toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

576-20240721これは奇跡ではない

2024年07月21日 | 小説・映画・など

            庭の草むらから突如伸びてきて、見事な花をつけたユリ

 

そこそこには管理されているが、基本的にはいろいろの花木が生えるがままになっている我が家の庭。今月初

め辺りから一本のユリがそれらの中から頭角を現し始めた。そして一週間前辺りから花を付けるようになった。

そして見事な白ユリが老人二人の前に姿を見せた。夏に相応しい豪華にして清楚な咲きぶり。草取りをされて

いた前の家のご婦人が素晴らしいとほめてくれた。

 

梅雨明けと同時に当然ながら猛暑がやってきた。遠くに住む息子から冷房を使って熱中症にならんようにしろ

よとの彼なりに親を心配しての電話がかかってきた。金もかからない今のところ一番の親孝行だ。ついでに孫

の声でも聴かせてくれれば満点なのだが、そこまでは気が回らなかったようだ。しかしこの暑さの中、まった

く汗をかかない生活というのも、身体によろしくない。今この記事をあえて冷房を効かせてない部屋で書いて

いる。負け惜しみでなく流れる汗が気持ちよい。耐えられなくなったら隣の部屋に移動すれば、これまた快感

を感じる。

 

松岡圭祐著「8月15日に吹く風」という小説を読み終わった。昭和18年の夏本土をはるか離れたアリュー

シャン列島キスカ島に駐留する陸海軍合わせて5200名の将兵を救出する作戦の経緯を主題にした内容。こ

の直前隣のアッツ島では多数の将兵が米軍の猛攻撃で玉砕している。軍首脳は繰り返してはならない、救出だ

と命令を出す。米軍通訳として若き日のドナルド・キーン氏がリーンという名で登場する。

 

木村昌福という一見弱い感じの将軍が作戦の司令官に任命される。一般的には奇跡の全員救出とされているが、

そこには司令官とその部下の気象専門官による綿密な事前準備があった。濃霧に紛れて接近救出作戦が見事に

成功する。もちろん幸運もあったが蒙古襲来時のような予想もしない神風が吹いたわけではない。入念に天気

図を分析し、濃霧が5日間ほど続くと判断し決行された。

 

敗色濃厚になると銃剣突撃し、挙句の果て天皇陛下万歳と叫んで玉砕してしまう、米軍将兵には考えられぬ民

族と捉えれれていた。キーン氏はそれを否定した、我々と同じ知性を持った国民だと終戦間際に上層部に進言

していたという。8月15日を境にして抵抗から一転服従に変わったのも日本人の知性に現れだという。細か

な問題はあったが概ね占領政策が過激なものから穏やかなものになり、結果として今の平和なの日本に繋がっ

ているということも著者が主張したいことのようだ。暑いさ中に読む本としては最適な本だった。

 

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654-051111大村益次郎

2023年11月11日 | 小説・映画・など

隣町安中市秋間の丘から妙義山を望む

 

暑かったこの秋も終盤にきて晩秋の雰囲気が濃くなってきた。夕方の散歩時間を除くと家に閉じこもる

日が多くなってきた。昔のように積極的に表に出る習慣が薄れてきている。加齢による避けられない現

象なのか?

 

73才の時から始めたスイミングにもかってのような積極的に進歩しようという気力がない。7千円も

払っても近所のジム併設のプールに通うのは2回ほど。もったいな、と思いながらもズルズルと解約を

延ばしている。なんなのだ、この気力の欠如は。

 

こたつという暖房機がいけない。一番省エネの暖房手段だが、このぬくもりから立ち上がるのに、結

構な気合が必要なのだ。結局10分、20分と延ばしてしまい気が付くと1時間が過ぎていることが

頻繁に起こる。

 

司馬遼太郎著「花神」を読み終わった。大村益次郎という長州出身の異能の天才の物語。先日上野の

寛永寺から谷中の一帯を散歩してきた。その際に彰義隊騒動の時の鉄砲玉が貫いたという寛永寺の門

扉を見た。そんなこともあってあの騒動を終わせた薩長軍指揮官について知りたくなった。

司馬氏は小説家であるので氏の想像なるの部分も相当あるのだと思うが、大村という人物は実にユニ

ークだ。桂小五郎が見出しその才を引き出した。もし桂に巡り合わなかったら村医者で終わった人物

かもしれない。大久保も西郷もその才を認め、彼にこの戦争の戦略を任した。そして勝った。しかし

あまりにも世間の常識との差が大きく恨まれもした。明治に代わった翌年京都で暗殺される。

 

男女間の微妙な心理なんか理解できないような性格のようだが、シーボルトの娘イネとの淡い恋の描

写は良かった。身体を重ねるまで行ったかどうかは司馬氏らしく読者の想像に任せられた。私はいか

なかったと思う。

 

 

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641-050809今日は長崎に原爆が投下された日

2023年08月09日 | 小説・映画・など

夕暮れ時の散歩で見上げた空。秋の気配が忍び寄っていると見るか、近づく二つの台風の影響か?

 

誰と会っても最初の挨拶の言葉がこの暑さのこと。地球環境の変化からみて、今後しばらくは毎年暑さの

記録を更新し続けそうだ。来年元気で迎えられるか保証はないが、夏が来るたびにため息が出る暑さに翻

弄されるかと思うとやり切れなくなる。

 

題材が夏枯れになっている。10年続けてそれでも600回を越えた過去の投稿記事を自分以外に読み返し

てくれる人なんかいない。である故にこんな時には過去の記事をリメイクして投稿しても非難されることは

ないと思うのでやってみた。2013年(平成25年)9月に投稿したものリメイク再投稿です。

この手もあるな!

**************

 

この2年間で随分と読んだが、最近読んだ浅田次郎著「終わらざる夏」上・下巻は、この2年間で読んだ中

では出色の小説でした。

 

P9015092_2

 

太平洋戦争は昭和20年8月15日に天皇陛下の決断でポツダム宣言の無条件受け入れで日本は降伏する。

68年前の歴史的事実。 「一億玉砕」の掛け声のもと本土決戦を目論む軍部の方針がこの日もって急停

車した。 この歴史的な日の前後に様々な出来事が出来し、それらの多くは格好な小説の題材として多く

本が出版されている。 そのいくつかは既に読んでいる。 玉音盤の争奪戦、紫電改(日本海軍の最高

傑作戦闘機)を要して最後の抵抗を目論んだ海軍厚木航空隊、阿南陸軍大臣の自決等々・・・

 

『終わらざる夏』は本土決戦に転戦したくも、兵や装備を輸送する船がなく25000人の兵隊と磨きぬか

れた兵器、充分な食料弾薬、なにより戦闘意識の高い訓練された陸軍最強の部隊が千島列島最北の占守島

(地図参照)に取り残されていた。 この部隊は昭和20年春にこの島に送られ、終戦まで戦いは経験して

いない。

 この島までが当時の日本の領土であり、ソ連のカムチャッカ半島とは10キロほどの海峡を挟んで対峙する

日本防衛線の最北端だった。

 

 

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google earth から引用

島の守備隊は無条件降伏の知らせを聞き、米軍が上陸すると考えていた。 精鋭部隊は降伏に際し、粛々と

武装解除に応じるべく武器の整理を開始した。 訓練された精鋭はそれゆえに堂々たる降伏に応じようとし

ていたという。

8月18日深夜、突如として予想しなかったソ連軍3000人が対岸の砲台からの援
護射撃のもとに侵入し

てきた。 降伏した守備隊にソ連軍は攻撃を加えたのだ。

 

精強部隊が半年間戦いもせずにいただけにこの攻撃に対して応戦することを指揮官は止められなかった。

ソ連軍は壊滅的な損害を受け撤退した。

この戦闘から一週間経った24日に守備隊は再上陸したソ連軍に武装解除され、
多くの将兵がシベリヤに

留され極寒の地で命尽きる兵も続出した。悲劇の発端は来襲した軍がアメリカでなくソ連だったこと。終戦

のどさくさにまぎれて、ソ連にとっては地政学上重要な千島列島の奪還を意図したのだろう。

 

あらすじはまとめてみればこんな経過なのだが、この事実を著者は巧みに架空の人物を各所に配置し、小説

としてまとめている。 過激な戦闘場面があるわけでなく、何かと鉄拳制裁が当たり前だったと言われる陸

の中にもいた良質な指揮官、参謀、人間味ある古参兵やロートル兵等が登場し、彼らが内地に残した親、

妻、子供、恋人や勤労動員された女学生等の心理描写、物語が展開する過程で戦争の悲惨さを語りかける。

いわゆる戦記物とは明らかに一線を画す。

 

絶対に体験できぬ事象を本をひも解くことにより疑似体験できる。小説の醍醐味。

 

投稿から10年が経過している。ウクライナとロシアの凄惨な戦闘が続いている。今年の8月も暑く、歴史

に残る紛争が絶えない。

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637-050520予想よりはるかに面白い本

2023年05月20日 | 小説・映画・など

遠くウクライナのはるかに広大な小麦畑にもこの豊饒な実りがもたらされていることを祈る。

滞ってしま

 

 

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625-050110藤村の大作「夜明け前」に挑戦

2023年01月15日 | 小説・映画・など

7年前に掲載した写真の再掲。

つれあいの実家は中山道の傍に今は住む人もなく寂しくたたずむ。左写真の板塀の家。昭和38年ころ

に大瀬康一や大空真由美が出演した映画撮影のロケ地に使わた際の一コマと聞く。門から覗いている

のは義兄か? 下手の家は今では老人ホームに建て替えられた。右写真は家の前から松井田方面を眺

めたものでこれは近年の風景。

 

実は正月明けから「夜明け前」に取り組んでいる。若き頃有名な作家の本ということで読み始めたが、

あまりに退屈な内容で最初の何十ページかで放棄してしまった。それにしてもこれほどの量とは思はな

かった。10日かけてやっと第一部の上下を読み終わったところ。

 

あれから半世紀、いろいろな出会いが、体験が、そして様々の本から得てきた知識の絶対量が当時とは

まるで違う。そうした背景で読み進めていくと、同じ本でも入ってくるものは自ずと違う。この本に舞

台になった今では岐阜県に組み入れられたが、つれあいの実家の前から繋がっている中山道の馬籠宿。

 

この半世紀で歴史本はたくさん読んできた。乱読と言っても良いか。特に幕末から明治にかけて時代は多

くの作家が書いたものを読んできたので溜まった知識も特に多い。しかし大体は俯瞰的に見た歴史であり

、著名な人物が登場するものが多い。本著のように宿場本陣の主という立場の人物が街道を通過していく

多彩な人物や行列を通して、いわば定点観測のように時代の変遷を体験するという内容は新鮮だ。

 

この宿場では時代を左右するような大事件が起こったことはない。歴史的な事件は他の地域で発生し、こ

の宿場には数日から場合によっては2,3週間遅れて伝わる。旅人の口や手紙でしか伝わってこない。

その分、宿場の知識人がその教養とお役目がらゆえに知った時の驚きは衝撃的であり、時代の変遷につい

ていけない苛立ちは想像できる。知った時点ではすでに事態はあらぬ方向に進展していたりする。

 

明日から第2部に移る。主人公半蔵がそうした環境の中で、本陣のお役目を果たしながら、(明治以降は

本陣や脇本陣という機能は消滅してゆくが)時代の大きな変化には対応できずに精神を病んでいく過程が

克明に描かれるはずだ。

 

こんな本の内容を20代の私に理解できるはずもなかった・・・

 

 

 

 

 

 

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612-040902久しぶりに印刷本を読む

2022年09月02日 | 小説・映画・など

吉井の山奥の谷地にも秋の気配が濃厚。

ちょっとしたゴタゴタがあって、ブログの更新ができなかった。ブログ村の70代記事のランクが

あっという間に欄外に落ちてしまった。この回復は容易ではなさそうだ。

我が住む市街地の西及び南に標高200~300mの里山が拡がっている。人口林が殆どなく自然

の植生がかなりの面積を占める。そうした丘陵に複雑に小さな沢が縦横に走る。先人たちはこうし

た沢に沿って階段状の水田を開拓してきた。放棄地になり雑草に覆われてしまった元水田も各所に

あるが、知る限り一地区だけ傾斜が緩く、きれいに草刈りされたあぜ道に囲まれた棚田が50枚ほど

続く。典型的な谷地の地形。

 

ここ2年ほど電子本で読書することが習慣になってしまった。久しぶりに興味ある本が目に着いた

ので図書館で借り出す。題名通りのドキュメント本。

この銀行に口座は持っていないので我が生活には関係ないがメガバンクの一つ。

第一勧業銀行、日本興業銀行そして富士銀行が合併して巨大な銀行が誕生したのが2001年4月。

その発足当日に最初のシステム不具合が生じて合併に水を差す事態になった。以来2011年の東

日本大震災の直後そして2021年2月末と全国の支店に及ぶ不具合が生じて銀行の評判を著しく

落としてしまった。新聞報道だけではなかなか分からない巨大銀行の問題点が赤裸々に描かれてい

て一気に読んでしまったと言いたいが実は苦しんだ。

 

問題になったのがわが目の衰え。

電子本は文字を自在に大きくできて老人には優しい。こうしたことに慣れてしまったので、紙の本の

字の小ささに苦しんだ。手持ちの拡大鏡で見るも拡大部分が狭くこれも疲れる。そして手にしたのが

フレネルレンズを使った拡大率は低いが拡大範囲の広い手持ちのプラスチック製のレンズ。これは優

れモノ。一気に楽しい読書になった。

 

いよいよ白内障の手術を覚悟しないといけないか・・・

 

 

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576-031023若手作家の時代小説は面白い

2021年10月23日 | 小説・映画・など

昭和村の道の駅にあった看板にあった写真。日本有数の河岸段丘と赤城山北面の盛り上がりが素晴らしい。

 

喜寿を通過した10年前は身体の変化を余り感じなかったが、傘寿を目前にする身はあちこち

不具合が生じいささか戸惑っている。80才越えは大きな壁だ。周りの同輩も似たような感想

を話しているので、私だけが悪い訳でもなさそうだ。加齢による頸椎狭窄があるようだ。左の

腕部の日中の不快な痛みに悩んでいる。

 

さて、そんな日々の中、面白い本に出合った。

戦国時代の武将、荒木村重を主人公にした時代小説。 

時は戦国、毛利攻めの最前線に布陣する羽柴秀吉軍。毛利と対決したまま戦況は膠着状態。

伊丹有岡城の将、荒木村重が突如織田に反旗を翻す。織田方有数の猛将村重の裏切りは、

秀吉に大きな衝撃を与えた。織田本隊と完全に遮断されてしまう。秀吉は信頼する黒田官

兵衛を派遣して村重の翻意を図る。しかし村重は官兵衛を地下牢に押し込め、籠城作戦で

攻め来る織田軍と対峙。籠城1年余で形勢は織田軍有利となり、村重は城を捨てて逃亡す

る。間もなく有岡城は落城し、多くの将兵がその家族まで含めて惨殺される。

村重はひとりその後の7年ほどをしぶとく生き延びる。

この経過は司馬氏はじめ多くの作家の作品の登場するので承知はしていた。村重は配下の

将兵をを見捨てた将として後世の評判は悪い。

 

この作品は悪名高い村重の落城に至るまでの心理の変化を牢に閉じ込められた官兵衛との

絡みに触れながら推理小説風に描く。敗色濃くなり、牢中の官兵衛の助言で村重自ら毛利

の援軍を求めるため部下数人と城を脱出する。付き従うと思っていた部下の大半は長期の

籠城で村重の采配を疑問を抱き始めていた・・

 

この時代のメジャーではない教科書にも載らない人物を取り上げた小説は面白い。以前読

んだ松永久秀も面白かった。久秀といえば必ず出てくる筒井順慶や足利6代将軍義教なん

かも興味ある。

 

 

 

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572-030821視力の低下

2021年08月21日 | 小説・映画・など

強烈な日差しの下で人の姿が消えた信州上田市郊外の海野宿

 

戸隠神社に近い鏡池から見た目覚めたばかりの池と戸隠連峰。

いずれも2年前に旅した千曲川から戸隠神社への旅で撮った写真。今年は旧盆の前後に長雨にたたら

れて家に閉じこもった。コロナ禍も一向に収束の気配が見えず旅行するのも憚られる。こうなると私

は読書に集中できる・・

 

 

この1年半ばかりの間、読む本と言えば有料のKindleや無料の青空文庫が殆どだった。過去に一度読

んだある本を再度読みたくなる。結構分厚い全8巻の本。Kindleでも読むことは可能だが、全巻とな

ると数千円かかる。図書館で借りてくる。

このシリーズが完了して間もなく亡くなった船戸与一著「満州国演義」という本。誰もが認める戦前

の満州国建設に関わる事実を骨組みにし、それに架空の敷島家の4人兄弟の活躍を作者が肉付けした

フィクションなのだが、これが実に面白い。楽しみながら昭和初期から敗戦に至るまでの歴史が学べ

る。著者は早稲田大学の探検部の出身。この部は特異の人物を輩出している。

 

困ったのは電子本に慣れた目には文字が小さくてくたびれること。ネット通販で拡大鏡を求めたみた。

本の大きさほどで、ほぼ倍の大きさに拡大されるのでかなり読みやすくなる。取っ手を持っているの

が面倒だが我慢しよう。

本棚にある若いころ読んだ文庫本の字のなんと小さいこと。戦前の新聞の字も小さい、その小さい活

字にフリガナまで入っている。80年前までの老人は苦労がしのばれる。

 

公立図書館でも電子本が借りられるようになるといいな!  私が元気なうちによ・・

 

 

 

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567-030717司馬史観ということば

2021年07月17日 | 小説・映画・など

梅雨明け直前の象徴的な雷雨が去り、取り残された千切れ雲が榛名山にまとわりつく。

 

昨日読書に疲れた目を休めるべく窓から空を眺めていた。通常雲は西から東へと移動して

いく。しかしこの時雲は南から北にゆっくりと流れていた。

天気図には当たり前に張り付いていた前線は消えてなくなっている。例年東北地方まで押

し上げられた前線が次第に消えてゆくのだが、今年は関東まで押し上げられたところで消

えてしまった。太平洋高気圧がオホーツク海高気圧を土俵際まで押している。その様子が

雲の流れに見て取れる。しかも私の真上で・・・

 

 

過去2年間、司馬遼太郎著「街道をゆく」のシリーズを読み続けていた。最後まで読み切

り、以前にも増してのファンとなった。そこにこんな刺激的な表題の本が目に飛び込んで

きた。早速借り出してコロナワクチン接種後ということもあり家に閉じこもって読む。

 

対談の一人原田氏は司馬氏の大学の後輩。先輩の力量に尊敬の念を抱きつつ、大先輩がそ

の作品を通じて広めた明治維新とその時代に活躍した勝海舟と坂本龍馬の二人の人間像に

痛烈な批判を展開している。司馬史観ともいうべき歴史観が世の中を覆っていると・・

司馬氏は歴史作家であり、歴史上の事実を骨格にしながらも作家の推理や理想像を絡めな

がら作品を作り上げていくのは当たり前のこととしている。司馬氏の作品はどれをとって

も読む人を魅了する。歴史の事実を骨格にしながらもあくまで小説。なのにこれらの作品

を読んで歴史を学んだと錯覚してしまう一般読者や識者の多いことを憂えている。

なるほどと思う。わたしもそんな読者に一人でした。

明治政府を仕切った戊辰戦争時の官軍の首脳部よりも敗北した徳川幕府の官僚のほうが識

見は上だったと断言している。小栗上野介の評価が高いのには驚いた。大隈重信は「我々

のやっていることは小栗が考えたことをなぞっているだけだ」と言ったという。

小栗終焉の地は我が住む市にある。

 

歴史学者でもない私は歴史小説として面白ければそれで満点。それでも歴史の一端は身に

着けられた思う。難しいことは考えずに今後も司馬作品を楽しみます。

7.15記

 

 

 

 

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564-030627志高き官僚と詐欺を働く最低官僚

2021年06月27日 | 小説・映画・など

今年もこの奇跡のバランスは健在。

鏑川源流近くといっても脇の道を辿れば上信越道碓氷軽井沢インターを経由して軽井

沢に抜けられる。夫婦岩と呼ばれる直径3mと2mもある二つの球体。

 

地元新聞の書評でこの本を読む機会があった。過去1年半のあいだ司馬氏の「街道を

ゆく」各巻の電子本を読むことに集中していたので、BOOKを読むのは久しぶり。

これが素晴らしい内容だった。経済学の門外漢には頻繁に出てくる用語に戸惑いなが

ら読むもあらすじは理解できた。日銀と政府の対立は宿命的なもの。片や景気浮揚の

ためには緩和は絶対であり、片や財政規律のために適度な緊縮は絶対と主張し、日銀

の独立性を訴える。そんな対立の歴史をバブル崩壊のあたりから現在までを要領よく

まとめてある。

その間なら私も新聞テレビを通じて経済政策の変遷は知っていたはずだが、殆ど忘れ

ている。関係した政府高官や日銀総裁以下の主脳部とのやり取りが生き生きと描かれ

ている。2013年に始まった異次元の緩和政策、いわゆるアベノミクスが政策とし

実行される経過もよく理解できた。そして前首相が誇らしく言うように経済は短期的

には上向きになった。

しかし、

国が次世代から借金をしていることになる。著者はいう。

もとより通貨の信認は、国の稼ぐ力とそれに裏打ちされた財政の持続性によって支え

られる。万が一にもそこが揺るがないように、「借りた金は必ず返す」という明快な

信念が揺らいではならない。

過去1年間、次世代からの借金はコロナ渦で更に天文学的に増えた。「借りた金は必

ず返す」ことができるのだろうか? 子の世代は何とか逃げ切れるだろうが、孫の世

代以降の苦労が目に見えるようだ。

ここに出てくる大蔵官僚や日銀首脳部は志高い官僚や公務員だと思っていたのに。

昨日の経産省現役キャリア官僚二人の家賃支援給付金詐欺のニュースを見て唖然とした。

中央官庁の官僚は神のごとくあれとは言わないが、このモラルのなさはどういうこと。

公文書改ざんを指示した高級官僚はさすがに国税庁長官の職を退いているようだが、こ

の二人の犯した犯罪は救いようがない。

 

 

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561-030605往年の名画鑑賞

2021年06月05日 | 小説・映画・など

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

新型コロナワクチン接種を翌日に控え、また雨天であったので、終日家に閉じこ

もる。NHKBS3で数日前の放映された「アラビアのロレンス」の録画を午後から

見始めるが、コマーシャルなしの4時間の大作は普段慣れていないのでかなりき

つい。

 

先月から同じ頃作られた名画を3本みたことになる。最初は「荒野の七人」、続

いて「眼下の敵」そして今日の「アラビア・・」。私の記憶では封切られたのは、

東京オリンピックの前後、私は20歳前後だったと思う。映画が最も光り輝いて

いて、時間とお金があれば映画館に通っていた時代。

 

これら名画の主演者のほとんどは当然ながら故人になった。名優の顔と名前は殆

ど一致していたが、今では顔を思い出すことはできるが、名前が出てこない。仕

方なしに映画の題名からネット検索して調べるということになってしまう。覚え

ようとしないから、思い出したとたんに忘れてしまう。

冒頭の画面はアンソニー・クイン、ピーター・オトウールとオマル・シャリフで

した。

 

当時の映画館は一巻終了するごとに入れ替えはなかった。映写中でも自由に館内

に入ることができた。暗闇の中で最初に目に飛び込んでくる場面が、一回りして

2~3時間後にまた画面に表れる。今度はストーリがが解っているので、最初に

目にした画面はこういう物語の後に続く場面だったのだと腑に落ち妙な安心感を

毎回味わった。

 

「アラビア・・・」は英国映画なのと、英語が母国語でないアラビアの部族が英

語で話すので、アメリカ映画に比べて会話がゆっくりかつ明確で私の英語力でも

少しは聞き取れる。この程度の表現で十分に会話になるんだと思いながら4時間

を耐えた。

                              2021.6.4 記

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554-030424司馬遼太郎著「街道をゆく」を読み終える

2021年04月23日 | 小説・映画・など

ご存じ太宰治の生家「斜陽館」。GoogleMapのstreet viewより拝借。

2年ほど前から読み始めた司馬遼太郎著「街道をゆく」の国内編30巻を先日すべて読了し

た。何回か本ブログでも取り上げたが、読み終えたので再度感想を記したい。

これからの人生で現地の空気を吸えるところは取り上げられた各地のうちせいぜい2か所だ

ろう。疑似日本一周の旅だったがネット環境の充実で居ながらにして新鮮な風景や各地に伝

わる歴史風俗を知ることができ楽しく有意義だった。第一級の知識人司馬氏の案内は多岐に

わたり、その知識の奥深さに驚嘆した。

シリーズを読み終えた今、実際に行って、見て、泊まって、食べて、空気を吸い、できれば

現地の方と話しがしたい街が厳選して三ケ所ある。

岐阜県古川町

徳島県脇町

愛媛県吉田町

いずれも歴史の古い町並みが感動的。北海道を除いて都市近郊の風景はどこに行っても変わり

映えしない似たような感じだが、少し都市部から離れると日本的な懐かしい風景は存外残って

いるものだ。それが住む人にとり快適か否かは別として。

太宰治の地には行ったことはないし今後も行くことはないだろう。前橋刑務所のレンガつく

りの重厚な壁。この一枚は実写でこの通りは何度も通った。斜陽館のレンガ塀と同時期にも

のだと思うが、規模が段違い。現地を踏んで撮った写真とGooglemapの写真。稀には実写な

らではのまぐれの一枚もあろうが、通常殆ど優劣はつけにくいほど気軽に知らぬ土地の風景

をパソコン上で見られる。地理好きの私にはたまらない道具立て。

 

机を離れて足腰鍛錬を兼ね火曜日に甘楽町の南に位置する白倉神社並びに天狗山を歩いてき

た。

  

20年前に一度登った時は沢沿いの小道が白倉神社まで続いていた。その記憶を頼りに歩く

はずだった。しかし今回現地は大変なことになっていた。数年前に西群馬一帯に大きな爪痕

を残した台風の豪雨時と思うがあの風情ある道がズタズタになっていた。行程の半分は完全

な沢歩きを強いられた。

 

 

廃屋寸前になってしまった白倉神社旧本殿と天狗像を見てから短い急登を経て天狗山山頂に

到達する。新緑に彩られた山頂は誰もいない。鹿の食害から植林された杉苗を守るためのカ

バーが異様な感じ。

帰りは往路の荒れた沢を避け、山頂から北に続く尾根(写真右奥に続へ)を降りようかと思

い迷う。しかし80歳目前の老人が単独で未知の尾根を降るリスクは高い。安全第一で登っ

てきた荒れた足場の悪い沢を用心深く降りる。帰宅後ヤマレコの諸兄の山行記録を見たらこ

の尾根ルートを歩いた記事が目に留まる。私でも歩ける程度のルートだったことが解った。

残念だったが、それでいいのだ。

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548-030227種が尽きた時の奥の手

2021年02月27日 | 小説・映画・など

足利の山火事が拡がっている。こんな素晴らしい冬の雑木林が焼け焦げていくのかと

思うといたたまれなくなる。この写真は安中市郊外の学習の森の裏山。

 

今週も更新に行き詰っている。加齢が原因なんだろう。来年は大台の80を通過する。

長年続いている他の部分でも気力の減退が目立つ。こんな時の奥の手、あるいは禁じ

てなのかもしれないないが、過去の記事の中で自分でも気に入っているものを再掲し

て時間稼ぎをして、気力の回復を待とうと思う。

↓ をクリックしてください。

 

294-280910焼けた仏像の迫力がすごい - toboketaG の春夏秋冬 (goo.ne.jp)

 

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520-020822亡父の命日

2020年08月22日 | 小説・映画・など

                    

何の意味かと思った。

戦国時代の小説とを読んでいるとよく目にする武将で

悪役として登場することが多い松永弾正久秀が主人公の本だった。

人間をじんかんと読む。

最期は信長軍に攻められ信貴山城で茶道の名器とされる

ひらぐもの釜を抱き城諸共爆破して意地を通した。

このあたりまでは知っていたが、

信長とは互いの心が通じ合う仲だった。

かなりの長編だが主題を意識しながら読み下るとじんかんの意味が解ってくる。

 

 

 

亡父の祥月命日。

父親は大正元年生まれ。理研の技術者だった。

戦前の理研といえば日立や三菱に匹敵する大きな企業群だったらしい。

戦局がひっ迫してくると、本来軍需産業ではなかったのに、中島飛行機の傘下に入り

戦闘機の部品を作るようになったらしい。

それゆえに召集令状は来ず、幸い元気で戦後を迎えた。

戦死者から託された戦後復興を担う中心世代のはずだったが

2年後病魔に侵され、以後10年近くになる闘病生活を強いられた。

最後は大学病院での一縷の望みをかけた手術を受けたが、

術後の経過が思わしくなく1ケ月後の8月22日に45才で他界した。

 

何度か見舞いに行った。大学病院とはいえ現代の水準で考えると

非常に劣悪な環境の病室だった。木造平屋建ての病室は勿論エアコンはない。

最近の暑さに比べればましだったようだが、

窓を全部明け放した大部屋に数人の患者が伏せっていた。

石炭酸やクレゾールの臭いと病人が発する臭気とが交じり合った異臭、

窓外の空き地には解剖実習に供されると聞いた何匹かの野良犬

悲しい鳴き声が煩い。

8月は毎年終戦の日を挟んで、戦争の悲惨さが繰返し映像に現れる。

私の8月15日は、亡父の面影と共になぜかこの時の大学病院の風景が重なる。

 

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518-020809仮想旅行はこれからも続く

2020年08月09日 | 小説・映画・など

            

猛暑とコロナから暫し逃れようと車で1時間半で湖畔まで行くとことができる赤城山に登る。

昔なら当たり前のように主峰黒檜山(写真奥)に登るのだが、

足弱になった私には少しレベルが高い。

小沼から30分もあれば登れる長七郎山で済ませることにした。

 

平日なら人気もない小沼だが早くも盆休みに入ったせいもあり、小さな駐車場は車で一杯。

なんとか隙間を見つけて登山開始。赤城山もここまでくると人工林はなく自然林が拡がる。

 

いつも榛名山塊の獣道のようなところを歩いてばかりいる。

その目で見るとこの登山道は一級で迷うこともない。

予定通りに頂上に着いたが雲に隠されて近くの高みが見えるだけで眺望はない。

前線が東北地方南部を横切っているのでこの曇り空は仕方ない。

しかし暫くぶりに緑一杯の山道を気分よく歩けた。

老人の束の間の避暑はこんなもの。

 

引き続き、司馬遼太郎著『街道をゆく』を読んでいる。

ここ2,3年は電子図書Kindleを使ってパソコン上やスマホで読むことが多い。

何といっても文字を自由に拡大縮小できる機能が素晴らしい。

老人となり目が悪くなると、文庫本の字では見にくいことが多い。

 

氏の一連の街道シリーズも随分と読み進んできた。

ここ数日は「越前の諸道」にはまり込んでいる。

越前福井は住んでみたい県の上位にランクされる地方だ。

当地ではあまり感じない瑞々しさがある。

山形県にもそういう感じを抱く。

海、山、川、田、森、峠、集落、都市部それらの配置が絶妙な県だ。

 

地名について教えられることが多い。

我が県にもある富岡市の北に位置する「丹生」や

現役時代の同僚が住む渋川市「吹屋」など。

丹生は水銀を含んだ粘土層の土地で砂金や水銀が採れたらしい。

後者はたたら製鉄で使われた

空気を送り込むふいごを使って得られる高熱で鉄を

採取する建屋すなわち吹き家が由来とか。

 

この2年間で日本各地を司馬氏に案内してもらった。後数巻残るがこのまま読み進もう。

他にも読みたい本はあるが、それからだ。

 

**手の抜けないことが出来して定期更新が1日遅れてしまいました。**

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