終戦記念日を迎えて、NHKは、力作をどんどん放送している。原爆被爆者の人々の声も紹介している。それに触発されて書く。
小泉氏が、郵政で三分の二の議席を獲得したときから、憲法9条をかえようとする動きが活発となり、その手続き法がついに作られてしまった。政治家は、どうしても、戦争ができない国から、できる国に変えたがっている。
戦争のできる一人前の国になりたい、という望みを政治家連が持っている。海外の国々との関係で悔しいことも多いのだろう。自民党も、民主党も多くの議員がそう考えているようである。
だが、戦争になれば、一般庶民は、ひどい目にあう。自分の家族が、自分の目の前でひどい目にあっていたら、貴方はどうするのか、国も同じだ。という論法がよく聞かれる。なるほど、なんて思ったら、戦争をやりたい連中の思惑にピッタリはまる。
だが、国と家族は違う。家族はどんなことをしても、守るだろう。だが、国はどう考えればいいのだろうか。国には、地球規模で考えるならば、絶対のものではない。地球規模で、相互に、協力しあうものであって、戦う単位ではない。そのように、認識を変えていかなくてはならない。戦う主体にしてはならない。
戦争を絶対にしない、という立場から、地球規模の問題に立ち向かう。そうでなければ、いまや、人類の存続は不可能である。人類存続のためには、いろんな条件が必要になってくるだろうが、その最初の一歩である。
国や民族のために、あるいは、宗教のために、戦ってはならないのである。それらは、全部戦う対象物ではないのである。家族や、見知らぬ人であっても、具体的に理不尽な目にあっていたら、これには直ちに、対処するけれども。
小泉氏が、郵政で三分の二の議席を獲得したときから、憲法9条をかえようとする動きが活発となり、その手続き法がついに作られてしまった。政治家は、どうしても、戦争ができない国から、できる国に変えたがっている。
戦争のできる一人前の国になりたい、という望みを政治家連が持っている。海外の国々との関係で悔しいことも多いのだろう。自民党も、民主党も多くの議員がそう考えているようである。
だが、戦争になれば、一般庶民は、ひどい目にあう。自分の家族が、自分の目の前でひどい目にあっていたら、貴方はどうするのか、国も同じだ。という論法がよく聞かれる。なるほど、なんて思ったら、戦争をやりたい連中の思惑にピッタリはまる。
だが、国と家族は違う。家族はどんなことをしても、守るだろう。だが、国はどう考えればいいのだろうか。国には、地球規模で考えるならば、絶対のものではない。地球規模で、相互に、協力しあうものであって、戦う単位ではない。そのように、認識を変えていかなくてはならない。戦う主体にしてはならない。
戦争を絶対にしない、という立場から、地球規模の問題に立ち向かう。そうでなければ、いまや、人類の存続は不可能である。人類存続のためには、いろんな条件が必要になってくるだろうが、その最初の一歩である。
国や民族のために、あるいは、宗教のために、戦ってはならないのである。それらは、全部戦う対象物ではないのである。家族や、見知らぬ人であっても、具体的に理不尽な目にあっていたら、これには直ちに、対処するけれども。