toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

200-261227今年も初滑りができた・・ 

2014年12月27日 | スポーツや趣味

 一口に榛名山といっても、いくつものピークで構成されている。70年間見続けた山の姿

だが、なかなか奥深いところがある。 危険な箇所もあるがどのコースも潅木が沢山生えており、

木が受け止めてくれるので、大きく滑落する心配はない。念のため20mの補助ザイルをザックに

入れて登る

 

今年も無事に初滑りができた。 5年前、自分の不注意での自転車事故で40日入院し、車いすで

移動する要介護3と認定された者としてはよくここまで回復したと関係者に感謝、感謝。

   この時期これだけの積雪は初めてでした。

玉原スキー場の積雪が1mを越えたら、初滑りにでかけることを毎年の恒例としている。

今シーズンは12月中旬の爆弾低気圧で雪はたっぷり、当日の積雪は150cmでゲレンデの状態

は申し分ない。

年々急斜面は腰が引けるなんとも情けない格好になってしまうが、常識的な斜面ではまずますの

滑りができた。 自分で自分の滑る姿を見られないので確信はないが、まあ何とかなっているので

はないかと納得させる。先日は1回だけ転んだ。転んだままの姿勢で真っ青な空を暫く眺めていた。

千歳発大阪行きとその逆か上空で2機の旅客機が、きれいな飛行機雲の平行線を引いて音もなく

すれ違っていった。 あの小さな点のそれぞれに200人を越える乗客が乗っているかと思うと不思

議な気がする。 いくつかの滑走コースのいちばん外れ、騒音としか思えないスピーカーからの若

者向け音楽もここまでは聞こえてこない。 静寂。 空中のチリは雪の核となって地上に落ち、空気

が実に冷たく清浄。 普段肺にとり良くない習慣のある身にはこの時間だけは箱を車に置いて、この

空気を肺一杯に吸い込む。

 

  北を見れば谷川岳、南に目を転じれば子持山、榛名山

私の一番気に入っていて、自分なりに100%納得の滑りができる嬬恋村のパルコールスキー場が

経営不振で閉鎖されてしまった。 嬬恋村の雪をかぶった広~いキャベツ畑の向こうに噴煙を上げ

る浅間山、草津白根山から白砂山まで一望できる雄大な景観がもう見られないと思うと本当に残念。

スキー友とよく出かける湯の丸スキー場もシニアスキーヤーには適した穏やかなスキー場で好まし

い。 多少豪快なスキーを楽しめるのは近くでは片品高原スキー場か。 隣接する岩鞍スキー場は

多彩なゲレンデがあって面白いが、年配スキーヤーにとっては少々敷居が高い。

 パルコールスキー場の最上部から、正面の浅間隠山を見ながらの滑降が始まる。

時間が自由になる年代なので、晴れていなければ行かない。 故に毎回好天気恵まれ、群青色の空

と玉原や片品では雪をまとったぶな林、標高の高いパルコールでは白樺やシラビソの樹氷。滑るのを

忘れて写真を取りまくる。

 

平成26年最後の更新が偶然にも200回というきりの良いものになりました。 パソコンがあれば誰で

もが見ることのできるのがブログですが、読者がさほど多い訳ではありません。 またどこのどなたに

見られているかも解りません。

そこがまた良いんですが・・・ 見ていただく方がおられるかぎり、また私の気力が続くまでやれたらな

と思っています。 

 

安倍政権が長期政権になりそうです。 いろいろな見方は当然ありますが比較的ぶれない政治姿勢は

評価して良いのではと私は受け止めています。 靖国神社の参拝だけは反対ですが。 周囲の国に不

快感を与えてまでも自分のこだわりを通すことで国民を道連れにしないで欲しい。 総理たる自分が参拝

しなけらばとの思いは封印して欲しい。封印するだけの過去の歴史があります。英霊が真に参拝して欲

しいのは遺族、生き残った戦友であり、また昭和天皇でありその子である現天皇ではないでしょうか。

日本が自信を取り戻し、近隣諸国から侮られないためにやることは他にいくつもあると思います。 その

主たるものが経済を軌道に乗せて国の借金を減らすことでしょう。 国力相応の軍事力も必要でしょう。

そちらで総理の力を見せて欲しい。 

来る年が良い年であることを祈って本年を締めます。1年間ありがとうございました。

 

 

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199-261220(榛名山群)天狗山を地蔵峠から登る

2014年12月20日 | 山登りというより山歩き

  三波渓谷を上り詰めた桜山公園の冬桜。 なんともはかない桜。春が来ればまた咲くという。

 

榛名山群の天狗山を登る。   平成26年12月10日 

   

①、②、③

平日の午前10時ごろの榛名神社の参道は人気がない。 最初の山門の手前を右にとり、山道に入る。 こんな枯葉の

道をゆっくりと峠を目指して登る。 最初の1時間はゆっくりだが休まずに歩き、身体を登山モードに持っていく。 

何にもないが地蔵峠に到着③。

 

     

③、④、⑤

峠からは南に続く細い尾根道を尾根を外さずにたどる。 両側は急峻な斜面。道を外しようがない。地図には表現され

ないが、30mほどのコブがいくつか現れ直登したり岩の下部を回り込みながら進む。 左に覗岩が同じ高度で目に飛

びこんでくる。先日登った音羽山が小さなピークとして現れる。 遠くに赤城山が霞む。 ④の大鐘原ケ岳、⑤の小鐘原

ケ岳を通過。 県内の高校の山岳部が立てた立派な道標がそれぞれの頂上に立つ。

 

     

⑦、⑧

こんな山中に立派な宗教的な意味合いを持つ石碑がいくつもある。 江戸時代のものだろう。こんな重い石碑をよくも

ここまで担ぎ上げたものだと感心する。 ⑦あたりからは地図上でも傾斜が緩やかになり雑木主体の尾根が背の低い

笹原に代わっていく。 道は完全に笹の葉にかくれてしまい、木の枝につけられた色あせたテープを頼りにのんびりと

下っていく。気分の良い場所だ。 しばらく下ると榛名神社からの道に合する。 南へひと登りすると天狗山への赤い

 鳥居が目に入る。そこから少しの登りで天狗山山頂⑨。 大きな岩が積み重なった頂上からは室田の町並みが一望。

霞んでいるが高崎方面までさえぎるものはなし。 眼下の盛り上がりは種山だろう。⑧、⑨ 

    

昼食用のおにぎりをうっかりと車に置いたままきてしまい、食べるものがなし。ゆっくりと眺望を楽しむわけだったが

おなかがすいてしまい、早々に榛名神社への道をたどる。 山腹を巻くようにほぼ等高線に沿った道。途中に大きな

岩の塊。 火山活動の名残の安山岩だろうか。 小さな柱状節理の岩も散見される。 細々とした道が小さな谷を

横切ったり山腹を巻くように続く。

⑫で鏡台山への登山口の峠に着く。 南からの道が地図にはあるがもはや廃道。 北へ降りる道は岩だらけの

日陰の急傾斜の沢筋。数日前の寒波で5cmもある霜柱があちこちに顔を出している。⑬で榛名神社へ続く道に戻っ

てきた。

この時期枯葉ばかりで写真は褐色でしかないが、5月ならば新緑が美しいもっと楽しい山歩きができるだろう。

元気でいれば一番良い季節にまた来て見よう。

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198-261213(榛名山群)相馬山東尾根

2014年12月13日 | 山登りというより山歩き

  下山してきたら、自衛隊の基地脇のブドウ畑にまだ鮮やかさを失わない見事な

     が紅葉が迎えてくれた。

昨日は睡眠の質が悪く終日ボヤっとしていた。睡眠導入剤を服用してもう25年になるか、

人間の最も基本的な本能である睡眠にかように悩まなければならないのか?  依存症

になるのが怖く、ならば少ない薬で何とかしたい。 だが結局眠れない。 少し飲む。 

こんなことの繰り返し。 昨夜は戦力(眠剤)の逐次投入をやめて、思い切って普段の2倍

服用する。 眠れた!! 朝を快適に迎えた。 さあ山だ・・・

 

「クタビレ爺イの山日記」H25.07.08ブログを参考。    平成26年11月30日

 相馬山東尾根を登る。こう書くとなにか大変な技術を要する山を登るように聞こえるが

そんな大それたものではありません。 年齢相応の山です。でも地図を解読する能力は

必要なようです。 なにせ道は判然としていませんので。

 

 

相馬山への通常のルートはするす峠を経由する西尾根(写真右の尾根)。 東尾根は登山禁

止になっている。テレビの中継局のある二ツ岳の雄岳の頂上から眺めると、相馬山頂上から

大きく崩れている様子がよく解かる。(これは5年前の写真)左の尾根が東尾根。 この角度の

やせ尾根は怖くて私にはむり。 この相馬山北面のガレ場はほぼ東京タワーの高さに匹敵する。

 

 

これから登るあたりは雲がかかっていたが、時間と共に晴れると予想する。

  

①~③ 駐車位置は水沢山への道の近く。道を左に入れば水沢山。 今日は右に入る。

しばらくは整備された登山道が緩やかに続く。 右の谷(オンマ谷)への道が右に分かれ

る所までくると、直進は危険だから入り込むなとの標識あり。 相馬山直下の登山道は

危険は承知だが、そこまで行かなければ問題あるまい。 雲は出発した時より濃くなって

いる。

    

③~⑤ ロープをくぐり危険地帯(?)に入り込む。登山道は落ち葉に隠れて全く見えず。

地図で確認すれば⑤までは細い尾根が続いているので、尾根を外さないように前に進む。

2箇所ほど大きな岩を乗り越える。 右はオンマ谷への急傾斜の谷。左は穏やかな潅木

と笹原。 ⑤の地点に到着。 朽ちた木がとうせんぼするようにいかにも人為的に行く手

をさえぎっている。 ここが相馬山東尾根と南に分岐する尾根の分かれる場所か。

タブレット地図で確認すると、GPSの赤のポインターは正にここを指している。

相馬山、雄岳、水沢山は雲に隠れて判然としない。 こうなると一人というのは心細い。

暫く進むか退くか考えたが、安全第一で後者を採る。

    

この先は天気の良い日にくればいいだろう。山はいつでもそこにあり、時間は自由になる

恵まれた環境なんだからと今に感謝しつつ往路を忠実に戻る。ガスはどんどん濃くなり、

幻想的な林を抜けて登山道入口に戻る。 もう20m先は霧に隠れてしまっている。 

歩きながらは地図とコンパスで現在位置を確認するが、小休止のときはザックからタブレッ

トを取り出して位置確認を行う。 衛星電波を受信するので、携帯電話電波圏外でも関係

ない。 すごいものを手にしていると感じる。

 

 

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197-261206よせばいいのにといわれながら・・・

2014年12月06日 | 旅行

 退社時にはすっかりと闇に包まれている。

 

冬が迫るこの時期あんこう鍋を食べたくなる。 茨城まで出れば本場のうまいのにありつけ

る。 高速道を使えば3時間で目的地に着いてしまう。 

これは表の理由で、本当の狙いは、数日前に原発事故で遮断されていた国道6号線が全

線開通したとのニュースに接したこと。

あの前代未聞の原発事故から3年半が経過して、廃炉への懸命な努力が続けられている

が、大きな事件が起こるとその影に隠れてしまうことも間々ある。 開通のニュースを聞き事

故現場の周囲で何がどのようになっているか自分の目で確認したいと思った。

北関東道を経由して常磐道に入れば3時間あれば北茨城まで到着する。 五浦岬海岸の

景勝地を散策。 案内人によればこの海岸にも津波は7mの高さで押し寄せ六角堂は消失

してしまったとか。 写っているのは再建されたもの。 そして近くにある岡倉天心の墓。

   

公園の案内人に今宵の宿を紹介してもらう。 あんこう鍋は期待したほどではなかったが、新

鮮な海の幸は味えた。

 

固い枕に良く眠れずに朝を迎える。 原発事故現場に向かう。 何ミリシーベルトを越えると

人体に有害なのかは知らない。 国道が開通したのだから問題ないのだろうと勝手に判断

する。 仮に問題ありとしても、残された人生の長さを考えればまあいいか・・・といった受け

止め方。 物流の大動脈なので国道を走る車は意外に多い。 いよいよ核心部に近付く。

    

 

国道に沿って並ぶ店、家、コンビニ、自動車販売店みんな閉鎖しており、駐車場の枯れ草が目立つ。

大きな揺れで破損したまま放置された民家。 事故当時論議を呼んだ、家畜を放つか、畜舎に閉じ

込めるか? 前者の牛は無人の野を自由に動き回り、後者の豚は餓死したと聞く。いまはどこにも

家畜の姿はない。 飼い主を失い野生化した犬や猫の姿もない。

    

 

美しかったであろう水田は、ススキに完全に覆われてどこまでも枯れ草の風景が続く。 国道から街

に通じる道路はバリケードで封鎖されている。 その奥は家並みあれども人の住む気配はない。 交

通量の多い国道の車の流れが切れるとほかに音がしない。 静寂がぶきみ。 高圧線の鉄塔の向こ

うに第一原発の煙突の一部が見られる。 ここは炉心から10kmほどは離れているのか。

      

  

常磐線の線路は上下線共に雑草に覆われてしまっている。向こうの駅舎は常磐線「夜の森」駅。

鉄路は赤く錆び付いてしまった。 もうレールは使えないのではないか。 撮影した陸橋を通って

向こうに伸びる家並みにも人の気配はない。  

  

 

突然に降りかかった災害。 地震の揺れや津波による物的な被害はここ数年で回復するだろうが

放射能事故による被害の回復には3,40年かかると言われる。 晩秋の穏やかな日差しの下でこ

れから長い間、この地域は眠り続けるのかと思うとやりきれない思いがする。

 

 

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