関東平野に流れ込んだ雪雲が鮮やかな虹を演出した。 安中にて 2019.1.20
先週母の5回忌だったので、寒中墓参りに行った。墓地は東京都営の多
磨霊園。開園が大正末期らしい。明治、大正、昭和の歴史を作り上げて
きた有名人の墓も多い。墓じまいなんて言葉が流行る時代だが、今この
霊園に新しく墓地を持とうとしたら、大変な金額が掛かるらしい。私の
祖父母以後が埋葬されている。昭和9年建立とあるので、まだ隙間だら
の時期だったのか。一番の小区画の墓で至って地味なものだが、春の彼
岸を過ぎれば満開の桜の古木で彩られる。公園風墓地の代表的な存在。
やがて私もここに葬られるわけだ。綺羅星のごとき御方々とともに眠る
かと思うと満足度高い。改めて亡父に感謝。
新選組組長近藤勇と言えば歴史好きの方でなくとも知っている幕末史を
飾る超有名人。多磨霊園にその墓があるわけではないが、すぐ隣町に斬
首後の遺体を埋葬した墓がある。墓参りの帰途寄ってみた。google map
で探しながらだったのでそれなりの時間がかかった。最初に気付いたの
が勇の生家跡。野川公園と道一つで、調布飛行場の滑走路を北に伸ばし
たあたり。知ってしまえば霊園から10分も行けば着く。
そこから10分ほど東に歩くと、龍源寺という宗派は書いていないが寺に着く。
山門の近くには胸像といくつかの記念碑が建つ。
本堂の裏に回ったらとっつきに近藤家代々の墓所があり、その中の一つ
が近藤の墓だった。慶応4年の字がはっきりと見て取れる。気をつけて
撮影したつもだったが、PCに落とし込んでみたらぼやけていてはっきり
と年代が映っていないので墓の表のみ載せる。
向かって右から2番目が近藤の墓。
縦方向になるわけですが、横のままだったごめんなさい。
鳥羽伏見で敗れて江戸に帰還後甲州鎮撫隊として晴れて直参の武士にな
った近藤はこの寺の前を故郷に錦を飾る気分で甲州に向かい、新政府軍
に敗北する。流山で捕縛され、板橋で斬首される。華々しい京での活躍
の結果にしては末路が悲惨だった。時代運がなかったのか。壬生義士伝
を読んだ後だったので新選組登場人物が頭に浮かぶ。後の時代に作られ
た記念碑や胸像よりも遥かに真に迫ってくる。