toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

432-310330老夫婦がお花見にいくといつもこんなことになる。

2019年03月30日 | もろもろ

gooブログの編集ソフトが予告なしで変わっていたので少しまごつきました。

 

当地でもいろいろな花が次々と咲いてくる季節になった。比較的健康で

の季節を迎えることができる幸せを実感する日々がこれから2カ月ほ

ど続く。街内に見事なモクレンが咲いていた。樹高10m近くある大木

の花は迫力満点。

そして郊外の慈眼寺に回る。 真言宗の古刹。

昔から枝垂桜が咲くこの季節人気のスポット。拝観料なしでこんなに手

入れの行き届いた花々を見られるのはありがたい。この辺りまではつれ

あい共々花を愛で写真を撮ったりして楽しむのだが、場所がお寺の場合

はいつもそうなるのだが、次第に離れ離れになってしまう。ここから先

の興味が違うのだ。花に囲まれて満足そうなつれあいから離れて私はい

つもの習慣で墓地に回る。

古そうな墓石に刻まれて年号を確認しながら見て回る。最近の記憶では

寛永の年号が読み取れたのが記録。お寺の墓地は本堂に裏手にあり、そ

れに隠れて日陰になっているところが多い。ここは本堂のすぐ横で明る

い。咲き乱れる花に埋もれるようにある。故人もお花見ができてさぞ満

足だろう。

 

見渡したところそんなに古い墓石はなさそうだ。代わりに戦争で亡くな

った若者の墓が目立つ。当地は終戦まで陸軍歩兵15連隊があった。

丹念に読んでいくと、ほとんどが召集令状で徴兵されたこの地の農家の

若者たちのものらしい。日中戦争から太平洋戦争までの犠牲者だ。大半

が20代での戦死している。私の叔父たちと同じ世代の皆さんだ。叔父

たちも召集されて戦地に行った。一人だけアンガウル島で戦死。他の叔

父は無事に生還。父親は長男だったことと中島飛行機傘下の軍需工場の

技術者だっので兵役は免れた。それなのに終戦から2年後、病に倒れ亡

なった。元気な父親の姿は写真でしか知らない。

 

左は北支、右は先年天皇陛下が慰霊に訪れた激戦地ペリリュー島での戦

死者だ。21歳27歳の若者。硫黄島での戦死者もある。なんという

無残な命の幕引き。恐らく故人の遺骨は納められてはいまい。戦争末期

は戦死公報が届くが遺骨箱の中身は紙切れだったり小石が一つという

とが普通だったと聞く。それでも残された家族は在りし日の若き戦士

偲んで墓を建て、お国のため立派に死んだと彫ったのだろう。そうでも

しなけらば遺族としては気持ちが収まらなかった。本音はお国云々では

なかったと思うが・・・

想像するだけで見たことも触れたこともない歴史が今と繋がっている

とを実感する。知識として知っている歴史上の事柄、例えば赤穂浪士の

討ち入りがあったときには、この墓石はすでにここにあったと読み取れ

ると、歴史のほうから一気に親しみを込めて近づいてくる。その墓石が

地方の世に知られることもない墓地の一角であるにしても。

お墓探索の醍醐味。

祖国の犠牲になった若き戦士たちの墓から目線を外してみると咲き誇る

花、平和という言葉がふさわしい光景が眼前に展開している。

 

 

 

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431-310323好きものにはたまらないアプリ

2019年03月23日 | パソコン・IT

二日間あちこちのテレビでイチロー特集をやっていたので、追いかけまわ

して堪能した。改めて偉大な野球選手だと思い知らされた。彼の発言はス

ポーツ選手の言葉としては含蓄があり過ぎる。発言語録が出来そうだ。事

実朝日がそれに近い記事を掲載していた。それらがキザに聞こえない。実

績に裏付けされているのでいちいち頷ける。

彼の私生活は殆ど知られていないが、プレー同様にきちんとルーチン化

れているのだろうか? プレーでは打席に入ってからバットを振るまで

一連の動作、打って一塁に駆け込みセーフの判定を確認した後の動作、

分の狂いもない。求道者という表現が合う。昔で云えば達人の域に達した

剣豪になぞらえてしまう。彼を越える選手は今後出そうにない。

 

 

さて上に掲げた地図。今日の散歩に軌跡を表したもの。

午前中に見つけてタブレットにダウンロードして、午後からそれを持って

郊外の観音山丘陵を歩いてみた。

国土地理院の地図上で歩いた軌跡が表示されるアプリは以前から山歩きに

使用していたので使い方はすぐに理解できた。このアプリは同じ地図でも

地形の凹凸を示す等高線を基礎にして立体的に表示されていること。この

丘陵一帯は年に数回歩くので道は殆ど頭に入っている。しかし3D画面に

近い地図に軌跡が記されるとは迫力が違う。若干凹凸が強調されているよ

うな気がするが、深山渓谷を歩いているような錯覚に陥る。街歩きは平な

ので面白くないが、見知らぬ丘陵歩きは面白そうだ。先月歩いた埼玉県の

比企丘陵の山城歩きに持っていけば楽しそうだ。

以下今日の写真、縦の写真を掲載する方法がよく判りません。縦横が間違

っているかもしれません。ご容赦を。

真言宗豊山派の寺である清水寺に続く500段の階段を登り、

趣のある雑木林と竹林の間を降りていく。

向うの尾根に登りつめると整備された遊歩道にでる。

一千万年前のイルカの先祖の頭に部分に骨が出たと言われるこの一帯に拡がる

地層。よく見ると石は全て角が取れ丸い。そのころ海岸か川原だったとらしい。

 

ある枝道を辿ったらキリスト教徒の墓に出た。こんな一画もある。

錦山荘という大正時代から続く一軒家の温泉宿。その源泉に一つ。

 

変化のない生活が続くので、何か目先の変わったことがないか探し回って

いる。

 

 

 

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430-310321(番外)イチロー引退会見か、明日の各紙の見出しは・・

2019年03月21日 | もろもろ

明日のスポーツ各紙の見出しはどうするのか苦悩しているのではないか。

珍しく野球中継を見ていた。その途中で試合後イチロー選手が記者会見

するとテロップが流れた。無安打が続いており、打撃不振の最中なので

引退会見のようだが、まだその会見はひらかれていないので判らない。

そのニュースの直後の第3打席が見逃しの三振。本人と投げるピッチャー

の間合いの取り方が見事だった。何度も見たイチローの投球を待つ仕草、

立てたバットが微動もしない。何より普段の倍以上の間合いの長さに、

彼の長年の思いが込められていると感じた。一切の妥協のない真剣勝負

の様をLIVEで見ることができた。第4打席があるかわからない。この様

子を明日の各紙はどう表現するか・・

                        3月21日 午後10時記

 

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429-310319(番外編)季節の話題はタイミング第一

2019年03月19日 | 山登りというより山歩き

 

花粉症が例年よりも症状が重い。月曜日は予期していなかった晴天無風の

日となり、急に思い立ち、予定を変更してかゆい目を我慢しながら上室田

の榛名梅林を散策する。土曜日を待っていたら、桜が咲いてしまい、旬は

そちらに移ってしまうので番外編としてあまり観光地化されていない広大

な梅林を紹介します。上州の春を感じていただけたら嬉しいです。

臨時の駐車場から眺める榛名山を背景にした梅林。遠方の街は上室田。

 

群馬の梅林は梅の実の採取ための木なので管理は行き届いている。

 

梅林の傍にサンシュの樹が黄色い花をつけていた。

 

北を眺める。遠くに霞む山は群馬の名峰赤城山。 

 

高崎市街地方面を眺める。

 

 

ひと枝をアップで撮ってみました。

 

かって存分に歩いた榛名山群の峰々。

 

緩やかな丘陵は梅の花で埋まっている。

 

余裕があったので梅林背後の安中アルプスとも地元で呼ばれている尾根

登ってみた。30分ほどの急登で尾根に到着。林間から妙義山、荒船山そ

てはるか遠くに白く輝く八ヶ岳連峰が見渡せた。

ここまでは完璧だったが、尾根を30分ほど西に進み、適当なところで地図

に明示されている尾根を下った。実線表示の道は登山道としては立派な道

はずだったが、とんでもない廃道だった。けものみち以下だろう。繁茂

する背丈を越える密集した藪、無秩序に伸びた樹々の枝、それらに絡まる

弦状の枝と格闘すること1時間、ようやく民家がある場所に降り立った。

スマホのGPS機能で現在地はわかるので不安はなかったが、里山も民家を

離れて奥に分け入るとこんなにも荒れているのだ・・・

藪山歩きは長年の趣味の一つだが、こんなにひどい藪に覆われた廃道を歩

く冒険はもう止めよう。

 

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428-310316藤岡市白石稲荷山古墳

2019年03月16日 | 名所旧跡

当地は3世紀後半から6世紀にかけて作られた古墳の宝庫。藤岡白石稲荷山古墳を見る

 

この時期花粉症の症状が強く出ている。今までは鼻水ダラダラの状態

ったが今年は鼻は比較的問題ないが、目に症状が強く表れてかゆい。

子供が幼い頃さけんだ「お父ちゃん、目ん玉取り出して洗って・・」 

この辛さだったのだと今にして知る。成人して子持ちになり社会の中堅

で活躍しているだろうと思うが、今でもこんな症状に悩まされているの

だろうか。 

 典型的な前方後円墳。その方墳部分から円墳を振り返る。

1月に下旬に風邪をひきその後のうつ状態以来、顕著になった気力の減

退を憂えている。今まで普通にやれたことができない、いやできないの

ではなくてやる気が湧いてこないだけなのだが。

週一度のブログの更新も少々負担になってしまうことがある。毎日気の

いた内容で更新される同世代の皆さんのエネルギーには脱帽。古今東

西の歴史から宗教の話、更に今起こっている政治経済の話題、社会現象

まで幅広くしかも毎日更新される御方。文書のどこかにご自分の意見を

さり気なく織り込ませる。

大阪在住の方のブログ。昭和時代の知らなかった歴史の裏側を中心に不

定期だが中身の濃い内容。

私と同じように土曜日に関西地方の寺院の紹介する御方等、尊敬してし

まうとともに随分と勉強になる。

ブログを初めて7年が経過するが、私程度の内容でも覗いてくれる方

られる、ありがたいことです。年齢相応の心身になった私には大きな

励みです。しかし私は人様のブログを通して得るものの方がはるかに多い。

梨の樹がきれいに剪定された春本番を待っている。 


さて、

NHKのアナウンサーでも時に出てしまう「***みたいな」という

なかった話し言葉。なかったのではなくて使われる場面が少なかったの

で目立たなかっただけかもしれない。最近の使われ方は少し異常ではな

かと思ってしまう。「***のような」これが私らの年代の言い回し。

これもそんなに頻繁に使ったわけではない。今は名詞であれ形容詞であ

ひどいときは動詞にまでこの「みたいな」を付けて話している。話こ

とばは時代により地方により変化するのは当たり前であること十分承

知している。連れ合い共々生まれてこの方上州を離れたことがない。上

の空っ風と桑畑の荒れた土地が作りだした上州弁というあまり品の良

ない乱暴なことばを日常は使う

識者は、最近の若者たちの話し方が断定を避けたあいまいな表現が強く

っているという。単なる流行か、責任を回避しようとする表現を無意

に使ってしまう時代背景なのか。

一番気になる言い回し「僕的にはこう考えます・・」。初めて耳にした

は10年も前か、ショックを受けた。使った若者の顔を今も覚えてい

る。「・・みたいな」、「・・的」 どちらもほとんど場面で付けなく

ともなんら差支えないと思われる。

 

満開と聞いたので12日に榛名山麓の箕郷梅林を散策してきました。

 

梅の実採取のための梅林がこの時期ばかりは開放される。観光用に後か

植えた紅梅や早咲きの河津桜も彩を添える。この高台に立つと四方

花の海になる。実用のための梅林なので管理が行き渡り、老木と若木

の世代交代も順調に進んでいる。

 

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427-310309榛名山群の水沢山東尾根はきつかった

2019年03月02日 | 山登りというより山歩き

    間もなく春本番。花粉症は辛いがいい季節なる。 高崎進雄神社にて  2019.2.28

 

いつもより更新が遅れてしまいました。 

表題の写真の古墳の上に連なる連山が榛名山。その右端の山が今回登っ

た水沢山。関東では有名な板東札所水沢寺の背後にそびえる山。

このブログにも何度も取り上げたことがある榛名山群。我が家から出る

と北方面に飛び込んでくる。振り返れば、誕生以来70有余年間変わらぬ

姿を見続けている山。この山群の南から眺められるすべての頂に3年間

で全部頂に立った。私なりの山歩きの目標達成。

 家から車で40分ほどで水沢寺駐車場に着く。広い無料駐車場があるの

で、参詣者の邪魔にならないところに車を止め、早速身支度を済ませて

登りにかかる。すぐに傾斜がきつくなる。

 こんな申し訳ないような整備された山道が続く。迷いようがない。山頂

から降りてくる登山者とすれ違う。その数の多さで人気の程がわかる。

頂上に近づくにつれて傾斜は増す。階段状にするには無理のある角度。

岩と樹木の根で固められた道を登る。要所にはトラロープの太いのが張

られて助かる。

 ひと踏ん張りで頂上から直下の肩の部分に出る。一気に視界が広がる。

何時の頃からものか不明だが、石仏の一列に並ぶ。ここまで歩き始めて

1時間40分。 ここから頂上までは少し下って、登り返せばすぐだが、

賑わっていそうなので、この肩の部分で大展望を見ながら、おにぎりを

頬張り大休止してもと来た道を引き返す。

利根川をはさんで向こうは赤城山。右方向は関東平野が見られるはずだ

が、生憎春がすみではっきりとしない。


水沢山は榛名山群の中で一番早く30才台の頃、一番体力のあった

初日の出を見るために登ったことがある。大勢の初日の出ての登山

者の一員としての記憶しか残っていない。今回40年ぶりだ。西側から

単に登れるルートもあるが、東から登る道はきつかった。

 

一度壊れると再生には時間がかかる自然だが、反面人が通らなくなった

道が周囲の森や薮と区別がつかなくなるのも早い。国土地理院の地

破線で表示される登山道(原則歩くしかない道)があるのに、現地へ

くと判然としない例はこの山域でもたくさんある。この山群の西側は

に注意が必要。多くの登山者に登られている水沢山東尾根はその点で

安心。傾斜がきついことを覚悟すれば迷うことはない。


迷うことのない登山道を使っての軽登山に徹する。もう喜寿も超えた。

無理をしない。冒険はしない。安全に徹する。家族に心配をかけない。

それでもこうして歩けるだけで良しとしなければ・・


 

 

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426-310302一年ぶりの八ッ場ダム工事現場

2019年03月02日 | もろもろ

    浅間山北面を背景に例年通りの雄大な風景が眼前に拡がる。

 

体調の不良やその他色々あって、初滑り(パルコールにて)が今になって

しまった。ここで1年間ブランクを作ると、来シーズンに繋がらない恐れ

があるので晴れた日を選んで楽しんできた、と言いたいところだが無残な

結果に終わってしまった。

初滑りだし、頭の中ではこの程度滑れれば満足としたレベルをはるかに下

回る滑りに落胆する。せめてあと3年は自分なりに満足できるレベルの8

割程度で滑りたいと考えていたが、はかない夢に終わりそうだ。シーズ

完了したわけではないが、今年はもう滑りたくない。

 

スキー場への行き帰りに八ッ場ダムの工事現場が見られるのでじっくりと

見学した。以下その様子です。

今の工事現場を上流左岸から眺める。ダム直下でうごめく重機やら人の

姿との対比で巨大な建造物だと思われれる。完成するとダム上端は120m

位。ネットで調べてみたら、全国の重力式ダムの高さでは20番目位らし

い。最も高いのが只見川上流の田子倉ダムでその高さは150mを越え

る。工事も完成まじかになっている。報道では秋以降試験湛水が始ま

らしい。本格的な貯水が始まってもダム下流域は今まで通りの景観が保

持される上流域は水の下に隠れて二度と見ることができなくなる。

完成後は水面下になる光景を撮った。右下に見える工事用道路は旧国道と

JR旧長野原線の鉄橋。草津温泉方面に向かって関東の耶馬渓と言われる吾

妻渓谷を抜け出たところだ。鉄橋の少し上あたりに川原湯駅があった。そ

こから右上に伸びる道を行くと、マス釣り場があり、やがて川原湯温泉街

に入っていった。この道沿い写真中央右あたりに、うまい川魚を食べさせ

てくれる食堂があった。何というお店だか忘れてしまった。スキーの帰り

によく寄った。写真の上部は移転した新川原湯温泉街だが、まだ温泉地に

欠かせない風情はない。眼前にダム湖が拡がる光景まであと1年半だ。

つかの突起部分は満水時でも頭が出て、単調なダム湖に彩を添えてく

だろう。

前掲の写真の湖底に沈み永遠にその姿が見られなくなる旧国道と鉄橋を

ズームアップしてみた。画面左端、そこはダムの上流側直下なのでダム

湖の最深部になるわけだ。中央のダムに向かう道は駅から始まる渓谷歩

きの始点になる道だったと思われる。

この写真は八ッ場ダム現場を撮影した日から1週間後、待ちに待った車が

納車されたので、試運転を兼ねて神流川中流の下久保ダムに行った時の

の。

同じところを2年前の夏に撮った写真。夏と冬では樹々の色は当然だが、

水の色も明らかに変わる。こうした島が所々に現れていると単調なダム

湖風景の救いとなる。

下久保ダムは完成後半世紀近く経過している。ダムの高さは八ッ場ダムを

上回る。工事中は今の八ッ場のような光景が展開されていたのだろうが,

騒がしかった工事現場や人間模様の全てを飲みこんで、今は静かに水を湛

ているだけ。

ダムを下流側を見る機会は完成後いくらでもあるが、今回の八ッ場のよう

に水面下になってしまう上流側が貴重な光景だと思う。

 

振り返れば作る作らせないで半世紀を越える闘争があった。反対派も賛成

派も活動の中心だった方々はほとんどが鬼籍に入ってしまったのだろう。

人気の草津温泉の行きかえりには必ず通過するが、ひなびた川原湯温泉と

渓谷美以外に何もない地だった。ダム工事の全体の費用のかなりの部分

が補償に回らざるを得ない。当時を思うと想像もつかない立派な道路が完

成して草津への時間も大幅に短縮した。道の駅も今は大いに賑わっている。

新川原湯温泉が昔を上回る賑わいを見せるかどうかは正直判らない。

今までの経緯が何にも解かっていないような大臣の一言で建設断念になり

そうな時もあり、賛否両派の地元の皆さんの心労も溜まったいただろう。

高度成長期とは全く異なった時代に巨大ダムの意義がどの位あるのか素人

には判らないが、工事が完成直前まできた以上は前向きに捉えるのが正解

なのでしょうね。

過去にあった激しい闘争は、規模は違うが現在展開中の沖縄県普天間基地

の全面返還を受けての廃止とその代替としての辺野古での新基地建設とダ

ブってしまう。母親から莫大な財産の贈与を受けた際の相続税の支払いに

問題があった未熟な坊ちゃんで自らを宇宙人と称していた総理の軽率な発

言で迷走してしまった辺りよく似ている。 

 

 

 

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