toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

家内と自転車競走

2011年08月31日 | もろもろ

今のところ水曜日が来るのが待ち遠しい状況です。 ブログの更新ができるので。そのうちにネタ切れになると予想されますが、今はネタが沢山あり、更新する気力も充実しています。 

さて今日は家内から挑戦について記します。 小生サイクリングが趣味にて10年来時間を見ては走り回り、それなりに体力維持を心掛けています。 そんなところに家内が15年使用したママチャリをいわゆる「電動アシスト自転車」に買い換えました。 なかなか優れものでかなりの重量(私のそれより2倍の重量か)なのに、軽快にはしります。

これで観音山を護国神社から白衣観音まで競争しようということになりそうな気配です。10年続けた実力で負けたくないし、日本のハイテク技術には日ごろ敬服しているので勝敗は予測できません。

052我が家に届いた「電動アシスト自転車」

車体はごついがアルミ製、光る部分はステンレス製なので手入れは楽か。

054私のロードサイクルと並べてみるとこんな感じ。

小型トラックとスポーツカーくらいの差がありますね。

コメント (1)

1枚の報道写真が語りかけるもの

2011年08月31日 | もろもろ

6年くらい前にスマトラ沖地震に伴う大災害がありましたね。20万人くらいの犠牲者が出たと記憶しています。

この直後に印象的な写真を新聞で見つけてスキャンしておきました。 ↓ をクリックしてみてください。    

                                 「170126.bmp」をダウンロード

向かって右の前歯の抜けた少年の必死な形相と年上の仲間に取り残されないように頑張ってついてくる左端しの少年の姿が印象に残ります。

 

ロバート・キャパ というフランス人の報道写真家がいました。 ベトナム戦争で地雷を踏んで亡くなりましたが、彼を一躍有名にしたスペイン内乱で撮影した写真 「狙撃された兵士」  ↓

                                  「rc.jpg」をダウンロード

 

にも劣らない事件の重大性や被害者の心境を1枚の写真で何よりも鮮明に表現していると思います。

先日少し高度な機能の付いたデジカメを手に入れました。 カメラに詳しい息子に確認したら、F1.8という明るいレンズはいい写真が取れるよと言われました。 いままでは写っていればいいや程度の興味しかなかったんですが、少し欲が出てきています。むやみにシャッターを押す写真だけでなく、いろいろ目的をもって、いい写真が撮れたらなと思います。 

Kmk_045

 

Kmk_051

Kmk_043

こんな見事な花火の写真が私レベルの写真の知識でも簡単に撮れてしまう。 ハイテク技術の進歩はすごいものです。  (8月28日 高崎の花火大会にて) 

コメント (1)

雨台風襲来の予感あり

2011年08月24日 | もろもろ

ここに掲げる写真は、平成19年9月に襲来した台風9号の集中豪雨による河川の流れです。

普段は何の変哲もない川が一度荒れ狂うとこんなにも表情を変えます。

群馬県は60年前のカスリーン台風の大災害の教訓でかなり治山治水に力をいれてきたので

まさかの堤防決壊はないとは思いますが、想定外という表現が歩き回っていますので、ゆめ

ゆめ油断のなきように。

Dsc03352
鏑川が合流して水かさを増した烏川が玉村ゴルフ場横で神流川と合流する地点です。 榛名山以南の群馬県西部に降った雨はここでひとつになり、先1キロで利根川に流れこみます。  川幅が500mに拡がり堂々たる流れです。 水に飲み込まれた屋敷森の感じですが、ほとんどが川原に自生したアカシヤの森。 豪雨が去って御荷鉾山群が見え始めました。

Dsc03335柳瀬橋から上流倉賀野方面を見る。

Dsc03332柳瀬橋の直下

Dsc03336同じく下流を眺める。圧倒的なボリューム感。 左岸は日本化薬脇の堤防

岩鼻町の南、藤岡市にわたる柳瀬橋から上流倉賀野方面と対岸の藤岡市を眺めるとかくのごとし。溢れた水は上州簗を一のみしてしまいました。 橋の下にある二つの水位計の標識のうち一つは水没寸前です。 この水量で約9mで、堤防の上まではまだだいぶ余裕がありました。 この3倍を超える津波がこの春東北の太平洋沿岸を襲ったのですね。

大陸の大河の洪水は一ヶ月かかって増水し、同じだけの期間をかけて減水すると聞きました。 日本の川は急勾配なので、1日で溢れ、1日でもとに戻ってしまいますね。

コメント

お盆でしたなので、ご先祖様にお灯明を

2011年08月17日 | 最近さわがれること

我が家は神葬祭(しんそうさい)なのでお寺さんがありません。 明治のご一新の際の今でいう「新生活運動」なんでしょうかね。迎え盆、送り盆という行事はないのです神葬祭は。でも年に一度はご先祖様のことを我が家流に考えます。

我が家のお宝?を紹介します。 105年ほど前の長野県北佐久郡岩村田町発行の戸籍です。Img20110817_2

 

 

私の父方のご先祖様です。

START(利久) → 曽祖父(利忠) → 祖母(りは) →  父(正一) → 私

ということはこれで公的に証明されています。(この裏には「りは」が書かれているのですが省略) 

祖母(りは)  明治15年生まれで昭和35年に亡くなる。

祖祖父(利忠) 安政2年生まれ、関東大震災の際、被服廠で焼死。

その父(利久) 生まれた年は不明

時間があればこれを読み砕いて、私のルーツ探しができるんですが、今日は結構いそがしいのでまたのネタにします。

ただ血のつながりからいうと、少なくとも私の体には京都伏見の町人の血と安房勝浦(加知山は勝浦の古い名前)の人間の血が流れているわけですね。

ご先祖様に千利休みたい名の人間がいたこと、 平民とはいえ「文殊源四郎」なんだか二本差しが似合う名の男がいたこと。 僅か200年くらいの間にこれだけ血が混じりあってしまってその先はわからない。

天皇家は推古天皇以降1500年の血統が文書で明白になっているということはすげーことだなと思う。 世界でもこんな例は天皇家しかないでしょう。 

 

 

 

 

 

コメント

かぼちゃの受胎

2011年08月11日 | もろもろ

Kmk_001_2
生ごみ処理ポットの横から生えてここまで成長したかぼちゃ。 たいした成長力です。1日に

20センチほど伸びていく感じです。

Kmk_003
これが雄花。咲く花の8割は雄花です。

Kmk_005
雄花の中をのぞいてみると、立派なおしべがそそり立っています。

Kmk_002
これが雌花。 なんとかぼちゃの赤ちゃんがもうできているんです。

Kmk_006
雌花の中をドキドキしながらのぞいてみました。 キャーとはいいませんでした。 いかにも?のような雰囲気ですね。

Kmk_011
受粉する虫が見当たらないので、雄花のそれをつまんでそっと優しくめしべに入れてやりました。 思い当たる節はあります。

Kmk_007
待望の受胎が済んで2日後、 立派なかぼちゃになりそうな健康な大きさに育っているようです。

Kmk_010
生ごみ処理ポットの横から生え出したかぼちゃ。まもなく古希を迎える今日までかぼちゃは飽きるほど食べました。 普通の植物のように花の中にめしべをおしべが囲んでいるとばかり思い込んでいました。 しかしかぼちゃは花が別なんですね。 いちょうの木は雄木と雌木があって銀杏のなる木とならない木があることは知っていました。                                     かぼちゃがこういう仕組みだったとは!  物知り博士も知りませんでした。

コメント

かぼちゃの実ははどうしてできるの?

2011年08月11日 | 花・樹木

誰もがすなるブログなるものに挑戦してみました。

第1回の内容はテストとはいうものの、記録に残るのでまじめに書こうと思います。

まだ半分もマスターしていないので今回は文字のみです。 次回からは写真を載せて

楽しいものにしようと思います。

第1回は 題して「かぼちゃの実はどうしてできるの?」 

かぼちゃの花に雄花と雌花があることを始めて知りました。

虫がいないと雄しべから雌しべへの受粉ができず実はなりません。

以下詳しくは第2回で述べます。

 

コメント (2)