toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

174-260628新撰組といえば派手な立ち回りが頭に浮かぶが・・・

2014年06月28日 | 小説・映画・など

Img_1032 調子に乗って太田の手前、R17号新上武大橋まで走る。往きは良い良い、帰りは怖い。

浅田次郎著「壬生義士伝」を読む。

先月の旅で新撰組の屯所を見てきた。 新撰組に関する小説の事始は子母澤寛の

「新撰組始末記」だった。もう40年前になるか。 著者が推定する史実を踏まえた上

での内容で、この一冊がその後に続く新撰組遍歴のスタートとなる。

多くの作家のものに接してきて、この殺戮組織の大体のことは頭に入っていると思っ

ていた。 昨日読み終えた「壬生義士伝」は著者の作り出した架空人物 南部脱藩浪

人 吉村貫一郎 を主人公として登場させる。舞台を新撰組に借りたがこれが主役

ではないようだ。

P6276296_3 今年もやってきた。この鳥ムクドリの旺盛な繁殖力

 

このまま藩に属していては妻子を養うことができない。それが理由で脱藩し新撰組に

入る。そこで得られた収入の大半を故郷に送り、自身は相変わらずの粗末ななり。こ

の家族愛が全編を貫く物語の縦糸となっている。 そこは小説、単なる貧乏侍ではな

かった。主人公は剣がたち、かつ当時の水準を抜く教養の持ち主である。そんな主

人公が活躍した新撰組にも時代の波は容赦なく押し寄せる。 明治元年が明けると

天皇を担ぐ薩長主体の勢力と徳川主体の幕府勢力とが京都郊外鳥羽伏見において

戦闘状態になる。 単純に兵力を比較すれば圧倒的に幕府側が有利だったが、時代

のうねりは幕府勢を押しつぶし壊滅状態になる。大将徳川慶喜は戦わずして大阪か

ら江戸に逃げ帰ってしまう。

 

徳川あっての新撰組は抵抗を試みるが所詮局地戦に過ぎなかった。ここまでが上巻

のあらすじ。下巻がすばらしい。主人公の幼友達、今は出世して南部藩の大阪蔵屋

敷総取締役。個人の友情と藩の重役としての立場のはざまに揺れる葛藤。 主人公

の息子は父親の不名誉をすすぐべく16歳で戦闘に参加し、最後は五稜郭にて散華

してしまう。侍にとって家族とは? 侍にとって義とは? 侍にとって死とは? 重い

課題を小説の形を借りて著者は投げかける。

著者の作品はいくつか読んだ。以前読んだ8月15日の終戦後にソ連に戦いを挑ん

だ部隊を取り上げた「終わらざる夏」と双璧ではないか。さらに読み応えある本が次

に出てくることを待つ。

著者は私より一回り下の世代。 才能とは自分で磨き育てるものか、それとも7割は

親からもらうものか? 前者だとは思う。 中身は自らが盛り付けるものであろうが、

もって生まれた器量の大小だけはどうにもならない・・・

 

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173-260621歴史小説好きにとり信長は・・その4

2014年06月21日 | 旅行

 

P5226259 帰路、安曇野の大王わさび園。 北アルプスの伏流水が地上に現れ、清冽な流れを作る。こんな油絵をどこかで見た記憶がある。

またまたここまで来たんだら見ていこうよとなり、銀閣から京都御所の北を抜け

て嵐山まで。 ご存知渡月橋。 修学旅行でこの場所で橋をバックに記念写真を

撮った。 生徒それぞれの人生はこのあたりから徐々に変わっていき、詰襟学帽

の若者も何人かは鬼籍に入った。 岐路に立ちどちらの道を選択するか? 選択

が正かったとする者、必ずしもそうでなかった者。 どちらにせよ、選んだ道を自

己責任で歩んで、越し方を振りる時間を持てるのは健康であったからこそと

う。

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途中見たい場所はいくつもあった。 千利休が自分の木造を安置した大徳寺

山門。そこをくぐらせるのかと秀吉の不興を買い、切腹させられたという。

寺や徒然草に登場する仁和寺。みなカットする。また来る日があることを

祈り次とする。元気でいられるか? 目指すは新撰組屯所跡。

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近藤勇以下の面々が中仙道を経由して江戸から京に上り、最初の宿泊場所に

壬生の八木邸(左)、中に入る。 意見を異にした芹澤鴨一派が近藤ら

に粛清された部屋および刀で切りつけた跡が残る柱。乱闘がこの狭い部屋で

あったとは思えない。140年の歳月が過ぎ血の匂いこそ無いが現地を踏む

と生々しく目の前に当時が再現される。 道を挟んで南側の前川邸(右)、

ここは新撰組隊士の人数が増えて手狭になったために借りた家屋。 20代

から30代の隊士たちが鉄の規律のもとに京の治安の任に当たった屯所が

目の前にある。小説の中での出来事が想像ではなく実感として迫ってくる。

京都に別れを告げ、安土城址に向かう。雨模様の天候。 旅の一番の目的地

に到着。およそ400段の石段を上る。

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左より、石段のとっつき。この手前に安土の町並みが広がっていたはず。 

続いてここから石段が始まる。 進行左手に羽柴秀吉の、右手に前田利家の

屋敷との説明版。 両名はよほど信頼されていたのだろう。 城の守備を

おおせつかっていたようだ。こんな石段を登っていく。振り返れば近江の平

野が望まれる。

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更に不ぞろいの苔むした石段が左右に折れながら続く。 信長の墓がある。

本能寺の変の状況からここに遺骨が埋葬されえいるとは思えないが立派な

墓。 ひと登りしてようやく本丸に到着。 この石垣に宣教師をも感嘆させ

た7層の天守閣が聳えていた。

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石垣を回り込むと天守閣跡に到着。 この場所は地下倉庫のような役割をし

ていたと書かれている。 石垣に登って西方に目をやると当時は湖水がふも

とまで入り込んでいたようだが、琵琶湖が見渡せる。 湖面の向こうは比叡

山、その山塊の向こうは京都。 同じ景色を天守閣の最上階からかの人物は

眺めていたのか。 その前年に比叡山の僧坊や僧を焼討ちした彼はどんな思

いで山を眺めていたんだろうか? 天皇をも支配したといわれたが結局僅か

な期間しかここに住むことができずに憤死。

Sanpouji001 この写真はweb siteから。同じものが近くの「信長の館」に実寸の天主最上部の復元模型とともに展示してあった。日本画の描き方でなく、宣教師が描いたのだろうか、写真のように写実的。高い鼻、意志の強さがうかがわれる目、口。現代にも通じる日本人離れしたご立派な風貌です。あと10年いや5年生きていたら、後の秀吉、家康の出番はなく、確実に日本の歴史は変わっていたろうと思うほどリアル。

 

 

 

 

 

 

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172-260614歴史小説好きにとり信長は・・その3

2014年06月14日 | 旅行

P5226244 P5226246 旅の最終日、駒ヶ根の宿より南アルプスの日の出を見る。雲が多くその山並みは隠れてしまった。 そのかわり雲間より光のシャワーが駒ヶ根の街に降り注ぐ。

さて旅も3日目となる。 この日は1日京都のあちこちを回る予定。 念願

のその日が実現したが見所を絞らないと、印象が雑駁になってしまう。その

前に昨夜の宿を紹介しないといけない。

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入口はなにやら高級料亭の趣。 昔は料亭だったとのこと。いかにも京都と

いう雰囲気。玄関から狭い廊下と通って2階に上がる。部屋の窓ガラスは時

代を感じさせる。 ガラスが完全な平面でない。 微妙に波打っていて外の

景色がゆがむ。 現代のガラスは表面張力の原理を応用してほぼ完全な平面

に仕上がるが、これは明治のガラスと思える。敷居の溝は磨耗が進む。

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部屋の中、決して快適なゾーンではないが、年代を感じさせる書院造。床の

間が写真で見る竜馬暗殺の舞台となった近江屋の作りと酷似する。 龍馬伝

によれば師走の京都、底冷えの夜、同郷の盟友中岡慎太郎と火鉢を挟んで、

注文したしゃも肉を待ちながら時勢を語っていた。そこに狭い階段を忍び足

がってきた刺これが誰か?日本史の謎だがに踏み込まれ両名は瀕

死の重傷を負う。北辰刀流免許皆伝の刀を抜く間もなかったようだ。この

劇の舞台がほぼこの作り同じ。気分は140年前にタイムスリップ

る。雰囲気は充分に味わえた。歴史好にとってはたまらないひととき。

革命は血を見ないと不十分に終るといわれる。龍馬が描いていた徳川家を存

続させる無血革命でなく、西郷、大久保らが主導した存続させないための戊

辰戦争以降の流れ中でかなりの血が流された。これにより徳川幕府は終焉し

治に繋がっいく。 龍馬が生きていればとの思いがファンには多い。

かし明治における龍馬の活躍はあり得ただろうか・・・

その朝。 宿の周囲を朝の明るさの中で確認する。

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こんな消防車も入らない路地。 昨夜の夕食はこういった15人も入れば満

席の京都料理店の一つで済ませた。数人の外人観光客が日本の味を楽しんで

いた。こんな時に英語が話せればと悔やむ。 Where are you from?

I hope you will have good impression of Kyoto and taste traditional

japanese dinner. くらいは話せるだろうが詰まってしまいそうなので

かけるのはやめる。この内弁慶が英語の上達を阻んでいるとも思う。

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そして京都見物のスタート。 早朝の朝もやの中、参道のみやげ物屋が店を

開く準備をしているのを横目で見ながら、修学旅行以来の清水寺参詣。 近

くに八坂の五重塔。 ここまできたんだからという動機だけ。

 

P5206141 哲学の道。 京都大学や旧三高の学者

や学生が好んで思索しながら歩いた道と言われる。 思索など無縁な庶民が

それでも真似事をしてみる。 近くの銀閣寺への観光客の喧騒が少し聞こえ

てくるが、静寂はほぼ保たれており、好ましい雰囲気。 

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哲学の道を左にそれてみる。 法然院というお寺の境内に自然と入り込んで

いく。参観料は・・・? 無料で開放されている。 観光客は殆どいない。

右手は直に大文字山に連なる。 決して広くはないが歴史を感じさせる。

谷崎潤一郎の墓があった。 俗でないのがいい。

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ここまできたんだから・・が強まりどちらか言えば俗な銀閣を訪ねる。 修

旅行の供達で一杯。 国宝です。 室町中期そのままのたたずまい。

きどったことを言ず素直に一回りする。木造建築のしたたかさ。 我が家

木造だが築50年。銀閣750年。 片や無節のヒノキケヤキ材、こ

た安っぽい節だらけの杉柱。一時の贅沢を味わう。

 つかの間の 梅雨の晴れ間に 榛嶺(シンレイ)の山肌覆う みどり深まる           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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171-260607歴史小説好きにとり信長は・・その2

2014年06月07日 | 旅行

旅の2日目は京都大原三千院まで。 天気は初日に続き晴れ。 ここまで来たの

で3回目だが東尋坊を訪れる。はるか水平線まで見渡せる朝の景色は穏やかそ

のもの。推理小説の舞台になり、殺人や自殺の名所という地元にとっては有難くな

いことで有名だが今朝はそんな雰囲気とは対照的にカモメがゆったりと風と戯れ

ている。景勝地というのはその日の天候で随分と感じが違うものだ。

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宿のおかみに丸岡城を見ておいたほうがいいよ。 と言われ予定にないとこ

が永平寺への途中だったので寄ってみる。説明文に日本最古の天守閣と書

る。最古は木曽川べりの犬山城と思っていたので意外。 二つの天守閣の

時期はほとんど差がない。 10年くらいのものだろう。 犬山城は木曽川の左

あり、雰囲気が好ましい。 一方丸岡城は周囲が水田ばかりで雰囲気では犬

負ける。織田信長第一の家臣柴田勝家の息子が築城したとある。 ならば犬

のほうが古いのではないかと首をかしげる。

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小ぶりな城だが、重要文化財指定。城の中に入る。中の構造は前に見た犬山城と

わらず。中に入ると文化財指定だけあり、築城当時の木組みが迫ってくる。まだ

カンナが大工道具として使われる以前か、ちょうなといわれる道具で柱の表面を

仕上げた跡がくっきり浮かび上がる。城の規模にしては太い柱だ。 そし各城共通

だが急角度の階段。この階段を甲冑姿の侍が行き来したとは・・・

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柴田勝家の子の築城ならば、信長がここの領主である朝倉氏を滅ぼした後であろ

う。その拠点のために築いたのか? それにしては何で防御に不利な平野に作っ

たのか。いろいろな疑問が湧いてくる。 これぞ歴史好きにとり、実物と本で知った

歴史との差なのかな。

朝早く宿を出たのに早や昼となる。 先を急ごう。出たとこ任せの旅、予定にないと

ころに寄ってしまう。 越前竹人形館というところで寄り道。竹という素材は何と

多様な使い道があるのか。 そのことを実感する館だった。人形、紙、ざる、中

にはもくぎょうまがいの蛙の置物まであった。 竹の素性の良さ、粘り、青竹の色

彩。古い農家の屋根裏や囲炉裏周りに使われた竹。長年その煙にいぶされてあ

め色に変色したものを素材にした人形は見事だった。

 

 

 

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そして永平寺。 創建当時のヒノキか杉だろうと思われる。 残った根の周りがすっ

かりと苔に覆われている。北陸地方は浄土真宗が盛んな土地。 各家のお仏壇の

見事なこと。他の宗派には見られない特徴。 信長の時代この宗派は武力を持っ

て戦う集団でもあった。有名な大阪石山本願寺の勢力に信長は一番手を焼いたと

いう。この武力を持つ浄土真宗の土地に曹洞宗の西の総本山が数百年の歴史を

むことができたのか。浄土真宗の祖は親鸞、曹洞宗をひろめたのは道元。歴史年表をめ/span>

くると道元のほうが少し先に生まれているのに。

日本人は宗教に対しては多様性をもって対してきた。今世界の紛争の原因の一つ

に宗教が絡んでいることが多い。イスラム世界は絶対神アラーのみを崇拝する。

我が家は天照大神を神棚に祭る。同時に簡素ではあるが真言宗の仏壇を持つ。

神棚に柏手を打ち、仏壇に般若心経を唱えることが毎朝のお勤め。心は特に矛

を感じない。

京都までは一っ跳びと思ったが、結構時間がかかる。湖西を抜けて大原の里に夕

方到着する。 非情にも午後5時で閉門。 歌の印象よりも大きな寺だった。 今宵

は事前に予約した高台寺前の築200年という宿。竜馬が暗殺された近江屋と同

時代ものか、床は水平を失い、廊下はすべて鳴く。雰囲気のみでやっている宿。

火災には全くの無防備。地方の古い農家や寺の作りに比べると大変やわなつく

り。京都はたびたび大火にあっているので燃えたらまた建てればいいや、といった

姿勢だったのか。あるいは京が誇る雅、茶室はやわは通じるところがあるのか。

写真で知る近江屋の龍馬暗殺の部屋と酷似する。

 

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