toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

094-241229北町奉行遠山金四郎と南町奉行鳥居耀蔵

2012年12月29日 | 小説・映画・など

Pc130899 萩原朔太郎が愛した当時と変わらぬ上州の一風景

江戸時代末期、年号で言えば天保年間(西暦1830年から45年頃で、幕末の騒乱が始まる10年ほど前)に二人の幕府高級官僚が活躍した。

一人は遠山左衛門尉景元(親しみをこめて遠山の金さん)、もう一人は鳥居甲斐守忠耀(タダテル)、一般には鳥居耀蔵(ヨウゾウ)。こちらは「よう」と「かい」をもじって妖怪といわれた。

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この二人のうちの後者の鳥居耀蔵を題材にした時代小説を読む。 

時は幕府老中首座水野忠邦が進める贅沢、豪奢を禁止する天保の改革のまっただ中。 遠山は北町奉行として活躍する。 罪を憎んで人を憎まず、庶民を苦しめる法度にときには手加減を加える度量の持ち主。「遠山の金さん」 といわれて江戸っ子には人気があった。 演劇や映画で彼を取り扱ったものは多い。 桜吹雪の刺青、片肌縫いでのお裁きは、面白くするための脚色ではあるが、人間味のあった能吏だったようだ。 法で縛っても庶民は抜け道を見つける。

 

一方鳥居は有能ではあるが冷酷、冷徹な官僚(目付)で、後に南町奉行に昇進し辣腕を振るい恐れられた。罪を憎んで人も憎み徹底的に弾圧する。 法度違反は厳格に取り締まり、100人を超える罪人等を断罪に処した。 妖怪とあだ名され江戸っ子には嫌われた。 渡辺崋山や高野長英を捕縛し死にいたらしめた(蛮社の獄)のも鳥居。 法を守らせるには厳罰で臨むという彼なりの信念の結果ではあるが。

社会を実質的に回していたのはもはや武士ではなく商人たちであり、鳥居が武士の論理を振り回しても時代の流れはもはや戻りようがなかった。 

こんな対象的な二人なのでお役目以外での交流など無かったであろう。 しかし人気度とは別に時代への影響という意味では鳥居のほうが強かったかもしれない。

二人の活躍した数年の後、時代は一個人の有能無能を越えて怒涛のごとく変化し、ご承知のような経緯を経て明治へと移っていく。

 

ところで政権は民主党から再び自民党、公明党に移った。 明治維新以降の発展は昭和20年の敗戦で徹底的に打ちのめされ、それから50年間に史上空前の繁栄を達成謳歌し、これが過ぎ去り、今失われた20年といわれる沈滞した時代にある。  国の借金はGDP比で世界一、このままでは日本は亡国の道をたどるのではないかとの悲観論も聞こえてくる。 そんなやわな国民ではないと信じている私としては、今後の回復基調を期待したい。 人も企業も株も円も上がったり下がったりするのは世の常。 国家もその例外ではないのだろう。

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093-241222使い込んだ機械に感動

2012年12月22日 | 街歩き

Pc140910 師走の田んぼは、きれいに片付けられて春までの眠りに入る。(安中市下秋間にて)

近所に個人でやっている豆腐屋さんがある。 ほとんどがスーパーで買うのが普通の豆腐だが、料理に使うから買ってきてと頼まれる。 歩いて3分のところなのでこのお店に行ってみた。

そこで油揚げを製造する機械を目にする。 店主に聞いたら50年間使い込んでいるという。 大量の食用油を使用するのでその油が装置にこびりついてご覧のような状態。 磨きこまれたSLの動輪とは大違い。

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油揚げが並ぶ部分の毎日の手入れと年に一度分解掃除をしてきたが、モーター、チェーン部分やガスバーナー部分などは飛び散った油がこびりつき、装置と一体となり掃除のしようがないという。 それでも50年間故障もせずに使い込んでいるんだよ、との話。

ここまで使い込むともう感動もの。 私も比較的電気製品や車を長期間使うほうだが、50年間使ったものはさすがにない。 

機械が故障する原因は ①電気接点の接触不良 ②ねじの緩み ③回転部分の潤滑不足 そして④錆の発生 この4つが8割いや9割以上を占めると思われる。

このロートル機械は大量の食用油を使用しているので、③と④とは無縁であろう。 ①の接点といってもICチップを使用しているわけではないので、モーター部分の電気抵抗の増大くらいしか考えられない。 ②にしてもこれだけの油が固着してしまえば緩みようがない。 多分店主は店をたたむまで使い続けることだろう。 それはそれで素晴らしいことだ。

 

衆議院選挙では野田氏率いる民主党は惨敗してしまいました。総理の決断を評価したのですが・・・  安倍さんの積極的な景気対策に期待すると共に、民主党には野に下るのを機に、まとまりのある党への再建に頑張って欲しいものです。

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092-241215カラスは朝東から西へ、夕べはその反対に飛ぶのか?

2012年12月15日 | バードウォッチング

Img_0420 あまり見たことのない不思議な夕焼け(12/10 16:27に撮影。 この日は強い冬型の天気だった。中居町から見て下仁田方向の山並み沿って出現した。)

 

 

 

 

 

早朝空を見上げると、カラスが3羽、4羽とまとまったいくつもの群れで決まって南東から北東に向かって飛んでいくのを目撃する。 夕方はその逆。  この地方特有の現象なのか? なぜ決まった方角なのか?  他の地方では北から南、あるいは西から東に飛ばないのだろうか。

ねぐらの場所とえさ取りの場所との関係がその理由か。 あるいは日の出や日の入りのまぶしさを避けて飛ぶのか。 そうだとしたら曇りの日はどうなのか?

前者であれば高崎の東に位置する広大な群馬の森が彼らのねぐらになっているかも知れない。しかしなぜ榛名山方面に移動するのかがわからない。 ねぐらから埼玉方面に飛んでもえさ場はあるだろうに。 機会があれば早朝に群馬の森で観察してみようかとも思う。 おそらく多方向に分かれて餌場に急ぐのだろう。 たまたま我が家は森の北西側に位置するのでこんな現象となるのだろうと推測する。

今年も庭の餌さ台にメジロが飛来する。 みかんの輪切り、熟した柿、ひまわりの種そして牛脂を用意する。 コタツにあたりながら双眼鏡で覗くのが楽しみ。 野生の鳥ゆえ飼育に責任を持たなくても良いのが気にいっている。 冬の恒例。

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  ごくありふれた ヒヨドリ               意外に街中に住みつく メジロ

飛来するのは、メジロ、ヒヨドリはミカンや柿が目当て。 シジュウカラやカワラヒワはひまわりの種が目当て。 まれにジョウビタキやツグミも姿を現す。 珍鳥のウソがきたことがある。 パンくずでも置かないとスズメは姿を見せない。 うぐいすがサザンカの樹の中で動いているが、彼らは決して餌台にとまらない。 鳴き声は素晴らしいが、姿はかなり地味。

いつかヒレンジャクがあらわれないかと期待しているが、いまだその姿をみていない。

ヒレンジャク 緋連雀 (web siteより転写)

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091-241208総理の決断

2012年12月08日 | もろもろ

 

 

Pb253950 ぐっと冷え込んだ初冬の朝、妙義山塊も眠りから覚める。

先月の党首討論会の野田総理の姿勢が評価された。 相手の自民党安倍総裁が思わずたじろぐほどの迫力を持って衆議院解散を決断した。

私も野田総理の決断には賛辞を贈る。 あれだけ自党内に解散反対の意見があった中で、「おれはこうする」と言い切って解散に持っていき、脱党者は追わず、去るものは去れの姿勢。、

今度の選挙は野田氏がどう頑張っても、苦戦は免れず野党に転落すると思うが、寄せ集めの民主党と揶揄されていた党が、ここで負けても節目をきちんとつけられれば、今後党勢を取り戻し、政権党として堂々と対処できる政党に生まれ変わるだろう。 そのことが日本の政治を一歩二歩前に進めるきっかけになるだろうと期待している。

Img_0409_5 旧群馬町図書館の庭に立つ福田氏の銅像

昭和50年頃に郷土の政治家福田赳夫氏が総理大臣に就任した。 飄々とした人柄に親しみがあった。

田中角栄総理の時代に中東戦争による原油の高騰(当時バレル5ドルだったものが30ドルを越える高騰) 全ての物価が高くなり、名目所得も上昇した。 狂乱物価と称される。息が止まるほどの金融引き締めを実施して、ようやく落ち着きが戻った。 経済は成長を続けていたので今と違い強引な引締めをやっても、そのままデフレになることはなかった。 この指揮を執ったのが政敵である角栄氏に請われて大蔵大臣に就任した福田赳夫氏である。 氏にもいくつかの功罪がある。

功はこの狂乱物価の収束させたこと。

罪の中で一番記憶に残るのが、連合赤軍クアランプール旅客機ハイジャック事件の際の超法規措置だと思う。 昭和47年の連合赤軍事件、浅間山荘の銃撃戦、この犯人は全員逮捕され、東京刑務所に収監されていた。 ハイジャック犯の要求に屈し、収監中の何人かを乗客の解放と引き換えに釈放し国外追放した。 乗客は無事解放されたが、弱腰として海外から非難された。 釈放犯人のひとり坂東国男という獰猛な顔つきの男はあれから35年今どこに潜んでいるのだろう。

衆議院選挙が間もなくだが、福田家3代は国会議員世襲を続けることになるか。 そのことの可否は我々が決めなければならない。(世襲が一概に悪弊だとは思わないが、より志ある有為な人材が国政に出にくい面はある・・)

政治家の質の低下は、我々が政治家の資質を見極める能力の低下に他ならない。 少なくとも政治家を自由に選べる制度はきちんと整っているのだから、我々も試されている。 

のし上がってきたとはいえ、中国6億の国民にはその権利がない。

 

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090-241201ヒデヨシの高松城水攻めを思い浮かべる

2012年12月01日 | 名所旧跡

 

 

Img_0394 ポプラのように品種改良されたケヤキの並木。 R245が藤岡から埼玉に入ると児玉町まで続く。

信長が本能寺で光秀の手勢に討たれた。 そのとき秀吉は現岡山市郊外の毛利方の高松城を長大な堤防を築き水攻めの最中だった。 その知らせを聞くや、直ちに毛利と停戦を約し、とって返して光秀を討ち、主君信長の仇をとった。 歴史上有名な話です。

Img_0396 破壊され応急措置をした井野川の堤防。上がサイクリングロード

この水攻めのための堤防は資料を見る限り、よく走る井野川サイクリングロードの堤防と同規模と思える。 この井野川は普段はなんの心配もない穏やかな流れだが、一度夕立や台風のもたらす大量の雨が降ると、決壊寸前まで行くほどの暴れ川。 古老に聞くと昔は堤防もなくかなりの幅で蛇行していたようだ。

今は改修され堤防の間を素直な曲線で流れている。 それでも毎年堤防が破壊される。そのままというわけにはいかず改修される。翌年は未改修の弱いところが崩される。 10年余自転車道を走るが、毎年どこかにこんな風景が見られる。

秀吉の信頼厚き部下に石田三成がいる。 秀吉亡き後、天下分け目の関が原の戦いで西軍の総大将となり、家康率いる東軍に敗れ、斬首される。西暦1600年の出来事。

この三成が秀吉の小田原城攻めに先立ち、現行田市にあった忍城(おしじょう)を攻略するのに秀吉の戦法を真似て水攻めを採用した。 短期間で7里(20kmを越える)堤を築き、利根川と荒川から取水して城を孤立させた。 ここまでは良かった。 忍城の総大将は「のぼうさま」と呼ばれた至って気のいい殿様。 百姓衆にも人気があった。

我等が「のぼうさま」を救おうと、百姓衆の何人かが月のない夜、密かに堤防の一部を破壊した。 一度破壊されると水の勢いはすさまじく、間もなく水は流れ去り、忍城は三成の攻撃に耐えることができた。

Pa153413 Pa153426 復元された忍城                                           

小田原城に立てこもる北条方が秀吉に屈して間もなく、忍城も秀吉の前に膝を折るのだが、秀吉は寛大な処分をしたという。 晩年の秀吉は老害そのものだったが、この頃の采配は見事なもの。

「のぼうの城」として出版され、最近映画化された。

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