toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

667-060518体力が許せばまた歩いてみたい山道 

2024年05月17日 | 山登りというより山歩き

                 余地峠に向かう林道にて  2016.05撮影

8年前の5月新緑の頃、群馬最奥にして日本で一番高齢化率の高い山村、南牧村をよく歩いた。この時期

は村が誇るいくつもの滝を見て歩いた。15km程の山道はほとんど苦にすることもなく歩けた年齢。

記憶は少しうすれたが、この林道の雰囲気からして村の一番西の象ケ滝に行った時の一枚だろう。

     

                              象ケ滝   2016.05 撮影

 

 

滝は林道から少し脇に逸れる。新緑を周囲に囲まれた道に→象ケ滝、↑余地峠への標識。長野県との県境

にあるそれぞれ戦国時代に武田の軍勢が関東進出のために往来した古い峠の一つに繋がっている。

標識を過ぎると、簡易舗装は終わり、軽トラなら何とか入れる山道へと変わる。それも100mほどで終わ

り、先は急斜面をジグザグに登る本格的な山道になる。もう歩くしか先へはいけない。急登を終えると山

道としては幅の広い、落ち葉が深く積もったくぼ地状の道を進む。戦国最強の武田の荒武者たちが往来す

るに相応しい道だ。周囲は更に緑が増す。

両県の県境はほぼ日本海と太平洋を分ける本州の脊梁分水嶺と合致しているが、なぜかこの一帯はそうな

っておらず当然群馬だと思える部落が長野県だったりして複雑になっている。また日本で海から最も遠い

地点(国土地理院確認済みの標識あり)あったりして地図マニアには興味ある山域。

                                                                               2016.05 撮影

再訪するとすれば今月一杯だろう。これからの季節山ヒルに注意しないといけない。露出部分を極力減ら

て歩くのだが、どこからか侵入するのか足首辺りに張り付き血を吸って赤くなった一匹に気付く。いやな

やつだ。

 

地域の写真クラブに入会して先輩諸氏に指導を頂いている。月一回の例会だが皆さん傑作を持参するので

大いに参考になる。今度の市民展にそれぞれ一品を出展することになりその選択に大いに悩む。諸氏は何

度も出展経験があるが、私は初めてのこと。規格は半切かA3のサイズで自宅のプリンターでは印刷できな

い。カメラのキタムラで大枚2500円を払ってプリントしてもらった。額は先輩の一人が提供してくれた。

25日から5日間が展示期間。佳作でももらえたら励みになるがどうかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

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658-051215街中散歩よりキツメ里山歩きよりユルメ

2023年12月16日 | 山登りというより山歩き

           安中富岡境の崇台山。初冬のこの時期竹の葉の緑がいやに鮮やか。

 

普段の日の夕方の街中散歩は欠かせない日課だが、時に少しきつめの散歩をしたくなる。こんな時は郊外の観音山

丘陵にある清水寺の石段を登る。週に一度くらいは心拍数が100くらいになるように心臓に負荷をかけるのも老

化防止になるかと思っている。心拍数があがってきたら、吐く吐く吸うのリズムに合わせて階段を登るのが一番楽

な歩き方のようだ。

 

昨日は階段に飽きたので、車で30分ほどの崇台山を歩いてきた。歩いて稼がなければならない標高は120m

程なので心拍数も100以下に抑えられる。今回は北側から登る。こじんまりした山だが頂上からの見晴らしが

素晴らしくこの辺りでは人気の山だ。敢えて山支度ではない散歩用のスニーカーとボトルに水だけ。食料はなし。

間違っても道に迷うこともない。

 

桜の名所の尾根に出ると見慣れない建物が目に入る。完成まじかだがまだ工事中。工事の方に確認したらバイオ

トイレだという。富岡市も味なことをやるなと思ったら、そうではなく茅野市の会社から寄贈され地元の方々が

協力して建築中なのだという。それにしても立派なトイレ。

汚物処理に微生物を使うので時々攪拌が必要なようで、その動力に太陽光を使うらしい。手洗い用に水タンクも

備え付けられている。男どもはともかくご婦人にはたいそう喜ばれるのではないだろうか。春の桜の季節になる

とこの山の評判をまた高めるだろう。

 

会社名を聞きたかったが、教えてはくれなかった。茅野市には多少の縁がある。精密機械製造のチノンではない

か? 寄贈したのはここだけではないようだ。寄贈した個人や団体会社名くらい掲示すればと思うが銘板等はな

かった。この企業に栄光あれと祈りながら通り過ぎた。

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657-051210稲含山

2023年12月10日 | 山登りというより山歩き

                           

富岡市の南に位置する稲含山(標高1370m)に登ってきた。

予てから登ってみたいと思っていたが、先送りしてしまい今回が初登山。家々が山肌に張り付くように点在

する林道を車は標高をあげ茂垣峠(標高1071m)に着く。ここまできてしまえば、足で登らなければな

らない標高差は残り300m。年寄の足にはこの程度がいい所。

 

家を出る時は快晴だったが、積雲が多くなってきて日が陰ると少々寒い。数百段はあると思われた木の階段

をゆっくりと登る。木と木の間が雨水でえぐられて歩きにくい。吐いて吐いて吸うの呼吸ペースと足の運び

を合わせゆっくりだがペースを維持して登る。急な割には息が乱れない。いい感じだぞ。

 

途中から岩壁の間を縫うように道は続く。整備がしっかりできているので危険を感じるというほどでない。

1時間半で頂上直下の神社に到着。そこから一登りして頂上に立つ。20坪ほどを平らな頂には展望円盤が

設置されていて周囲の山々が良く解る。

 

冬型の気圧配置に移りつつあるので、遥か上越国境から浅間山にかけては雪雲に覆われ始めている。西側の

の谷から風が吹きあがってくる。風の音を聞きながらこれはゆっくりしていられないぞと帰り支度している

とき、いきなりの突風で10年来愛用の帽子(プロフィール写真でかぶっているもの)が空中高く飛ばされ、

東側の谷へゆっくりと消えていった。

映画の一シーンのような感じだった。

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651-051014こんな山登りは危険

2023年10月15日 | 山登りというより山歩き

 

夏の名残のヒマワリ。

長年使用しているオリンパスSTYLUS-1といういわゆるコンパクトデジカメが不調になって2か月ほど

経つ。撮れるのだが動作が安定しない。ビックカメラやカメラのキタムラに持ち込むも、メーカーが

決めている修理対象期間を過ぎているので修理できませんというつれない返事。

 

ミラーレスカメラに買い替えるか、素晴らしくなったというスマホのカメラに替えるか、決めきれな

いでいる。この過程で今まで無関心ゆえに知らなかったカメラの設定についての知識が増えた。する

とこんな不具合が頻発するカメラでも状態が良い時は今までとは明らかに違う写真が撮れた。もうし

ばらくこのカメラと付き合ってみましょう。

 

今日は近くの500mほどの里山に登ってきた。里山とは言え一応の身ごしらえをしないと危険なと

ころもある侮れない山。吉井町の八束山という。何度も登ったが今までは約1時間で登れた。今日は

休息時間を除いて1時間15分で完登できた。80爺さん頑張ったなと頂上で誉めてやる。そこに東

京都K市から来たという60代と思われるご夫妻が携帯コンロでお湯を沸かしてコーヒーブレイクを

楽しんでいた。こんな場面に遭遇するとすぐに話しかけたくなる私。普段の山登りは奥武蔵丘陵だと

いう。

 

どのコースで登ってきたのか? と尋ねたところ南面から登りました。登山道なんかありません。た

まに見かける赤い布テープを頼りに雑木や密生した竹藪をかき分け強引に登ってきた。奥さんは怖い

所もいくつかありましたという。知る限りこの山の登山道といえるものは北と西側にしかない。東と

南は傾斜がきつく藪山に慣れた好き者以外には危険と思われる。私もそちらから登ったことはない。

往路を降るのはこりごりだというので、北側登山道を教えたあげた。駐車場所までかなり遠回りにな

るが無事に着いただろうか?

 

このご夫妻は地図はスマホのGoogleMapを頼りに登ってきたという。便利なアプリだがこれを登山用

に使う? 私には考えられない。私が使っているヤマレコの地図を教えてあげた。下山時軽く追い抜

かれてしまった。若いだけに脚力には自信があるのだろうが、GoogleMap頼りに未知の山への挑戦す

るのは止めて欲しいなと思った次第。

 

 

 

 

 

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648-050923安易すぎないか、遭難救助要請

2023年09月23日 | 山登りというより山歩き

全国紙の購入を止めて地元紙だけにして数年が経つ。他県の出来事を知る機会が減ってしまう。

それを補うためにネットニュースをよく見る日常が続いている。メインのㇷ゚ラウザーはマイクロソフト

のEdgeに設定しているが、別段の操作をしなくともマイクロソフト提供のニュースが飛び込んでくる。

 

この夏は夏山遭難のニュースによく接した。意識的に遭難ニュースを報じているのだろうか? この程

度の事故でもニュース価値があるの? と思ってしまうのも多かった。

私も若いころから山登りをはじめて現在も近場の山に登るのでこの種のニュースには関心が深い。山登

りにおける危険との向き合い方は基本自己責任の世界。

近くの谷川岳にはよく登った。60年前一の倉沢衝立岩で起きた落下事故は自衛隊が出動してザイルの

支点になるハーケンの周囲の岩を銃で狙って二つの遺体を落下させて収容した。上掲の写真の中央の岩

壁の三つの岩のくぼみ(L字状に並んで見える)辺りだ。撮影地点から稜線まで標高差1000m。

強烈な印象が残っている。

最悪こうなることも想定しなくては・・

2枚の写真は平成27年7月に湯檜曽川左岸を歩行中に撮影したもの。前掲の事故とは関係ありません。この沢の出合には

遭難者の追悼レリーフがいくつも岩に埋め込まれている。

 

今日も中央アルプス空木岳で疲労で動けなくなった40代の登山者が救助隊に背負われて下山したよう

だ。みっともないことはやめてよ! と思ってしまう。 携帯電話の通話範囲が10数年前に比べて飛

躍的に拡がったのがこうした風潮の大きな原因だと思う。ガラケーしかなかった時代に通話範囲は人が

住む周辺に限られていた。今はどうだろう? 余程の山中でも通話可能な時代。軽微な負傷でも救助要

請があれば無視するわけにはいかないは各県の救助隊の宿命。何か割り切れないケースが多発している。

安易にスマホで救助要請すればいいんだと甘く考えての登山でしないで欲しい。転んで腕を骨折した、

足首を捻ってしまい歩行できない、食料が尽きた等々。自分の技量や体力をよく考えて登って欲しいよ

なと思う事例が多過ぎる。

 

そんなニュースの中でよく頑張ったなと思ったのは、北アルプスの不帰の嶮での遭難事例。この登山者

は白馬岳方面から長野岐阜県境尾根を南下中にこの場所に差し掛かりるも誤って富山県側に2、300m

下に迷いこんでしまった、というよりも滑り落ちてしまったのだろうか? この標高差を滑落して命を

落とさなかったのは信じられない。写真で見る限りその場所から主稜尾根に戻るのは無理だろう。谷底

からの救助を求める叫び声に通りかかった別の登山者が救助要請をしたという。実に8日後彼はヘリで

救助された。怪我はしているようだが命には別条がないと報じられてホッとした。動かなかったことが

良かったというが動くにも動けない場所に見える。

険阻な谷底で数日、独りで耐えられた体力、精神力を持った相当な登山経験者のようだ。

救助隊員も命懸けだ。

 

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634-050424身をもって体力の低下を感じる

2023年04月24日 | 山登りというより山歩き

半世紀近く前というと35歳の頃か、職場での仕事は隣県の長野県が主戦場だった。週に2,3回碓氷

の峠を朝は西に越え、夜は東に越えるのが日常のことだった。立て続けに二人の男の子が家族に加わっ

たが、イクメンなどという言葉はなかった時代。育児は連れ合いに任せ毎日遅い帰宅が普通だった。

 

当初は碓氷バイパスが完成する直前でカーブの多い旧ルート使用したが、それが完成すると150円の

通行料金を払ってこちらを利用していた。ルートのすぐ南に標高こそ1000mに届かないが稲村山と

いう秀峰があり注目していた。

ある日この山を登った。1時間ほどで頂上に立てる。楽な山だなと思った。しかし頂上からの見晴らし

が素晴らしかった。完成間もない碓氷バイパスが眼下に見えていた。碓氷峠はこの山頂より100m程

高い所にある。

今回予想以上にキツイ登りだった。当時の印象と違う山に思えた。しかし頂上からの眺望は期待を裏切

らなかった。半世紀も経てば樹木の生長も著しい。碓氷バイパスは見えるが昔の印象と少し違う。

新緑に埋め尽くされた谷に沿って峠まで道がところどころ見えるだけだった。東に目を転じると特徴的

な裏妙義の山塊の根元をダイナミックに上信越道が貫いている。半世紀の時間は山頂からの眺望をこん

な風に変えたのだ。碓氷バイパスを横切る高速道のアーチ橋が印象的。

 

昔の記憶を頼りに軽い気持ちで登り始めたが、途中からの急傾斜の登りにいささか疲れてしまった。登り

はともかく、降りる際は同じ傾斜でも急に見える。安全を考えいつもバックに入れてある30mのザイル

を確実な支点になりそうな樹の根元に回して慎重に下った。山は同じでも登る方の体力の経年変化による

衰えを身を持った感じた1日だった。

 

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626-050122気軽な里山歩き

2023年01月22日 | 山登りというより山歩き

仕事を辞めた年金生活者にとっては暦の休日は家に閉じ籠ることが多い。毎日が休日の身になって

一番嬉しいのは予定に縛られる必要がない事だが、逆に束縛するものがないと、かなり用心しないと

だらだらした怠惰な日常になってしまう。

 

そんな危険性のあった日だったが、朝食後天気も良いので車で30分で登り口に着く崇台山を歩く

べく現地に向かう。標高僅か299m、登り口が160mほどなので登る高さは150mほど。日々

の街歩きだけでは筋力や心拍力の維持に不十分。ほんとはもう少しキツイ山が良いのだが、車で1時

間も走るのは面倒だ。それでもこの山は東西南北いろいろな登り口があり結構楽しめる。冒頭の写真

は西側からの登り口。

 

私の脚力でちょうど30分で頂上に着く。まだまだ蕾は堅いと思っていた河津桜にたった一輪の花が

咲いていた。2月に入ると3分咲きくらいになるか?

 

今日は南側から少々キツイ尾根を登った。頂上からは北に延びる尾根を辿って西側登山口に降りる。

一回りしてスタート地点に戻るのだが、途中で初めての道に出くわす。この道はあまり利用されてい

ないようで殆ど獣みちだが明らかに踏み跡がある。これを辿ったらまた頂上に立つことができた。

こんなちっぽけな山でも未知の道はワクワクする。

下山途中に蝋梅の群落に出会う。この時期貴重な花。

 

今週は近年にない大寒波が襲来する予報。テレビのニュースが報道する割には当地では大したことは

ないのではないか。この寒気に乗り越えれば2月となる。まだ寒さの底はあるのだろうが春近しを感

じが増してくる。

 

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615-041022へそ曲がりは榛名山へ

2022年10月22日 | 山登りというより山歩き

高校の同期で市内に住む数人とLINEで繋がっている。ここ何日か冷え込みが続き山は紅葉が

進む。行ってきてものがLINEで取り上げるのが赤城山。山の上の湖やそれに続く覚満淵あた

りの素晴らしい染め上げられた樹林帯の写真が付く。

 

さらばと思いながら赤城を避けて榛名山に登る。それも誰もが誉める榛名湖周辺ではなく、二ツ

岳という寄生火山の一角の雌岳を対象に選んだ。距離は短かいが丸太を配置した急角度の階段を

息を弾ませて登り切る。傾斜が緩くなり樹林帯を抜けた先で迎えてくれた光景が冒頭の一枚。

 

80年間朝夕仰ぎ見てきた榛名山の1300mの高みからのパノラマ。眼前の三角錐の秀峰は人

気の水沢山、角度を変えてみると仰ぎ見てきた山とは思えない。遠く左奥に日光白根山を盟主と

する連山、中央には関東平野から徐々に盛り上がる赤城山が配置される。天気が崩れる予兆の雲

がうまい具合にかかる。

 

赤城榛名両山のすそ野が合する辺りには、利根川が左から右に関東平野に流れ込み、更に関越道、

上越線や国道17号が交差しあいながら走っている。上越新幹線は平野部の途中から地下に潜り

我がいる場所の足下を通過。太平洋側と日本海側を結ぶ主要交通路が交差し合いながら走る。

 

冒頭の写真の右に続く靄のかかった広大な関東平野のパノラマを独り占めしながらおにぎりをほお

ばる。

 

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612-041001里山で出会った印象的な樹

2022年10月01日 | 山登りというより山歩き

元総理の国葬や洋画劇場の休みなし2時間を見ていたり、このところ家で過ごす時間が

多かった。そこで体力維持のために近く里山に登る。

家から30分で登り口まで着く手頃な山歩きが楽しめる。名を八束山という。地理院地図

には城山とある。戦国時代以前に山城が築かれた山。標高453m、登山口からの標高差

が280mほど。

 

登り1時間、帰りが50分と足慣らしに丁度良い。 登山道わきにひと際異形を放つ巨木

と会い対峙する。命尽きてから10数年は経つかと思われる巨木の思はぬ形。

巨木探しを趣味とするほど入れ込んでいるわけだはない。しかし思わぬところで歴史を生

き抜いている、あるいはこのように生き抜いてきた古木に相対すると、普段断片としか見

ていない歴史が、奥深い時間の蓄積の結果として感じられて感動する。

 

下山後ネットで調べてみたら、天狗の松という名のあった樹のようである。山全体が赤松

やクヌギに包まれた自然林なので、かってはこの山の主のような存在だったのかもしれない。

 

余裕をもって下山できた。これからが好季節になるので今年もまだ里山歩きを楽しめそうです。

 

 

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598-040522爺さん二人で碓氷峠を歩く

2022年05月22日 | 山登りというより山歩き

友人の一人が中山道を木曽の入り口辺りまで何回かに分けて歩く計画を実行に移した。松井田宿までは歩いた

がその先の碓氷峠越えは山道となるので同行して欲しいと誘われていた。

私も過去半分までは歩いたがその先の峠までは歩いてなかったので、二つ返事で二人で踏破することにした。

霧積温泉入り口に車を置いて街道に分け入った。素晴らしい新緑の中を貫いて先に延びる街道。有名無名の幾

多の人々に歩かれた道。嘉永〇年曽祖父利忠も千葉から岩村田に婿入りする際通ったに違いない。幾多の先人

の息遣いを感じながら歩きとおした。

 

途中でメガネ橋に降りる道経由で戻るつもりだったが、二人とも足が軽く感じたのでそのまま熊野神社まで足

を伸ばしてしまった。普通はここから軽井沢に降りて、バスで横川までまたは新幹線で戻ればどうということ

もないのだが、車を回収する必要があり往路を戻る。

 

有名なのぞきから見る坂本の町並み。

 

陣場が原とかいうところで、道は二つの分かれる。左が本来の中山道、右が和宮降嫁の際に新しく作られたと

和宮道。後者は幅があり軽4輪車と思われる轍があり傾斜も緩い。行きはこちらを歩いて熊野神社まで。

神社からの帰りは中山道を使ったが傾斜もきつく完全な山道。いくら昔といえこれが当時の五街道と言われる

道と疑うような悪路。しかし迷うこともない道を通りこの分岐に降りてきた。

ここまでで爺二人の足はかなり疲労が溜まっていたが、ここで歩くのを止めるわけにはいかない。大休止をと

り、メガネ橋を目指す。

結局、この後更に10km近くの歩行を強いられてしまった。下りに使った明治天皇巡行路と言われている立

派な山道はモミジの新緑に囲まれた素晴らしい所だった。周囲に杉の木がない落葉樹だけの森というのはかく

も感動的な景色になるんだ。林業関係者には申し訳ないが杉の造林地は里山歩きの愛好者にとっては味気ない。

 

20km近く、3万歩を越えた歩数。歩きとおした満足感、達成感は久しぶりに感じるものだった。

しかし80歳越えの爺二人にってはその代償は大きく、筋肉痛と関節の痛みで昨日は満足に歩くこともできず

ブログ更新の気力も失せて静かにしていた。

 

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568-030724酷暑の中で滝のミストを浴びる

2021年07月24日 | 山登りというより山歩き

古い火山の溶岩流が固まった断崖から一条の滝が落下している。この地形特有の柱状節理が

中途半簿に形成されている。落差40mほどか? 滝壺は形成されていない。近づくにつれ

落下した水が作るミストを浴びる。酷暑の中で味わう涼感が素晴らしい。

中之条町からみなかみ町に抜ける大道峠の少し東。滝の名は不動滝。近くまで車が入るが、

最後の1kmは藪をかき分けて徒歩でのみ到達する深山奥山っぽい所。

滝下に古そうなお堂があった。いわゆる滝下不動尊だろう。ここに泊まりながら滝修行をす

る僧がいた時代もあったはず。

 

最近お堂の改修があったようで、その板製の奉加帳が掲げられていた。「おお、わが同族よ!」

100年後の参詣者の目に留まり、消えかかった文字の中に、2020年と翌21年は新型コ

ロナがもたらしたパンデミックで世界中が大変だった。特に日本はオリンピック開催を1年延

期してまで対応策を展開した。が後手後手になり経済にも大打撃を与えた年だったと読み取っ

てくれるだろうか?

 

異例ずくめの東京オリンピックが開催された。開催された以上、無観客という異例のかたちの

オリンピックなりに無事終了し、人々の記憶に残って欲しいと強く願う。

何が飛び出すだろうか?

 

東京に二人の息子家族が住む。働き盛りの4,50代。弟は仕事の関係上ワクチン接種は済んだ

ようだが、兄は8月下旬に一回目という。まだひと月ある、二回接種を済ませた地方在住の爺婆

は心配で心配で・・・

より感染者数の多い地域へ優先的にワクチンを回せよ! 状況を考慮の上で配布することが平等

ということだろう!

 

東京都の新規感染者数1800人と報道される。何人がPCR検査を受けたのか? 感染者の割合

は? 感染者1800人のうち発症率はどの位なのか? 更に重症化率は? どれも発表されな

い。恐らく発症しない人と軽症で済んでしまう人が大多数なんだろう。感染しても発症しなけれ

ば感染者は強力な抗体を有することになる、他の感染症と同じだ。 私が一番不審に思っている

ところです。

 

感染者数の増加だけが極端にニュースになっているような気がしまうのです。今のところ身内に

発症した者がいないから言える能天気な主張だとは思いますが・・・

7/22記

 

 

 

 

 

 

 

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557-030515藪山徘徊の醍醐味というとオーバーだが

2021年05月14日 | 山登りというより山歩き

いきなり雑木や笹薮に覆われた山の一角の写真です。ここは榛名山群の音羽山の

頂上。なんの眺望も期待できない山頂です。

でもれっきとした3等三角点も埋まっていました。

 

6年前に年金生活に入るにあたって70年間朝に夕に見続けてきた榛名山群の顕

著な頂に立ってみようと決め、手始めに登ったのが鐘撞山か音羽山にかけての山

歩きだった。以後天候と体調を考えながら続け、殆ど目的を達成したので2巡目

として先日歩いてきた。(5月10日)

前回は東側からの往復登山だったので、今回は西側からの周回コースとした。

 

コース図下部の林道から奥に入り、半時計周りに歩く。鐘撞山と音羽山を結ぶ尾

根に出るまではしっかりした山道で特に問題ない。そこから音羽山までの後半は

明確な道はないが尾根が狭まってくるので、尾根を外さないように登ればここも

問題ない。ただしかなりの急登。山頂が近づくと笹藪を分けるように頂上に至る。

 

音羽山からの先の後半は登山道はない。けものみちのような微かな踏み跡と時に

木の枝につけられた赤テープと地図アプリ(私はgeographicaを使用)で現在位置

を確認しながらのルート探し。歩けそうな所を地図と実際の山や谷の様子、植生

などを照合しながら進むというのが藪山歩き。里山とはいえ慎重に前に進む。老

いたりといえまだ少しは残っている知的好奇心と冒険心を満たしてくれる。

そんな効用もあるので道がないことは程度にもよるがむしろ歓迎。普段の街中の

気楽なお散歩に飽きた身には快い。4時間で歩数16000歩程度だった。

 

残念ながらこんなマイナーな山歩きに付き合ってくれる家人や友人はもはやいな

い。多くの場合一人旅とならざるを得ない。良いこともある。朝起きて天気が良

ければ予定がなくても出かけ、逆なら中止する自由がある。里山とはいえアクシ

デントがないとは言い切れない。歩く予定のコース図や住所氏名や電話番号等を

記した1枚を家に置くと同時に登り口に駐車した車のフロントガラスにも張って

おく。ならばあと3年位は気候の良い時期にこんな楽しみを続けたいものだ。

 

いい季節ですね。

コロナ騒動がなければ素晴らしい5月を存分に楽しむところですが・・・

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556-030508榛名山群天狗山大日影ルートを登る

2021年05月08日 | 山登りというより山歩き

赤城山南面の千本桜のある場所はツツジの名所でもある。 (5月4日)

前日の天狗山山行の疲れが残るが、花の盛りは待ってくれない。重い腰を上げて見

物に行く。毎年行く赤城神社参道のツツジは殆ど咲き終わったいた。その先の千本

桜の上部広場まで標高差100mほどか、満開のツツジが待っていてくれた。

なぜか殆ど人影も見ず、我々だけの贅沢なツツジ見物ができた。帰り際関係者に聞

いたら、近くの養豚場で発生した豚コレラで2万頭もの殺処分が行われたのが原因

らしい。我々も立入禁止だったのか?


 

さて、前日の榛名山群天狗山大日影コースを紹介しましょう。

80年近く見続けている榛名山群の西寄りに位置する山。

天狗山東峰の山頂は山名を象徴するような巨岩が折り重なっている。

 

退職後、高崎から見える榛名山の顕著なすべての頂に立とうとスタートした山行

の2回目に榛名神社から鐘ケ原山を登り、その下山時に立ち寄り、頂の豪快さと

景観の素晴らしさに魅了されたのが天狗山。翌年南面から登り、今回3回目とし

て結構長い東尾根を辿って登った次第。

 

高さでは西峰だが眺望も平凡な頂上なので、人気はこちらの東峰。巨石の間から室

田の町から遠く高崎市役所の建物まで拡がる展望。赤線のコースを時計周りに歩い

たことになる。線の末端付近までは暮れに偵察しておいた。

 

一合目の石から登り始めると間もなく二合目石が目に入り、付近にやたらに石碑

が目に飛び込んでくる。天明あたりから新しいのは昭和あたりまで、さほど古い

ものではないが、かって表参道だった名残なのか? 故人を忍んだものが多い。

       

930m地点で三角点を通過。あるべきところにあるべきものが確実にある。そのこ

とを確認したときの快感が心地良い。開けた所からは第一回に登った鐘撞山から音

羽山へ続く稜線だろう。

 

ここから先は道が笹やぶの中に消えてしまっている。時々枝に巻かれたり結ばれた

赤テープでコースを外れていないことを確認する。藪漕ぎしながら登っていくと人

工的な少し雑な石垣の下に出る。昔社務所でもあった名残か? 石垣に上は50坪

ほどの平地となっており、かって何かしらの建造物があっただろうな思われる雰囲

気。そのわきに宗教団体大世自神霊宗の看板がある。ここから先立入禁止のようだ。

電話番号が書いてあったので電話してみた。入り込んだのを見つかると激しく叱責

されると聞いていたが、物々しい看板とは裏腹に穏やかな対応。天狗山に登るのな

ら踏み込んでも構いませんとの返事。気を付けての声に安心してここから急登とな

る道を一登り。

 

天狗山直下の尾根に到達。もう一息だ。

 

2年前に登ってきた南ルートと一緒になる。石像と石碑が乱立する岩場をすり抜け

ると東峰に至る。ここで富岡から来て榛名神社、鏡台山経由で登ってきた3人のご

婦人達とおしゃべりしながらおにぎりで昼食とする。(もともと男のくせにお喋り

だが、年を取ったらさらに進んだな)

 

帰りは鐘ケ原岳から南東に延びる尾根をたどる。初めてのコース。笹薮に完全に覆

われ道が消えてしまった幅広の尾根を地図を頼りに降る。地図の表示通りに幅の広

い尾根が次第に狭くなりはっきりと尾根の形を成してきたあたりで、暮れに確認し

ておいたちょっとした広場に出る。地図は私をあるべき場所にきちんと導いてくれ

た。今回も何事もなく無事に帰宅。

 

  

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550-030327松井田城址散策

2021年03月27日 | 山登りというより山歩き

思い立って安中市の松井田城址を散策する。南北朝時代からの歴史が残っている古城と言わ

れている。

上州の地侍安中氏が室町幕府末期の100年ほど支配する。永禄年間、関東に勢力を拡げて

きた武田軍支配の城となる。武田の関東支配の拠点の城として機能したが長くは続かず勝頼

自刃後進駐してきた織田軍麾下の滝川一益の支配下となる。しかしその期間も短く本能寺の

変の際、滝川軍と後北条軍との攻防で滝川軍は西に去り、後北条軍麾下の大道寺政繁が入城

することになる。

城作りに長けた北条氏はこの山城を大規模に改修し、北条氏の城らしい鉄壁の構えにした。

現在に残る城址はこの時作られてものとある。

この堅城もまもなく天下統一を目指す秀吉軍による小田原城攻め際、碓氷峠を越えてきた前

田利家軍を中心とした軍勢との決戦で落城した。

冒頭の写真は二の丸跡に建てられてこの大道寺政繁の記念碑。

 

 

広大な(南北2km、東西1.5km)の城域に散在する本丸や二の丸そして尾根道を通

してつながる曲輪などは最低限の整備され、それらを結ぶ道はこの時期歩行に差し支えな

い程度には整備されている。

安中二の丸と説明板がある台地。左は急傾斜の空堀。

 

本丸跡にあった城址内唯一の建物の虚空蔵堂と籠城には欠かせない水の手。

 

落城後の400年間、そのまま放置されて城跡は最低限に整備はされ、山歩きの服装や足

ごしらえで見た回れるが、散策のレベルは超えている。歩けるのは5月一杯だろう。夏と

もなれば、繁茂する雑草に阻まれて歩行に難儀すること間違いない。

 

後北条氏の手になる山城のいくつかは知っているが、いずれも天然の地形を巧みに利用し

たなるほどを頷きたくなるものが多い。それらの中でもその遺構がほぼ廃城されたまま残

っている点では貴重なものではないかと思われる。

全国を回るほどの年季の入った城マニアには程遠い、この近辺を見て回る程度の城好き

だが、全国にはもっと大規模な山城はいくつもあるのだろうな・・

 

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534-021128下仁田町の小沢岳に登る

2020年11月27日 | 山登りというより山歩き

5月に登った安中市と富岡市の境にある崇台山からの眺め。重なり合う山並みの中でひときわ目を引く山容が今回登った

小沢岳。下仁田町を抜け、南牧川を渡り青倉の石灰採掘会社の脇を抜け、奥に進むと少しで登山口に到着する。

その途中で見上げる頂が小沢岳。どこから見ても目立つ山の姿。

先に2台の車が駐車していて、登山者はすでに出発していた。迷いようもない道を進んでいくが、去年の台風

の影響か道は溢れ出た水で浸食されてかなり荒れていた。

こんな個所は序の口で上に行くほど荒れ方がひどい。しか不安を感じるほどではないので、足首をひねらない

よう慎重に足場を選んで進む。25年ほど昔に一度通ったことのある道だが、印象がまるで異なってしまって

いる。あの時は渓流に沿った穏やかな道だった。

40分ほどで頂上から南に延びた主尾根に出る。前回はもっと明るい開放的な尾根だったが、今は木々が成長

し暗くはないが見通しが悪い。落ち葉の積もった尾根を少し外れた道をのんびりと歩く。この時期ならではの

嬉しい山道。上に行くほど木々の葉が落ちて明るくなってきた。

こんな地層は大昔、ここが海の底だったことを語っている。

西側が開けた。浅間山が見える。下の集落は南牧村雨沢あたりかも。

小沢岳頂上に到着。前回は周りの木々はまだ低く、西上州の山々の絶好の展望台だったが、木々が成長して足下

に見えた小沢の集落は見ることができなかった。

のんびりと歩いて2時間弱。途中で下山してくる二人ずれと山の挨拶をかわし、頂上では他のご夫婦と会話。

晩秋ならいやなクモの巣もヒルにも悩まされることない。汗かきの私でも大した汗はかかず、たっぷり持ってき

ボトルの水はむなしくほとんど持ち帰ることとなった。

 

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