2年前のこの季節、新潟→苫小牧間のフェリーで北海道の地を踏む。日本海側から
津軽海峡に入り、恵山岬を左に見て、今まさに太平洋に抜けんとする。海なし県育
ちには海の旅は今も鮮明に記憶とどまる。
偶々テレビでなかなか面白い番組に出逢った。その番組名は「ポツンと
一軒家」という。毎週ではないが、良き一軒家が見つかり、探索結果が
視聴に耐えられるのものであった場合に放映されるらしい。大体判って
きたが、番組スタッフはgoogle earth で宇宙から見た日本の上空を隈
なく探す。その中で面白そうな地点が発見されると、今度は地上からそ
この探索に出かける。全てが放映対象になるようなものとは限らないだ
ろうと思うので、放映されるのはその一部だろう。人の生活が営まれて
いることが大切。人の気配のない家屋は対象外。
お街の住人には縁のない山奥の一軒家にも人の生活がある。そしそこに
暮す方々の、得も言われぬ笑顔が印象的。
今日の番組では、愛知県の山奥に見つけた一軒家。訪ねてみると90才
の老婆が一人で暮らしている。周囲1kmには人家がない。救いは家か
ら伸びる生活道路が画面に映っていないが100mで村道に繋がり、1日
1本の村営バスが運航されていること。この村営バスの面白いところは、
運行主体の村に申請して認可されたら、自分の家の前に停留所が設置し
てもらえること。ばあちゃんの家も生活道路を下ればすぐにバス停。週
に一度の街への買い物の往復で、少しきついがこの私設道路は格好のば
あちゃんのトレーニングの場所。
立派なお屋敷だ。テレビに登場する一軒家は外見は風雪にさらされて傷
んでいるが、中に入ると例外なく太いしっかりした柱の存在。我が陋屋
の貧弱な細い柱とはなんという違いだ。ばあちゃん一人のすまいにして
非常に良好な環境下にある。だんだんその理由が判ってくる。
ばあちゃんの3人の息子たちとその家族が集まるとこんな大家族になる。
息子たち家族は普段はお街に住む。休日を利用して変わるがわるやって
きては、安否確認のついでに屋敷周囲の草取りやお掃除をやって帰ると
いう。時にはこうして一族が集まりばあちゃんを頂点とした4世代がに
ぎやかに食事をする。多くの一軒家の暮らしは家族のこうした協力のも
とに成り立っている。そしてそこに住む皆さんの屈託ない笑顔に癒され
る。ばあちゃんの笑顔がとても素晴らしかった。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」や「ブラタモリ」と同じ趣向の番組だ。
これらに共通しているのは、博物館とも称される多彩な日本の地質、日
本人の持つ家族の交わりや隣人とのやり取りを紹介する。先日亡くなっ
た歌丸師匠のような磨き抜かれた芸で勝負するのではなく、何かという
と、すご~い! ジュウシイ! を連発して騒ぐ、あまり芸を磨いてい
るとは思えない未熟な芸人やタレントたちに興ざめしているので、こう
した番組に登場する皆さん、肩の力を抜いた芸人ですね・・と感心する。
毎朝、朝食前に仏壇に般若心経を唱えるようになって、もう7年くらい
になるか。その意味するところは深く、解説を読んでも凡人には皆目理
解できない。理解しようとすることは止めたが、読経が毎朝の習慣にな
っている。短いお経なので、丸ごと脳が暗記しているのだろう、すらす
ら口から出てくる。ところがここ半年、つかえてしまって立往生してし
まうことが多くなった。丸暗記なので、つっかえるとそこから先が出て
こない。経文全体が一つの塊として記憶されているのだ。記憶がデジタ
ル的でなくアナログ的なのだ。したがって経文の途中から唱えろと言わ
れてもできない。常に元に戻って最初から。これは認知機能のチェック
になるなと思う。これから先何歳までこのアナログ的記憶は劣化しない
でいられるのだろうか・・
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