自立の皆さんには要支援状態にならないように、また要支援の皆様には要介護にならないようにトレーニングをしていただく。 お元気な方々には更に元気に・・・ これをコンセプトに、デイトレセンターの建設工事が始まった。
竣工は年末、オープンは1月4日。 順調な工事の進展を祈る。
建築現場前の豪邸の門前に、ベンツと並んで駐車していたクラシックカー。 多分三代目となるプリンススカイラインであろう。 昭和43年ごろの当時最先端の車。 「品川5」でなく「品川55」だから、一旦廃車したのを復活したようだ。 この後一世を風靡した「ケンとメリーのスカイライン」に続いていく。
ナンバープレートがついているのが厚い鉄板にメッキを施したバンパー。 縦方向にびっしと駐車した車列から抜け出すとき、に車を前後に動かし、バンパーで他の車との間に隙間を作り抜け出す, そんな使い方も想定し頑丈でなければならなかった。
ちなみに時代遅れとして、鉄板のバンパーを廃止した最初の車はスカイライン。当時からスカイラインはアメリカナイズされたデザインで、トヨタ、日産と一線を画していた。 現在10代目以上となると思うが、つい最近の型までどうモデルチェンジしようがテールランプは丸型に固執していた。
同時代の車3台(いずれもweb siteより引用)
左より2代目トヨタコロナ、初代日産ブルーバード、日野コンテッサ。
一番売れたのはブルーバード。 耐久性に優れ小型タクシーのほとんどを占めた。
コロナは整備士時代に修理で縁があった車。 今も目をつむれば細部まで脳裏に浮かぶ。 ブルに比べて足回りが弱く、エンジンも非力。 ドアの開閉音がしっとりしていたのが記憶に残る。 洗練されたスタイルに走行性能がついていかなかった。 日産の黄金期でトヨタより元気があった時代。
当時日野はフランスルノーと提携し乗用車を製作、デザインは当時の先端をいっていた。 リヤエンジン、リヤドライブで個性をアッピールした。
ほぼ東京オリンピックを挟んで4年間(昭和38年から42年にかけて)ころの1000~1500CCクラスの乗用車。 まだホンダは二輪車専業メーカー。 いずれの車も鉄板バンパーは必須のアイテムであった。
ホンダが最初に世に出した軽乗用車 N360 (web site より) 昭和43年ごろの車で空冷360ccエンジン。 ギヤシフトにギクシャク感があり、慣れないとシフトがうまくいかなかった。 その後の数年はパッとしなかったが、排ガス規制に最初に対応できたことが、その後の躍進に繋がった。
サラリーマンが自家用車を持つなんて考えられなかった時代であったが、車はどんどん進化し、我々の所得も増え、ローン(月賦といった)で買える時代がきた。 食うものもろくにない時代に少年期を過ごしただけに、坂道を登る行く手に陽に映える白い雲が見えている良き時代の到来を感じた。