toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

603-040625非常にまれな興奮体験

2022年06月25日 | 旅行

もう40年ちかい昔になってしまった夏のあまりの悲惨さゆえにいまだに記憶に新しい日航機墜落事故。この

現場になった上野村を訪ねる。

目的は東京電力の神流川揚水発電所の見学ツアー。村が主催するもので何年も前から実施されている。近いか

らいつでもいけると思っていて時が経過してしまった。

地下500mに作られた大空間。東京ドームを容積を変えずに左右に引っ張り横長にしたと考えればよいか? 

エレベーターの着いた先のドアを開けた途端に圧倒的な地下空間が目に飛び込んできた。思わず出てしまった

感嘆の声。この中に一基47万kwh(30万人の市をの電力需要を賄えるほどの電力生み出す)の発電機が

2基稼働している。(あと4台設置のスペースが確保されている)

撮影禁止ではないがセキュリティー保持のために写真をSNS上に掲載はしないことを求められたのは当然だ。

皮肉にも人物との対比でその空間の広さをうまく撮影できたのにここに掲示できないのは残念だが・・

まだ発電所下部のダム湖の水位はゼロ。これから夜にかけて水位が上昇する

とのこと。

 

見学中にリアルかつ非常に稀な体験をした。

地下空間に響きわたるアラームの次の瞬間、説明を聞いている目の前の停止中の47万kwhの発電機が唸り

始めた。回転音が次第に高まってくる。1分ほどで規定の回転数になったのかこれまた地下空間に響き渡る大

音響とともにスイッチが入いる。首都圏への送電線に繋がったようだ。

その後も回転音は更に高まり、首都圏が必要とする電気を送り始める臨場感が音と微かに感じる振動で伝わっ

てくる。この日はどこまで出力を上げるのか? 遠く離れた指揮所では電力需給バランスを見ながら落下する

水量を回線を通じて細かく制御しているのだろう。

午後1時半前後だったと思う。気温が上がり首都圏の電力需要が増大すると判断したのだ。この時間首都圏は

曇天で太陽光発電が期待できない割には温度湿度共に高いようだとは説明員の解説。

エネルギー供給のなんとも頼もしい設備の存在とそのリアルな立ち上がりに立ち会えた。「首都圏の皆さん!

私の横の発電機がそちらに電気を送りはじめましたよ、安心してください!」と関係もないのに誇らしい気持

ちになってしまった。

ツアー参加者と同行された3名の説明者の他、関係者の姿は一人も見られなかったこと、こんな山奥に作られ

た巨大な設備が東京から遠隔操作で管理されていることにも驚いた。

 

午前中は村が運営している木材チップの製造工場と大規模シイタケ栽培の施設を見学する。昨今市場ではシイタ

ケはクヌギの原木にシイタケ菌を植え付ける古来からの製法によるものでなく、こうした人工培地を利用しての

大量生産の製品にとってかわっているとの説明があった。ちなみに古来からの製品に比べると人工培地利用の物

はまだ味や風味に若干劣るようだ。私の舌ではその微妙な差異は解らないだろう。

 

ツアーの目玉として、渡された袋に入るだけのシイタケを自由に採取持ち帰ってよろしいとのこと。十数人の参

加者が一斉に採取を始める。誰もが袋がはちきれるほどにゲットしていたくご満足の様子。

我が家も当分シイタケづくしの夕食が続くことだろう。

 

6.22 のツアーのひとこまでした。

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582-040130ちょっと思い立っての小旅行

2022年01月30日 | 旅行

                鮎川上流の氷柱

 

当市郊外の市民に観音山という名で親しまれている山中に昭和初期からその温泉宿はあった。

鉱泉を沸かした湯だが、湯船に浸かりながら市街が一望できる展望が売りだった。我が家から

20分程度で着く立地の良さもあり、年に数回利用していた。しかし数年前に何が理由か知ら

ないが惜しまれながら廃業してしまった。後継者がいなかったのか。

 

県内各地に日帰り入浴施設はある。私が利用するジムにも大きな湯船を持った入浴施設はある。

何れものんびりとというわけにはいかない。急かれるように入り、目的を達したらすぐに出ざ

るを得ない。

日常に飽いたとき、大きな湯船にゆったりと浸かりたいな、という気持ちになる。当県は有名な

温泉は特に県の北部に集中しているが、2時間近くかけて行くには少々気合を入れねばならない。

 

こんなとき、タオルと着替えの下着だけ持って20分足らずで非日常的なゆったりした湯船に浸か

れるのは有難い存在だった。しかし今はない。

さすがに20分でという近場ではないが、お隣の市の鮎川渓谷のとば口の猪之田というひなびた山

村に一軒宿があった。車で45分で到達、近場といって良いだろう。

 

その谷間の一軒宿に夕暮れが訪れる。

 

広くはないが、4,5人が心ゆくまで浸かるには相応しい。熱からず、温からず。心ゆくまで湯船に

浸かっていることができる。入浴札が5枚ある、ということは湯船に入れるのは最大5人までだ。

帳場で尋ねてみると宿泊客半分、日帰り客半分程度らしい。情緒ある場所を見つけた。

 

偵察を兼ねて今回は一泊したが、次回からは気楽に日帰り入浴といこう。翌朝鮎川渓谷を30分ほど

上流へ走ってみた。上平というところにシミ出た地下水が氷柱を形作っていると聞いたので。

晴天続きで地下水の量が少なく、冷え込みは十分だが昔ほど横に拡がらなくなったらしい。案内板も

ないので通りかかった地元の方に聞いてみる。場所はすぐにわかった。冒頭の写真がこの朝の様子。

次の一枚が中央部の氷柱に焦点を当ててた撮った一枚。原版を少し修正したのはいいが、透明感が欠

けてしまったのは残念。

          

九州から四国をとおり、和歌山県は紀の川筋を経て伊勢湾に。知多半島辺りから陸地に上がる中央構造

線が地下に潜り再び顔出すのが下仁田町付近。この鮎川渓谷もその延長上。地質的には珍しい露頭した

片麻岩の上に2mもあるつららが垂れている。

 

 

      

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577-031030久々の遠出

2021年10月30日 | 旅行

 

新潟県十日町の「美人林」という名称に引き付けられた。そこには感動的なブナの美林が拡がっ

ていた。

 

コロナ一服感もあるが、再度の感染拡大が起こる可能性も否定できないでいるこの頃。

この際にと過去何度か計画するも実行できなかった新潟県魚沼地方の清津峡へ旅する。ついでに、

いくつかの名所を訪ねる。

 

先ずは日本の代表的な渓谷美とし知られる清津峡へ。自宅から関越道経由で2間余で到着。

駐車場から何歩も歩かないうちに渓谷の左岸を貫く600mほどのトンネルに入る。事前にネット

予約しておいた入場券はこのご時世で入場人数の制限がされている。10日ほど紅葉盛期には早か

ったがその素晴らしい渓谷美には触れられた。地質好きのタモリ氏なら飛び上がるほど喜ぶでしょ

う。

トンネル内に3カ所ほど横穴があり外の豪快な景色が覗ける。豪快な柱状節理はここの売り。

こんなアートもあって驚かされる。

 

  

翌日はスキーシーズンには何度も来ている苗場スキー場へ。

そこから隣の田代神楽スキーエリアまで長~いゴンドラに乗って移動する。ゴンドラから見る山々

沢筋は紅葉の最盛期だった。尾根沿いはブナの黄葉主体だが、空中から横断する清津川最上流の沢

筋はポスターのような光景が眼下に拡がっていた。

 

関東平野は晴れていたが、日本の脊梁山脈を越えると小雨模様の天気だったのは残念だった。この

列島の宿命なので仕方ない。すべてに100%を望むのは贅沢というものだろう。

 

冒頭に掲げたブナ林は素晴らしい。奥利根に分け入ればブナの森はあちこちで見られるが、こんなに

素直の伸びやかな光景は初めて見た。大正期に炭焼きの原料として皆伐されたに自然と自生したブナ

をここだけは地元の皆さんが見守ってきたらしい。豪雪地帯によくぞこれほど素直に成長したものだ。

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565-030703船旅の思い出

2021年07月03日 | 旅行

新潟ー苫小牧間を1日かけて結ぶ新日本海フェリー。秋田港を出て北に向かう船は、

ここ男鹿半島を回り込むように右舷に見ながら北西から北に進路を変え津軽海峡に

向かう。

 

コロナ禍の世相では大手を振って旅に出られない。この4,5日は雨天続きで外に

出られず、もっぱらパソコン相手で日を過ごす。

YouTubeの中にこの航路を丹念に紹介したのがあったのでお終いまで見てしまった。

もう4年前になるが、ちょうどこの季節に私も同じ航路を使って北海道旅行を楽しだ。

梅雨がないという北海道での数日はほんとに楽しめた。中でも海に縁のない内陸育ち

には船旅は物珍しく天候にも恵まれ特に楽しい1日だった。

乗船した船はアザレアという名の2万トンを少し超えたフェリー。新潟港の岸壁に

係留され夜10時の出港を待つ同船。見慣れぬ者には圧倒される巨体。

乗船し一息入れれば、もはや就寝の時間。

翌朝目を覚ませば、秋田港に寄港していた。出港してすぐに朝食の時間。手早く済

ませる。一番楽しみにしていた津軽海峡通過が間もなく始まる。左舷も右舷も見渡

せる場所を見つけ、名高き海峡の景色に期待する。

スマホの地図アプリを開き、船の現在位置を確認する。右は津軽半島の海岸線が

はっきりと続く。進路は北から北東に変わったようだ。間もなく竜飛岬だ。

海岸から10km程しか離れてないが、WiFiは繋がらない。GPS電波は受信できて

いるので現在地は確認できる。

海峡の西の入り口を静かに入ってゆく。石川さゆりの歌とは程遠い湖面のように凪

いだ海。

 

待望の竜飛岬がすぐそこに見えてきた。いよいよ津軽海峡の西端に入ったのだ。

国際海峡であるので、あるいは威風堂々たる護衛艦にでも遭遇するかと期待したが、

すれ違ったのは荷物満載の小型の貨物船。2万トンのフェリーに比べれば儚いほど

に小さい。

 

左遠くに函館山、右にむつ半島の大間崎を見ながら海峡の真ん中を西から東に通過

してゆく。この辺りで有名な大間のマグロが釣りあげられるのか? 前方に荒々し

い赤茶けた孤山が大きく迫ってきた。亀田半島先端の恵山だ。もう海峡の東の出口

は近い。

海岸線の民家まで見ることができた。

7月の強烈な太陽と穏やかな海だが、日差しを避けて甲板には人の影がない。太平

洋に出た。ここからは進路を大きく東から北に変え一路苫小牧東港へ向かう。左に

室蘭の地球岬が見えるかと期待したが、30kmほど離れた航路なので無理だった。

 

このフェリーは陸地近くを通過するので変化があって面白い。小笠原航路や大洗と

苫小牧間の航路また東京、志布志間のフェリーなどはどこを見ても海ばかりらしい。

また昼間に瀬戸内海を東西に走るフェリーがあれば是非乗りたいが、調べた限りで

は夜間に通過するダイヤしかないので興味半減。高額なクルージングには手が出ない。

 

 

 

 

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515-020725奥利根木の根沢に沿って

2020年07月22日 | 旅行

            

県外に出なければと、木の根沢に沿って尾瀬の入り口辺りまでドライブした。

30年も前にかなり渓流釣りにハマっていた時期があった。

その時仲間とよくイワナ釣りで入渓した沢が木の根沢。

湯の小屋温泉辺りで利根川に流れ込む沢で、付近には八木沢ダムや奈良股ダムといった

超ど級ダムが点在する。かなり奥地にも拘わらず整備された県道が沢沿いに伸びている。

足弱になってきている老人にも楽なコースだ。途中奈良股ダムに立ち寄る。

 

下から見上げるダムの迫力はすごいが、なぜだか撮影しなかった。

案内板に従って県道から横の道に入り、トンネルを抜けたところはダム堰堤上だった。

見下ろす光景も素晴らしい。

 

上流側はダム湖が満水位まで5mほどあるがほぼ満水状態で拡がっている。

堰堤上は10mほどの通路を挟んで巨石が太い鎖につながれて綺麗に並ぶ。

いずれの石も人の背の丈ほどある。まるで巨大な岩石標本。

斜面の石は不ぞろいの大きさなのだが、遠目ではきれいに揃っている。

大阪城の石垣といえどもこの巨大さには到底及ばない。

ロックフィルダムは普段見慣れた重力式にはない

珍しさに溢れていた。

県道に戻り、木の根沢の上流部を目指す。

この滝の数百メートル下でイワナ釣りで入渓し、このあたりで納竿した。

私もそうだが釣り人は自分の体験を

少し誇張して話す善意の悪い癖がある。

今日も一人の釣り人と立ち話した。

  20cmクラスのイワナが3匹ほどらしいが、天然の流れから

釣り上げた満足感で満たされている様子。結構なことです。

  私が30年ほど前にここで随分いい思いをしました、と話したら、

  釣り人は「当時は釣れたでしょうね。」ときた。

 天気と時間が適切なら10匹は確実だったと答える。

 

当時の先輩による更に20年前の話、

沢を歩いていると、魚が足にぶつかってくるほどだった。

                     釣れたイワナはバケツに縦に詰め込んだものだ・・・

ほんとかいな???

 

 

沢の様子は30年前とさほど変わっていないが、釣り人の数との関係もあり

なかなか釣果が挙げにくくなっているようだ。

 

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478-011207行ったつもり旅行だが、得るものは多い

2019年12月07日 | 旅行

w       冬じまいの棚田    榛名南麓の高架橋から 30.12

 

島根県雲南市掛合吉田の集落で大正時代まで動いていた砂鉄から鉄を取り出すたた

ら製鉄の遺構を見ている。例により司馬遼太郎氏の案内を、パソコン画面に表示し

た国土地理院地図やgoogle mapで確認しながらの旅なのだが・・

そう遠出はできない身には、知らなかった現地の知識を存分に得られるのは、司馬

氏の深い知識に裏付けられた説明があるから。なんと贅沢な旅だ。

中国地方には古代多くの朝鮮人技術者が入ってきて製鉄等の技術を日本に植え付け

た。好奇心溢れる当時の日本人がすぐに習得しさらに効率的な方法を編み出してい

った。日本人と朝鮮人の交流が生き生きとして描かれている。彼ら由来の姓があち

こちに今も続く。

                      大地を掴む      榛名南麓の林道にて   30.12

 

昨今の韓国との間に起こっているもめごとを見るにつけ、両国の関係はこんなこと

でぐらつくものではないのにと思う。当時から現在に至る両国間の歴史は山あり谷

ありだったことを振り返ってみれば、これらの諸問題もいずれ解決して、本来の姿

に戻るとは思うが。

 

一連の旅はまだ1/4しか終わっていないが、street view で見るかぎり、北海道と

沖縄を除けば、日本どこに行っても都会も農村もその風景に大した違いはないな、

と強く感じる。ミクロの視界で見れば土地土地の特長や文化は異なり、現場に行か

なければ味わえない雰囲気はあるのだが、そこに行くまでの道中は似たような風景

の連続。先日バス旅行をした渡良瀬渓谷に奈良県十津川渓谷の風景をダブらせても

違和感はない。受け手がどう感じるかだ。

この旅は実に楽しい。旅行会社企画のパック旅行より得るものが多い。

 

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474-011109最高に満足を得られる旅

2019年11月08日 | 旅行

新聞、テレビそしてネットで散々取り上げられて話題となった八ッ場ダム。車で行

けば1時間半ほど行けるので、好奇心に耐えがたく出かけてみた。数あるダムの一

風景でしかないのだが、話題になったことと、半月前にはそこへ通じていた道路の

ほかは全てが取り壊された旧川原湯温泉とおぼしき辺りと削りとられた山肌や荒涼

とした河原が拡がっているのを目にしていたのでいきなり満水になった光景は驚き

だった。上流からの泥水に現場の土砂が混じり、普通目にする青々としたダムとは

異なる迫力があった。役目は済んで水没しても構わないような機械の幾つかはあま

りにも急な満水だったので取り残されて湖底に沈んだだろう。

 

司馬遼太郎著「街道をゆく」は5冊目に入った。今週は大和から紀州に抜ける道。数

年前に現地を観光しているので、興味が倍加する。あの旅行の前に読む機会があった

ら、旅はもっと楽しかっただろう。奈良県橿原市今井という地の「今井環濠集落」と

いうのが紹介されていた。織豊時代の堺の大商人今井宗久ゆかりの街とのこと。その

街の様子を国土地理院地図やGoogle、street viewで画面表示して、そのハードコピ

ーを載せようとしたら上のように真っ黒になってしまった。一ヵ月前のブログで飛騨

の合掌作りの資料館内部を載せた時には問題なくできた。

やはり・・

気にしはいたが、著作権に触れるのだろうな。私も安易に流用してしまった。出典は

解かるように載せたし、自分の趣味で使うのでこの程度はと許されるとの気持ちがあ

ったことは事実。多くの読者がおられるわけではないが、可能性としてはいっきに世

界中に拡散してしまうのが、このNET社会の怖さ。安易なコピペは堕落だ。下手な文

章、写真でも自分のものを使おう。行きがかり上参考にするにしても、もっとはっき

りと出典を明示しよう。

Googleさん、反省しています。2度とやりませんので。

 

それで今井環濠集落の素晴らしさを文章で書きます。street view ドローン画面で見

ると、見事な区画で整然とした家並みが続く。その通りが素晴らしい。明治以前の背の

低い2階屋が続く。その建屋には相応しくないような当時はなかった近代の店が収まっ

ていて、それはそれでよく調和している。そして司馬氏が書いておられるように、清々

しい通りが雰囲気を盛り上げる。

過去幾つかの古い町(川越や高山あるいは大内宿のような)は自分の足で現地を見た。

全国各地にいろいろあるが、ここは別格だ。こんな利用の仕方をGoogleは提供してくれ

ている。しかしそこまでよ、あなたがやったようなことは違法だし、あなたの人間性が

疑われますよ、と忠告されているようで恥じ入るばかりです。

 

それにしても司馬氏がこの旅行記を出したのはもう40年も前。今のNET社会なぞ空想

でしか考えられない時代だった。氏がこんな時代に蘇ったら、こんな読者がいることに、

どんな感想を述べるだろうか?

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396-300804高原の涼風に身を置きたかった・・

2018年08月04日 | 旅行

戸隠神社鏡池の朝

 

異常な暑さが続く。エアコンをためらわずに使いなさいとの警告が再三

テレビで流れる。この暑さが7月下旬の学校の夏休み以降に始まったの

なら、41.1℃の測史上最高気温も含めてこんな夏があってもいいか、

と納得がいく私の備忘録によればこの暑さの始まりは当地では6

29日。7月4日からの西日本豪雨前後の5日間と異例のコースをたど

た台風12号の通過で2日ほど凌ぎやすくなったのを除く、ほぼ一ヵ

月以上35℃を越える猛暑と熱帯夜が続く。まだ旧盆まで10日もある。

お盆が過ぎれば一気に秋の気配ということになれば、暑さのピークが前

倒しになっただけだで一年を通せば釣り合うと解釈できる。どうもそん

な生易しいものではなさそうだ。地球環境自体が変質してしまったのだ、

こんな説が登場しそうだ。

 

週初めにせめて高原の冷気に触れようと戸隠神社を訪ねる。

国道18号に添って車を走らせる。30代から40代初めの頃、仕事で

数えられないほど通過した道だ。長野道を使わずその頃の記憶をたどり

ながら国道を走るのだが、当然ながら随分と様変わりしている。上田の

手前の海野宿に寄ってみる。何度来ても昔日の面影をよく保存している

と感心する宿場だが強烈な日差しで人通りが絶え閑散としていた。

 

上田市内で代替わりしていたが、当時よく利用していた食堂で食。特

のアジフライ定食は相変わらず美味い。2枚のフライは完食したが、

イスは半分以上残す。40年も経てばこうなるのは必然か。

長野道と中央道が出逢う更埴インターの辺りは当時の風景とはすっかり

変わってしまった。善光寺はパスして戸隠神社に向かう。

奥社参道の隋神門

戸隠神社奥社の参道は駐車場から直線の一本道。樹齢400年の杉並

は強烈な太陽光線を遮断し、気持ちの良い日陰が続く。しかし風がなく

蒸し暑く、奥社に近づくにつれ傾斜を増すので汗だくになる。この並木

のメインは隋神門を過ぎてから現れる。車の排気ガスには無縁。日光杉

並木より格段に環境に恵まれている。樹肌が赤みを帯びて天を突く。説

明板にはクマスギとあった。樹勢盛んで幸せな並木だ。 社会の変化が凄

まじい世にあって、変わらぬ光景には癒されるな、と思いながら奥へと

進む。

 帰りは鏡池周りで帰ろうと予定していたが、熊出没注意の警告板があち

こちにあるので止めておく。

今夜は宝光社前の宿坊。夏休み中なので満員かと思いきや一組で貸し切

り状態。手の込んだ精進料理を味わう。この年代だ、量は少なくても一

向に構わない。たったの一組の宿泊客に精一杯のおもてなし。よく冷え

た地酒がたまらない。

 

例により朝早く目が覚めてしまうので、朝食前に昨日寄れなかった鏡池

へ行ってみる。もう1時間早ければ、朝霧を纏った幻想的な風景に接す

ることができたと思われるが、その雰囲気の一端は味わえた。

2日目は宝光社と中社を見てから奥社の駐車場近くの忍者屋敷による。

子供騙しかと思ったが、どうしていろいろな工夫がされていて楽しめた。

親子三代家族と共に回った。一人で入ったら出るのに苦労したかもしれ

ない。斜めの部屋には笑ってしまった。20畳くらいの15度程傾斜し

た外部が見えない部屋。目は傾斜を感じないが三半規管は感じている。

その感覚のズレを脳はどう対処してよいのか迷っている。目が回るよう

な感じに慣れるのに少し時間がかかった。隣の部屋に抜けようと思うが

体が前に進まない。四つん這いのように重心を前にかけて出口まで進む。

最後の部屋は出口が解らない。みんなで周りの壁を押したり引いたりし

たがダメ。部屋の上部の明り取りから外の木々は見えるので怖くはない

が、15分間も閉じ込められると一人では不安が生じてくるだろう。敢

えて脱出方法は書かないのがこうした施設への礼儀か・・

黒姫高原はとても開放的な雰囲気。日射しは強いが木陰に設置された木

製のベンチで1時間足らずだが目的とした高原の涼風に身をさらす。

 

持てる才能を発揮しないまま学徒出て戦場散った画学生たちの遺

作を展示してある無言館(上田市郊外)に寄って旅の仕上げにしようと

したが、休館日でがっかり。熱い西日に背中を焼かれながら家路につく。

今年の暑さをことのほか感じた2日間になってしまったのは皮肉。 

 

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339-290722八ヶ岳の真ん中あたりを横断する

2017年07月22日 | 旅行

 安中市松井田の広大なこんにゃく畑。ここは北海道と言っても

通用しそうな光景。

 

八ヶ岳は長野県の東部に南北20kmにわたって連なる火山。

5万分の1地形図で表示されているいくつかのピークの総称。

その一番高いピークは赤岳(2899m)低いのが丸山(2330m)

火山特有の荒々しい爆裂跡があちこちに点在する。連山のほぼ

真ん中の夏沢峠を境にして北は比較的穏やかな山容、南は荒々

い山容であり、北の山並みは北八ヶ岳と総称されている。

夏沢峠の北、天狗岳の東斜面

最高峰赤岳を盟主とする南八ヶ岳の冬は積雪量はさほどではな

いが、西側にさえぎる山並みがないので猛烈な季節風に襲われ

る。その厳しい冬山は南北アルプスに勝るとも劣らないと言わ

れている。その昔無謀にも低気圧接近の予報が出ていた大晦日

から元旦にかけて登った。初めての本格的な冬山だった。本沢

温泉から膝上までの積雪を踏みしめて(人気あるコースなので

セルはされていたが)夏沢峠に出ると猛烈な西風にさらさ

た。硫黄岳下できて、ここから先は初心者(私のこと)が

ので危険とのリーダーの判断でたことが頭に浮かぶ。

下山してからこの荒れた天候で3人が遭難死したことを知った。

東京オリンピックが開催された年と記憶している。

 

この山域には立派な山岳道路が山並みの東西に走っており、北

八ヶ岳と称される山域を車で通過できる麦草峠で東西が結ばれ

ている。この峠も2000mを越る。幾つかのピークには登

った藪山探訪以外の登山をしなくなった現在、こんなに整備

れた道を快適に苦も無く山中に入れるはありがたい。

東から西へ峠を越えると蓼科高原の別荘地に繋がる。

 

今夜の宿までの距離は120km程度。あちこち適当に立ち寄る。

未知の史跡があったので寄ってみる。五稜郭と言えば函館、規

こそ小さいが全く同じ形状の要塞跡がこんな山中にあったの

だ。死角がなく防御に適すと書かれている。

奥村土牛記念美術館に寄る。たくさんのクロッキーが展示され

ていた。日本画家のイメージが強いが、展示物を見る限り日本

画家とは思えない。クロッキーは洋の東西を問わず画の基本だ

とは描くことを趣味とする友人に教えてもらった。

 

先にブログで触れた我が本家にあたる家はこの山並みの東麓、

湖畔の那池という集落の出と聞く。本家を訪問する旅の

でに高の宿に泊まり、白駒池から麦草峠を通り霧ケ峰ま

を伸ばてみた。

松原湖畔。冬には氷上で運動会が行われ、盛大にたき火が燃えた

とは祖母からよく聞いた話。

高原のホテルの夜、何十年ぶりに見た完璧な北斗七星。下の二

星の間隔を右に5倍ほど伸ばせば北極星を簡単に見つけられ

る。つれあい曰く、「線が引いてないのでよくわからない!」

もちろん→が天にあるわけもない。私は見上げた瞬間に判った。

北極星を画面に入れられなかったのは星座写真に素人ゆえ。液

モニターに星座は写らない。ちなみに撮影カメラはOlympus

stylus1、諸元は開放30秒、iso1000、f値2.8といった設定。

帰宅後パソコンで確たら、明るすぎて肝の星が不明瞭、

フトに力を借りて補正した。次の機会のために撮影要領を勉

ておこう。

夏のスキー場とアザミに蜜を求めて。

 

静寂な白駒池を一回りする遊歩道を歩く。2000m越えの

湖畔の散策はなんとも気持ちが良いものだ。ホテルに我らが

アイドル吉永小百合が苔に覆われた大木に寄り添う写真があ

った。つれあいは彼女と同じ年の生まれ。お前モデルになれ、

といって同じポーズで撮影した。そこそこには撮れたが、さ

すがに公開するのは憚られる。

霧ケ峰のニッコウキスゲの群落。こんなに貧相でも今年は良く咲

いた方だとは土産物店のご主人の話。

12年前の光景を期待して来たのだが・・・ 当時は草原の山

覆うように咲いていた。その原因の最たるものは鹿による食

害とか。お昼に立ち寄ったペンションのオーナーの話では山に

自生する野草には毒性の強いものが数々あるが野生鹿はその毒

に対する耐性を身につけてしまうとか。従って人と共存できる

範囲の総数で増殖を抑えるには猟銃かワナしか実効性ある方法

はないという。

 

 

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312-280121大雪に埋もれた温泉街

2017年01月21日 | 旅行

 宿のセンスがしのばれる。

 

普段の半額の料金で宿泊可能との文句に釣られて四万温泉やまぐち館に泊まる。

この温泉地では一番大きい旅館と思われる。美人で歌の上手な女将で有名。

泊まってみると、ここかしこに女将の気配りが感じられ満足度の高い旅館

だった。

成人に日辺りから降り積もった雪で到着するまでが大変だった。新しい

冬用タイヤのついた軽自動車で出かけたが、雪道には弱かった。スキー

は4WD車で行くのが当たり前だっただけに改めて4WDの威力を思い知

らされた。

夕食後の8時から従業員が演者になって佐渡おけさや和太鼓で楽しませて

くれる。こんな余興をスタイルを変えることなく20年も続けているとの

説明に感心する。同じパターンをこの長期間続けるのは大したものだ。四

万温泉で本場に引けをとらない佐渡おけさに接するとは思わなかった。

一夜明ければ見事な冬の青空が拡がっていた。

利用した旅館の窓から雪の朝の風景を撮る。

 

四万温泉は東京駅との間に直行便が毎日出ている。過去別の宿に3回

利用する機会があったが、どの宿も気配りのよくできた好感の持てる

のだった。歓楽街なぞ何もないが、かといってひなびた温泉という

でもない。私には群馬で一番いい温泉と思えるのだが・・・

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301-281029サルと遊ぶ

2016年10月29日 | 旅行

  寒さで行動が鈍ってきた蛾、窓に張り付いて動かない。

 

ブログの更新が300回を越えた。色々なことに興味を示して

手を出してみるが長続きしたものが少ない私にしてはよく続い

たとの感想。

 

紅葉を愛でに信州山田牧場、志賀高原をめぐる。素晴らしい紅

葉を楽しめたが、カメラの設定が少し違ったようでピントが甘

いものが多かった。山田牧場下の七味温泉から牧場を通って志

賀高原に抜ける。笹ケ岳のすぐ近くを通る林道から善光寺平の

向こうに姿を表した北アルプスの峰々や北信五岳と言われる妙

や黒姫山が一望できた。

一山丸々の紅葉

山田牧場の瀟洒な建物越しに望む北アルプス

カメラ一杯にズームすると

爺ケ岳から鹿島槍ヶ岳に連なる稜線とその奥に立山連峰。

さらに右に首を振れば白馬三山。左から鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳

 

山座同定を試みれば、南の御嶽山から乗鞍、穂高連峰や槍ヶ岳も

特定できる。一カ月して雪をまとうようになると更に見事な光景

が眼前に広がることだろう。

予定になかったが写真では何度もみた野生のサルが湯につかる光

を見たくなり地獄谷に寄ってみる。駐車場から40分ほど歩く

ことを強いられた。外国人が多い。奇妙なアクセントで「コンニ

チハ」と挨拶してすれ違っていく。一組の若い外人に英語でどち

らからと聞いたらオーストラリアと返ってきた。通じてヤレヤレ。

地獄谷噴泉塔のもうもうと吹き上げる湯気が見えると到着。

志賀高原、地獄谷野猿公苑のサル専用露天風呂

観光客の餌やりは禁じられている。人間に慣れているのだろう。

近ずいても知らん顔。餌欲しさにすり寄ってくることは決して

ない。説明役の若者の話に耳を傾ける。

サルの一群は160匹ぐらい。昼間はこのあたりの降りてきて

日がな遊んでいるが、夜になるともっと上のほうに帰るらしい。

ボスが仕切るのはサル集団の通例だが、あまり過激な争いはな

いようだ。160匹を統率するボスの実力が強固なのだろう。

必要最小限の餌は与えるが基本的には彼らが自然の餌を探すよ

だ。観光客に媚びない多数のサルが嬉しい。湯につかるのは

冬だけで雌と子供だけらしい。

野猿公苑一帯

沢の両岸は急峻な崖、クマに襲われる心配もなさそうだ。野生の

サルにとっては天国のような環境じゃないかな。理想的な野生動

物保護がされていると感じた。

****** 

心臓検査の結果が出た。 24時間心電図には不整脈は記録されて

いない。造影剤を使用したCT検査では重要な3本の太い血管は多少

の石灰化はあるが心配するほどのものではない。あまり神経質にな

らずに普段通りの生活をする。運動も今まで通りでよろしい。

ありがたいことです。

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287-280722番外編北海道旅行その5(丸駒温泉→札幌→帰途)

2016年07月22日 | 旅行

誰もが行くところを訪ね歩いた記をだらだらと書き連ねてしまいま

した。週一回の更新の習慣を無視した番外編でしたが今回で終了で

す。お付き合いいただいてありがとうございました。

 

さて最後の宿泊地は支笏湖畔の丸駒温泉。最後に回して正解だった。

オーソドックスの古くからある温泉でその露天風呂が素晴らしい。

旅の疲れを一気に消してくれた。

支笏湖は洞爺湖と大きさや成り立ちがよく似た湖である。札幌から

も比較的近い。にもかかわらず特に支笏湖はきらびやかな開発には

無縁で太古からの原生林に囲まれた雰囲気をよく残している。

丸駒温泉の露天風呂は中からは木々を通して湖面が見渡せるが外か

らは樹々の葉がうまく隠してくれる。湯面が湖の水位と連動してい

るという。この時期水位が高いので立った状態で湯面は肩のあたり。

これは掛け値なしの露天風呂だ。

カメラ持ち込みできないが、風呂に浸かりながら支笏湖の湖面から

対岸の山までのパノラマが広がる。目の位置と湖面が同じなのでそ

の開放感が素晴らしい。

北海道大学構内。学生たちがジョギングに励む。

北海道大学教授中谷宇吉郎博士の偉業を記念した碑。大学構内その

ものが観光地になっている。

バンカラで有名な北大恵迪寮。もちろん棟は別だが女子学生も利用

できるようになりその気風はなくなったと聞く。

開拓の森の中に復元されている戦前から戦後にかけての恵迪寮。

その開拓の森のゲートをくぐると左手に聳える開拓使札幌本庁舎

http://www.kaitaku.or.jp/guide/guide.htm

北海道の各地を回ってみて気が付いた。フキの葉の大きいこと。

本州の4倍はあるのではないか。ちょっとした林や森の下草には

決まってこの大きなフキの葉が目に付く。有史はるか以前の海面

が低かった時期に宗谷は樺太と陸続きになった。一方津軽海峡は

深い谷が走っており海面が下がっても本州と陸続きになったこと

はなかった。樺太の生態系と北海道は似ていても、本州と北海道

とは明らかに異なるのもそのためだと言われている。

苫小牧のフェリー乗り場で遭遇した光景。多くの高級バイクに交じ

ってスーパーカブが乗船を待っていた。この人はカブで北海道を駆

け抜けたのだろうか? だとすればアッパレ。

 

番外編はこれでおしまい。来週からまた週一更新に戻ります。愛読

するブログで毎日更新されておられる方がいます。やってみて大変

なことがよく判りました。無理をしないで気負わずに細くても長く

続けられたらといいなと思っています。

 

 

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286-280721番外編北海道旅行その4(積丹→ニセコ→昭和新山)

2016年07月21日 | 旅行

 神威岬

 

昨夜の宿はこんなに海岸に近い。雰囲気は民宿、宿泊料は旅館並み。

料金の大半は海の幸に化けたか・・ しばらく刺身は食べたくない。

山家育ちには海のこんなシーンも新鮮。

半島に沿っていくつもの岬があり、一つ越えるたびに小さな防波堤

に囲まれた漁港が現れる。ここから毎日新鮮な海の幸が陸揚げされ

るのだろう。この季節は穏やかの光景だが、冬は一変するという。

特別の役割を持った人以外住むことを拒否するほどの厳しさ。

宿も11月に入ると春まで休業すると言っていた。

 

そして長いこと現地を見たいと思っていた神威岬を眼前にする。

この岬を後方の高台から眺める構図で描いたと思われる写真より

も写真らしい油絵が世話になった病院長の執務室に掲げてあった。

繰り返し見ていたので、この日を心待ちにしていた。

 

有珠山のある洞爺湖畔までの最短ルートはスキーヤーなら一度は

滑りたいと思うニセコを通る。しかしシーズンを外れた現地は閑

散とした馬鈴薯畑が続く道。少々疲れが貯まるころにようやく洞

爺湖畔の到着。ここのお目当ては2000年に噴火した有珠山の様子。

温泉街の背後の山はこの時を含めて何度も噴火している。おおむ

ね30年に一度は噴火している歴史があるという。まさに災害を背

負ったような温泉地だ。この火口跡の左2kmの地点はもう温泉

街の一部。

 

そして私とほぼ同じ年齢の昭和新山。北海道のどこにでもある広い

畑が昭和19年の夏にいきなり隆起し始める。この現象が1年ほど続

き、高さ400mほどの溶岩ドームが形成される。戦争末期の混沌

とした世相の中で地元の郵便局長であった三松正夫氏が新山の成長

を克明に記録し続けたことは有名。この山は氏のご子孫の方の個人

所有地となっているそうな。なぜか駐車場の一番隅っこにある三松

正夫記念館の展示内容は非常に中身の濃い内容。入館が閉館間際で

見学者は私一人、館長さんが丁寧に説明してくれた。聞けば故三松

氏の娘婿だそうだ。作家新田次郎氏を案内して新山に登ったことも

あるという。旅の幸運に感謝する。困難な状況下で愚直に観測を続

けた様子を書いた新田次郎著「昭和新山」をお薦めする。

 

(追記)

何というタイミングの良さなのか、昨日からBS8チャンネルでドラ

マ「北の国から」の再放送が始まった。毎日夕方5時から1時間強の

分割放映となりそう。ドラマの舞台を見てきた直後なのでこれは見

逃せない。フィクションが頭の中でノンフィクションに変化した。

 

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285-280720番外編北海道旅行その3(旭川→小樽→積丹)

2016年07月20日 | 旅行

 定番の風景だが小樽運河

 

今朝も天候に恵まれそう。旭川と小樽は200km離れている。

高速道路がなければ走るだけで1日が終わってしまう。余分なこと

考えずにとりあえずは小樽までまっしぐら。道内最初に完成した高

速道は行きかう車も少なく時速100kmでセットし予定通りの時

間で小樽に到着。再訪だ。前回は札幌雪祭り見学。早朝小樽で下船

したらなにやらあわただしい雰囲気。余市の先の豊浜トンネルで落

盤事故が起き車が数台閉じ込められている、との事。そんな緊迫し

た場面に遭遇したのが20年前のこと。

小樽観光定番のスポット。時間があるので町中をあちこち歩く。

明治から昭和初期の古い建物があちこちの保存、ないしは住いとし

て生きている。古い建物がきちんと保存されている点では日本一の

町かもしれない。

そしてこれも定番の寿司。観光地にしては良心的なお値段。

 

 

いい意味で期待を裏切った日本銀行小樽支店の建物と室内の金融博

物館。なかなか見応えがあった。ニシン漁やロシア貿易で賑わった

小樽の経済から最近の金融情勢まで上手にまとめて展示してある。

この街は後背地が山の斜面で町が広がる余地がない。それで道庁所

在地を札幌に持っていかれたが本来札幌よりも先に商業の中心地に

なった街だ。その証拠がこの日銀支店であり、国立小樽商科大学だ

ろう。

 

大金庫。鋳物ではないむくの鋼だ。係りの人に質問したら週に一回

は油を少し含んだ布できれいに拭くのだそうだ。まるでステンレス

のような輝きを維持している。この厚みが醸し出す重量感。

余市の先にあった福原漁場。いわゆるニシン漁の番屋だ。番屋はこ

こ以外にも各地に残っている。対象とした生産物の違いはあるが日

本版ゴールドラッシュの時代が大正から昭和30年代まであったのだ。

度胸のある者がニシン漁で富み、ニシンが消えるとともにさびれて

いった。つわものどもの夢の跡。

途中くだんの豊浜トンネル(落盤事故後に山寄りに新設され、事故

のあったトンネルは封鎖されている)を通過。この時点では翌日通

る予定だったので撮影せず。残念。

小樽で時間を取られてしまったので、積丹の宿に着いた頃は夕闇が

迫っていた。海岸間際の宿。津波に襲われれば丸ごと持っていかれ

るだろう。

風呂を浴びて部屋に戻り窓外を見ると、水平線に漁火が目立つよう

になる。宿の主人に確認するとやはりイカ釣り船の集魚灯とのこと。

その数が増す。

感度を上げて撮影してみた。

  

夕飯の献立はすごかった。写真は席に着いた時のもの、この後から

出るは出るは。山国育ちの山菜料理に慣れた胃袋はさぞかし驚いた

だろう。物には限度があるよね! 客の年齢を考えて欲しい・・・

板前の一人がネパールの若者だった。どうした縁でここに??

 

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284-280719番外編北海道旅行その2(千歳から旭川)

2016年07月19日 | 旅行

 富良野のお花畑。ここにも中国の観光団が大挙して

押し寄せ、にぎやかなことにぎやかなこと。

 

北の大地を踏みしめ、初日は千歳から夕張を通り富良野、美瑛を経

て旭川まで。高速道が開通したので時間はさほどかからない。昔は

1日で走り切るのは大変だったことだろう。 

夕張市は地方自治体として初めて財政破綻した。 街の中心まで行

ってみたが気の毒なほど寂れている。そんなマイナスイメージを公

開して欲しくないと思っておられるだろうと受け止め写真の公開は

止める。代わりに自然は豊かだ。市の南側を流れる川にある「千鳥

の滝」。地層が地表に露出しその上を水が流れ浸食する。滝が地層

の間を樋状に流れ下る。地質の専門家にとっては貴重な自然である

ようだ。

 

街道わきにメロンの即売場。地産の夕張メロンを半切れ食す。これ

はおいしい。一切れ400円だった。ここから高速道を走る。北海道

の脊梁山脈である日高山脈の奥深くに入っていく。片側1車線の簡易

高速道なので慎重に運転。占冠というところで一般道に出る。道の

駅のユリの花の赤色が鮮やか。昼間と夜間の温度差があるので何の花

も色彩が素晴らしい。

今度の旅行のお目当ての一つ、倉本聡氏の「北の国から」の舞台に

なった麓郷の森を訪ねる。主人公の五郎、純と蛍が私と子供の年代

と同じなので毎回の放映を楽しみにしていた。物語はあくまでフィ

クションであり俳優による演技なのだが、こうしてその舞台になっ

た特徴的な家を見て回ると、そのこと自体が歴史上の出来事になっ

てしまっている。その意味では安土城の遺構見学するのと同じ。倉

本氏そして現代の三谷幸喜氏両者、素晴らしい脚本家だ。

この家はあまり記憶がない。

 

 

やはりドラマではこの家が一番記憶にある。純のいたずらで焼失した

家の代わりに建てられたもの。ここに住んでいたころ五郎は猛吹雪の

戸外で雪に閉じ込められて死にそうな目にあったんだと記憶している。

 黒板五郎の席に座って

麓郷の森は南富良野から30分ほど東の山懐に入るので有名な富田ファ

ームはここからしばらく北上しなければならない。途中にこれぞ富良

野の農地という場所に出くわす。花も良いがこうしてトラクターでき

れいに耕作された雄大な畑を目の前に見るのは素晴らしい。

明治のころ、あたりは海岸から離れた内陸地であり原生林に覆われ、

ヒグマを生態系の頂点にした野生動物の天国だっただろう。開拓者

達は身の危険や厳しい寒気の中この地を長い年月をかけて開墾した。

森を剥ぎ取った大地は大きくうねり、冷涼な気候もあり日本特有の

農業はできなかった。気候の似通った欧米系の農法に従ったのは当

然のなりゆきだっただろう。細かく区画された内地の畑や田を見慣

れた目には実に新鮮に映る。

 

多くの観光客に愛でてもらうための裏方の作業。相手が自然だけにこう

した手入れが不可欠。

富良野といえばラベンダー、早咲きの種類が満開だった。遅咲きも

植えられたおり、8月までこの光景は楽しめるという。

旭川に向かう途中、夕刻の暗さの増した美瑛町の広大な畑。

美瑛町には「せるぶの丘」という町を代表するお花畑があった。

富良野、美瑛の二つの町。車で通過するいたるところに絵葉書の

ごとき風景が広がっていた。

まだ全行程の半分以下だが、森の木の多様性に目を見張る。内地

ならば森林の大半はスギやヒノキを主体とする人工林だ。ここに

はこれらの木々はほとんどない。そもそも人工林がないのではな

いかと思いながら車窓を過ぎていく森を眺める。

 

 

 

 

 

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