toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

603-040625非常にまれな興奮体験

2022年06月25日 | 旅行

もう40年ちかい昔になってしまった夏のあまりの悲惨さゆえにいまだに記憶に新しい日航機墜落事故。この

現場になった上野村を訪ねる。

目的は東京電力の神流川揚水発電所の見学ツアー。村が主催するもので何年も前から実施されている。近いか

らいつでもいけると思っていて時が経過してしまった。

地下500mに作られた大空間。東京ドームを容積を変えずに左右に引っ張り横長にしたと考えればよいか? 

エレベーターの着いた先のドアを開けた途端に圧倒的な地下空間が目に飛び込んできた。思わず出てしまった

感嘆の声。この中に一基47万kwh(30万人の市をの電力需要を賄えるほどの電力生み出す)の発電機が

2基稼働している。(あと4台設置のスペースが確保されている)

撮影禁止ではないがセキュリティー保持のために写真をSNS上に掲載はしないことを求められたのは当然だ。

皮肉にも人物との対比でその空間の広さをうまく撮影できたのにここに掲示できないのは残念だが・・

まだ発電所下部のダム湖の水位はゼロ。これから夜にかけて水位が上昇する

とのこと。

 

見学中にリアルかつ非常に稀な体験をした。

地下空間に響きわたるアラームの次の瞬間、説明を聞いている目の前の停止中の47万kwhの発電機が唸り

始めた。回転音が次第に高まってくる。1分ほどで規定の回転数になったのかこれまた地下空間に響き渡る大

音響とともにスイッチが入いる。首都圏への送電線に繋がったようだ。

その後も回転音は更に高まり、首都圏が必要とする電気を送り始める臨場感が音と微かに感じる振動で伝わっ

てくる。この日はどこまで出力を上げるのか? 遠く離れた指揮所では電力需給バランスを見ながら落下する

水量を回線を通じて細かく制御しているのだろう。

午後1時半前後だったと思う。気温が上がり首都圏の電力需要が増大すると判断したのだ。この時間首都圏は

曇天で太陽光発電が期待できない割には温度湿度共に高いようだとは説明員の解説。

エネルギー供給のなんとも頼もしい設備の存在とそのリアルな立ち上がりに立ち会えた。「首都圏の皆さん!

私の横の発電機がそちらに電気を送りはじめましたよ、安心してください!」と関係もないのに誇らしい気持

ちになってしまった。

ツアー参加者と同行された3名の説明者の他、関係者の姿は一人も見られなかったこと、こんな山奥に作られ

た巨大な設備が東京から遠隔操作で管理されていることにも驚いた。

 

午前中は村が運営している木材チップの製造工場と大規模シイタケ栽培の施設を見学する。昨今市場ではシイタ

ケはクヌギの原木にシイタケ菌を植え付ける古来からの製法によるものでなく、こうした人工培地を利用しての

大量生産の製品にとってかわっているとの説明があった。ちなみに古来からの製品に比べると人工培地利用の物

はまだ味や風味に若干劣るようだ。私の舌ではその微妙な差異は解らないだろう。

 

ツアーの目玉として、渡された袋に入るだけのシイタケを自由に採取持ち帰ってよろしいとのこと。十数人の参

加者が一斉に採取を始める。誰もが袋がはちきれるほどにゲットしていたくご満足の様子。

我が家も当分シイタケづくしの夕食が続くことだろう。

 

6.22 のツアーのひとこまでした。

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602-0640618赤堀の花菖蒲

2022年06月18日 | 花・樹木

これは見事な花菖蒲だ。

伊勢崎市旧赤堀村の花菖蒲の群落。車を止めたすぐ横の土手に登ると北に拡がるこの光景。霞む向こうは

赤城山が優美な姿を見せる。

説明板によるとここは平安時代の遺構で女堀という人工的な用水路だという。当時の最新の技術と多大な

労力をかけての大工事だったのに、微妙な勾配まで測量できなかったのか水が流れることなく歴史の中に

埋没してしまった。

恐らく雑木が繁茂する誰も見向きしないくぼ地だったのだろうが、先人の努力で花菖蒲の楽園となり多く

の人々を楽しませてくれている。

 

同じ場所から南を望む。この先300mくらい伸びている。周囲は広大な田園や工場が拡がるのに、南北に数

百m、東西100mの女堀は豊かな樹々に囲まれた別天地。工事に携った遥か昔の人たちの鎮魂の場所か。

 

遺構の中に立っているから余計に感じるのだろうが、ショウブの花が生き生きしている。

 

近所に住む高崎高校59期の何人かと無性に話したくなり、数人にメールで呼びかけた。 昨今お手軽なLINE

や+メッセージで連絡しあうことが多く、メールの出番がなかった、というより無職の老爺にはそもそも必

要な場面がなかった。アドレスの確認やらそれなりの体裁を整えた文書の作成やらで結構苦労してしまった。

友あり近くが遠い、また楽しからずや。

リアルに会って体調を確認しあい、それぞれが生きてきた80年の重みを語り合う。

何人の参加があるか・・

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601-040611照ノ富士日本語お上手

2022年06月11日 | 季節の変化

夏至を前にした夏に偶にみられる夕焼けは冬とは違い凄みを感じさせる。

 

久しぶりに司馬遼太郎著「街道をゆく」を読む。今回はモンゴル紀行。

一連の街道シリーズで初めて接する海外編。司馬氏は太平洋戦争中の学徒出身者。陸軍入りとなり中国東

北部で戦車中隊の指揮官を命じられる。モンゴル国も関係したノモンハン事件には時期が異なるので参戦

していないが、その愚劣な作戦を強く批判する。終戦直前は部隊は米軍関東上陸に備えて栃木県佐野市に

移りそこで終戦を迎える。氏の才能は花開くことができたが、戦争の推移が違っていれば死ななくてもよ

かった多くの学徒兵。戦後彼らの多彩な才能が芽吹いていたらどんな世界が拡がっていたことか、悔やま

れる。

 

興味を持っていたモンゴル国を訪ねた紀行文が本の内容。

高地に位置する草原の闇と澄みきった大気。見る人を包み込むように全天に拡がる星空の素晴らしさを情

熱的に語っている。機会はもうないだろうがアラスカのオーロラでなくこのモンゴルの感動的な満天の星

空をこの目で見られたら。

 

現役横綱照ノ富士の日本語は我々が聴いても違和感がない。白鵬も日馬富士も上手だ。来日何年もたって

ないのに何故なんだろうと思っていた疑問が解けた。モンゴル語と日本語はあるいはルーツを共にする言

語らしい。組み立てが似ているという。

 

午後1時に モンゴルから 羽田に 着いた。

モンゴルから 羽田に 午後1時に 着いた。

午後1時 着いた モンゴル 羽田。

どの話し方でも日本人は理解できる。すなわち意味ある単語を順番を構わずに繋げていけばとりあえず理

解してもらえる。モンゴル語も同じなのだそうだ。単語の発音が比較的明確で聞き取りやすいので、必要

な単語さえ知っていれば素直に会話に入れるらしい。

 

当地は梅雨に入る。 稲作には欠かせぬ水の大供給装置が稼働しはじめた。近年この装置が毎年どこかの

地方で暴発する。今年も覚悟しなけらばならないが、被害にあう市町村がどこかは予測不能。

この時期の水害は生きてきた80年間は聞いたこともない当地方だが、絶対ないとも言い切れない。この

後の1ヶ月間ほどほどの雨量であって欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

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600-040604小学生のやさしさ?

2022年06月04日 | 街歩き

田植え前の準備のために大量の水が必要となる時期。いくつかある散歩コースのひとつで見かけた光景。

上流15km程の烏川から引水した水は、途中いくつもの堰で旧市街地の生活用水や周辺の農地を潤す。

最下流のここに設けられた円筒分水施設で東西5km程の台地に公平(公平の見える化)に分水される。

説明版には、戦前この時期なると水争いが絶えなかったとある。

更に遡り用水が開発された戦国時代までは、国木田独歩が語る武蔵野の雑木林のような光景が拡がって

いたと思われる。高崎の東に拡がる関東平野の北西端の原野は地形上水に恵まれなかった。

 

分水装置直前の堰に可愛らしい臨時の台場が設けられていた。すぐ前の小学校の生徒のアイデアか?

この春にふ化したと思われるカルガモの幼子が5匹お昼寝していた。

少し離れた堰の梁の上に母親か? 成鳥がその姿を見守っている。

小学生たちも登下校時に見守っているのだろう、こんな優しいことを提案したのはどんな子だろうか?

ほっこりした気持ちになる。

 

今回の投稿で600回となりました。 ここ1.2年投稿内容がお粗末になったなと感じていますが、

もう八十路に入った老爺にはこの程度が精いっぱい。もう少し続けられそうですが今後も見ていただけ

ら嬉しい限りです。

最も愛読するブログ「林住記」の作者八十路真ん中の森生さんも、病気で倒れたらしい。4月末までは

唸るような内容の記事を更新されていのに、5月になったら更新が途絶えてしまいました。お見舞いし

ようもありません。

私の身の上にも十分あり得ることですが、今のところ、こんなことも張り合いの一つにしながら、もう

少し元気で暮らしていけそうです。

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