朝の一番の仕事が、トイレとなってから、もうかなりになる。目が覚めると、とにもかくにも、「小」をすまさないことには、落ち着けない。少々眠くとも、この仕事は待ったなしであり、直ちに実行しなければならない。
晩年の父は、時折、失敗していた。ドラマなどでは、失敗した人物は、ショックを受ける、という場面である。しかし、父はそんなことで、動ずる気配はなかったし、それがどうしたという様子であった。
むしろ、何もないときに、「情けない」などと言う事があったけれども、それも、嘆いているという感じはなかった。そのようにして、旅立っていった。
戦争で、生活は振り回され、器用に立ち回れるタイプではなかったが、庶民としての暮らしをやり遂げた。一度だけ、サシツササレツという短時間の「飲み会」をしたことがあった。
これも、健康のこともあり、また、親子の到達感みたいな、テレが、たちまち生じて、早々に切り上げてしまった。それで、やるべきことは、済んでしまったという感じがした。あっさりしたものである。このために親子を続けてきたという瞬間がすんだ。そういう感覚であった。
父がなくなる前日の日記をみると、病院での会話で、「みんな来てるよ」という言葉をきいている。祖先のことや、なくなった人のことを、振り返って、いろいろ言う人ではなかったが、祖先の人は、チャントやるべきことをしてくれているのかもしれないと感じた。
晩年の父は、時折、失敗していた。ドラマなどでは、失敗した人物は、ショックを受ける、という場面である。しかし、父はそんなことで、動ずる気配はなかったし、それがどうしたという様子であった。
むしろ、何もないときに、「情けない」などと言う事があったけれども、それも、嘆いているという感じはなかった。そのようにして、旅立っていった。
戦争で、生活は振り回され、器用に立ち回れるタイプではなかったが、庶民としての暮らしをやり遂げた。一度だけ、サシツササレツという短時間の「飲み会」をしたことがあった。
これも、健康のこともあり、また、親子の到達感みたいな、テレが、たちまち生じて、早々に切り上げてしまった。それで、やるべきことは、済んでしまったという感じがした。あっさりしたものである。このために親子を続けてきたという瞬間がすんだ。そういう感覚であった。
父がなくなる前日の日記をみると、病院での会話で、「みんな来てるよ」という言葉をきいている。祖先のことや、なくなった人のことを、振り返って、いろいろ言う人ではなかったが、祖先の人は、チャントやるべきことをしてくれているのかもしれないと感じた。