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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

庶民は大したものなのである

2009年08月08日 07時49分57秒 | 思考試行
裁判員制度が始まって、裁判員のふるまいに、マスコミが集中した。オタオタするところを見たかったのだろうか。心理的動揺を見逃さないぞ、みたいな姿勢が記事にあったように思う。

新聞記者がどういう動機で、そうなったのか、おそらくは、官僚になろうか、それとも、大企業のどこかとか、その中の選択の一つであったのだろう。大學は一流といわれるところ、成績もよかっただろう。

入院時に、「私は、アサヒのものですねん。」と声をかけられたことがあった。アサヒは、朝日なのだろうが、旭と頭に浮かんだ。それで、ああそうですか。と応じた。あとで、朝日かと思ったのだが、気付いてから、そういう目でみると、いつも微笑を絶やさず、デカイサイズの頭を長髪にして、胸には、貴重品をいれた手縫いのひも付きの小袋を下げている。防御もしっかりしている。そうしていなかった小生は、その後盗難にあった。

入院したのは、小生同様に、救急車できたという。病院のベッドに担ぎこまれたときには、意識がなかったという。小生は、意識はずっとあったが、同じ心筋梗塞でも症状は随分違うものだなと思った。ダメージをうけた数値は、しかしながら小生の方が高い。こちらも、危なかったのだが、実感がなかった。この病院で助けられたという意識が強かった。

その彼が、退院したら、スポーツの方に配置換えとなるという、それが不満で、退院を長引かせようと考えているという。ところが、病院は退院をせまるので、手首にできているこのグリグリを口実に手術しようかと思っているという。

この病院は、緊急時に対応することが使命としており、儲け主義的な雰囲気は、全然ないし、後の人のためにも、すぐ退院するのが筋だろうと思った。新聞記者らしいとわかったあとで、このことを思い出して、エリートらしいなと思ったことであった。

そこで、冒頭の、初の裁判員制度では、明かに、裁判員の姿勢が反映されている。職業もマチマチで、確かに普通の人と思われる人びと。だが、判決にその意志が反映されている。従来の機械的にみえる判断だけでないものが加わっている。

庶民は大したものなのである。