日常の暮らしは、同じようにみえて、一日として、同じ日はない。にもかかわらず、大きなククリで、変化なし、と人間は考えるらしい。細かい変化に、いちいち敏感につきあうことは、得策ではなく、そのように感じるようにできているという。
見ることひとつにしても、人間の視野というのは、脳内で加工された代物であって、直接に外界とふれてそのまま感じているのでないという。光の情報そのままではなく、既得の能力を駆使しながら、脳の加工作業があって、初めて役立つ情報になっているのである。
生物として、細胞はどんどん入れ替わり、能力が伸びるところと、落ちるところと、日々変化をしながら、人生を過ごしていく。自らのことも、周囲のことも、無意識にあるいは、意識的に、工夫を加えたり、変化をしながら生きている。
世界も、問題を抱えながら、同じような作業をしている。今朝のチュニジアのニュースは、比較的問題のないとされているところで事件が起きた。狭い地球の上で問題のないところはない。それでも、良くしようと思っている人間の努力が、状況を少しずつ変えていくと思いたい。