toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

148-251228愛すべき小父さん達(私もそのひとりかも)

2013年12月28日 | もろもろ

Pc055349 ため池に映る月と金星(正観寺町の農業用貯水池の夕焼け)

 

趣味のサイクリング。 夏は原則として往路は家から南に向かう。したがって復路は

北に戻る。疲れた身体に夏の南風は心地よい。 これが冬の季節になると反対に往

は北へ、帰りは南に走る。 夏はあまり苦にしないが、冬の上州名物「空っ風」は難

敵。 風に逆らっての走行は下手な坂よりつらい。平地はスピードに乗って快適に走

るイメージが強い。 しかし平地でも向い風に抗して進むのは大変。 登り坂は覚悟

のうえなので苦しいがいやになることはない。

 

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グリーンドーム付近の流れ                   朔太郎の詩にも登場する大渡橋

 

師走のある日、利根川道を渋川に向かって向かい風をまともに受けながら走り、帰

路は追い風に乗り、緩やかな下りを吉岡町の集落を縫いながら気分良く走って戻る。

背中に榛名山を意識して走れば、どの道を経由しても高崎に戻れる。 気の向くま

右に左に曲がりながらの走行は追い風を受けているのでまことに快適。

 

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井野川サイクリングロードまで戻った。 橋の上に高級カメラを構えた一団が居る。

多分カワセミの撮影だろう。 その通りスズメほどの大きさだが日本の野鳥で一番

きれいと言われる小鳥が川岸の藪の中に見えた。 

おそらく70才を過ぎたであろう小父さんたちがこの小さな鳥を撮影すべく夢中でシャ

ッターを切る。 私もいつも持ち歩く簡単カメラで撮影してみた。 3倍ズームではこれ

が精一杯。 

野鳥に向けてカメラを構える小父さんたちの顔が輝いている。 このおだやかな顔

が、かっては高度成長を支えた企業戦士だったとは思えない。 趣味を持つ人はみ

んないい顔だ。激動を潜り抜け、穏やかな生活を20年余続け、年老いて人生という

舞台から去っていく。

いい人生だったと思うだろうか? 違った生き方があったはずだと思うのだろうか?

 

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147-251221どこか懐かしい光景

2013年12月21日 | もろもろ

Pb230823 冬がおいしくなるホウレンソウの栽培風景。

関与していた利用者さんが亡くなった。 お元気なころは公私共に大変お世話になっ

た方。 葬儀が終わり2週間経ったのでお線香をあげに訪問する。 2年ほど前から

毎日仏壇に唱えて、すっかり暗誦した「般若心経」を霊前に捧げる。残された未亡人

はお年で膝の痛みを訴えているが比較的お元気。 奥の亡夫のお骨の前で師走の

日差しを一杯に受けて採取した黒大豆の身を殻と選別していた。 お正月用にご自

分で黒豆を作るそうだ。 

年をとっても家での役割のある人は幸せ。

 

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この光景は懐かしい。 私の祖母が一杯着込み、手ぬぐいで姉さんかぶりで同じよう

な姿勢で何かをしている写真が残っている。 せかせかした毎日を過ごしていると何

かほっとするひととき。

 

 

我が家を含めて既製品で間に合わせてしまうのだが、このお宅は違う。 昔は普通だ

ったことがなにもかも珍しくなってしまう。 時代の変化が早すぎる。 物質的にはこれ

が時代の流れだと思うが、精神的にはこうしたゆとりを失いたくない・・・

 

江戸時代の人は、生まれた時と亡くなる時の時代背景に殆ど差がない。 今を生きる

われわれはどうだろうか? 生まれたときには想像もつかなかった変化が生じてい

る。 われわれは歴史上最も大きな社会変化に遭遇した世代だなといつも思う。

 

3Dプリンターというのが出始めた。 設計図をPCに入力すると立体的なものがたちどこ

に印刷(造形と言ったほうが適切か)。 これが更に進化していくとある装置に入っ

ボタンを押すと東京にいる私が、瞬時に札幌に精神的なものも含めて再現する。

同時に東京の私は消去されないと大変なことになるが。 こうなるともう交通機関

不要になってしまう。 ドラエモンの漫画では描かれている夢。

 

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146-251214まだ上州の山は見えずや・・・

2013年12月14日 | 小説・映画・など

Pb215329 紅葉見物の旅に出られず近くの晩秋を味わう。

私自身の好みで昭和を背景にした小説や詩に味を引かれる。 この期間の半分

は自身も同じ空気を吸ってきたので他の時代よりも思い入れが多いせいでしょう。

戦前の鉄道は幹線を除けば蒸気機関車と木製で垂直な背もたれの椅子の客車が

普通でした。 これは私が成人になるまで続いた。 現代はスピード感溢れるスマ

ートな電車が一般的になってしまい、あの哀愁を含んだ夜汽車に接する機会がなく

なってしまった。 あの雰囲気はもはや文学の中でしか味わえない。 夜汽車の情

景は頭の中で思い出すことは出来るが、文字で表現しようとしても我が筆力ではで

きそうもない。

流の作家の詩を拝借するのはいかがかとも思うが、感銘した詩であるので、当

時の夜汽車の情景をその力を借りて表現しても罪にはならないでしょう。

ということで、私が一番好きな萩原朔太郎の有名な詩を話題にします。

Pb225342

 

 

昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る  

 

     わが故郷に帰れる日

     汽車は烈風の中を突き行けり。

ひとり車窓に目醒むれば

     汽笛は闇に吠え叫び

     火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。

     まだ上州の山は見えずや。

     夜汽車の仄暗き車燈の影に

     母なき子供等は眠り泣き

     ひそかに皆わが憂愁を探(さぐ)れるなり。

     鳴呼また都を逃れ来て

     何所(いづこ)の家郷に行かむとするぞ。

     過去は寂寥の谷に連なり

     未来は絶望の岸に向へり。

     砂礫(されき)のごとき人生かな!

     われ既に勇気おとろへ

     暗憺として長(とこし)なへに生きるに倦みたり。

     いかんぞ故郷に独り帰り

     さびしくまた利根川の岸に立たんや。

     汽車は曠野を走り行き

     自然の荒寥たる意志の彼岸に

     人の憤怒(いきどほり)を烈しくせり。

 

 

 

「ひとり~ 」から 「~見えずや」 の部分は強く印象に残り、何度口ずさんだこと

か。 この詩の背景は朔太郎の鬱屈した心だが、舞台となる夜汽車蒸気機関

それに牽引される客車であった。 今、凍てつく闇夜を切り裂くようにばく進す

SLはもう期待しようもないが・・・ 

この線路を離婚後の朔太郎は幼き二人の娘を連れ、傷心を癒すべく夜汽車に身を

委ね、父実家のる前橋を目指したのだろう。 詩の雰囲気を再現すべくシャッ

ターを押したが、そこに漂う憂愁を含んだ表現には程遠かった。 

夜汽車という言葉から想像できる喜びよりも怒り、楽しみよりも哀しみは、実際に乗

体験がないと解からないかもしれない。 この詩は写実的な写真よりもずっと

ずっと夜汽車の情景を表現しているといつも思う。

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145-251207職人の使う道具

2013年12月07日 | 介護・医療・健康

Pb195323 関越道の側道、 立派な森に成長し今秋も見事な紅葉で染まった。

 

擦り切れてきたので部屋のじゅうたんを交換する。 10畳間の交換を8時半から12

時の半日で見事に済ませてくれた。 そこで目にしたなるほどと感心するプロの道

具。 使う前までは何に使うのか全く見当がつかなかった。 使う場面を見て納得す

る。

 

大きなビニールを拡げたり、最近では液晶画面の保護フィルムを張る際に気をつけ

ることはしわを作らないこと。 じゅうたんがピンと張りあがるには職人ならではの道

具が活躍する。その道具の表と裏。

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部屋の中一杯に拡げたじゅうたんを大体展ばしておいてから、この道具の出番がく

る。 じゅうたんをシッカリと捕まえるために裏返すと針が何本も生えている。 ここで

じゅうたんを捕まえるのは理解できたが、左端の厚めのゴムが何のためのものかわ

からない。 職人さんがこのようにじゅうたんの端において、やおら右足を上げた。次

の瞬間ゴムに向かって右ひざを勢い良く当てる。 これでじゅうたんがピンと張る。

誠に単純な目的のための道具ではあるが職人の経験に裏付けられた技術を生かす

べく作製された道具だと感じ入る。 単純な使用目的に比べ高価なアルミダイキャス

の正に職人の道具。

 

すったもんだの挙句、特定秘密保護法案が強行採決で成立した。 例によって朝日や毎日

反対の論陣を張る。 一方産経は法案は必要との記事を載せる。 記事を書くのにネタが特

秘密にされ、取材して新聞に載せると罪になる恐れがある点についてはさすがの産経も若干

憂慮を示している。 ある分野の情報を提供すると垂れ流しになるといって、米国は日本に肝

の内容を開示しないこともあったのだろうとは想像にかたくない。 ある種の情報は期限付きで

示しないこは先進諸国の常識であるようだ。 60年は長すぎると思うが。

私はこの法案は必要と思う。 そして国益に資する情報を得ることは大切だ。こういうとすぐに戦

前のことが引き合いに出されて反対のシュプレヒコールに囲まれる。 戦前と言えば国民の半

分を占める女性には選挙権がなかった。 今はある。 一番戦争を嫌う女性が政治の動向を左

右する。 このことは戦前との大きな違いだ。 この法案が成立し、運用次第ではまた戦前の暗

い時代に戻ることが危惧されるほど日本の民度が未成熟だとは私には考えられないのだが・・・

それともいつかきた道を歩むことになるのだろうか?

 

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