toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

364-291230過ぎし一年、次の一年と積み重ねて

2017年12月30日 | もろもろ

冬の庭の貴重な緑。以下数葉

 

今の環境になって早や3年が経過した。有り余る時間とどう向き合うかは諸兄同様

にいろいろ悩む。それに相応しいお金があればまた違った選択肢が拡がるだろうが、

そうはいかないところが人生でこれがまた楽しい(?)といったら負け惜しみか。

古いことは覚えていても昨日の出来事が思い出せない使い古した脳みそでもフル回

転させて工夫することはボケ防止になると思う。幸い今のところ健康はなんとか維

持されおり、そのことが全て行動の起点なので日常の生活には気を付けている。

本を読む趣味を持ったことが、豊富な手持ち時間(資金ではない)の運用にこんな

に役立つとは !! 率直な感想。「何もなければ読書、これに飽きたら散歩に出る」

これが日々の生活の基調となるパターン。これを取り巻くように週1~2回の季節

に応じた運動を配置する。長いこと楽しんでいるサイクリング、軽登山、スキーそ

れに2年前から始めたスイミングを加えて組み合わせる。水泳以外は野外での活動

なのでお天気次第で日程は流動的。これから始まるスキーなんぞはいつも白銀と紺

碧の青空が揃う完璧な舞台が待ってくれている。天候を待てる自由があることが何

とも贅沢なことだと感謝。「一人で行ってつまらなくないの?」 とよく聞かれる。

「若い頃から団体プレーよりも自己完結するものが好きだったので別に・・」と答

える。好きもの同士で楽しむ素晴らしさはもちろん承知している。一人で行っても

同じことを楽しむ同世代人に声をかけるくらいの社交性(?)を持っているか・・

うまくいけば現地でいっときのお友達になる場合もままある。週単位が私の生活に

合ったスケジュール。

こんな勝手気ままができるのも当たり前だが健康が大前提。10年先いや5年先が

見通せない年代にとっては、先ずは1年、そして次の1年が無事でいられることが

目標。後期高齢者に区分けされても80才まではその中では前期だろう。体調不良

に苦しむ方々が決して少なくはないことは承知しているが、それでもまだまだ元気

で動ける方の比率が高いのがこの年代。欲を出さずに足るを知り、その一員であり

続けることを切に願う。

 

市内から遠くに谷川岳が望める日は北風が強い。

 

ところで、私が今年読んだ本で良かったなと思うベスト3は

 第1位 「昭和解体」 牧 久 著 あの凄まじいまでの労使対決のエネルギーは今どこに?

 第2位 「漂流」   角幡唯介著 沖縄県伊良部島佐良浜の漁民の生命力に圧倒された。

 第3位 「陸王」   池井戸潤著 流行作家の手になる本は文豪のそれとはひと味違う。

ということになりました。

 

一年間、コメントをいただければともかく、どういう御方なのか知る術もない各地

の多くの方々に拙いブログを見ていただき感謝申し上げます。皆さまにも良き新年

が訪れることを祈りながら本年の最終投稿とします。ありがとうございました。

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363-291223この日が天皇誕生日であるのもあと1回

2017年12月23日 | もろもろ

庭の掃除をしていて、ミツマタの木に目が留まる。秋まで青かった葉はちりちりに

枯れてしまったが、来春の花芽がしっかりと寒さに耐えている。

 

平成天皇のご退位が正式に決定したので、12月23日が天皇誕生日となるのもあ

と1回だけとなった。平成31年が最後の平成がつく年となる。次のお正月は平成

を振り返る特集番組やら報道記事が目白押しに並ぶだろう。

明治以降和暦が天皇の在位と密接に結びついている。既に新しい年号の検討に入っ

ているではないか。平成改元では県や市への提出書類の年月日記入で平成に慣れる

まで2ヵ月ほどかかった記憶がある。また当時コンピュータのメモリーは今よりは

るかに高価で貴重だった。ファイル設計で取引年月日を表すのに昭和の年数を使い

391010とした。西暦での19641010に比べて2バイト節約できた。年

号が替わると問題だとの認識はあったが当面の課題を乗り越えなくてはならない。

そしてその時が来た。後輩達は予想通り修正に苦労したと聞く。西暦の下2桁を使

用しても同じこと。1999から2000年に変わったときに問題の解決を迫られ

たはずだ。懐かしい思い出。

和暦は日本の歴史を認識する際の時代区分として優れたものを持つ(特に近世)。

くどくど説明しなくても「大正時代はね・・」それだけで時代の概観を掴める。大

正12年の関東大震災と言われればピタリとくるが西暦表示で言われるとその辺が

ぼやける。

反対に和暦年号、例えば延享2年と言われてもどの辺りかが判らない。年表で調べ

たら西暦1745年でこの年伊能忠敬が生まれている。私は両方を使い分けること

に賛成。西暦に一本化すればすべて良しというものでもあるまい。公文書は西暦で

統一するのはよろしいのではと思うが・・

 

さて、朝日を真正面から浴びた妙義山を紹介します。 

先日、妙義山を真正面から眺められるホテルに泊まる。毎週水曜日に秋間梅林の峠

越え40kmを走るメンバーとここで忘年会をするため。81才から62才までの

この趣味を通してのみの友人たち。私は平均年齢を引上げる方に分類される。二次

会は部屋に戻り幹事が用意してくれた酒とつまみで更に盛り上がり気が付いたら

11時を過ぎていた。若い皆さんは我々年寄りの来し方の話を聴きたがる。誰もが

順風満帆の人生を歩んできたわけではない。多少誇れるのは後期高齢者に区分され

た現在でも若い人たちと自転車に乗れる健康が維持されていることだが、この仲間

では当然なことでさほどの話題にはならない。

やはり半世紀の仕事人生如何に関心がある様子。私が語る番がきた。仕事上でぶつ

かったいくつもの悩みも今となっては思い出の一コマでしかない。自分でも不思議

なくらい冷静に率直に話すことができた。見栄を張る必要もなく失敗を恥じる感覚

ももうない。あったままの素の自分を聞いてくれるこんな仲間がいることが嬉しい

と感じた夜だった。

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362-291216社史

2017年12月16日 | もろもろ

榛名山群の種山に登る。地図には道が表示されていないが、はっきりした尾根なので

迷うことはない。渋い山歩きが好きになったものだ。         29.12.15

 

外出することがない日は家で本を読むことが生活の基盤になっている。それにも飽き

てきた頃、大体午後3時過ぎだが散歩に出ることが平凡だが習慣になってしまった。

普通は1時間強。町中へ足を向ければ商店街をぶらつき、駅の東西連絡路を通る。こ

こから新幹線に乗れば50分で東京駅のホームに降りたつ。たまにはあの喧騒の中に

身を置いてみたいな・・ 育った地域に向かえば幼き日に友と日暮れまで遊んだ路地

裏に当時の面影を探しながら・・ そして郊外を散策すれば昔はどの村落にもあった

小さな墓地で古い墓石を見て回りそこに刻まれた年号を確認する。

今日は午後からちょっとした用事があったので11時にスタートして東の郊外へ向か

う。折返しの目処は3~40分、寄り道せずに往路を戻るか、墓地を探索するか。今

日は小さな墓地に立ち寄る。古い小さな墓石の裏に風化してはいたが寛文3年の文字

がかろうじて読み取れた。スマホの自分なりの年表で確認すると1600年代中期、

徳川将軍は3代家光から4代家綱に代わったあたり。当時の幕閣中枢の老中は厩橋

(現前橋)城主酒井雅樂守忠清、「下馬将軍」とも呼ばれた。前任の老中は川越藩主

松平信綱、こちらは「知恵伊豆」と呼ばれる。新座市の平林寺境内を歩けば一族の立

派な墓に出会う。この時期伊達騒動が起こっている。元禄はまだ20年以上後。見て

きた墓はあの時代のものだと思うと歴史が本から飛び出て現実と繋がる。

 

なかなかの雰囲気のパスタ店があったので昼食とする。さして喉が渇いていたわけで

はないが注文したビールが美味い。キリンの昔からのラベルだったが生ビールぽい。

よく見たらキリン生とあった。最近はほゞ日本酒オンリーだったので生ビールの喉越

しが爽快。

 

さて

 

昭和41年から58年まで在籍した会社の社史の初版を手にすることができた。年齢

に置き換えると24才から43才の18年間ということになる。青臭い理屈を振り回

していたな。いまもってその弊から抜け出せないのだが・・・

これは紛れもない社史だが、私にとってはそれ以上の内容だ。コンピューターという

英語がまだ定着せず電子計算機や電算と呼ばれていた黎明期のコンピューターの歴史

そのものであり、同時に私を含めた未熟な若者たちの奮闘ぶりを再現していると感じた。

 

差し支えがないだろうと思う写真と文を引用させていただく。この電子計算機が鎮座

する部屋は元々は会議室と呼ばれた60坪ほどの広さの多目的な部屋。正面奥が中央

処理装置、左がラインプリンター群、右が磁気テープ装置、中央がカードリーダー。

メカニカルな部分が多いプリンターは別として、それ以外の能力、特に記憶容量はス

マホ1台に遠く及ばない。マイクロソフト、アップルはまだ誕生以前。IBMやバロー

ズ、ユニバックといった米国製品が圧倒的に強かった。

そして当時の代表的な入力媒体であったパンチカード、はがきを細長くした大きさ。

一桁の数字を縦一列のどこかに穿孔して表す。一枚で80桁くらい。当時の事務処理

プログラムはコボル。事務分析したものをフローチャートとしてまとめ、それに基づ

き電子計算機への実行指令をこのカードに穿孔する。大きなプログラムだとカード

1000枚を越えることもある。一人で持ち切れない重量だ。カードリーダーから電

子算機に読み込ませる。最初のリストが出る。慎重を期しても文法エラーの3つや4

つは出てしまう。これを修正してもう一度読み込ませる。ようやく文法エラーが無く

なった。そしてコンパイラーというソフトで一連の実行指示が完成する。これからが

大変。計算機が予定したように結果を出してくれない。手直しを行う。それの繰り返

し。こんな作業は夜から朝にかけて計算機が空いている時間にやるのが普通だった。

寝にだけ帰るのが家。誰もがこれがシステム担当の仕事だと思っており、取り立てて

おかしいとも思わないし、思われなかった。これが半世紀前のこの業界の姿。

 

余談だがこのカードは一度だけの使用で廃棄される。古紙ではなくパルプから作られ

ているので、現在の牛乳パックのような高級な古紙としてリサイクルされた。情報漏

洩などという言葉すらなかった。

 

またパソコン用に戻します。スマホに合わせるとどうもしっくりしない。

 

 

 

 

 

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361-291209山本周五郎の名作を読み返す

2017年12月09日 | 小説・映画・など

http://www.kotaro269.com/archives/51368571.html

今回もいきなり人さまのブログにリンクを張りごめん

なさい。危険なサイトではありませんのでクリックし

てください。

その深さを問わなければ、比較的多方面の知識を持っ

いると自負していた。そんな私の目の前に想像しな

かった写真が拡がった。他船と衝突して船腹が大破し

たアメリカ海軍のイージス駆逐艦を乗せて修理のため

に横須賀港に入る重量物運搬船だ。朝日新聞にも載っ

た。自力で航海できない船はロープでえい航するもの

とばかり思っていた。最初は信じられない光景だった。

第にこんな運搬船があるのは当然だと思えるように

った。浮きドックというのがある。浮かんだ船を海

とともに取り入れ、扉を閉めてから海水を抜く。浮

を上手に使った例だ。これに推進器を付ければ運搬

になるというわけか。何も5000tジャッキで持

上げるわけではない。      納得!!

 

さて***

 

今週は山本周五郎の名作「樅ノ木は残った」を再読す

る。

 

30年前に一度読んだ。あらすじは忘れた。最後の部

分だけ少し記憶が残る。ご存知伊達騒動に題材を取る。

今の境遇になってから昔1年間で読んだ本の数を一ヵ

月で読んでしまうほど読書の時間がたっぷり取れる。

ありがたいことです。

今はベッドに寝たまま再起の可能性ゼロの読書好きの

友人が若い頃語っていた。「山岡荘八著徳川家康を人

生で3回読むんだ。今と50才ごろ、最後は退職して

から」 友の願いは叶わなかった。

本の中身は変わらないが、読み手の環境は年代により

大きく変化する。本の受け止め方も変わる。時には

「これ同じ本?」という場合もある。

私にとり2回目の「樅ノ木は残った」は登場人物を逐

一ノートに書きとめ相互の関係を理解できるようにし

ながら読み進む。当然理解度が格段に向上する。まだ

上巻を読んだだけなので感想は書くのは早すぎる。

ただ蔵王の東、阿武隈川と白石川が合流するあたりの

岡を治める主人公原田甲斐が鹿を追って山に籠って

しまう場面、初冬の葉を振るい落としてしまった

なる尾根、人の気配がない谷筋、所々の日陰に

雪が消えずに残る。このあたりの描写が素晴らしい。

私もこの時期、知らぬ低山の厚く堆積した落ち葉

隠された道をしながら歩くのが大好きだ。

 

 

 

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360-291202白骨化した鹿の頭蓋骨は不気味だが荘厳でもある

2017年12月02日 | 山登りというより山歩き

いきなりグロテスクな写真を掲載して申し訳ありま

せん。 

4月にも書いたが我々が高校に入学した昭和32年

4月、山岳部の新人歓迎歓迎登山が裏妙義山で行わ

れた。この山行で同期入学のY君が滑落死した。入

学式の2週間後期待に胸を膨らませていたであろう

15歳の少年だった。まもなく慰霊レリーフが現場

近くの岩壁に設置された。その後60年近い年月が

過ぎ去りそのあり場所も解らなくなっていた。事故

の記憶も風化していた。

この春、パーティの一員だったT氏の話や山岳部のブ

ログそして地元の年配者の方の記憶を頼りにそのレ

リーフを探しに一人で入山したが見つからなかった。

半年が過ぎ、歩行を妨げる猛烈なヤブが枯れ、虫、何

よりいやな山ヒルが出なくなる季節になったので同行

するよと言ってくれたT氏と一緒に入山した。かなり

近くまで登ったが今回も目的物は見つからなかった。

岩だらけの斜面を探し回る体力はもはやなく危険でも

あり諦めた。休憩場所とした斜面の岩棚のようなとこ

ろで目にしたのがレリーフでなく冒頭の鹿の骨。一体

化を保ったままの頭部と角以外は散在し落ち葉に隠れ

たりしていたが、頭部だけ測量標識に立てかけて撮影

した。標識も新しいので2,3年しか経過していない

ように思える。鹿がここで息絶えたか、クマの犠牲に

なったかあるいは猟師が仕留めた獲物をここで解体し

て皮だけ持ち帰り残りを捨て置いたか二人で推理して

みたが解らない。Y君の御霊と不幸な鹿に手を合わせ

てから下山した。

 **

水曜日早朝、北朝鮮は暫くの沈黙の後ICBM級といわ

れるのロケットを発射した。高度4000kmを大き

く超えるロフテッド軌道だという。家にあった古い地

球儀で確認すると、ほぼ地球の半径くらいの高度だ。

完全に宇宙空間まで達し放物線を描いて日本海に落下

している。発射地点から落下地点までの水平距離をは

るかに上回る。北朝鮮が弾道を精密にコントロールで

きる技術を持っているのか疑わしいだけに発射角度の

僅かな狂いで落下地点が海上ではなく陸地になってし

まうことが心配だ。

金正恩のロケットは自分の推進力で飛び飛行距離も相

当なものだが、巨大な大砲弾のような気がしてならな

い。認識が甘いかな?

毎週水曜日の定例秋間梅林の峠越え40kmのサイク

リングはこの日無事に10年の節目のシーズンを終え

た。新しい仲間が3人増え、9名の大所帯(?)とな

る。平均年齢を3才ほど引き下げてくれた。

ここ長野新幹線安中榛名駅下、広田十字路での大休止

で冬じまいを済ませた田んぼを見ながら1年間の思い

出話に花が咲いた。

 

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