今回は船の舳先の形状について、気になっていたことを書いてみます。
大正時代までに作られた軍艦の船首の形状は切り出しナイフのようにスパッと切れていました。 明治の軍艦、たとえば横須賀港にコンクリートで固められている日本海海戦における帝国海軍の旗艦であった「三笠」の船首を見ると、上から下へ向かって一直線に前に突き出しているように見えます。
from website
さて「戦艦大和」以降の大型艦船は球状船首といって、海中に没する部分は球状に丸く突き出ている。 喫水線のあたりが一番へこんでおり、 近年の船はこれが更に強調されていますね。
from website
from website
この形状が一番水の抵抗が少ないということなのだと理解しています。 こんどの巨大地震により発生した津波で陸に打ち上げられた漁船の船首もこんな形状でした。
from website
ここで、私には大変興味ある2枚の写真を紹介します。
my original
これは中島町付近を流れる利根川の河原に現存する地形です。 当地で子供時代を過ごされた大先輩T氏にうかがったら、この地形を地元では「軍艦島」とい呼んでいるそうです。昭和初期には既にあったとのこと。
停止している海(正確な表現ではありませんが)で船を動かすのにもっとも抵抗な少ないのが球状船首。
そして動く水が停止しているものにたいして侵食すると、軍艦島のような地形が残る。二つの形状はたいへん似かよっていると思いませんか? 流体力学の必然なのでしょう。
この軍艦島はここを舳先として、下流に400mくらい伸びています。大和と同じ位の大きさです。 google earth で調べると川の流れや付近の様子がよくわかります。
利根川についてもうひとつ。 前橋の県庁裏から伊勢崎にかけての今の流れになってから、まだ500年しか経っていないそうです。 あるときの大洪水で県庁の少し北、敷島公園のあたりで水が溢れ出て、そのまま平地に一筋の流れを作ってしまったそうです。 以後大水のたびにその流路を繰り返し流れることにより、いつの頃からか本流になったとのこと。ちなみにそれまでは前橋の桃の木川あたりを流れて伊勢崎の広瀬川から太田のほうへ流れていたようです。 伊勢崎の宮子町あたりは庭先を掘ると河原の石ころがごろごろ出てくるという話です。
そういう予備知識をもって散策すると、このあたり小型のグランドキャニオンのような崖が随所に残っています。 悠久なる地球の歴史から見れば、500年なんてほんの瞬きの間ですね。