toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

404-300929蟻の行列から学び取る集団の特性

2018年09月29日 | 小説・映画・など

周囲はまだまだの中で、早くも赤くなった桜の葉が一枚。

 

先週は雨の日が多かったが今週は曇り時々晴が続く。本来なら気温も手

ごろで外出向きだが、良き本に巡り合えてじっくりと読む。

木曜日の午後に昼食も抜いて一気に読み終えた。暫く他の本に目が向か

ないほどの感動を得た。その題名は「信長の原理」。2年ほど前に「室

町無頼」で本屋さん大賞を受賞した垣根涼介氏の作品。まだ3ヵ月余の

日数が残るが今年はこれを越す本には巡り合わないと思う。

 

若き信長、まだ父信秀が存命中のこと。よく知られているようにとんで

もない悪ガキだったころの話から始まる。終日蟻の行列を観察していて

ある習性に気が付く。

100匹の蟻の中でせっせと獲物の欠けらを巣に運び入れるのは優秀な20

匹、全くその使役を放棄した役だたつが20匹ほど、残りの60匹は餌を口

から離したり、立ち止まったり逆方向に進んでみたり余り使役に熱

ない。2:6:2という割合になることを確認した。この本を貫いて

テーマはどんな集団でもこの原則が当てはまるということ。最強の武士

にしてもこの原理の下で動いている。天の摂理としか言いようがない。

神でも仏でもない。のことを著者自身が語っているので、参考にして

ければと思う。読み終わってから知ったが、この原則は何も信長だけ

が気付いたモノではなく、ビジネスの基本の一つであり、作者はこの法

則を信長に当てはめてみたという。

様々の説が飛び交う本能寺の変の真相。著者は史実に真正面から描く。

登場する信長を含めて配下の武将の心理描写がなる程と腑に落ちる。

に対する光秀の恐怖、屈辱の仕打ち。いずれわが身にも訪れるだろう

清の刃。信長が気付いた原理の下では優秀な頭の20であり続ける保

はない。有岡城に籠城して信長に反旗を翻し、最後には無残にも一族

共成敗された荒木村重の悲劇は光秀の頭に深く刻み込まれていた。

この時代の本は数多く世に出ている。古くは山岡荘八、一躍国民的な人

作家となり、私も著作の殆どを読んでいる司馬遼太郎。いずれの作品

をも抜く抜群の内容だった。作中に頻繁に出てくる松永弾正久秀の性

面白い。この武将についての本を探してみよう。

 

本を読んでいると隣家の80才前後の老女が引くピアノのメロディ~

れてきて少し昂った気持ちをほぐしてくれる。童謡や文部省唱歌が

心の昔良く口ずさんだ素朴なものが多い。小学校の音楽の先生だった方

が弾いている。初者がよく弾くショパンの下手な練習曲だったりする

と騒音と感じてしまうがこれなら歓迎

 

   ♫ もしもピアノが弾けたなら・・    西田敏行 歌 

 

私のカラオケの持ち歌の一つ。

 

コメント

403-300922スマホやタブレットからブログ記事を作成する

2018年09月22日 | パソコン・IT

現役時代から不眠に悩まされていた。ここ数ヵ月は良く眠れている。原

因はいくか考えられるが、何といっても現役退任でストレスから解放

されたことだろう。そして最近続けているのが、寝床を離れたら窓を開

けて天気に関わらを見上げること。そのことで目が覚めたことを脳

に刻み付ける。ブルーライトは夜は禁物だが目覚めの儀式には有用。

今朝の空は秋がきたと叫ぶほどのものだった。

 

暇な時間がたっぷりとあるので色々なことをやってみる。ブログ記事を

作るのに、いちいちパソコンのある机まで移動しないでスマホで済むよ

に考えた。

真昼間から酒飲んでていいのかな? この一杯限定、懸命に働いてきたご褒美だ!

 

参考にしたのは愛読するブログ「からあげ隊長の冒険」。この作者は北

海道を自転車にキャンプ道具一式を積んで回っている御方。年齢は40

後半だろうか。毎日その旅の様子や山を登った記録をブログとしてネ

ット上に掲載している。ジャンルは違うが同じく自転車を楽しむ身には

なかなか面白い。パソコンを持って歩くことはできないので、スマホと

無線で繋がる携帯式のKBで記事を書いいる。なかなかの長文だが読者

を飽きさせない工夫は見事なもの。

ちょうど北海道胆振東部地震の際は札幌にいて、全道に広がった大停電

に出くわした。その模様が現地から見事に記事化されていた。

そんな様子を見て本当にできるのか試した次第。旅先でブログを書くこ

となぞ考えられないが、気軽にこたつの上やダイニングテーブルで書く

ことができればありがたい。

 簡単な設定で目的が達成された。スマホやタブレットはべんりな道具だ

が文字入力イライラする。これが解消された。コタツの上がちょっと

したノートパソコンの置き場に変わった。手前が無線でスマホに繋がる

キーボード。写真はタブレットだがスマホに置き換えれば同じ。ブログ

の文章をスマホのあの小さなキーで入力するなんてことは至難だ。やっ

てみてわかったが、あくまでブログ記事の素文であって写真や何かを載

せるとなるとやはり机上のパソコンだ。それでも少し長くなるメールな

どは問題なさそうだ。

 

別に引きこもり老人となっているわけではないが、このところあまり

出しない。長雨のせいもあるが8割方は家の中での生活が続いている。

老人の孤独はボケき金になるとよく言われているのだが・・

今週は久しぶりに「渡る世間は・・」のテレビドラマがあった。ここで

老人の孤独が見事にドラマ化されていた。岡倉家の5人の娘の家庭

それぞれハッピーエンドだったのでさすがに橋田さんもこれが最終回

ろうなと思わせた。今後見たければDVDを借りればいいか。

 

今のところ体調も良く、こんな家での生活が続いても特に孤独を苦には

していない。面白い本とパソコン等でテレビに頼らなくても有り余る時

を有効に使えている。テレビはどうしても受け身になるが、本読みは

読む意志がないと続かない。今読んでいる本も面白い。2時間位は簡単

過ぎて行く。身体も動かさないと衰える。今日は終日雨なので大相撲

を見ながら四股を踏でいる。週に一度ずつの自転車走行とスイミング。

行けなければ夕らの散歩。それでも意識しないと体重が増え気味と

なる。理想と思っいる線よりも3~4kg過多。この長雨が過れば

榛名山の山歩きが待っている。                9.21 記  

 

 

コメント

402-300915ドナルド・キーン

2018年09月15日 | 小説・映画・など

松岡圭祐著「八月十五日に吹く風」をKindle で読む。6月の検査入院

際にベッドの上で読んだもの。落ちついた環境で再読する。それだけ

の価値があると思ったがゆえに。

「キスカ撤退作戦」で検索すれば詳細な作戦の経緯を読むことができる

のであらすじは省く。この作戦で日本陸海軍5000人余の将兵が武

弾薬や食料の補給が絶望的なアリューシャン列島の島キスカから撤退で

きた。昭和18月15日の事。

この日本軍の撤退作戦を描いたこの本の一方の主役ドナルド・キーン氏

に惹かれた。文中ではロナルド・リーンと名を変え、日本語を理解で

る通訳官としてこの作戦のアメリカ側として登場する。日本の代表的古

典文学の源氏物語を英訳したアメリカ人だとは知っていた。若きキーン

氏は例外的に捕虜になった日本軍兵士の尋問に立ち会う通訳としてや手

に入れた日本軍の文書の翻訳担当として従軍し、この撤退作戦に遭遇し

た。濃霧を味方にした日本軍の見事な撤退作戦だった。降伏するとを

拒否して玉砕するのが日本軍との見方を変えた。

終戦に伴い日本を占領したマッカサー元帥率いる占領軍は比較的穏やか

な占領行政を敷いた。全体的には素直にそれに従った日本。そして敗戦

の廃墟から現在に続く繁栄を手にすることができた。

米軍からは追い詰められると民間人を含めて何をしてくるか予想がつか

ない狂人国家と見られていた日本。いやそうではない、人の命を尊ぶ一

面もアメリカ人同様に持つ国民だと手の届く範囲の軍高官に説いて回っ

たのがキーン氏だった。そうした氏の努力もあってか占領行政は

なものではなくやかなものに変わった。

勝者アメリカが敗者日本に行った占領行政の可否を論じるほどの知識は

持っていない。「八月・・」を読んでみて、ほぼ無限にある歴史の一コ

マにこんな出来事もあったのでと深く印象に残る内容だった。浅田次郎

著「終わりのない夏」と同量の感動を得た。純粋な米国人にも拘わらず、

日本に帰化までしてしまった日本を誰より愛する欧米人。まだご健在だ

と思う。最近のキーン氏の様子は下で見ることができます。

https://echigo-kakutayu2.blog.so-net.ne.jp/index/2

いい本に巡り合った。

 

大相撲秋場所が盛り上がっている。注目の的は横綱稀勢の里。横綱の権

威を守るために必死に土俵を上がっている印象が強い。5日現在無敗を

続ける。いずれの相撲も万全の勝ちとは言い難い。それがまたファンを

引き付ける。

圧倒的な強さは感じない。しかしこの横綱の挙措が素晴らしい。瞑目し

た姿に神秘さすら漂う。目じりの線が横に長く伸び絵になる横綱の姿だ。

さらに蹲踞の姿勢から立ち上がる時いい。ほぼ真直ぐに立った上半身

が全くぶれることなくすくっと真上に立上がる。

最盛期の白鵬の姿には圧倒的な強さを感じたが、久々の日本人横綱稀勢

の里には伝統美を感じる。何とか15日間無事に土俵に上がりできれば優

勝争いに絡んで欲しい。

 

 

 

 

コメント

401-300908地震災害の現場近くを通っただけに・・

2018年09月08日 | 最近さわがれること

北海道以外では見られない巨大なフキの葉。札幌開拓村にて  28.7

 

倉敷市真備町、広島や呉の豪雨災害、大阪湾周辺の高潮災害そして木曜

日未明の北海道胆振地方を震源とする震度7の地震災害。被災地の皆さ

まはどんなにか辛い思いをされているかと心が痛む。

北海道の地震に遭った地域は、2年前の北海道旅行の最終日に札幌から

苫小牧東港まで車で通過した近くなので受け止め方が異なる。素晴らし

い所だった支笏湖畔の丸駒温泉や昭和新山あたりは大丈夫か? 全道が

停電するという異常事態の発端となった苫東厚真火力発電所。くなっ

てフェリーターミナルへの道が判らなくなり、教えてもらったのがここ

の守衛所だった。

 

凄まじい大地の揺れだったのだ。熊本地震の山崩れも驚きだったが、こ

の光景は驚きを通り越し、なんと表現したら良いのか・・   地図や地

形好きとしてはこの光景はブログに残しておこうと思う。

 

同じ場所の地震前の様子。みどりに覆われた穏やかな丘陵だった。

いずれも朝日新聞の9月7日朝刊より。

 

大災害が起こる度に、自分や身内が住む場所でなくて良かったと、他

事のような気持ちがどこかに潜んでいる自分に気付き、いけないな・・ 

と反省する。

この夏大災害に遭われた地域の方々も、7年前の東日本大震災や熊本地

震の際は、直接の被害を受けてはいない。私と同じような受け止め方を

された方々もおられるだろう、と推測する。それらの方々が今年は被災

者になってしまった。

幸いにして物心ついた以降大きな災害に遭っていないままこの年になっ

しまった。毎年どこかで発生する災害は川向こうの出来事と受け止め

自分だったことを否定できない。しかし次は被災者になる確率は年々

高まっている。

当地の町はずれに秩父方面に続く顕著な活断層が走っていることは判っ

ている。昭和の初期にそれがそれがずれて大地震が発生し、大きな被害

が出たことは市史で知った。ただ支那事変が勃発したときで全国的には

報道されなかっただけらしい。当時の生々しい記憶を持っている方々は

殆どいなくなってしまっている。代わってこの地は災害には縁のない地

域なんだと思っている人が大多数を占める。

特に心配なのは関東を襲う大地震、大正12年の関東大震災クラス級の

ものが発生する恐れが高まっている。身内や友人の殆どが関東平野に

むので、その時は誰かが被害者になるのだろうか。

こんな大地震は気をつけようがない。長い地球の歴史を前提にすれば、

100年、200年なんてほんの一瞬。被害者になるかならぬかは

運だと思うしかない。そうなると被災後の身の処し方が重要になる。

それしかちっぽけな人間ができることはない。

  

 

 

コメント

400-300901地図好きは60年たっても変わらないな・・

2018年09月01日 | もろもろ

 

さしもの夏も終盤と思いたいが・・

 

NHK「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていた。今週の舞台は秋田県由利本荘市。

こうした番組には手許に地図がないと落ち着ない。よく利用する電子

媒体の地図は、

 ① 国土地理院の1/25000の地図、

 ② カシミール3Dという1/20万 並びに1/5万

 ③ google map  これらはいずれもパソコやスマホで見る。

紙媒体のものでは

 ④ 子供達が高校生の頃使っていた教科書地図、

 ⑤ 1/20万の道路地図

必要の応じていつでも参照できる準備をして番組を見る。 「鶴瓶・・」

では②と③が活躍する。「プラタモリ」では何といっても①の国土地理

院のもの。使い慣れると高低差が色で表示され3D画面を参照できる。紹

介される地形が地図上で確認できるのが、好き者にはたまらない。

元々山登りのために紙の1/25000地形図をその山域に合わせて取り揃え

いた。それに同様に山好きの父親が残した日本陸軍陸地測量部の発行の

1/5万のと合わせると100枚くらいになるだろうか。山行の回数が減っ

のと電子媒体のもの自由に使えるようになり、GPS機能の充実もあっ

地図の利用の仕方が変化してきた。

先日の「鶴瓶・・」で参考にした地図で珍しいものを見た。

 秋田県由利本荘の市街図。街中を貫く道路に国道105、107、108、398

の表示がある。距離にすれば僅かだが、1本の道路に4本もの道が重な

っている場所というのは、詳細に調べた訳ではないが他に例がないので

は。一般にはメインのルートから別れた国道にはそこから番号が付く

のだと思っていた。

左を南北に走る道は、新潟市と青森市を結ぶ日本海側の幹線国道である

号線。T字状に分かれてから西へ3KMほどは4本の国道が1本の道に重

なる珍しい場所。3km先でまずR108が右に分岐して鳴子や鬼首を経

石巻を目指す。200mほどでR105が左に角館方面に分岐する。

残ったR107とR398はこのまま20kmほど由利本荘の内陸まで重なって

り、山間地に入ると二つは独り立ちする。左へ別れたR107は雄物川を

渡り、横手市を経て奥羽山脈を横断して大船渡市にがる。残ったR398

はR108の北を並ように南下し、登米市を経て石巻市を目指す。

こんなことで地図を見比べている自分が、小学校から中学校にかけての時

代、夢中で地図を見ていた頃となんにも変わっていないな、とモゴモゴ・・

 

さらに趣味が高じつつある。

江戸時代初期に整備された5街道のうち比較的昔の宿場町の雰囲気が残る

と言われてる東海道を京まで、さらに中山道を辿って東京までをgoogle map

のstreet viewで疑似歩行してみようと計画している。先日試しに小田原か

ら三島まで1時間半かけて旧東海道を歩いて(?)た。その存在を知らな

かった北条氏の手になる山中城址の壮大な遺構をじっくりと見物(?)でき

たのは収穫だった。なかなか楽しめそう。

でも行く先々の風、人情、風呂、うまい食事と酒と無縁な旅は、所詮はかな

い。

 

 

コメント