調子に乗って太田の手前、R17号新上武大橋まで走る。往きは良い良い、帰りは怖い。
浅田次郎著「壬生義士伝」を読む。
先月の旅で新撰組の屯所を見てきた。 新撰組に関する小説の事始は子母澤寛の
「新撰組始末記」だった。もう40年前になるか。 著者が推定する史実を踏まえた上
での内容で、この一冊がその後に続く新撰組遍歴のスタートとなる。
多くの作家のものに接してきて、この殺戮組織の大体のことは頭に入っていると思っ
ていた。 昨日読み終えた「壬生義士伝」は著者の作り出した架空人物 南部脱藩浪
人 吉村貫一郎 を主人公として登場させる。舞台を新撰組に借りたがこれが主役
ではないようだ。
このまま藩に属していては妻子を養うことができない。それが理由で脱藩し新撰組に
入る。そこで得られた収入の大半を故郷に送り、自身は相変わらずの粗末ななり。こ
の家族愛が全編を貫く物語の縦糸となっている。 そこは小説、単なる貧乏侍ではな
かった。主人公は剣がたち、かつ当時の水準を抜く教養の持ち主である。そんな主
人公が活躍した新撰組にも時代の波は容赦なく押し寄せる。 明治元年が明けると
天皇を担ぐ薩長主体の勢力と徳川主体の幕府勢力とが京都郊外鳥羽伏見において
戦闘状態になる。 単純に兵力を比較すれば圧倒的に幕府側が有利だったが、時代
のうねりは幕府勢を押しつぶし壊滅状態になる。大将徳川慶喜は戦わずして大阪か
ら江戸に逃げ帰ってしまう。
徳川あっての新撰組は抵抗を試みるが所詮局地戦に過ぎなかった。ここまでが上巻
のあらすじ。下巻がすばらしい。主人公の幼友達、今は出世して南部藩の大阪蔵屋
敷総取締役。個人の友情と藩の重役としての立場のはざまに揺れる葛藤。 主人公
の息子は父親の不名誉をすすぐべく16歳で戦闘に参加し、最後は五稜郭にて散華
してしまう。侍にとって家族とは? 侍にとって義とは? 侍にとって死とは? 重い
課題を小説の形を借りて著者は投げかける。
著者の作品はいくつか読んだ。以前読んだ8月15日の終戦後にソ連に戦いを挑ん
だ部隊を取り上げた「終わらざる夏」と双璧ではないか。さらに読み応えある本が次
に出てくることを待つ。
著者は私より一回り下の世代。 才能とは自分で磨き育てるものか、それとも7割は
親からもらうものか? 前者だとは思う。 中身は自らが盛り付けるものであろうが、
もって生まれた器量の大小だけはどうにもならない・・・
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