toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

068-240630水門 (water gate)

2012年06月30日 | 街歩き

P6262507 自然の造作の不思議さ ねじれは何の目的を持つのだろう?

当地の田植えはほぼ終了。 夏にかけて田に充分な水をおくるために、幹線の用水路の水門を調整して、支線に水を供給する。 この網の目のようになった水路がおいしい日本の米を支えている。 

さて、一口に水門(子供のころ「おた」 と言った) にいろいろな種類がある。 一般的に上に引き上げられた板状の鉄の扉を降ろして、水を止めるのが多い。

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大規模なのは有明海の諫早干拓地に設けられた水門。 3kmはあろうと思われる堰に設置された鉄板がギロチンのように次々に落下して海水を遮断する光景は壮観。 この水門への賛否はいろいろ議論があると聞くが、一つの構造物として見ると興味深い。(web siteより)

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市内にもおもしろい水門があるので紹介します。

江木町、希望館の北を流れる一貫堀川に設けられた水門は、厚手のゴム製。 必要が生じるとこの中に水を送り込んで膨らませて水を留める。 不用時には水を抜いてしまえばペシャンコになり水は溜まらない。 送水ポンプ一つで目的が達せられる。

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次は東貝沢町東部小学校の脇を流れる井野川の水門。 不用時は鉄製の板が水面下に隠れており、水は自由に流れる下る。 貯水の要あればその鉄板が90度起き上がり、水を溜め込む。

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江木町の長野堰の末端に設置された円筒分水堰。 水門ではないが、各地域の田に面積に応じて分水する工夫がなされている。

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日本各地の水田に引き込まれた水の総量は黒部ダム何百杯分の量があるという。 日本は水に恵まれた国。 水田は隠れたダムといえない事もない。

日本円が変動相場制に移行したとき(S47年)の米国ニクソン大統領が失脚した原因になったウオーターゲイト事件というのがあった。 確か非合法な盗聴を指示してして政敵から糾弾され、大統領職を辞さねばならない事件だったと思う。 なんで水門(water  gate) なのかは知らない。

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067-240623関越道の森

2012年06月23日 | 街歩き

Dsc01108_2 梅雨の晴れ間 渋川市 旧子持村「空恵禅寺」にて

当地に高速道路が開通して30年は経つだろうか。 この頃以降建設された高速道には側道が設けられている。 日常この道路は非常に有効に使われており、私も通勤時に利用させてもらっている。 便宜性以外にも本道が事故で途絶えたときに、復旧車両の通過とかいろいろと役に立っていると思われる。

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関東平野を貫く高速道は大部分が平地に5,6mの盛土をして、上に本道が通っている。 建設当時道路の法面には幼い樹木が植えられ、殆どの部分は短い野芝でかろうじて緑が保たれていた。 この斜面が建設後、年を経て、深い森になっており柵で入れないが昼でも薄暗いほどの状況を呈している。

私の通勤路の斜面もこの時期深い緑に覆われる。 ケヤキ、桜、もみじ、しいの木、それらに絡みつくツタの類、そして繁茂した下草。 当初異物感があった構造物がすっかり周囲の田園風景に溶け込んでいる。春の桜、初夏の新緑そして秋の紅葉等季節には目を楽しませてくれる。

側道から深い森を通して見あげた先に、片側3車線のハイウエイが走っていることが不思議。 それほど森としての存在感が際立つ。 当然小動物の棲家にもなっている。 樹木の緑がもたらす自然の復元力は偉大なものだ。

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先週、車が購入後8年間で走行距離数100000kmを越えた。 単なる通過点だが、こういう一つの区切りに意味を感じる。 事故も故障もなく足となって動き続けている車に記念品を贈りたくなる。(特別に精製されたエンジンオイルとか、車内外の徹底的な清掃とか・・)

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昔の車(S50年頃まで)は5桁表示だったので、ゼロに戻り還暦となった。 今は6桁表示なのでこの10倍乗らないと還暦とならない。 ここまで乗り続けるのは性能が向上し、壊れにくくなったとはいえ無理だ。 その前に私の寿命が尽きてしまう。 いいとこ20万kmだろう。

これから車は電気が主流になると思われる。 鉄道が蒸気機関車から電車になったように。 そうなるとSLが懐かしいものになる。 私はレシプロエンジン車を使い続け、運転人生の最後まで行くことになるだろう。 省燃費の価値は認めるが、静かだがどこか無機質な電気自動車の駆動音になじめない。 ピストンの往復運動をクランクを通して懸命に回転運動に変える究極のメカニズムに愛着がある。 

今後もこの車と会話 (ボンネットを開けてエンジンの調子を音で聞く。 はるか昔、車の整備士をしていたので、エンジンの好不調は音で大体は判断がつく) しながらもうしばらくは乗り続けるつもり。 

 

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066-240616図書館は好奇心を満たす宝庫

2012年06月16日 | 小説・映画・など

読後感をまとめていたら、いささか重い内容になってしまった。 たかが昭和17年生まれで終戦時3歳だった者が生意気にと思われそうだが、書いてしまったので、エイヤッと公開をクリック。

 

船戸与一作「満州国演義」第1巻から第6巻までを読んでいる。 何でこの本にひきつけられるのか?  この時代の空気を吸った方々が未だご存命中であり、 歴史が私と繋がっているということ。 織豊時代や幕末明治維新を舞台にした小説も面白いが、今を生きている我々とは時間的な空間がある点で大きく異なる。

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もう10年も前になるが、公私共にお世話になったA藤氏、仕事でお逢いした中尾町のY島氏、日高町のK沢氏等に当時の話を聞いた。 各氏ともこの本に書かれた時代に、高崎歩兵15連隊から満州(今で言う中国東北部)や北支(北京、天津がある中国北部)に派遣され、激しい戦闘を経験されている。

過酷な戦闘の場面は各氏共、詳しい内容については触れたがらなかったが、会話の雰囲気で映画ではない実際の戦闘の様子は伝わってきた。

P6032261 旧高崎第15連隊の記念碑

今でこそ中国は世界の大国に変貌したが、この当時の中国の内情は悲惨なものであった。 また当時の日本もシビリアン・コントロールが効かず、軍部が政治を牛耳り、治安維持法のもとで、自由に物も言えない暗い時代だった。

満州国は建国の理想にもかかわらず日本の傀儡政権であった。中国の主権が及ばない地方であり、本来は日本を中心に漢族、満族、蒙古族、そして朝鮮族の各民族がいわゆる五族協和、王道楽土の旗印の下に、独立した国家を形成するという崇高な計画であった。 この計画が目的どおりに進めば、欧米列強に侵食されていたアジアの開放に繋がるはずであった。

が、日本主導の国家運営に対し他の四族の抵抗は、民族の独立への飽くなき願望と結びつき、各所で亀裂、摩擦を生じせしめ終戦まで対立は続いた。 終戦前後の突然のソ連軍侵攻で、その犠牲は新たな天地を目指して渡満した多くの満蒙開拓団の人々に集中した。

なぜに無謀な太平洋戦争に繋がる日中戦争に突入してしまったのかを批判することは簡単だが、あの時代、満州は日本の生命線であり、なんとしても日本の領土にすべきと関東軍の活躍を国民大多数は支持し、新聞も同調した。

満州事変勃発の報は国民を熱狂させ、局地戦での勝利の報のたびに、ちょうちん行列、花電車で祝い狂った。 日本は強し、いけいけどんどん・・・・

P4301878 わしには難しいことはわからんにゃ 極楽の境地じゃ

それから10年後の真珠湾攻撃の第一報 「本八日未明、帝国陸海軍は米英と戦争状態になれり・・・」 との大本営陸海軍部発表に喝采を叫ぶ国民が大多数だったという。 東条英機大将以外の誰が指導者になってもこの国民の熱気を抑えることは不可能だったのではないか。 しかし開戦は避けられなくとも、戦争の終結はあそこまで破壊される前にその機会はあったと思う。

勝っていれば、もっとやれやれとの世論が沸きあがり、負け戦での停戦には、犠牲になった多くの兵士にどう顔向けするのかとの軍部の反発が起こり、どの道破滅まで行くしかなかったのだろう。

そして敗戦、 明治維新以降、外国との戦いに負け知らずとのぼせていた国民は頭から冷水をかけられ、目を覚まされた。  8月15日の降伏、 昭和天皇は日本史上もっとも重い決断をした。 あの決断は天皇がすべきものでなく (形式的にはともかく) 時の政治の指導者がなすべきであった。 原爆投下の惨状はあったとはいえ、ともかく本土決戦が避けられ、沖縄戦の悲劇を繰り返さないで終わったことはせめてもの救いであった。

報道管制のもとに、真実を知らされなかった面もあるが、単一民族日本人の悲しいかなDNAかも知れない。

ひるがえって現代、会社の方針に疑問を抱き、「この流れに無条件に乗っていていいのか? どこかおかしいぞ・・・」 と言い切るのは勇気のいることである。 既に歴史の一部となりつつあるが、あのバブルの時代に疑問を感じ、異を唱える勇者はその流れの中では異端者と見られた。 職を賭す覚悟がなければ意見できない雰囲気であったという。 時流に乗って経営するということと、時流に踊らされているということとは違う。 国も企業もそして個人(私も含めて)も失敗しないと気がつかない。

P5132025 秋間の高台からの妙義山

戦後60年以上経過した現在も、世界的規模の戦争にはならないといえ、民族紛争はユーゴスラビア、イラク、アフガニスタン、イスラエルとパレスチナそして今シリア、各地で戦闘が止むことがない。 民族自決、宗教観の対立は今後も絶えることなく続くのだろう。 特に国内の宗教間対立が戦争にまで発展してしまうのは、何でもあがめてしまう大多数の日本人にはなかなか理解できない。

歴史は繰り返す。

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065-240609緑の中を走る

2012年06月09日 | スポーツや趣味

サイクリングを始めて10年。 少なからぬ初期投資はかかるが、ランニングコストはほぼゼロ。 私等の年代の健康維持には最適な運動と思って続けている。

いろいろなコースを走ってきたが、原点とも言うべきコースを久しぶりで走った。 緑が溢れる季節、大変気分がよろしい。

家から麦秋の田園を抜け井野川CR(Cycling Road)に出る。 川に沿って南下し、群馬の森まで。 途中にここ1,2年で急速に力をつけてきた健康福祉大付属高校野球部の練習場、フェンスに懸かった国制覇(左の赤い文字)の横断幕が実現性を帯びてきた。

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群馬の森から玉村方面に左折。 八幡原の田園地帯を抜けて関越道烏川橋を渡る。 そのまま直進すると、先日の悲惨なバス事故の現場を通るが、今日は新町方面に向かう。 岩倉橋を渡って玉村町の角淵へ。 この先県営玉村ゴルフ場の中をゴルファーを横目に走り抜ける。3年前によそ見をしていてこんな障害物にかなりのスピードで激突し、40日の入院を余儀なくされた。 まだ少々後遺症が残る。 慎重に通過。

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30年前ゴルフに夢中になっていたころは、まだ河原の中の埃っぽいところだったが、いまや木々は成長し、名門ゴルフ場と比べても遜色ない。 クラブハウスを横目に利根川に向かう。

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こんな質素なクラブハウスにしておけば、バブルの終焉とともに多くのゴルフ場が経営破たんに追い込まれなくても済んだのにと考えながら。

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利根川に出ると道は川に沿って北上する。 五料橋を通過すると、玉村町営の広々としたトイレ以外に何もない(だからこそ有意義な施設と思うが)広場に出る。 休日ともなればバーベキューの煙が食欲を刺激する。

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福島橋を通過すると間もなく休憩所。 夏はここで冷たい水を体中に浴びる。 走りを再開すると気化熱で体温が下がり格好な熱中症対策。

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もう全行程の2/3は終わった。 北関東道が利根川を渡る横手大橋で、サイクリングロードと別れ高崎東高校の前を通り、井野川に帰ってくる。 ゴールはもうすぐ。

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こんな場面に遭遇。 初代日産ブルーバード。 50年前トヨタのコロナと熾烈なBC戦争を繰り広げた。 日本のモーターリゼーション開幕の車。 早く成仏させてやったほうがいい。 ナンバーがついているということはまだ廃車処理はされてないのか・・・

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064-240602駄作が貯まったので

2012年06月02日 | 小説・映画・など

花無残 4,5日前の あでやかさ            雨上がり フロントガラスに 葉一枚 先へと続く花の道

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驟雨去り サンザシの花  つややかに               名前ほど 老いを感じず 翁草

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  津波後の 手入れに応え さつき咲く        前を行く 輪友の足 筋躍動し 我も同じか 古希を忘れる

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