カーヴの安全について、社長が知っていたか、知らなかったか、で有罪、あるいは無罪になるという、まったく見当外れもいいところである。
事故原因は、若い運転手が何故、無謀なスピードで、カーヴに突っ込んでいったのかが問題である。そこには、厳しい、労務管理の非人道的な実態があった。
その罰を恐れて、運転手は、いそぎにいそいだのである。この労務管理の実態を問題にしないでは、事故原因の本当の姿がみえない。
この本質を外して、妙な議論をしている。裁判官の目は節穴のようである。検察官も同様である。こんなことで、司法がどうのこうのと言える資格はない。
事故原因の真の姿を暴かずして、亡くなった人命の尊い犠牲は、活かされない。遺族は、本当に悔しいことだと思う。
テレビのニュースで、女性の車掌が、マンションにむけて一礼したという。線路脇に立っていた、遺族がそれを見つけて、泣いていた。初めて見た光景らしい。そのことが、遺族の心をうったのである。
人間として、恥ずかしくない、裁判にしてほしいものだ。真実を見ることに、裁判官も、検察も、真剣にならなければならない。
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