江戸時代末期、年号で言えば天保年間(西暦1830年から45年頃で、幕末の騒乱が始まる10年ほど前)に二人の幕府高級官僚が活躍した。
一人は遠山左衛門尉景元(親しみをこめて遠山の金さん)、もう一人は鳥居甲斐守忠耀(タダテル)、一般には鳥居耀蔵(ヨウゾウ)。こちらは「よう」と「かい」をもじって妖怪といわれた。
この二人のうちの後者の鳥居耀蔵を題材にした時代小説を読む。
時は幕府老中首座水野忠邦が進める贅沢、豪奢を禁止する天保の改革のまっただ中。 遠山は北町奉行として活躍する。 罪を憎んで人を憎まず、庶民を苦しめる法度にときには手加減を加える度量の持ち主。「遠山の金さん」 といわれて江戸っ子には人気があった。 演劇や映画で彼を取り扱ったものは多い。 桜吹雪の刺青、片肌縫いでのお裁きは、面白くするための脚色ではあるが、人間味のあった能吏だったようだ。 法で縛っても庶民は抜け道を見つける。
一方鳥居は有能ではあるが冷酷、冷徹な官僚(目付)で、後に南町奉行に昇進し辣腕を振るい恐れられた。罪を憎んで人も憎み徹底的に弾圧する。 法度違反は厳格に取り締まり、100人を超える罪人等を断罪に処した。 妖怪とあだ名され江戸っ子には嫌われた。 渡辺崋山や高野長英を捕縛し死にいたらしめた(蛮社の獄)のも鳥居。 法を守らせるには厳罰で臨むという彼なりの信念の結果ではあるが。
社会を実質的に回していたのはもはや武士ではなく商人たちであり、鳥居が武士の論理を振り回しても時代の流れはもはや戻りようがなかった。
こんな対象的な二人なのでお役目以外での交流など無かったであろう。 しかし人気度とは別に時代への影響という意味では鳥居のほうが強かったかもしれない。
二人の活躍した数年の後、時代は一個人の有能無能を越えて怒涛のごとく変化し、ご承知のような経緯を経て明治へと移っていく。
ところで政権は民主党から再び自民党、公明党に移った。 明治維新以降の発展は昭和20年の敗戦で徹底的に打ちのめされ、それから50年間に史上空前の繁栄を達成謳歌し、これが過ぎ去り、今失われた20年といわれる沈滞した時代にある。 国の借金はGDP比で世界一、このままでは日本は亡国の道をたどるのではないかとの悲観論も聞こえてくる。 そんなやわな国民ではないと信じている私としては、今後の回復基調を期待したい。 人も企業も株も円も上がったり下がったりするのは世の常。 国家もその例外ではないのだろう。