ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『私の中のあなた』

2009-08-30 12:20:00 | 新作映画
(原題:My Sister's Keeper)


「いやあ、これは実に話しにくい映画だ。
観れば途中から想像がつくとはいえ、どこから喋っていいのやら」

----う~ん。どういうこと?
そんなに喋りにくいんだったら、フォーンの方から聞いちゃおうかな。
これはキャメロン・ディアスが初めてお母さん役をやったというのが話題の映画だよね。
「もう姉のドナーにはならない。」って、
この妹を演じているのが『リトル・ミス・サンシャイン』
アビゲイル・ブレスリンってことでいいのかニャ。
「そうだね。
アビゲイルが演じているのは、アナ。
彼女は、白血病の姉ケイト(ソフィア・ヴァージリーヴァ)を救うために、
ドナーとして“創られて”きた」

----“創られて”?
その言い方ってちょっと酷くニャい?(汗)
「そうだよね。でもそれが事実だから仕方がない。
つまり、彼女は人工授精で生まれたわけだ。
いわゆる試験管ベビー。
もしも姉のドナーとして適応できなければ彼女は生まれていなかったというところが、
あまりにも残酷。
小さい頃から、アナは体の至るところを姉のために提供。
そのつらさ、そして痛みは想像に余りある。
子供だし、両親に逆らうことはできない。
そんなある日、母親サラはアナから信じられない知らせを受ける。
『もう、姉のために手術を受けるのは嫌。
自分の体は、自分で守りたい』と。
なんと、アナは費用を工面してテレビで活躍の弁護士キャンベル(アレック・ボールドウィン)を雇う。
かくして、裁判が始まるが…」

----う~ん。アナの気持ちも分からないでもないけど、
それだと姉を見捨てることになってしまう…。
「そこなんだよね。
なぜ、アナがこのような決断をしたのか?
映画は、それぞれの過去を回想として織り込むことで、
この問題の持つ多面性を余さず見せていく。
そのため、観客としても、
あるときは母親サラの立場、あるときはアナの気持ち、
そして、もちろんもっとも深く描かれるケイトに寄りそったりで、
自分の中で結論が出せないまま、驚愕の結末へとなだれ込んでいく。
ぼくは、この監督ニック・カサヴェテスの前作、
『きみに読む物語』が苦手。
今回もあわないだろうなあと、半ば覚悟していたんだけど、
全編ハイテンションで、ぐいぐいとクライマックスまで牽引する、
その語り口についつい引き込まれてしまった。
よく「抑制された演出」という映画評論家の常套的な褒め言葉があるけど、
これはそれに真っ向から挑むようにパワフル。
一見、ヒステリックにも見える高揚した演出だけど、
それも計算のうちなんだろうなあ。
その落ち着く先が、分かったときには、
もう涙が出て止まらなかったね」

----難病ものが嫌いなえいにしては珍しいニャあ。
そう言えば、この監督、
『ジョンQ ―最後の決断―』でも医療の問題を扱っていたよね。
「そうだね。
人の命というのは、彼にとっての最大のテーマなんだろうね。
そして今回はこの映画の趣旨に呼応して集まったかのように、、
俳優たちの演技のアンサンブルが素晴らしい。
たとえば父親役のジェイソン・パトリック
母親に離婚の決意を突きつけてまで、
娘ケイトを彼女が望む海へと連れ出すシーンなんて思い出しただけで泣けてくる。
あと、判事を演じたジョーン・キューザック
彼女は事故で実の娘を亡くしたという過去を持っている」

----う~ん。でも、そうやって聞いていると、
やはり少し、できすぎた話という気も…。
「確かにそれはあるけどね。
ケイトが病院で知り合う同じ病気のテイラーとの初恋エピソードもね。
このテイラーを演じたトーマス・デッカ―と、
ケイト役のソフィア・ヴァジリーヴァはともに剃髪しての熱演。
ただ、その悲恋にしてもただ涙、涙にせず、
きちんと母親の立場などが描かれている。
決してぼくの好みのタイプではないけど、これは良作。
おそらくヒットすると思うな」


         (byえいwithフォーン)

フォーンの一言「アビゲイルも、大きくなったニャあ」身を乗り出す


でも最後、数年後のアビゲイルはちょっと無理がある度

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