(原題:Mommy)
----あらら。今頃、この映画?
世間では『マッドマックス 怒りのデス・ロード』で盛り上がっているというのに、
ニャんだか対極の映画…。
「まあ、
あれはすでに喋っちゃっているわけだし、
この作品は、以前からすごく気になっていて…。
というのも『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と同じく
この映画に対しては否定的な意見を目にしたことがない。
しかも人によっては、
監督のグザヴィエ・ドランを
他の監督たちとは一線を画する、
フェリーニやキューブリックと並ぶ天才だとまで…。
彼の『トム・アット・ザ・ファーム』は観ているけど、
そこまで言い切っちゃうかなと…。
これは観ないわけにはいかない」
----で、どうだったのかニャ。
「う~ん。
確かにスゴイことはスゴイ。
2時間半近く、
まったく飽きることはない。
ただ、ぼくが興味を惹かれたところと
一般にこの映画が高く評価されているところとは
微妙に違うような気が…」
----どういうこと?
「どう言ったらいいんだろう?
この映画は、シングルマザーのダイアン(アンヌ・ドルヴァル)を軸に進んでいく。
彼女は注意欠陥多動性障害の息子スティーヴ(アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)を抱え、
どんなことがあっても彼をかばいぬこうとする。
そのふたりにもうひとりの女性、
隣の家に住む休職中の高校教師カイラ(スザンヌ・クレマン)が
絡むことで物語が進行していく。
そこで描かれるのは、
どんなことがあっても息子を守り抜こうとする母親の愛。
経済的に行き詰っている彼女は、
息子が犯した放火によって
被害者から多額の賠償金を要求されている。
この窮地を脱するべく
ギリギリの選択を選び取るも、
スティーヴによって
希望の芽を摘み取られてしまう」
----う~ん。
それってひどすぎるニャあ。
いくら障害を抱えているとしたって…
写真を見たところ、彼、
もういい年じゃニャい。。
「そうも言えるよね。
15歳だし、
まったく分別がつかないという感じでもない。
ただ、この障害特有の
ある種、潔癖さに基づいた衝動が
理性で自分を抑えて常識的に生きることこそが是とされる
この一般社会では
はみ出し者となってしまうんだ。
でも、モラルにとらわれないその生き方が
“悪”と言い切れるのか?
この映画で重要な役割を果たす隣人のカイラ、
彼女は吃音気味で
人とはうまく話せない。
しかしスティーヴの前ではそれが治ってしまうんだ」
---ニャるほど。
分からない気がしないでもないニャ。
でも、そうやって聞いていると、
この映画、
そんなに特別な映画でもないような…。
強烈な個性の母と息子の話…。
「そんな気がしちゃうよね。
さて、ぼくが引っかかったのは、
これが<架空の国の話>になっているところなんだ。
この映画で最初に流れるテロップはこう。
『ある世界のカナダでは、2015年の連邦選挙で新政権が成立。
2ヶ月後、内閣はS18法案を可決する。
公共医療政策の改正が目的である。中でも特に議論を呼んだのは、S-14法案だった。
発達障がい児の親が、経済的困窮や、身体的、精神的な危機に陥った場合は、
法的手続きを経ずに養育を放棄し、
施設に入院させる権利を保障したスキャンダラスな法律である。
ダイアン・デュプレの運命は、この法律により、大きく左右されることになる。』
極論すればこれはSF。
この物語を成立させるために、
監督はわざわざありもしない法律を作り出しているのだから…」
---でも、それだからこの映DarkGoldenrod画がダメと言っているわけじゃないよね。
「うん。その逆。
ぼくが思ったのは、
もしこの法律がなかったら、
果たして事態はどうなっていただろう?ということ。
さっきのテロップに戻るけど、
監督も『ダイアン・デュプレの運命は、この法律により、大きく左右されることになる』と言っている。
つまりこれは、
人の運命、それはその環境でいくらでも変わりうるということを意味する」
---あ~あ。
だから小林政広監督の『日本の悲劇』。
「そうなんだ。
あの映画も、
父親の個性の強さといったらこの映画の比じゃない。
なにせ息子のために自死を選び取るんだから。
そして監督は、それを決して“立派な行為”とは言っていない。
それはタイトルですでに明らか。
“日本”の“悲劇”」
---ニャんか、
話が飛んじゃっていない?
「ごめんごめん。
もちろんこの映画の魅力はそこだけで語れるわけじゃない。
正方形サイズの画面での世界の切り取り方。
そして何よりも主演ふたりの
役が乗り移ったかのような熱演。
とりわけアンヌ・ドルヴァル。
ラストで彼女が見せる嗚咽をこらえたその顔は、
『サンダカン八番娼館・望郷』の田中絹代の慟哭に匹敵。
ぼくの中にいつまでも焼き付いて離れないこと間違いないね」
フォーンの一言「他のブロガーさんはどういう風に観ているのかニャ」
※「映像や音楽も含めて、ぼくもそれが知りたい度
こちらのお花屋さんもよろしく。
こちらは噂のtwitter。
「ラムの大通り」のツイッター
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
>さて、ぼくが引っかかったのは、
これが<架空の国の話>になっているところなんだ。
こちら本当にその通りでした。
同じ母親物を描いた(母親役の役者まで同じ)『マイ・マザー』と比べても明らかなのですが、
こちらの作品で悲劇的物語を牽引しているところの設定。
この余計なSF設定が、二人の関係をかけがえのないものにするための、強力なフックになっているんですよね。
えいさんの鋭い指摘の通り、ここだけが納得いかない部分でした。
『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲<ラプソディ>』を観ながら、
とらねこさんにいただいた、このコメントのことを思い出していました。
こちらも、ある「架空の法律の設定」ですが、
それは、ある比喩を表すためにに有効に使われていました。
タイトルから引かれる方も多いとは思いますが、ぜひ!