toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

この秋の山の恵みは不作なのか?

2011年10月30日 | 花・樹木

健康維持のために始めたサイクリングも10年経ちました。 何の趣味でも10年続けると一通りのことはマスターするものですね。 体力維持が目的なので、のんびりと走るというレベルよりはハードな走りをしていますが、それでも車と違って、好きのところにちょっと停止して写真を撮るなんてことが、自由に出来るので、カメラを持ち歩いています。

今日は出荷目前のシクラメンのハウスがあったのでパチリ。 300坪のハウスの中はほぼ鮮やかな赤一色。 出番を待っています。

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定番のコースのひとつ、藤岡から鬼石方面に進み、高山入口から5キロほど入った折返し地点の風景。 高崎から25キロ走ったところです。

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藤岡鬼石線の高山入口から標高差150mくらい山に入ったところです。 ここにこんな注意看板あり。 こんなところに?

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出会い頭に出会っても、自転車ならば逃げ切れるな。 でも一応周囲を見回してみる。 

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この日走ったコース(時計周り)。 上の物騒な張り紙は地図の一番下「中」とあるところです。

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10月25日(水)記す

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エコ運転に徹すると・・・・

2011年10月23日 | 車・自転車・機械

日光から戦場ヶ原に紅葉見物に行ってきました。 まずまずの紅葉で堪能。 日光東照宮に4度目にして初めてじっくりと世界文化遺産を見学する。 家康の廟まで250段の踏みしめてお参り、さすがに荘厳なものです。

家康廟

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旧田母沢御用邸の庭園

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一番興味があったので、石灯籠ばかり見て、写真を撮って歩きました。 陽明門前にずらりと並んだ石灯籠。 歴史上有名な大名の名が刻まれています。

これは細川忠興(ガラシャの夫)ですね。

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同じく ご存知独眼流伊達政宗寄進

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続いては、秀忠正室「江」次男忠長の名がはっきりと読み取れます。 三代将軍の座をめぐって家光と確執があったことは、ドラマで取り上げられています。 敗れて高崎藩に幽閉され自害した悲劇の男、家康の孫にあたるのか。市内大信寺に葬られていることはご承知のとおり。

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歴史に登場する人物がこうして神君家康に忠誠を誓ったのであります。 それにしても源氏の家系でもないのに、藤原朝臣誰それ、源朝臣誰それ・・と位付けしてあるんですね。

 

戦場ヶ原の紅葉、背景は男体山 この白樺が有名なあれか?

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金精峠は紅葉真っ盛り

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余談

沼田で満タンにして、関越道を高崎に向かう。 途中渋川あたりでこんなすばらしい燃費が記録される。 普段は8キロ位なのに。 エコ運転は大事ですね。 ちなみに私の車はフルタイム4駆でエンジンは2400ccです。

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高崎に着いたら、さすがにここまで燃費は落ちました。 しかしすばらしいエコ運転でした。

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天空の城ラピュタへの道

2011年10月23日 | もろもろ

タイトルが適正かどうかは判りません。 宮崎駿氏のアニメーションを見ていないので。

数年前に撮影したこの写真は、雰囲気がなんだかこのタイトル名に似つかわしいので勝手に使いました。

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なんの建造物でしょうか・・・・・・・? 

関越道を新潟方面に走って、赤城インターを過ぎて4,5分すると、400mほどの長井坂トンネル (トンネル上は戦国時代の長井坂城があり、遺構がそのまま残っている) があります。 トンネルを抜けるとすぐにこの橋に差し掛かる。  この橋を100m下の橋脚基部から眺めた光景です。

橋脚の高さは日本一。 上り、下り線が空中を貫いています。 走っていると気がつきませんが、関越道にはこんな光景が隠されています。

こんな細く高いところを乗用車、トラック、観光バスが100キロのスピードで走っているわけです。

トンネルを出たとたんに強風にあおられて、車が大きく揺れ道路の側壁を突き破ってしまったとすると、とんでもないことになってしまいます。 側壁の高さは1mくらいですから車高の高いバスなどは側壁の上を支点として、乗り越えてしまう危険性が・・・・・・・

 

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700年を生きる

2011年10月16日 | 花・樹木

何年か前に「群馬県の巨樹を見る会」という企画が群馬県林業試験場だと思いますが、主催でありました。  県を東西南北の4区画分けてバスツアーで回って鑑賞する催しです。

2回参加しました。 どれもこれも圧倒的な存在感で見る人に迫ってきます。 ここに掲げたのは藤岡市の水宮神社のケヤキで群馬県の天然記念物に指定されています。 説明板によれば、樹齢は700年とか。 PCの画面いっぱいに拡大すると大変な迫力です。 もっとも私は男なのでこんな光景に興味を持ちますが、女性はやはり可憐なお花がお好みでしょう。

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歴史年表をひも解いて700年前に何があったか。北条氏の鎌倉幕府が新田義貞によって滅ぼされ、後醍醐天皇による建武の中興がなったあたり、 足利幕府がはじまった頃です。  栄華を誇った太閤秀吉が失意のうちに死に、家康の時代に移っていくのはこの後更に300年の歳月を必要としていました。

 

先月まで勤めていた病院の周囲はケヤキの森になっています。 11月になるとケヤキの種が敷地内にたくさん落ちます。 この種は米粒より小さく、こんな微小な種が発芽して、風雪に耐えて成長するとこんな大木になるんですね。 人間の一生なんて微々たるものと思わざるを得ません。

ケヤキの種なんて知らないよ。 とういう人がほとんどでしょう。 紹介します。 これがあの大木の第一歩で、 尖った棒状のものは爪楊枝です。 1年で枯れてしまうアサガオの種よりはるかに小さいのです。

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会社の裏のケヤキから採取した種から発芽して2年目のケヤキの苗。 狭い鉢の中なのでこんなもんですが、大地に根を張って育った苗は高さが2mほどに成長します。 幹も小指ほどにはなるでしょう。

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親友T氏の邸宅。 ケヤキの古木から切り出し、長い間寝かせて狂いを取った材木をふんだんに使用しています。 その贅沢さ、豪華さに目を見張るとともに圧倒されました。

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行列のできるラーメン屋

2011年10月10日 | 食べ物・酒

ラーメンといえば栃木県佐野市、 市内にあるどの店もそれぞれの個性を強く打ち出した美味いのを味わえますが、食べるそれだけのためにいくのはチョと遠い。 開通した北関東道を使えば30分ちょっとで到着するけどえらく高いものについてしまいます。

前から近くに美味い店ないかと探し回っていて見つけました。 店の名は 『玄』 ただし外にはこの店の名前は表示されていません。 何ででしょうね。 味に自信があるのかもしれません。 

店の外までの行列にこそなっていませんが、平日の午後1時を過ぎたのに前室でテーブルの空くのを待つほどの賑わい。 今日で3回目。 店主に「ブログで紹介してもいいかい?」 とたずねたら 「いいですよ。よろしく」 との返事なので、早速に。

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味は伝統的なしなそば味、 さっぽろ、きたかた、はかたとんこつ等の新興ラーメンの味とは一線を画しています。 塩味も味噌味もありません。 一見は百聞にしかず。 写真のとおりです。 

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麺は手打ちの太麺  しなちく、やきぶたに薬味のねぎしか入っていません。 このやきぶたが絶品。聞けば店主自らが作るのだそうで、充分な厚み。 チャーシュー麺になるとこんなのが麺が見えないほど盛ってあります。

トッピングに注文した餃子はでかくて中身がイッパイ。 一人で5個は食べられません。 

お値段はラーメン580円   餃子(5個)400円   餃子(3個)300円   とお手頃

玉村町の福島橋の1キロ手前。 隣が東和銀行の事務センターです。 20分ほど車をとばして食べに行く価値は私はあると思っています。 好きずきですけどね。

参考までに地図をつけておきます。画面の中でクリック 拡大されます。

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肉親への愛情はサルも同じ

2011年10月05日 | 最近さわがれること

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説明の要はありませんが、草津白根山湯釜です。 火山噴火警報が出ているとかで、昔の登山道は閉鎖。 新しい西よりの尾根道から登りました。 こちら側からの湯釜の景観のほうが迫力あり。10月2日撮影

 

続いて国道最高地点から見下ろした芳ヶ平、 まだ紅葉には少し早い。

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10月2日の午後3時半ごろ、 草津からの帰路、碓氷バイパスを高崎に向かって走っていたときのこと。 5台ほど前を走っていた車が一匹のサルをはねた。

後続の車はその倒れたサルを除けたり、踏まないように上を通りすぎていく。 私の車は家内が運転していたが、傷をつけないように注意深くその真上を走り抜け、後続車の邪魔にならないように左に寄せて停車させた。

後から現場に近づく車に惹かれて肉片にならないように、倒れたサルを道端に移動させようと車を降りて現場に近づこうとしたときのこと。

一匹のサルが走ってくる車を注意深く見ている。 何台かが通りすぎた後、1台の車が倒れたサルの前で停止した。 サルはこわごわと停止した車を見ている。 しかし不安を感じたのか倒れた仲間をそのままにして戻ってしまった。 しばらく様子を見ていると別の大柄のサルが近づき、不幸なサルを抱きかかえると急いで道端に戻り、抱きかかえたまま頭をしきりになでている。 私には「大丈夫か! 死ぬんじゃないぞ!」といっているようにも見えた。最初のサルは兄弟、次のは親だったのかもしれない。 結局私の出番はなかった。

車に戻る際に周囲を見回すと、20匹はいたか。 みんな事の成り行きを心配そうに見守っている。

あのはねられたサルは全く動く気配がなかったので命はなかったと思われる。 勇敢なサルの行為と、見守るサルの集れの光景が目に焼きついている。

心無い通行者が与えるお菓子に引き寄せられて、交通量の激しい道へ現れるようになったサルの群れ。 車の怖さを体験し、群れを統率するボスザルから、改めて人の怖さを強く説教をされたと思う。

突然のことだったので、珍しい事故現場をカメラに収めることはできなかった。

 

草津白根道路国内最高地点から(2)

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球状船首

2011年10月05日 | もろもろ

今回は船の舳先の形状について、気になっていたことを書いてみます。

大正時代までに作られた軍艦の船首の形状は切り出しナイフのようにスパッと切れていました。 明治の軍艦、たとえば横須賀港にコンクリートで固められている日本海海戦における帝国海軍の旗艦であった「三笠」の船首を見ると、上から下へ向かって一直線に前に突き出しているように見えます。

   Photo_2 from  website

 

さて「戦艦大和」以降の大型艦船は球状船首といって、海中に没する部分は球状に丸く突き出ている。 喫水線のあたりが一番へこんでおり、 近年の船はこれが更に強調されていますね。

Photo_3 from  website

 

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この形状が一番水の抵抗が少ないということなのだと理解しています。 こんどの巨大地震により発生した津波で陸に打ち上げられた漁船の船首もこんな形状でした。

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ここで、私には大変興味ある2枚の写真を紹介します。

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A_003  my  original                

これは中島町付近を流れる利根川の河原に現存する地形です。 当地で子供時代を過ごされた大先輩T氏にうかがったら、この地形を地元では「軍艦島」とい呼んでいるそうです。昭和初期には既にあったとのこと。

停止している海(正確な表現ではありませんが)で船を動かすのにもっとも抵抗な少ないのが球状船首。

そして動く水が停止しているものにたいして侵食すると、軍艦島のような地形が残る。二つの形状はたいへん似かよっていると思いませんか?  流体力学の必然なのでしょう。

この軍艦島はここを舳先として、下流に400mくらい伸びています。大和と同じ位の大きさです。 google earth で調べると川の流れや付近の様子がよくわかります。

利根川についてもうひとつ。 前橋の県庁裏から伊勢崎にかけての今の流れになってから、まだ500年しか経っていないそうです。 あるときの大洪水で県庁の少し北、敷島公園のあたりで水が溢れ出て、そのまま平地に一筋の流れを作ってしまったそうです。 以後大水のたびにその流路を繰り返し流れることにより、いつの頃からか本流になったとのこと。ちなみにそれまでは前橋の桃の木川あたりを流れて伊勢崎の広瀬川から太田のほうへ流れていたようです。 伊勢崎の宮子町あたりは庭先を掘ると河原の石ころがごろごろ出てくるという話です。

そういう予備知識をもって散策すると、このあたり小型のグランドキャニオンのような崖が随所に残っています。 悠久なる地球の歴史から見れば、500年なんてほんの瞬きの間ですね。

 

 

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