朝日がどうにかなったことは、疑いようがない。何かが始まったらしい。恫喝か。脅迫か。何かに屈したか、それとも、様子見に入ったのか。今、日本が大事な時期を迎えているというのに、傍観の構えを鮮明にしたのである。
慰安婦誤報問題や、池上さん問題で、朝日の購読部数が、相当減ったらしく、長年の読者である当方にも、いままで、そんなことはなかったのに、少し前になるが、「品物」を持ってきた。購読をやめないでくれ、ということだったのだろう。あまりに、解りやすくて、わらった。
そんな朝日が、この肝腎なときに、実に頼りない、というか、「正直」な態度を示した。時の権力者にはっきりと、恭順の姿勢を示したのである。こんな新聞は、何の存在価値もない、といいたいところだが、それでも、この時期にこんな記事しか書かないということ事態が、国民に何事か主張しているともいえる。
権力の実態を示しているともいえる。だが、そうではなくて、好きなら好きと言わなければわからない、のである。アカンものはアカンとし、あるべき姿を追究することをやめて、拗ねてみせたり、アウンの呼吸なんてものはイカン。
愚直なまでの、正義感を出して欲しいのである。それは、もはやできないのか。ざこばさんの号泣に、ウソはないが、それを、めくらまし道具に使うのは、なんだこれは、といいたい。
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