去年、まさに人生が終わりかけた。なんとかギリギリで間に合い、詰まった血管を広げてもらった。そのとき、なんと、もう一本の、昔につまっていたところも、ほとんどつまりかけであることがわかった。
完全に、ほぼ運命は、決まりかけていたのである。あの時、ペットボトルに水をいれてきてくれた女性は、まさに天使のようだ。
あの一口の水がなければ、あのまま、生涯を終えていたかもしれない。それが助かった。だが、それで終わりではなかった。
今年に入って、風邪をひいた。それが引き金になって、不整脈が始まった。いつもは、電気ショックですぐ止まっていたのが、とまらない。アブレーション手術をうけることとなった。
そして、また、再狭窄が見つかった。ほぼ、半年が経って、丁度つまり頃なのである。その手術も、日をかえて実施することになった。
主要な心臓に栄養を与える血管のすべてが、つまりかけるという現象が起こり、なんとか、のりこえたものであるが、それは、監視を要する。油断がならないのである。
この命、本当に、人類のお役に立てないでどうするのか、と思う。
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