世界陸上をみていると、競争の意味を思う。世界記録が出て、誇る選手。人間の能力が具体的に伸びるサマを、現実のものとして見るので、確かにドラマチックではある。
100メートル走など、9秒台は当たり前となった。ほんの少しの差であっても、一位と二位との差は大きい。この差が、人びとの努力の源泉となっている。必ずしも、努力だけではないが、努力なしには、この結果には到達できない。
だが、わずかな差を、そんなに、メクジラたててどうするのか、とも思う。非凡であることは、ある水準からは、明らかである。それを認めることも重要ではないか。一位だけに価値があるとは思えない。
その意味で、今の小選挙区制は、この選挙制度の考え方は、民意の反映を考えるならば、一位のみに価値を認め、そのものに、全体の意志を託そうというのだから、この競争観に共通する。
議席の数と、民意の反映がイビツになる。平和を望む人が多数であっても、少数の戦争したい勢力が、全体を引っ張っていってしまう可能性、危険性がある。
前回の小泉劇場選挙では、郵政のことだけで議席をかすめとり、その後は、案の定、憲法9条の改悪の話までになった。
戦争ができない仕組みを、ぶっ壊したい、これが彼らのホンネである。こんな連中で、多数を持たせるとロクなことはない。
政権交代は、単に、経済やバラマキの多寡を競うだけではダメで、憲法9条について、曖昧にしているようでは、まことに危険と言わねばならない。
これは、常に争点でなければならないし、これを隠している連中のホンネを、よく見ていないといけない。
100メートル走など、9秒台は当たり前となった。ほんの少しの差であっても、一位と二位との差は大きい。この差が、人びとの努力の源泉となっている。必ずしも、努力だけではないが、努力なしには、この結果には到達できない。
だが、わずかな差を、そんなに、メクジラたててどうするのか、とも思う。非凡であることは、ある水準からは、明らかである。それを認めることも重要ではないか。一位だけに価値があるとは思えない。
その意味で、今の小選挙区制は、この選挙制度の考え方は、民意の反映を考えるならば、一位のみに価値を認め、そのものに、全体の意志を託そうというのだから、この競争観に共通する。
議席の数と、民意の反映がイビツになる。平和を望む人が多数であっても、少数の戦争したい勢力が、全体を引っ張っていってしまう可能性、危険性がある。
前回の小泉劇場選挙では、郵政のことだけで議席をかすめとり、その後は、案の定、憲法9条の改悪の話までになった。
戦争ができない仕組みを、ぶっ壊したい、これが彼らのホンネである。こんな連中で、多数を持たせるとロクなことはない。
政権交代は、単に、経済やバラマキの多寡を競うだけではダメで、憲法9条について、曖昧にしているようでは、まことに危険と言わねばならない。
これは、常に争点でなければならないし、これを隠している連中のホンネを、よく見ていないといけない。
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