(原題:Everyday)
※ネタバレとまではいきませんが人によっては要注意。
この映画の核について触れています。
「う~ん。
やはりこの映画のことだけは
語らないわけにはいかないだろうな」
----おおおっ。
大きく出たニャ。
それって同じ日に公開の『清州会議』とかよりも
押さえなきゃいけない映画ニャの?
「そうだね。
この映画を観ると、
『あっ、映画にはまだその手があったか…』って。
ただ、このことを成し遂げるにはかなりの根気が必要。
もし、映画を自分の一生の仕事とする覚悟がなければ、
到底無理な話ではあるんだけどね」
----mmm。
どういうこと。
これって、
そんなに画期的なお話ニャの?
「いやいや。
物語自体は実にありふれているんだ。
とある微罪を犯して獄中の人となる夫。
映画は、
その夫の面会に通う妻と、
その日に応じて彼女が連れていく
3人の子どもたちの5年の日々を描く」
----う~ん。
じゃあ、どこがそんなに珍しいの?
「もしもこれが妻だけの話だったら分る。
ところが夫との間に生まれた子どもたちは
上から8歳、6歳、そして4歳。
夫の出所まで5年。
その間に、
彼らは、それぞれ13歳、11歳、9歳と成長していく。
ここに代役を使うことはまず無理。
そこで監督のマイケル・ウィンターボトムは
この3人をそのまま使って撮影。
もちろん、彼らがそんなに早く成長するわけはない。
つまり、映画はなんと5年に渡って
じっくり撮られていったんだ。
個人で作る採算無視の映画ならともかく、
劇場にかけられる商業映画で、
ここまで覚悟を決めてどっしりと構えた映画は、
寡聞にして
他にぼくは知らない。
しかも、この3人の子どもたちは実際の兄妹でもある。
そんな彼らが、
プロの俳優たちを相手に
演技と言うにはあまりにもリアルな表情、仕草を見せる。
彼らは、映画の中の父親を実の父親であるかのように、
必死に目で探し求め、
その別れに際して涙を流すんだ」
----へぇ~っ。
それって監督の演出なのかニャ?
「う~ん。
そこがぼくにも読めない。
だから、これはある意味、
ドキュメンタリーのようにも見えてしまう」
----だよね。
でも、その面会と日常を追っただけじゃ、
あまりオモシロくなさそう。
こう言っちゃ悪いけど、
あまりドラマチックじゃニャい。
「いや、
実はここにある大きな事件が起こる。
長い夫の不在。
その寂しさに耐えかねた妻が
夫の友人の優しさに負け、
不適切な関係を持ってしまうんだ」
----ありゃりゃ。
それってまずくニャい。
すぐにバレそう?
「そうなんだ。
ここは孤独な大都会じゃない。
隣人の目はしっかりとそこにある。
だから、彼女は
夫が出てきてすぐに自らその話をしてしまう。
バレる前にってワケだね」
----うわっ。ヤバい。
普通は隠そうとするよね。
「うん。
実は、この<隠さず話す>という映画には
かつてアニェス・ヴァルダの『幸福』という名画がある。
あの映画では、
印象派の絵画もかくやの淡く端麗な映像、
そして主旋律となるモーツァルトの流麗な音楽とは
まったく裏腹の残酷なエンディングが訪れる。
ところがこの映画では
同じく夫婦と子どもたちが手を繋ぎながらも…
ああ、ここは喋っちゃいけないんだろうな。
ただ、ぼくは
マイケル・ナイマンの美しい音楽が
<家族の幸福>な映像に覆いかぶさっていく、
そのあまりの<やさしい>ラストに涙を禁じえなかった。
それを言いたいために
公開直前の今日、
あわててこの映画のお話をしたと言っても過言じゃないね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「う~む。ニャにが起こるんだろう?」
※妻を演じているのは『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の嘆きのマートル、シャーリー・ヘンダーソンだ度
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※ネタバレとまではいきませんが人によっては要注意。
この映画の核について触れています。
「う~ん。
やはりこの映画のことだけは
語らないわけにはいかないだろうな」
----おおおっ。
大きく出たニャ。
それって同じ日に公開の『清州会議』とかよりも
押さえなきゃいけない映画ニャの?
「そうだね。
この映画を観ると、
『あっ、映画にはまだその手があったか…』って。
ただ、このことを成し遂げるにはかなりの根気が必要。
もし、映画を自分の一生の仕事とする覚悟がなければ、
到底無理な話ではあるんだけどね」
----mmm。
どういうこと。
これって、
そんなに画期的なお話ニャの?
「いやいや。
物語自体は実にありふれているんだ。
とある微罪を犯して獄中の人となる夫。
映画は、
その夫の面会に通う妻と、
その日に応じて彼女が連れていく
3人の子どもたちの5年の日々を描く」
----う~ん。
じゃあ、どこがそんなに珍しいの?
「もしもこれが妻だけの話だったら分る。
ところが夫との間に生まれた子どもたちは
上から8歳、6歳、そして4歳。
夫の出所まで5年。
その間に、
彼らは、それぞれ13歳、11歳、9歳と成長していく。
ここに代役を使うことはまず無理。
そこで監督のマイケル・ウィンターボトムは
この3人をそのまま使って撮影。
もちろん、彼らがそんなに早く成長するわけはない。
つまり、映画はなんと5年に渡って
じっくり撮られていったんだ。
個人で作る採算無視の映画ならともかく、
劇場にかけられる商業映画で、
ここまで覚悟を決めてどっしりと構えた映画は、
寡聞にして
他にぼくは知らない。
しかも、この3人の子どもたちは実際の兄妹でもある。
そんな彼らが、
プロの俳優たちを相手に
演技と言うにはあまりにもリアルな表情、仕草を見せる。
彼らは、映画の中の父親を実の父親であるかのように、
必死に目で探し求め、
その別れに際して涙を流すんだ」
----へぇ~っ。
それって監督の演出なのかニャ?
「う~ん。
そこがぼくにも読めない。
だから、これはある意味、
ドキュメンタリーのようにも見えてしまう」
----だよね。
でも、その面会と日常を追っただけじゃ、
あまりオモシロくなさそう。
こう言っちゃ悪いけど、
あまりドラマチックじゃニャい。
「いや、
実はここにある大きな事件が起こる。
長い夫の不在。
その寂しさに耐えかねた妻が
夫の友人の優しさに負け、
不適切な関係を持ってしまうんだ」
----ありゃりゃ。
それってまずくニャい。
すぐにバレそう?
「そうなんだ。
ここは孤独な大都会じゃない。
隣人の目はしっかりとそこにある。
だから、彼女は
夫が出てきてすぐに自らその話をしてしまう。
バレる前にってワケだね」
----うわっ。ヤバい。
普通は隠そうとするよね。
「うん。
実は、この<隠さず話す>という映画には
かつてアニェス・ヴァルダの『幸福』という名画がある。
あの映画では、
印象派の絵画もかくやの淡く端麗な映像、
そして主旋律となるモーツァルトの流麗な音楽とは
まったく裏腹の残酷なエンディングが訪れる。
ところがこの映画では
同じく夫婦と子どもたちが手を繋ぎながらも…
ああ、ここは喋っちゃいけないんだろうな。
ただ、ぼくは
マイケル・ナイマンの美しい音楽が
<家族の幸福>な映像に覆いかぶさっていく、
そのあまりの<やさしい>ラストに涙を禁じえなかった。
それを言いたいために
公開直前の今日、
あわててこの映画のお話をしたと言っても過言じゃないね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「う~む。ニャにが起こるんだろう?」
※妻を演じているのは『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の嘆きのマートル、シャーリー・ヘンダーソンだ度
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