まさに何が起こるか、起きるかわからない。小生の身もその例外ではない。人にとって、命の問題、健康問題はその最たるものであろう。街を歩いていても、周りには年上と思える人には出会わなくなった。すなわち自分がもっとも老人なのである。
いろいろあって、入院騒ぎにもなり、こうして街を歩けるようになったことは僥倖であるけれども、視界が以前とは違う。変に眩しかったり、霞んだり、紗がかかったようになったり、これも身体的、物理的に原因はあるのだろうが、今更突き詰めて原因を求めようとも思わない。失明するのなら、不便にはなるが、それも致し方なしである。それだけ長く生きてきたということだ。
11月に入って、この暖かさは何だ。地球が壊れようとしているのだろうか。ロシアや中東や、温暖対策どころか、とんでもない破壊行為が展開され、なかなかおさまりそうにない。人類は、もう存在できないのかもしれない。
古い記憶や出来事に重きをおいて、今現在の事態を作り出しているとすれば、何があったか、すべてを忘れて今生まれたかのように、お互いが共生することはできないものだろうか。どつきあいをいつまで続けてもそこからは、新たな争いの種を再生産するだけのことのようにみえる。
こうなると、過去の歴史をほじくって、それを今の行動に反映させることの恐ろしさを思う。すべてを飲み込み、そこから共生できる価値観を共有できなければ、人類の未来はない。