空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

生き残りたかったら他人も生きたいと思っていることを考えないのだろうか

2023年11月20日 23時24分07秒 | 思考試行

イスラエルの反撃はとどまることを知らない。ガザのすべての人がどうなってもいいという攻撃を続けている。これでは、共生なんてできそうもない。どちらかが完全に根絶やしにならないと解決しないということなのか。ユダヤ民族がかつてナチスにひどい目にあわされて、今の体質ができたのだろうが、攻撃には絶対に妥協しない。ハマスを根絶やしにするまで今の攻撃の手を緩めないつもりなのだろうか。うらみをいつまでも忘れないことは、被害者にとってはあたり前のことかもしれない。だが、忘れてしまう他解決手段がない場合もある。だが、改善できるものならば、当然改善することが人間には不可能なことではないと思うのだが、それはできそうにない。

どうあっても忘れはしない。かならず復讐するということになれば、人類はおたがいに闘い続ける他ない。適当に相手を避けていれば戦わなくてもいいように思うが、どうしても闘いに勝ちたいものは、闘わなければ殺す、ことも厭わず、闘いに引きずり込む。国が徴兵制をとれば、国民である限り、無理矢理にでも闘いに参加させられる。もうそうなれば、生きているわけにはいかない。それこそ死んだ方がましである。簡単に死ねる方法を準備しておく必要がある。平和のためにといって、武装し人殺しもやる。そもそも生き物の世界は他者を殺して初めて自らが生きることができるという構造にある。生きるに値しないのかもしれない。なにもなければ、良いこともたくさんあって、喜びも多くあるのだが、耐えられない強制に対して、生きるためには、なにもかも我慢しなければならないとは思わない。不満を爆発させて、思うさま暴れまわるかもしれない。死ぬつもりだったが、そうなれば、あらゆる不合理をうけいれ、利己主義に徹しきるか、人間をやめるか、もう鬼になるしかない。やけのやんぱちだ。

自分は安全なところにいて、若者を戦地に送る。罪深いことだ。愛国心やなんやかんやと、将来ある若者達を犠牲にして平気な顔をしている。こういう連中を許すことができない。何かいい手段はないものだろうか。制度で人を救う手段を用意できるはずだ。本気で弱者を救い、闘いをやめさせ、人が共に生きるためには、どうすればいいのか真剣に考えるべきだ。権力を持つ者が、その権力をどう使うかである。人が幸せに生きるためにどうすればいいのか、真剣に考えるべきである。そして、行動を起こすべきである。

 

 


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