創価学会が何故問題なのだろうか。国会議員など見ると、チャント東大卒もいるし、テレビタレントもいる。創価大卒の漫才師もいる。
彼らは、格別問題発言をするわけではない。では、どこが問題なのだろうか。
彼らの、トップに池田大作というおっちゃんがいて、みんながとんでもない集中をしていること、そして、当の本人が、どこからみても、そんなにいい人とは思えないこと、にも関わらず、そうしていること。その違和感だろうか。
各国の大學に、寄付でもしているのだろうか。池田氏は、多くの名誉博士号をもらって、それを誇る。宣伝する。勲章がほしいのだろう。竹入氏が、勲一等旭日大綬章という、途轍もない勲章をもらったものだから、ヤキモチをやいた。竹入氏はいじめられ続けている。
マスコミには、多くの広告代金を支払い、事実上買収行為を、臆面もなく実行している。対抗するものには、攻撃することもある。その勢力の伸ばし方は異常である。
彼らの目的は、なんだろうか。かつて、国立戒壇ということを言った。国を支配しようという目標を設定した。いまは、あまり聞かないが、そのホンネは、希望はそこにあるようにみえる。
池田大作をトップに、どんな国ができるのだろう。そんな国はロクでもない。
自分の頭で考える。自分で決める。これを忘れると、人間がつまらなくなる。誰かの言うとおりという生き方は、楽かもしれない。およそ人は、モデルを求めて、その人を真似ながら、生きていくような仕組みになっているから、その共通項を決めてしまえば、「同志」もできて、いいのかもしれない。
だけど、ヘンなものを、モデルにすると、弊害がある。たえずフレキシブルでないと、事実を探求することもしないし、どこが問題かもわからなくなる。
確信、自信に溢れて、邁進する。だが、肝心の方向が、どこへ行くのかわからない。チェック機能がないのだ。
共産党の場合も党内で権力争いというのは、あまり聞かない。同じような問題をかかえているようにみえる。信頼を基本に、幹部の能力の有無の判断は、時のリーダーのメガネにまかせて、組織を動かす。きれいな人間ばかりであれば成り立つ。だが、そこには真の競争がない。教条的になりがちである。間違う可能性はある。しかし、その視点は、弱者に向いている。方向は健康なのである。
最後は、やはり一人ひとりである。その質が高ければ、へんな方向を糺すことは可能である。というより、それしかない。お互い、協力して、高めあうほかない。間違ったモデルを持たないために。
彼らは、格別問題発言をするわけではない。では、どこが問題なのだろうか。
彼らの、トップに池田大作というおっちゃんがいて、みんながとんでもない集中をしていること、そして、当の本人が、どこからみても、そんなにいい人とは思えないこと、にも関わらず、そうしていること。その違和感だろうか。
各国の大學に、寄付でもしているのだろうか。池田氏は、多くの名誉博士号をもらって、それを誇る。宣伝する。勲章がほしいのだろう。竹入氏が、勲一等旭日大綬章という、途轍もない勲章をもらったものだから、ヤキモチをやいた。竹入氏はいじめられ続けている。
マスコミには、多くの広告代金を支払い、事実上買収行為を、臆面もなく実行している。対抗するものには、攻撃することもある。その勢力の伸ばし方は異常である。
彼らの目的は、なんだろうか。かつて、国立戒壇ということを言った。国を支配しようという目標を設定した。いまは、あまり聞かないが、そのホンネは、希望はそこにあるようにみえる。
池田大作をトップに、どんな国ができるのだろう。そんな国はロクでもない。
自分の頭で考える。自分で決める。これを忘れると、人間がつまらなくなる。誰かの言うとおりという生き方は、楽かもしれない。およそ人は、モデルを求めて、その人を真似ながら、生きていくような仕組みになっているから、その共通項を決めてしまえば、「同志」もできて、いいのかもしれない。
だけど、ヘンなものを、モデルにすると、弊害がある。たえずフレキシブルでないと、事実を探求することもしないし、どこが問題かもわからなくなる。
確信、自信に溢れて、邁進する。だが、肝心の方向が、どこへ行くのかわからない。チェック機能がないのだ。
共産党の場合も党内で権力争いというのは、あまり聞かない。同じような問題をかかえているようにみえる。信頼を基本に、幹部の能力の有無の判断は、時のリーダーのメガネにまかせて、組織を動かす。きれいな人間ばかりであれば成り立つ。だが、そこには真の競争がない。教条的になりがちである。間違う可能性はある。しかし、その視点は、弱者に向いている。方向は健康なのである。
最後は、やはり一人ひとりである。その質が高ければ、へんな方向を糺すことは可能である。というより、それしかない。お互い、協力して、高めあうほかない。間違ったモデルを持たないために。