ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『マーサ、あるいはマーシー・メイ』

2012-12-20 22:28:12 | 新作映画
(原題:Martha Marcy May Marlene)

※注:ラストシーンに触れています。
鑑賞ご予定の方は、その後で読んでいただいた方がより楽しめるかも。




---- このタイトル、どういう意味?
「マーサ(エリザベス・オルセン)というのは、
この映画の主人公の名前。
その不幸な生い立ちから、
いまなお孤独な境遇にある彼女は、
家族の愛情を求めてカルト集団の門をたたく。
そこで彼女に与えられた新しい名前、
それがマーシー・メイ。
この映画は、
その集団から抜け出したマーサが、
姉夫婦の住む湖畔の別荘に身を寄せるものの、
そのときの生活がさまざまな形でフラッシュバックする、
その現在と過去の両方を並列的に描いたものなんだ」

----スゴク恐いって聞いたけど…。
「うん。
ほんとうに恐かった。
それは、この映画の語り口にある」

----おっ、久しぶりに出た、語り口…。
この映画では、
というのも、シーンとシーンを
<暗転>を始めとする真っ暗な画面でつないでいく。
オーバーラップというのとも少し違う。
その暗闇の次に出てくる映像が
現在か過去か分からない…
こういう手法を取っているんだ

----ニャるほど。
それは不安だよね。
「うん。
全体的に不穏な空気が漂っているしね。
カルト集団を扱った映画というのは、
是枝裕和監督の『DISTANCE』や、
昨年の『八日目の蝉』のようにこれまでにもなかったわけではないし、
まあ、そこで描かれた閉ざされた世界は
想像していた域を出るワケじゃないけど、
その<洗脳>の影響をここまで見せてくれた映画は、
寡聞にしてあまり知らない。
姉夫婦の元に身を寄せたマーサは、
湖で全裸で泳いだり、
姉夫婦のセックス中の寝室に入りこんだり…。
集団での生活で叩きこまれた教えを
それらが自然で正しいこと、
マーサの言葉を借りれば
<模範的行動>として日常に持ち込むんだ。
それが沸点に圧するの姉夫婦が開いたパーティでの奇行。
暴れるマーサとそれを制止する姉夫婦のシーンは圧巻。
演技というには、あまりにも真に迫っている」

----でも、その集団は
よく脱走を許したね。
普通、追っかけてくるもんじゃないの?
「そこなんだよね。
この映画のラスト、
それは次のようなショット。
マーサを入院させようと町の病院に向かう姉夫婦。
その車の後ろに張り付くような一台の車。
乗っているのは果たして?
陽炎のような人影は、
追手だとも言えるし、そうでないとも取れる。
だが、少なくともマーサの心には
それは<ヤツら>として映っているのは間違いない」

----トラウマがマーサを支配しているということ?
「うん。
人を殺すことさえ辞さぬ狂気の集団。
彼らが自分を逃がすはずはない。

記憶がある限り、たとえどこへ行こうと、その恐怖はつきまとう。

これは、唸りたくなるほど素晴らしいラストだったね」





                    (byえいwithフォーン)

フォーンの一言「並のホラーより恐いのニャ」もう寝る



※『レッド・ライト』『サイレント・ハウス』…エリザベス・オルセン、見逃せない度
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