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toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

382-300429(番外編)上信国境の忘れられた峠を訪ねる

2018年04月29日 | 山登りというより山歩き

わたらせ渓谷鉄道について書いた前回のブログで列車の先頭から撮影し

た動画を掲載したかったのですが、方法がよく解らずに宿題としました。

山歩きから帰宅してじっくりと研究してようやくやり方が解かったので、

番外編として掲載します。コンパクトデジカメを動画モードにしての撮

影だったので画質が落ちているところと、明暗の変化にカメラの方がつ

いていけないところが頻出しますがご容赦を。大間々駅から次の上神梅

駅までの4分程度の動画です。

ローカル鉄道はどこも、経営はなかなか大変と聞く。今回乗車したわた

らせ渓谷鉄道はあちこちに工夫の跡がみられて好感が持てる。四季おり

おりの光景が楽しめそうだ。

 

さて、私の山歩きは佳境に入っている 

3月から始まり入梅までの2カ月余の期間、もっぱら近郊の藪山歩きに

励んでいる。もっとも桜が散り始める辺りまでは花粉症で山歩きどころ

でない日が続くので、本格的には4月中旬以降となる。この時期、何よ

りも芽吹き、新緑、深緑変わってゆく樹々の生命力に感動する。こんな

緑の空間を時間を気にせずに思う存分歩き回れるのは無上の楽しみ。

 

上信国境は山並みに添っているので当然いくつもの峠がある。国土地理

院の地図で調べたのを下に掲げる。中でも有名なのは碓氷峠。奈良朝の

昔から東山道が通り人の往来が激しかった。

現代でも北陸新幹線、上信越道、国道18号が近くを走り、かっては信

越本線も通過した交通の要衝。明治期まで使われていた碓氷峠は今歩い

てみると意外にも山登りといっても良いほどの急峻な峠道。往時の旅人

の健脚に驚かされる。地形的には群馬県側は急峻、長野県に入ると緩や

かに高度を下げる。ここを通過するために鉄道も街道もいろいろな工夫

がされているのはご存知のとおり。

 

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赤で示した18の峠のうち、角間、星尾、余地、矢沢と栂峠以外は車で

簡単に通過できる。徒歩で越えるしかない5つの峠のうち、星尾峠は荒

船山登山の際に、角間峠は湯ノ丸山登山の際に通ったので、余地峠を踏

んでみることにした。碓氷峠以南の峠は武田信玄の軍勢が頻繁に越えた

峠だと言われている。

車はこの先1kmほど入れるが、今日は落石でここまで。

暗い杉の造成林の急斜面の登り切ると、こんな道が峠に導いてくれる。

通ってきたスギの造成林の道は武田軍勢が通過したとは思えない獣道に

近いものだったが、これならば頷ける道。スギの植林は幹回りから見て

戦後だと思うので、400年前はこういう感じで下まで通じていたのだ

ろうか。これも世にいう信玄の棒道の一つなのかもしれない。

途中からジムニーなら走れる林道に合流した。それを辿ると余地峠に着く。

季節が秋なら人恋しくなるような淋しい場所だった。かろうじて峠である

ことが読み取れる。他に古びた小さな馬頭観音の石像。

翠岩(左)と烏帽子岳(右)

今日も新緑囲まれての快適な山歩きだった。

南牧村最奥の熊倉はこんな見捨てられた家があちこちにあった。

 

余地峠の南に十石峠やブドウ峠がある。今は車で簡単に通過できる。

昭和15年8月、30才の父親は上野村から2泊3日で歩いてブドウ峠

越えて小海町までいた。日本山岳会版の山日記にその記録として書

かれたものが遺品として手許にる。当時の光景を浮かべながら80年

後70才半ばになった息子が同上信国境の峠を越えた。

 

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381-300428わたらせ渓谷鉄道に乗る

2018年04月28日 | もろもろ

4月28日のブログ更新日は朝早く山に登る予定。

ブログ更新の時間があまりないので、先日4月26日に体験したわたらせ

渓谷鉄道を新緑を写真で紹介します。

近くにありながら、今まで乗ったことのないローカル線は予想以上に素

晴らしいところを走っていた。少年の頃から電車の先頭で眺めるのが大

好きな私、この年齢になっても変わらない。写真と動画で鮮やかな渡良

瀬渓谷の鮮やかな新緑を紹介します。鉄道会社の血の滲むような努力の

成果があちこちに見られる好印象の路線だった。小さな無人駅であって

も掃除が行き届き、上神梅の駅など花で埋まっていた。 

がんばれ わ鉄 !!

始発駅は桐生だが大間々駅から乗車。

ローカル線には現金がないと乗れません。

駅名はわすれた。ここで上りと待ち合わせ。運転手さんと話す。

車窓を過ぎていくツツジ

終点間藤駅。ここで線路は途絶える。足尾銅山華やかなりし時代は更に鉄

は伸びたいた。

山間の原向駅とホームから見上げた圧倒的な足尾の山の新緑。銅山が排き

するガスではげ山になった山はこの緑が蘇るまでには100年もかかろう

往時の荒々しい地肌に緑が幾分か蘇りつつある。

 

運転席横から撮影した迫力ある動画をyou tubeまでは投稿できたが、ブロ

グとのリンクが時間切れで出来ませんでした。帰宅後研究して載せます。

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380-300421高畑監督追悼番組「火垂るの墓」に涙す

2018年04月21日 | 小説・映画・など

  出典 https://kensnews.net/?p=6223 

宮崎駿氏とアニメ動画の双璧の一人の高畑勲氏が亡くなられた。この報に

接するまでお名前を知らなかった。訃報の解説であの名作「火垂るの墓」

の監督だったと知った。息子たちが幼かったころ一緒に見ていた「母を尋

ねて三千里」などのアニメが氏の手になった作品だったことを初めて知っ

た。

追悼番組として先週「火垂るの墓」が放映されたので30年ぶりに鑑賞す

る。映画の主人公は清太少年と妹の節子。今風に言えば清太は中3、節子

は年中の幼稚園生か。重巡洋艦摩耶に乗り組む海軍士官の夫婦の間に生ま

た兄妹は何不自由ない恵まれた暮らしがあった。その生活は神戸を襲っ

空襲で一変する。母親は重度のやけどで死に、父親の安否も不明(摩耶

この1年前にレイテ沖海戦で雷撃で沈没していた)。二人だけで一面の

焼け野に放り出されてしまう。被災者みんなが自分が生き残ることに必

死だっ中で2ヵ月は頑張った。そして力尽きて先に妹が死に、ひと月後、

兄もノ宮駅舎の柱にもたれかかって栄養失調で死ぬ。現在まで生きてい

たとれば清太は85歳くらい、節子はGと同じくらいのおばあさんになっ

ていだろう。あの時代の記憶は私にも残る。

食料事情は物語と同じようなものだった。その微かな記憶を思い出しなが

ら見ていると、30年前と同様またしても涙してしまう。節子の「お兄ちゃ

ん・・」の声が切ない。広島で長崎で東京はじめ地方都市で多くの悲劇が

襲った。満州からの逃避行も苛烈悲惨だった。

そして

読んでなかった原作野坂昭如著「火垂るの墓」を読む。読み始めてすぐ違

和感を感じる。とにかく一つの文節が長い。調べてみると野坂氏独特に筆

使いのようだ。長いのは丸々1ページ句読点だけで続いていく。

内容が平易なので主語述語を意識することなく意味は判るが、慣れるまで

多少の忍耐が必要だ。映画が原作を徹底して忠実に再現していることに驚

く。これほど原作に忠実な映画に接したことがない。この短編小説はアニ

メ動画と表裏となり、印象深い作品となった。

 

さて

 

私の山登りは春と秋のそれぞれの2カ月のみ。春のシーズンは新緑に包ま

れた山に魅了される。藤岡市の世界文化遺産に指定された高山社奥の御嶽

山に登る。御岳講と何らかの関係があるのかもしれないが、本家の木曽の

御岳に比べるとはるかにこじんまりした藪山。先週の山歩きの北に位置す

る。期待したとおりの新鮮な緑に染まりながらの楽しい4時間だった。

出発地からいきなりの200mの高度差を登りきれば、あとは地図には表

示されない規模だが結構な斜度の登り下りが何度も繰り返して現れる尾根

筋のコース。以下新緑に包まれた尾根道を紹介します。

 

上の高みがこれから登る尾根の一部。

新緑に覆われたとりつきの林道で。

緑の尾根に取りついた。頭上にかぶさる木々の新緑。

両側は樹木覆われてはいるが急角度で落ち込んでいる。その尾根道を塞ぐ

ようなクヌギの巨木

ミツバツツジか、咲き始めている。

カメラ設定を間違えたまま撮る。現物はもっと鮮やかな緑と赤

尾根道最後のコブを登ったところにあった案内板。

 

このシーズンは猿ヶ京の些奥、永井から旧三国街道を上越国境三国峠

まで歩き、折返し法師温泉までの道を辿ってみたい。見捨てられた往時の

街道の新緑はどんなだろう・・

 

 

 

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379-300414久しぶりの山歩き

2018年04月14日 | 山登りというより山歩き

この時期花粉症に悩む一人だが、今年は症状が例年よりも激しく表れた。

絶好の藪山歩きのシーズンが到来したのに、なかなか行く勇気が出なか

った。

少し落ち着いてきたので久しぶりの山歩きに出る。山登りというほどの

高低差はない。場所は世界産業遺産のひとつとなった藤岡市の高山社の

奥の林道回り。林道の道幅こそ軽トラックが走れるものだが、一周の半

分は廃道寸前に追い込まれていた。しかし歩く分には藪漕ぎの必要がな

いので大助かり。

丸で囲んだ何の変哲もない藪山。

クリックで拡大    

 

林道の入口。椚山集落への道から左に入る。この車道はここより1km

ほど奥の椚山集落で行き止まり。それだけに集落が花の埋まるこの時期

桃源郷のような雰囲気がある。帰途それを見るのも楽しみ。 

軽トラックなら十分に走れる林道が暫く続く。造成林の暗さと雑木の新

緑が好対象。 

捨てられたような案内板。鎌取ハイキングコースとある。かっては頻繁

に歩かれていたのかもしれない。 

40分も歩くと近年の豪雨で崩れたのか、林道は崩壊していた。 

取りつきから1時間で藤岡市と鬼石町の境界尾根に出る。新緑は始まっ

たばかり。ここは地図に記載はないが三高峠というらしい。

尾根の北側に林道は走るが、敢えて境界尾根を辿る。林業関係者のため

の道が通じている。コースから少し外れたところの747mの三等三角

点を確認する。南方面に東西の御荷鉾山がぐっと大きく迫る。 

三角点から少し西に下ると林間に白く輝く壁状のものが見える。明らか

に人工物。近づいたら林道整備のの工事現場だった。休工中の看板があ

る。ユンボの上の方か下ってきてこの現場で道は途絶えていた。正面の

藪の中を注意して降り、振り返って眺めたところ。

毎年取れた予算の範囲内で行わる林道整備工事なのだろう。

完成はしたが場所に不釣り合いの未使用の舗装道路を暫く歩き元の林道

に入る。ここから椚山集落までの40分ほどは、暗い杉やヒノキの植林

地帯をうねうねと道は続く。幅は充分だが路面は荒廃している。

荒廃した林道歩きに飽きてきたころ突然に村落に出る。いままで陰鬱な

林道を辿ってきたので、その華やかさに気持ちがパッと明るくなる。

こんな花々を見ながら生活道路を車まで戻る。都合4時間余の山歩きだ

った。

集落の最奥にある二千階段の登り口に寄ってみた。種類は何だろうか、

桜が満開。

 

東に格好の良い山が緑に包まれつつある。この日晴天だったので、まだ

花粉は相当飛んでいたのだろうが、多少涙目になったが鼻炎は出ず、花

粉症のシーズンも過ぎつつあるなと感じた。この季節近辺の有名どころ

の桜を見て回った。どこも人出が多く賑やかだった。

しかし、

ここは藤岡市街地から車で20分ほどで訪れることのできるが行き止ま

りの集落。この季節以外はわざわざ訪れる外部の人も少ないだろう。花

に埋もれた桃源郷だと思っている。

住人の一人に聞けばここも空き家が4割近くになるいう。車が運転がで

きなくなったら日常生活の継続が難しくなる。ここも10年後に廃村に

なってしまうのかと思うと残念。

 

そして

土俵に女性は上がれない・・・の問題が世間をまだ賑やかしている。

小池都知事の言や良し。

  「急遽救助活動を行ったことは素晴らしい。私は表彰のために土俵に

   あがるなどということにエネルギーを割くつもりはない。」

この気っぷの良さが彼女の良いところだ。


 

 

 

 

 

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378-300407焦っても成果が出ない趣味だとつくづく思う

2018年04月07日 | 花・樹木

 

こんな写真(左)が引出の奥から出てきた。多少盆栽をたしなむが、中でもサツ

キが好み。枝が暴れてしまったものを改造すべく思い切って枝を落としてしまっ

たのが10年前。その後次第に新しい芽が出て、枝に成長し剪定を繰り返し昨年

ここまで成長した。今年も巡りくる5月にどんな花を咲かしてくれるか楽しみ。

このサツキは栄冠という種類。

盆栽の代表である松は粘りがあり枝は折れにくいが、折れたらそこから新しい枝

はまず生えない。一方サツキの枝は折れやすいが折れたところから新しい芽が出

て枝に成長する。それぞれの樹の持つ特性を上手に生かして樹形を整えていく。

その成果は1年ではわからない気の長い楽しみ。でも大改造の結果を見届けられ

ない年齢になってしまったのでもうそんな挑戦はしないことにした。手持ちの鉢

に水やり、施肥、松の緑摘み、そしてサツキなら花後の選定だけを繰り返してい

こう。4~5年ごとの植え替えも忘れてはいけない。

手許のブナ盆栽の芽吹き。

 

偶々競泳日本選手権の中継を見た。中でも池江瑠花子選手の才能には驚いた。

若干17才だ。これからどこまで伸びるのか恐ろしい新人が出てきた。2年前に

挑戦したスイミング。舐めてかかったとしかいいようがない。10mも泳がない

うちに沈没した。隣を結構なお年の女性がクロールでスイスイ泳ぐの見た時の屈

辱。それなりに練習を重ねて200mは問題なく泳げるようにはなったが、踊り

場にさしかかり上達が停止してしまった。そんな時だったので一流選手の泳ぎの

すごさに感動。技量に差があり過ぎて年寄りスイマーの参考にはならないが・・

 

そして大相撲の地方巡業で起きた出来事が話題になっている。

土俵上以外にも女性が立ち入れないところにトンネル工事の現場がある。また世

界遺産沖ノ島も女性禁制が今も続く。八角理事長が報告を受け直ちに謝罪した。

人の命に関わる緊急処置は伝統やしきたりよりも優先するとの認識を示したのだ

から問題は解決と私は思う。この一件をもって女性も土俵に上がられるように伝

統を変えろとの意見が出てくるとやりきれなくなる。世の中全て理屈で割り切れ

るものでもあるまいに。

 

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