徳川幕府初期に設けられた五街道の一つ中山道に今も残る
一里塚のエノキの大木(高崎市上豊岡町)
5月28日夕刻、米国オバマ大統領が広島を訪れ、原爆死没者慰霊
碑に献花した。米国の大統領ともなればその言動は大きく報道され、
その一言一句が大きな意味を持つ。原爆資料館に自ら折ったという
ツルを手向け、被爆者の老人の肩を優しく抱きしめた。大統領の心
は日本人の多くに賞賛をもって伝わった。わだかまりの一つが解け
た気がする。
翌日の各紙は大統領の英語のメッセージ全文と日本語訳を掲載して
いた。同時通訳がこなれた日本語ではなく今一つ内容を掴めなかっ
たので、日本語訳で大意を理解したうえで、英語の全文をつかえな
がらも読んでみた。訳してしまうとどうということもない構文だが
原文が持つ英語独特のリズムには魅せられた。こんな出だしで始ま
る。
Seventy-one years ago, on a bright, cloudless
morning, death fell from the sky and the world
was changed. A flash of light and a wall of fire
destroyed a city and demonstrated that mankind
prossessed the means to destroy itself.
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さて、様々な日本一がある。我が妻は、我が夫は日本一と自信を持
って言い切る方々もおられることと思う。 南牧村の自然に魅了さ
れて再度現地に向かう。先週読んだ「群馬の県境を歩く」という本
で紹介された田口峠を通ってみたくなり、滝めぐりはスルーした。
途中でこんな案内板に惹かれ予定になかったがそこまで行ってみる
ことにした。以下その場所を示す地図を載せました。
20万分の1、5万、2万5千と3枚の地図は順次詳細になります。
右の小さな画面をクリックすれば大きな画面になります。
つる舞う形の群馬県のこの部分、鶏の足の後ろにある突起のような
部分が子供の頃から気になっていた。通常山間部の県境は分水嶺に
沿って敷かれているものだが、なぜかここは食い違っている。 分水
嶺はX地点の横の二つの突起の右で県境から離れ、霊仙峰の頂上を
通り田口峠を経由して兜岩山の東でまた合流する。
田口峠から4kmほど佐久市方面に下ったところにあった人工湖。
周囲の樹々とマッチした神秘的な水の色。雨川砂防ダムとあった。
対岸に渡る。左右に林道が伸びているが、いずれも通行禁止となっ
ている。その前に駐車し軽登山靴に履き替えて歩き出す。
30分ほど歩くと、次第に山道らしくなってくる。要所に標識があ
るのでその指示どうりに進むが岩がむき出しの沢筋で歩きずらい。
沢は次第に狭くなり、流れも途絶えてきた。標識がなければ少し不
安が増しそうな雰囲気。GPS機能のあるスマホ持参なので現在地の
把握はできる。しかし地図と周囲の状況を照らし合わせることや、
向かっている方向の確認を怠ってはいけない。
沢の水は完全に消えていままでえぐられていた沢がほとんど消えて
一登りで目的地に到着。歩き始めて1時間強。標識を中心にして周
囲はかなり広く刈りはらわれている。誰もいない。
国土地理院認定の公式な標識が埋まっていた。
約114km海岸線から離れていることが説明されていた。なるほ
どこれが日本一か。絶海の孤島というより岩礁である沖ノ鳥島にも
こうしたプレートが設置されているという。島の標識は広大な排他
的経済水域を手にするための重大な意味を持つが、こちらは地形的
経済的な意味合いはない。海に四方を囲まれた国であると考えれば
マニアにとって意味があるくらいかな。
この場所から周囲を見回す。登ってきた沢筋は樹々に隠れて見通せ
ない。東に目を向けると尾根らしき上に青空が拡がっていて、そこ
に向けてかすかなふみ跡がある。大した距離とは思えなかったので
登ってみる。そこは人工的な植林はされておらず、ナラやクヌギが
茂る穏やかな尾根だった。県境とはもっと離れていると思っていた
が念のためGPSで確認するとまさに県境を両足でまたいでた。
(左が長野県、右が群馬県)
先週読みふけった椛澤初男氏の「群馬の県境を歩く」で紹介された
余地峠から北に向かう県境に立っていたのだ。ここはまだ県境と分
水嶺が一致しているが、少し北に行ったところで二つは離れる。著
者もここを通過しのだと思うと少々感激した。県境なんて車で通過
すればなんの感慨も湧かないが、こうして苦労の結果たどり着いた
所と思えば多少の価値があるか。帰りは岩石と倒木だらけの沢を足
をくじかないように慎重に降り無事出発点に戻ることができた。
5月31日記