toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

521-020829小さい秋み~つけた

2020年08月29日 | 季節の変化

                   

過去の日記の今頃を見返しても今年の残暑は異常だ。

雷には慣れている当地も2回ほど雷雨はあったが、例年に比べれば少ない。

気圧配置が安定した夏型が続いているということか・・

 

食欲はあるから夏負けという訳ではないが、睡眠状態が極度に悪く、

夏バテの感じ。

人と約束していた日も朝の目覚めが悪いとお断りせざるを得ない。

夏の不眠は毎年の恒例なのだが、今年はひどい。

 

長年の睡眠導入剤の服用でこれなしにはもう眠れない体になってしまった。

長くてもあと20年の人生故、大した副作用も出ていないので

このまま続けるしかない。

認知症になるぞ、と脅されたこともあるが、眠れない夜が明けて辛い1日が

始まるくらいなら、飲んで良眠を得ようと開き直っている。

 

病院の駐車場で小さな秋を見つけた。

連日の猛暑で水分が足らずに一足早く枯葉になってしまった桜の葉。

無理やりでもこんな光景に秋を感じたくなる。

もう少しの我慢と耐えるしかない。

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520-020822亡父の命日

2020年08月22日 | 小説・映画・など

                    

何の意味かと思った。

戦国時代の小説とを読んでいるとよく目にする武将で

悪役として登場することが多い松永弾正久秀が主人公の本だった。

人間をじんかんと読む。

最期は信長軍に攻められ信貴山城で茶道の名器とされる

ひらぐもの釜を抱き城諸共爆破して意地を通した。

このあたりまでは知っていたが、

信長とは互いの心が通じ合う仲だった。

かなりの長編だが主題を意識しながら読み下るとじんかんの意味が解ってくる。

 

 

 

亡父の祥月命日。

父親は大正元年生まれ。理研の技術者だった。

戦前の理研といえば日立や三菱に匹敵する大きな企業群だったらしい。

戦局がひっ迫してくると、本来軍需産業ではなかったのに、中島飛行機の傘下に入り

戦闘機の部品を作るようになったらしい。

それゆえに召集令状は来ず、幸い元気で戦後を迎えた。

戦死者から託された戦後復興を担う中心世代のはずだったが

2年後病魔に侵され、以後10年近くになる闘病生活を強いられた。

最後は大学病院での一縷の望みをかけた手術を受けたが、

術後の経過が思わしくなく1ケ月後の8月22日に45才で他界した。

 

何度か見舞いに行った。大学病院とはいえ現代の水準で考えると

非常に劣悪な環境の病室だった。木造平屋建ての病室は勿論エアコンはない。

最近の暑さに比べればましだったようだが、

窓を全部明け放した大部屋に数人の患者が伏せっていた。

石炭酸やクレゾールの臭いと病人が発する臭気とが交じり合った異臭、

窓外の空き地には解剖実習に供されると聞いた何匹かの野良犬

悲しい鳴き声が煩い。

8月は毎年終戦の日を挟んで、戦争の悲惨さが繰返し映像に現れる。

私の8月15日は、亡父の面影と共になぜかこの時の大学病院の風景が重なる。

 

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519-020817スマホを取り巻く疑問点はどこに質問したらいいのか?

2020年08月17日 | パソコン・IT

 

閉鎖した河川敷ゴルフ場の緑陰

 

機械ものに必須だったトリセツの存在が薄れてきて久しい。

7月初めにスマホを新しくした。LINEの通知がよく理解できない。

近くのドコモ店で確かめようするが、電話して予約を取ろうにも、

例の応答「ただいま、回線が混んでいて繋がりません、再度かけなおしてください・・」

とにかく繋がらない。近くなので自転車で店頭へ。

店頭で予約の受付が完了するまでに30分もかかる。

予約の日付がさらに2日先という。

そのうえLINEの使い方はドコモ店としては教えることはできない、ときた。

何もそんな複雑なことを質問するわけではない。

ネットで見てくれと言われても、もうそれが辛いので店まできたのに。

こんなサービス業ってあるのかいな???

爺さん婆さんには住みずらい世の中になってきた。

 

マイナスイオンを浴びた気分になって

 

 

手にした以上、分からないので使わないという選択肢はない。

苦労して行き付いたのが、「ドコモあんしん遠隔サポート」というサイト。

比較的短時間で繋がる。繋がった後は電話の向こうの担当者が私の

スマホをリモートで遠隔操作しながら教えてくれる。

パソコンではおなじみの手法。週末から4回接続して教えてもらった。

何れもドコモ店の担当者とは比較にならない豊富な知識量で

私の疑問を全て解決してくれた。

感心したのは彼等の話かた。店頭のすだれまつ毛の女の子とは

決定的に違う。

更にリモートとはいえ言葉のやり取りが与えてくれる

安心感、何物にも代えがたい。

I垣さん、O野さん、S木さんそして〇〇さん。有り難う!

 

複雑なパソコンやスマホの操作全部を頭に入れておくなんて若者でも不可能。

どこに聞いたら答えが返ってくるのかの窓口を知っていれば怖くない。

 

 

 

 

 

 

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518-020809仮想旅行はこれからも続く

2020年08月09日 | 小説・映画・など

            

猛暑とコロナから暫し逃れようと車で1時間半で湖畔まで行くとことができる赤城山に登る。

昔なら当たり前のように主峰黒檜山(写真奥)に登るのだが、

足弱になった私には少しレベルが高い。

小沼から30分もあれば登れる長七郎山で済ませることにした。

 

平日なら人気もない小沼だが早くも盆休みに入ったせいもあり、小さな駐車場は車で一杯。

なんとか隙間を見つけて登山開始。赤城山もここまでくると人工林はなく自然林が拡がる。

 

いつも榛名山塊の獣道のようなところを歩いてばかりいる。

その目で見るとこの登山道は一級で迷うこともない。

予定通りに頂上に着いたが雲に隠されて近くの高みが見えるだけで眺望はない。

前線が東北地方南部を横切っているのでこの曇り空は仕方ない。

しかし暫くぶりに緑一杯の山道を気分よく歩けた。

老人の束の間の避暑はこんなもの。

 

引き続き、司馬遼太郎著『街道をゆく』を読んでいる。

ここ2,3年は電子図書Kindleを使ってパソコン上やスマホで読むことが多い。

何といっても文字を自由に拡大縮小できる機能が素晴らしい。

老人となり目が悪くなると、文庫本の字では見にくいことが多い。

 

氏の一連の街道シリーズも随分と読み進んできた。

ここ数日は「越前の諸道」にはまり込んでいる。

越前福井は住んでみたい県の上位にランクされる地方だ。

当地ではあまり感じない瑞々しさがある。

山形県にもそういう感じを抱く。

海、山、川、田、森、峠、集落、都市部それらの配置が絶妙な県だ。

 

地名について教えられることが多い。

我が県にもある富岡市の北に位置する「丹生」や

現役時代の同僚が住む渋川市「吹屋」など。

丹生は水銀を含んだ粘土層の土地で砂金や水銀が採れたらしい。

後者はたたら製鉄で使われた

空気を送り込むふいごを使って得られる高熱で鉄を

採取する建屋すなわち吹き家が由来とか。

 

この2年間で日本各地を司馬氏に案内してもらった。後数巻残るがこのまま読み進もう。

他にも読みたい本はあるが、それからだ。

 

**手の抜けないことが出来して定期更新が1日遅れてしまいました。**

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517-020801蝉の初鳴き

2020年08月01日 | 山登りというより山歩き

昨日通い慣れているジムの小さな林から蝉の初鳴きを聞いた。

蝉にとっては別に今日初めて鳴いたわけではなく、

私の耳に入ってきた初めての蝉の声といった方が正解。

それはアブラゼミではなくミンミンゼミだった。

 

街中で聞く蝉の声、子供の頃はアブラゼミと決まったいた。

ミンミンは田舎に行かなくては聞けないものと思っていた。

当時はここも十分田舎だったが・・

数年前に気付いていたが、ミンミンがアブラを駆逐してしまったようだ。

生態系の変化。

 

山中を歩いていて聞こえてくる、もっと静かな浸みてくるような鳴き声をどう文字に表すか

悩むが、なんという種類だろう。ニイニイセミ or    ヒグラシ?

数年前谷川岳東面の未完成のまま放置された国道291号を歩き

このセミの合唱に包まれて県境に向かっていた。

明治の元勲岩倉具視も馬車に乗って通過したという明治政府が作った国道。

豪雪地帯で冬季通行止め、人気のない間に雪崩に無残にも破壊された道。

数年で廃道になったようだ。

雪崩の直撃を受けない尾根を回り込む場所は150年前の石垣が残っている。

 

現在車道としての道は途中で終わりになっているが、その先は登山道としては立派な道として

使われている。この道が素晴らしい。

名高い谷川岳東面の日本有数の岩稜を左に見ながら歩く。

その岩稜はもとより、その上の尾根にも登ることができない年周りに

なった昔の青年はこの道を辿ることにより、若かったころの自分を

現地で懐かしむことができる。

 

スギやヒノキ等の人工林を歩くのはつまらないが、

こうした自然林を貫く道を歩けるのは素敵だ。

 

長かった今年の梅雨も明けた。

コロナ感染からも逃げなくてはならない。

あの豊かなブナの森の中を今年も歩いてこよう。

 

平成27年の記録をもとに書いてみました。

 

 

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