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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

ウソと真実のハザマで

2009年08月25日 06時27分10秒 | 思考試行
すべての生命は、その始まりにおいて、一つのようである。分岐を重ねて、現在の姿がある。不思議なことであるが、動物も植物も、その根源をたどれば共通の祖先にいたるという。

生命活動の何たるかが、科学的に解明されてきたなかで、生まれてきた事実認識なのだが、常識とはまだなっていないような気がする。だが、その話を一言聞けば、大抵の人は、なるほどと、すぐに納得するだろう。

積み重ねてきている科学的知識が、簡単にその正当性を理解するからである。

ところが、そうしたことに関心をもたないグループがある。科学的な姿勢を持たず、何ら根拠のないものを、根拠あるもののようにし、これを人間世界に持ち込む。

予言を口にし、根拠を示さず、もちろん示しようもない場合が多いであろうが、断定的に人を脅し、ドラマを作る。それで、結構な財産を築いているらしい。

娯楽として、架空をうたっているならいいが、真実らしい風に言う。貴方のそばに霊がきている、などという。そして、その霊が、当たり障りのない常識的な、模範的な考え方について、アドバイスをする。話に問題はない。

前提の霊がきている云々を除けば、悪いことを言っているわけではない。だが、その前提が、ウソから始まっている可能性が高い。もっといえば、証明できないことを、証明済みのようにいうのは、ウソとして扱うのが正しいと思う。

こういうのに、やすやすとのってしまう実態は、いつまでもなくならないのであろうか。何を言おうと、見えるという者を押さえつけることはできないので、こういう連中は活躍できている。

見えないものには理解できない世界であり、疑わしく思いながら、うその証拠を見つけようと、観察するばかりである。

ところが、夢をみたり、論理的でない思いもかけない力で、仕事が進んだりすると、人はもしかして、と思うこともある。自分でも信じられないほど、物事がうまくすすんだりすると、かもしれない、と思う。

それを神のせいにするか、霊にするか、それは、その人の感じ方であろう。人間の構造として、素直にそういうこともあるのか、であってもいい。それなら、いちいち霊を登場させなくてもいい。

霊媒師は、昔からいる。ウソツキなのか、真実なのか、宗教とも絡む。科学の進歩は、彼らとの闘争のなかで、進歩してきたという説がある。事実を証明して、彼らを追いつめ、結果として、全体の進歩が勝ち取られてきた。

簡単にウソも方便などという考え方には、ホンネでは納得しないけれども、それはそれで知っておいて、いろんな芝居見物をしながら、コチトラも時にシバイをしながら、世の中を、本当に良くしていきたいものだ。