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493-020307歴史とのリアルな出会い

2020年03月06日 | もろもろ

                                     早春の柔らかな日差しを受けて輝く

 

通常歴史はテレビ番組や本からしか出会いがない。特に歴史書や、歴史小説は数多存在するので読む気力さえあればいつでも歴史に触れあうことができる。それらに登場する数々の場面は自分の頭の中で今までの知識を総動員してバーチャルに組み立てるしかない。

 

今週はリアルな歴史との出会いが2件あった。

その1、浅田次郎著「終わらざる夏」を読み終わった。日本が無条件降伏をしたのは昭和20年8月15日。この日から10日間ほど、千島列島最北端の占守島では日本軍とソ連軍との戦闘が続いていた。圧倒的に日本軍有利な中で。この史実を描いた小説。誌上で混乱なく降伏処理を済ませるために派遣された大本営参謀が乗ってきた偵察機。↓  Wikipediaより拝借。

読み終わったその日の午後からスイミングで利用している近くのジムでこんなことがあった。一泳ぎしてプール横の採暖プールでかなりご高齢の御方とお話しする機会があった。学徒出陣で大学4年生で海軍に引っ張られたという。横須賀兵団での初級訓練を受け、佐世保基地で水上偵察機のパイロットとして軍務についたのが昭和20年春のこと。零式戦闘機をベースに作られた水上偵察機だったという。促成パイロット故に危ない場面も何度かあったが、何とか若さで乗り切って間もなくあの日を迎えた。敵機を見かけたらその視界から逃れることが当時唯一できる戦法だったという。特攻機との悲しい別れも経験された。「降伏後も戦いがあった占守島のことご存じですか?」と聞いたら復員途中で知ったと答えられた。小説の主題が私の頭とリアルに繋がった瞬間だった。お聞きした話をもとに調べてみたらその機種の画像がWikipediaに載っていたので拝借する。↓ 今度お会いしたら確認してみよう。

 

その2、つれあいの実家は中山道は安中宿と松井田宿の中間地点の古い農家。この街道を碓氷峠を越えて江戸へ帰る伊能忠敬一行、40年後江戸から京へ上る近藤勇や土方を含む初期の新選組一行、逆に江戸へ下る和宮のご一行、そんな光景を明治中期に建てられたこの家が見ているわけではない。残念なことに住む人がいなくなった家の中を整理していたら、嘉永四年正月と墨痕鮮やに書かれた木箱が出てきた。年表で調べると浦賀に黒船が表れ大騒ぎになったのが2年後の嘉永六年のこと。さらに続く10年余は日本は不穏な空気に包まれた不安定な時期、その時代を経て明治へと変わっていった。この木箱はこうした時代の空気を経験してる。この程度のリアルな歴史は寺、神社や旧家にとっては珍しいことでもないが、こんな私の身近のところから出てきた事に驚き、感動した。

 

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